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愛しき幻の君

作者: リリー

僕がリリーという少女を鮮明に思い出すことが出来たのは偶然に過ぎない。








 僕には9歳以前の記憶がなかった。僕を引き取ってくれた子供のない商人の夫妻は、記憶がなくとも知識があればそれでいいと言ってくれた。

 だから僕は、実の両親のことも自分自身の過去のことも気にしたことはなかった。


 けれど14歳のある日、たまたま友人と行った劇場で人波に押され階段から落ちてしまった。

その事故は僕を含め4人もが巻き込まれたそうだ。

その上、階段から落ちた僕が2週間も意識不明だった為、かなりの問題になったと言う。

 巻き込まれた張本人である僕が他人事のようにいうにのには訳がある。階段から落ちた事故よりも、よほど深刻な事件が僕を襲っていたからだ。


 僕は幼い少女の幻覚を見ていた。

 頭がおかしいと思ってくれて結構だ。

 事実、僕も僕自身の頭を疑っていた。

 最初、僕は彼女が存在すると思っていた。けれど、よくよくみると彼女は透けていたのだ。そして彼女の声は僕には届かない。

 僕は彼女の名前がわからなかった。覚えている限り、僕の知り合いに彼女のような人はいなかった。彼女の声は聞こえないし、彼女も僕の声は聞こえないようだから意思の疎通は出来なかった。

 ただ彼女は楽しそうに笑って僕のそばに存在していた。




 彼女が誰なのか、なぜ僕のそばにいるのか、わからないまま2年が経過した。

 ずっと彼女は成長しない幼いまま僕のそばにいる。この頃には鈍い僕も彼女が失った記憶の中の人物なんじゃないのかと思い始めていた。

 けれど、いつの時代の人間なのか、そもそも人間なのかさえわからない彼女の手掛かりはなかった。しいていうなら、僕が記憶を思い出すことくらいしか…。

初めてみた時から成長しない彼女が親しくしていた友人や幼馴染あるいは初恋の君なのか、それとも僕の家族なのかすらわからなかった。

 それでも彼女がそばにいることは不快ではなく、むしろ喜ばしく思っている僕がいるのも確かであった。



 僕が21歳の時、そろそろ本格的に養父のカリダン商会を継ぐという話になった。僕にはなんの文句もなく養父母も老いてきている為、良い機会だった。

 養父母は商会を継ぐにあたり、僕に結婚するように勧めた。

 僕は養父母の勧めに従い、3つ年下のイリスという少女と結婚した。イリスは僕のそばにいる彼女とは似ても似つかない少女だった。

 結婚生活は上手くいっていた。僕のそばにいる相変わらず彼女はいるけれど、僕はちっとも彼女のことを思い出すことは出来なかった。


 結婚して半年ほど経つとイリスが妊娠した。養父母はもちろん僕も喜んでイリスを祝福した。そして、相変わらず彼女はそばにいた。

 イリスが臨月になる頃、僕は不思議な夢をみるようになった。

 彼女の夢だ。

 夢の中で彼女と僕は手を繋いで遊んでいた。夢の中なのに何故か僕はこの先を知っている気がしていた。

 起きると忘れてしまうが、訳もわからず涙を流す僕をイリスは心配してくれた。

 たびたび僕はその夢をみたのだろう。

 そして夢をみるたび、彼女は僕のそばにいないことが増えた。

 相変わらず彼女が誰なのかわからなかった。けど僕は、僕だけは彼女のことを知っているはずだった。




 それは突然だった。

 イリスが子供を産む前日、僕はまた夢をみた。夢の中で彼女と僕は炎の中にいた。彼女を抱きしめながら、炎から逃れるよう小さくなりながらも、熱くてあつくて堪らなかった。

 その時になって彼女の声が聞こえた。

「お兄様お兄様、わたくしはもう歩けません。ですからおひとりでお逃げになって。わたくしをおいて逃げてくださいませ。」

「何を言っている!リリー!そなたを1人で置いてはいけぬ。1人で逃げるくらいなら、そなたと共に朽ち果てるまでだ!」

 ようやくわかった。彼女は妹なのだ。僕の可愛い、たった1人の妹。リリー・ナザントだったのだ。

 嗚呼、熱くてあつくて苦しかった。この炎の中で僕とリリーは死んだのだ。

 リリーは7歳だった。そして僕は9歳だった。

その時、何の因果か僕らは世界から弾き飛ばされた。

そして、僕は記憶を失ったのだ。別の世界でもやっていけるように…。

 リリーは7歳。7歳までは神の内。きっと身体をこちらの世界に持ってこれなかったのだろう。僕にも忘れられてリリーの魂は彷徨っているのだろう。知らぬ世界の中で迷子のままなのだろう。

 僕はリリーが、可愛い妹が幸せになれるよう祈った。

 出来るならば、僕が幸せにしてやりたかった妹が。

 何故今更になってリリーの記憶を思い出したのかはわからない。あちらの世界で僕もリリーも既に死んでいるだろう。そして正統な後継者を失ったナザント伯爵家も既に滅びたはず…。確かめる術もなく確かめる意味もない。

 既に僕はかつてのナザント家の嫡子としての名も性も持たぬ、ただの商人なのだ。

ただの商人に出来ることなど少ないのだから。

 



 





 翌日、イリスが産んだ女の子にはリリーという名をつけた。

 以後、かつて共に炎に焼かれた妹のリリーは僕のそばには現れなかった。

今も僕は彼女の幸福を祈っている。

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