第七話 庭園
エーティアの神子様生活が、本格的に始まった。
朝は早くから、勉強の嵐なのは変わらないけれど、初代神子像がある広間でのお祈りも、仕事の一つとなった。
あ、あと。週に一回は、神殿の一般の人間が入れる区画まで出向いて、顔見せもするんだ。勿論、ベールは深く被るから顔は見えないんだけどね。
それでも、世界樹を信仰する人間には有り難いものらしく、皆が歓声を上げていた。
皆に手を振るエーティアは、照れくさそうだった。
そして、ほんの少し疲れているようだった。
まだまだ慣れない事だらけだもんね。
エーティアは、神殿の会議にも出席する事になった。
勿論、私も同行したよ!
会議には、神殿の要である人物達が集うのだという。レントも、その中に居た。神子候補では無くなったけれど、それならば今まで培ってきたものを、世界樹の神殿の為に使えという事だろうか。
エーティアは、代替わりしたばかりとあって、先代が補佐に付く事になった。
……会議は、散々なものになった。
神殿をこれからどのように発展させていくのか、信仰してくれる人々にどのように接するべきか。
最初は、そんな内容だったと思う。
だけど──。隣国の話になった時。一人の人間が、意地の悪い笑顔を浮かべてエーティアに話しを向けてきた。
「隣国のバルド王国には、新興の宗教が根付きつつありますが、これは我が宗派にとって大変嘆かわしい事であります。神子様は、いかがお考えかな?」
「え……?」
エーティアは、本当に少し前までは普通の女の子だった。宗教と言えば、勿論世界樹の事を指していたけれど、でもそれも世界樹に見立てた小さな祠が村にあるだけで。村人は、毎日欠かさず、お参りしていたけど。でもその程度だ。
実際のところ、小さな村では日々の暮らしを感謝する意味合いが強い。
宗教間の問題とは遠い場所に居たのだ、エーティアは。
そりゃ、毎日色んな事を勉強しているけれど、それが直ぐに身に付くかといえば違うのだ。
エーティアは、困ったように口を閉ざした。
「なあ、皆様方! 神子様のご意見をお聞きしたいものですなぁ!」
エーティアの動揺を感じ取ったのか、人間は声高に言い放った。
今、思い出しても腹が立つ! あいつ、今度会ったら、めっためたにしてやる!
皆の視線が、エーティアに突き刺さった。
「口を慎められよ、ガードン卿」
会議に出席していたジュークが、ガードン卿と呼んだ人間を諫めた。
しかし、ガードンは侮蔑の表情を浮かべたままだった。
「ジューク殿、私は神子様にお聞きしたいのだよ。新たな神子様のお言葉を賜りたいのだ。それを邪魔する権限など、貴方には無いでしょう」
「……」
ジュークは鋭い視線を、ガードンに向けたまま沈黙する。
「あ、あの……っ」
雰囲気の悪くなった会議室に耐えられなかったのか、エーティアが慌てて口を開いた。
「わ、私は、新しい宗教とも、その、仲良く出来たら、と……」
「ハッ!」
エーティアの言葉に、嘲笑したのはガードンでは無く、レントだった。
レントは皮肉げに、口元を歪めていた。
「バルドの新興宗教は、世界樹を廃そうとしている過激派だぞ。そんな事も知らないのか」
「あ……」
レントからの嘲笑に、エーティアは言葉を失った。
更に続けようとしたレントを制したのは、先代だった。
「レント、それ以上は言わせないわ。ガードンも言葉が過ぎている」
「神子……」
先代の制止に、レントは悔しそうにした。
ガードンは、慌ててこうべを垂れる。
「レント、間違えないで。わたくしはもう神子ではありません。今の神子は、エーティアなのよ」
「く……っ」
レントは、先代には逆らえないようだった。
「わたくしは、エーティアの考えも悪くはないと思います。対立は、争いしか生まない。それは、世界樹の意に反する事。親和策を模索する事を提案します」
「は……っ」
ガードンが更に頭を下げた。エーティアに対したものとは全然違う態度だ。
結局、会議はそれでお開きになったんだけど。
エーティアは、また落ち込んじゃっているのだ。
「ねえねえ、エーティア!」
椅子に座り部屋の窓から、外を眺めているエーティアに声を掛ける。
「エーティア、お散歩に行こうよ!」
「お、散歩……」
繰り返したエーティアに、私は頷く。
「そう! お散歩! エーティア、まだ神殿に不慣れでしょ。神殿内なら、守護騎士も必要ないし、二人で散策しようよ!」
私はぴょんぴょん跳ねて、エーティアに言った。エーティアは、少しの間思案した後、頷いてくれた。
かちりと、いつもの定位置に装備される。
「じゃあ、行ってくるね。エミリー」
「はい。行ってらっしゃいませ」
エミリーさんが深くお辞儀する。
私達は、部屋の外へと出た。
今の季節は春だ。日差しが暖かい。
「気持ちいい風だね、エーティア!」
「そうね……」
エーティアはどこか上の空だ。
……会議の事、気にしているんだろうな。
くそう。先代から、会議中の発言禁止令が出てなければ、私が応酬したのに!
でも、エーティアの立場を悪くさせない為と言われちゃったら、仕方ない気になっちゃって、承諾しちゃったんだよね。今更、悔やまれる。
私が自身の不甲斐なさにしょんぼりとしていたら、不意にエーティアが立ち止まった。
「甘い、匂いがする」
エーティアに言われ、私も気付く。甘い、花の香りだ。
「あっちからするよー」
私は、匂いのする方角をビシッと右手で示す。
「行ってみようか、ミミ」
「うん!」
自発的なエーティアの言葉に、私は嬉しくなり思いっきり頷いた。
辿り着いた先は、出入り口であるアーチすら花で彩られた庭園だった。
「わぁ……っ!」
エーティアが感嘆の声を上げる。
庭園は、色んな花々で咲き誇っていた。赤、黄色、ピンク。様々な色彩で溢れている。
「こんなに素敵な場所が、あったなんて……」
「ミミも、初めて見る場所だよー!」
私達は、しばらくの間、美しい庭園に見惚れていた。
そして、庭園の中に居る人物に気が付いた。
向こうも私達に気が付いたようで、ぺこりと頭を下げた。
エーティアが庭園の中に入って行く。
「ラン、何をしているの?」
庭園に居たのは、エーティアの守護騎士であるランだった。ラン、お花似合うね!
「エーティア。僕は、この通り花を摘んでいました」
と、手の中の花を見せ、ランは微笑んだ。
暖かな笑みだが、私は不満だよ!
「おいおい、ラン。このミミ様を忘れてるぜ」
恒例のキャラ壊しで、ランに話し掛ける。
「あ、ああ。ごめんなさい、ミミ。今日も元気そうですね」
「おう」
「もうっ、ミミったら時々口が悪いんだから!」
「ごめんなさいなのー」
エーティアに怒られ、私は素直に謝った。
「ははは」
ランは、そんな私達を笑う。レントとかが浮かべる嘲笑じゃない。そんなものより全然違う、暖かな笑い声だ。
エーティアから、力が抜ける。
散策中も、中傷してくる誰かに会わないか、ずっと緊張してたもんね。
エーティアは、両手を広げた。
「ここ、とっても綺麗な場所ね!」
と言って、周りを見渡す。
ランは笑みを深めた。
「ええ。神殿の庭師が丁寧な仕事をしてくれる方なので、枯れた花は一輪も無いんですよ」
「そうなの。それは、庭師の方に感謝しなくちゃね! こんなにも素敵な花を咲かせてくれるのだもの」
エーティアは、庭園をすっかり気に入ったようだ。
良かった、笑顔を浮かべてくれて。
エーティアの腰で、私はホッと安堵の息を吐いた。
エーティアの元気が出てきたのが、本当に嬉しい!
「エーティアにそう仰って頂けたとあれば、庭師も喜びますよ。伝えておきますね」
「えっ、いいよ! 私なんかじゃ、むしろ困らせちゃうだろうし……」
あっ、エーティアはまたネガティブな事を!
もーう、もっと自分に自信を持てばいいのに!
同じ事を、ランも思ったのか笑顔を引っ込めてしまう。
「エーティア」
「な、なに。ラン」
ランの様子にエーティアが戸惑う。
ランは真剣な表情で、口を開いた。
「エーティア、貴女は過小評価が過ぎる。貴女は、立派ですよ。日々の勉学をきちんとこなし、神子の仕事も真剣にこなしています」
「で、でも……っ。私、レントみたいに博識じゃないし、先代様のような威厳も、ない……っ」
エーティアの声が、悲鳴のように庭園に響く。
エーティアの心が、外に出た瞬間だった。
ランが痛ましげに、エーティアを見る。
「エーティア、聞いてください。貴女は、突然神殿に連れてこられたんだ」
「そ、それは、でも……私には、聖痕が」
ランは首を振った。
「確かに、貴女には聖痕がある。それは変えられません。でも、貴女は突然それを突きつけられた。普通の少女なら、耐えられませんよ」
「で、でも……」
エーティアの言葉を、ランは遮る。
「貴女は、逃げなかった」
「あ……」
力強く言い切ったランに、エーティアの声が震える。
「貴女は、努力してます。それは必ず報われると、僕は思うんです」
「ラン……」
「だから、自分を卑下しないでください」
そう言って、ランは持っていた花をエーティアに渡す。
「僕は、貴女を唯一の神子だと思ってますから」
ランに言い切られ、エーティアの方が揺れる。
そして、エーティアは、花をそっと胸に抱きしめた。
「……ありがとう、ラン」
穏やかなエーティアの声。
エーティアは微笑んでいた。
「私、少し弱気になっていたみたい。そうよね、私は……神子なんだから」
エーティアの声はもう震えていない。
しっかりとランを見ていた。
「私、頑張る」
「ええ。信じてます」
信じる。ランは、エーティアに信頼を寄せているのだ。
それは、守護騎士として日々神子として過ごすエーティアを、見守ってきたからだろう。
まだ二人は出会って間もないけれど、エーティアの真面目さや誠実さを知るには充分だ。
エーティア。ランの信頼を得たのは他でもない、エーティア自身なんだよ。
だから、もっと自分を信じてね。
ふわりと、二人の間に春の風が吹いた。
ランの長い髪を、エーティアのベールを優しく揺らしていく。
庭園は、心地よい沈黙で満たされていた。
空気が読める私は、ただのぬいぐるみと化している。
「……ラン、私はもう行くね」
沈黙を破ったのは、エーティアだった。
「その、話を聞いてくれてありがとう。それと……庭師の方によろしくね」
「ええ、分かりました」
先ほどは遠慮してたエーティアからの、庭師への伝言にランは嬉しそうに笑った。
「あと、お花ありがとう」
「はい。実は、それは貴女の部屋に飾ってもらおうと思って摘んだ花ですから」
「そうなの? 本当に、ありがとう!」
「喜んでもらえて、何よりです。僕は、また花を摘もうと思っているので、また後で」
「ええ、また!」
そう言って、エーティアはランと別れた。
「お花、良かったね」
そう話し掛ければ、エーティアはそれはそれは幸せそうに笑った。
ランから贈られた花は、エーティアの部屋に飾られるのだった。
ラン、エーティアに元気をくれて本当にありがとう!