第八話 言い争い
ランに励まされてから、エーティアは神子業を前向きに頑張るようになった。
勉強も頑張っている。積極的に世界情勢についても学んでいるらしい。
もう無知を笑われない為に、そして。ランからの信頼に応えようと、頑張っているのだ。
良い傾向だと思う。
うじうじエーティアよりも、元気のあるエーティアだよ!
今も、夜遅くまで机に向かっている。
「エーティア、紅茶淹れたよー。エミリーさんが」
エミリーさんが淹れてくれた紅茶を、私は慎重な足取りで持って行く。
こぼしたら、私はまた洗濯行きなのは確実なので、真剣だ。
「ありがとう、エミリー、ミミ」
エーティアが屈んで、私からカップを受け取る。
そして、カップに口を付けた。
「うん、美味しい」
「ありがとうございます。お夜食もご用意いたしましたので、こちらに置いておきますね」
「エミリー、ありがとう」
笑顔のエーティアに、エミリーさんも笑顔で応える。
「エーティア様に喜んで頂けて、嬉しいです」
そう言うと、エミリーさんは一礼をして部屋を出て行った。
後に残るのは、私とエーティアだけだ。
「エーティア、私邪魔になるといけないから、夜のお散歩行ってくるよ」
「あら、気にしなくて良いのよ? 私は邪魔になってるなんて、思っていないもの」
勉強の手を止め、エーティアが微笑む。
私はふるふると、首を振った。
「違うの。私、我が儘なの。エーティアに構ってもらえないのは、寂しい。きっと、勉強の邪魔をする。だから、お散歩するのー」
「ミミ……」
私は、エーティアが大好きだ。
だから、いっぱい構ってもらいたいと思ってしまうのだ。
今だって、ちょっとでもエーティアの視界に入りたくて、エミリーさんに無理を言って紅茶を運ばせてもらったのだから。下心ありありだよ。
ちょっとした照れからもじもじとする私を、エーティアは抱き上げた。
「ミミ、私は貴女が本当に大好きよ。貴女がそばにいてくれて、とても感謝してる。私は、貴女に救われてるの」
「エーティア……」
柄にもなく、私の声が震える。
本当に? 私は、エーティアを支えられてるの? エーティアの、心を守れてるの?
私の脳裏に、孤独に打ち震えていた少女の姿が浮かぶ。
突然親元から引き離されたエーティア。寂しさから、泣いていた。
私は、エーティアを見上げる。
今のエーティアの瞳に、涙は無い。有るのは、暖かな親愛の情だ。
私は胸がいっぱいになった。
「エーティア、ミミもだよ! ミミも、エーティアが大好き!」
私は、ひしっとエーティアの腕に抱き付いた。
私達の間には、確かな絆がある。
それが、とても、とても愛おしい。
「でも、やっぱり邪魔しちゃうから、ミミはお散歩に行くよ」
ちょっと早口で私は言った。
照れが、やっぱり抜けなかったのだ。
本心を話すって、ちょっと気力を使うね。
「ふふ、そうね。気を付けていくのよ?」
「うん!」
エーティアの腕から、私はぴょんっと飛び降りた。
「じゃあ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
扉を開けて、私はエーティアをちらっと見た。
エーティアは、もう机に向き合っていた。真剣な横顔に、私は尊敬の念を抱いたのだった。
月夜に照らされた神殿は、とても静かだ。
ひんやりとした空気が、私の神経を研ぎ澄ませてくれる気がした。
「さて、どこに行こうか」
前にエーティアと一緒に散歩してから、神殿の内部はだいたい把握している。
まあ、全部では無いけれど。
私は空を見上げる。四角い空を。
星々は、美しく煌めいている。
精霊として、夜空を飛んでいた時も思ったけど。この世界の空は、美しい。
この星々を見れただけでも、散歩に出た甲斐があるというもの。
「久し振りに、空を飛んでみるのも良いかも」
このぬいぐるみから抜け出し、アルディアの都を見下ろすのも楽しいかもしれない。
私がそんな事を考えていた時だった。
「……まで、……のか!」
「……う、……てくれ!」
なにやら、言い争う声が聞こえてきたのは。
声はどちらも、男性のようだ。
「こんな時間に、喧嘩……?」
私は無視するか、一瞬迷った。
もしかしたら、警護の兵士達の内輪もめかもしれない。そんな事に首を突っ込む気は無い。
しかし、放っておいて喧嘩が火種となって、エーティアの威厳が無いから云々言う人間も出てくるかもしれないし。うーん。どうしたものか。
悩んでいる間も、声は大きくなっていく。どうやら、こちらに近付いているようだ。
そうして気付く。言い争う二つの声は、どちらも聞き覚えがある事に。
「話を聞け!」
声が一際大きくなる。近い。私は、慌てて柱の陰に隠れた。
「うるさい! お前まで、俺に指図するのか!」
「違う!」
声達は、私の隠れる柱の近くで立ち止まったようだ。
いや、それよりも私は驚いていた。
柱の陰から、そっと二人を見やる。
やっぱり、声の主は私の知る人物達だった。
「俺の話を、聞いてくれ! レント!」
「リスティリオ、俺には聞く話などない」
言い争っていたのは、リスティリオとレントだったのだ。
レントはともかく、リスティリオがこんなにも必死に叫ぶ姿を見るのが初めての私は、固まってしまう。
リスティリオ、あんな顔も出来るんだ……。
「リスティリオ、お前はもう俺を守る騎士じゃないんだ。もう、干渉しないでくれ」
「……確かに、今の俺はもうお前付きの騎士じゃない。だが、今のお前は見ていられないんだ」
二人の会話に私は、疑問を持つ。
リスティリオが、レントの騎士だった?
だけど、リスティリオはエーティアの守護騎士候補だった。
どういう事?
私の疑問をよそに、リスティリオはレントに言葉を向ける。
「レント……今夜も、世界樹のところに行っていたのだろう」
リスティリオの指摘に、何故かレントの頬に朱がさす。
リスティリオから視線を逸らし、眉をきつく寄せる。
「……お前には、関係ない」
「レント……」
リスティリオが辛そうな表情を浮かべた。
「お前は、神子候補時代から変わっていない。勤勉で、精霊を慈しむ心を持っている」
「……何が、言いたい」
睨み付けるレントに、リスティリオは真っ直ぐな目を向ける。
「今代の神子に、その知識を貸せないだろうか」
「……」
リスティリオの言葉に、レントは無言だ。
私は驚いていた。
あの日頃から、エーティアへ無関心を貫いているリスティリオが、レントに力を貸せと言ったのだ。エーティアに協力しろと。
リスティリオの奴、裏ではエーティアの事を認めていたのだろうか。
リスティリオ、やっぱりツンデレだな。
私の視界で、レントがきつく拳を握り締めるのが見えた。
私は理解する。きっと、リスティリオの言葉はレントには届いていない。
「お前まで……っ」
「レント?」
レントの絞り出すような声に、リスティリオは怪訝そうに見つめる。
レントは、きつい眼差しをリスティリオに向けた。それは、憎悪に満ちた目だった。
ぞくり。私の体が震える。
「お前まで、あの女の下に付けと言うのか!」
「違う!」
レントの言葉を、リスティリオが即座に遮る。
「そうじゃない! お前の知識や見識を、神殿の為に……」
「黙れ!」
今度は、レントが遮った。
「黙れ、黙れ、黙れ!」
レントはまるでだだをこねる子供のように、地面を足で蹴る。
「もう、お前の話は聞きたくない……失礼する!」
そう言うと、レントは足早に去って行った。私には気が付かなかったようだ。
「くそ……っ」
どんっと、リスティリオが壁を叩き。そして、レントが去ったのとは反対の方向に去って行った。
「……はあ」
私は、息を吐き出した。
とんでもない場面に出くわした。思うのはそれだ。
「何だったの……?」
思わず零した言葉だった。
「あの二人の事が、気になるかい?」
なのに、返事があった。
驚いた私は、ひっと小さな悲鳴を上げる。
「ああ、驚かしてしまったみたいだね、ミミ」
「……ジューク?」
振り向いた先に居たのは、守護騎士候補達を纏める立場にあるジュークだった。
穏やかに笑うジュークに、私の体から力が抜ける。
いったいいつから、そこに居たのだろう。私と同じように、どこかに隠れてたのかな。
「驚かさないでほしいよ、ジューク」
「ごめんよ」
とりあえず、私は謝罪を受け入れた。
「ジュークは、リスティリオとレントの事知ってるの?」
気になることを尋ねる。
ジュークは穏やかに頷いた。
「リスティリオは、レントが神子候補だった頃の、レント付きの騎士だったんだ。二人は幼い頃からの付き合いでもある」
「そうだったんだ……」
きっと、友達みたいな関係だったんだろう。リスティリオの必死な様子は、ただ事じゃなかった。
「まあ、その関係もレントに聖痕が現れなかった為に、解消されてしまったのだけどね」
「そんな……」
だから、リスティリオは守護騎士候補として、あの選定の場に立っていたのか……。
友を守れなくなって、面には出さずとも辛い立場だったに違いない。
レントも……、レントも辛かったのかな。
聖痕が現れなくて、神子候補じゃなくなって……。
その上、友達まで奪われてしまった。
だから、エーティアに辛く当たるのかな。
「……でも、エーティアも悲しい思いをした」
脈絡の無い私の呟きに、ジュークは頷いてくれた。
「神子には重責を背負わせてしまっている。心無い輩も居る。神殿の人間として、済まないと思っているよ」
「ジューク……」
「だが、彼女は強い。きっと素晴らしい神子になってくれると、私は思う」
場を明るくしようとしてか、ジュークは優しい声音で言った。
「……レントにも、そんな強さがあれば良かったのだけどね」
と、悲しそうに呟いた。
きっと、ジュークは神子候補時代のレントを知ってるのだ。
レントは、どんな人物だったのだろうか。
リスティリオやジュークの様子から、今のレントとは違う人柄だったのかもしれない。
「ミミ、今夜ここで聞いた事は、内緒にしてくれないかな。神殿騎士と元神子候補の喧嘩だなんて、外聞が悪いからね」
ジュークは軽い感じに言ったけど、目は真剣だった。
「うん、分かった」
私は頷いたのだった。
結局、ジュークとはその場で別れ、私は散歩を再開したのだけど。
先ほどのリスティリオとレントの件が忘れられず、素直な気持ちで楽しむ事が出来なかった。
リスティリオもレントも。
また、元の関係に戻れたら良いのに。
そう思った。