第六話 小さな失敗
結局、私は洗濯されてしまった。ジャブジャブと!
私は、散々抵抗した! 泣き落としもした!
何故なら、ぬいぐるみは、乾くのに時間が掛かるのだ。
つまり! 私は、継承の儀式に同行出来なかったんだよー! うわーん!
どんなだったか、知りたかったのにー!
くそ、これも全てジョンのせいだ! あのお犬様め!
奴は、私の天敵だ!
「うわーん」
物干し竿に吊されたまま、私は手足をバタつかせた。
私は暇だ。非っ常に暇だ。
中庭に干されて、廊下を歩く神官や兵士や騎士に見られまくりなのも、やだー!
幸いレントやジョンなどの天敵に会うことは無かったけども。
「むー、むー!」
エーティアまで、会いに来てくれないのは、悲しい。
継承の儀式の帰りらしいエーティアを見たんだけど、エーティア元気なさそうだったんだよね。
何かあったのかな。
「儀式、失敗しちゃったの、かな」
いや、違う。そうなったら、神殿内はもっと騒然としてる筈だ。
エーティアに失敗なんか、ある筈が無い!
うんうんと一人頷いていると、眼下に人の気配が。
「……儀式は、滞りなく終わった」
と、声まで掛けられた。
誰だ、誰だと視線をやれば。居たのは、一人の青年。
「リスティリオ……」
私が名前を呼べば、リスティリオは皮肉げに笑った。
「ぬいぐるみに呼び捨てにされるとはな」
「ぬいぐるみじゃないよ! ミミだよ」
そう主張したら、あっさり無視された。
リスティリオは、私を見上げながら腕を組んだ。
「……奇跡の命、か」
む、なんだよー。私に何か文句でもあるのかい。
「おい、お前」
「お前じゃないよ、ミミだよ」
私がそう言うと、リスティリオは嫌そうに顔をしかめた。
意地でも呼びたくない。そういう顔だ。
「お前、儀式がどうなったか知らないだろ」
「滞りなく終わったんじゃないの?」
さっき、そう言ったよね?
「ああ。進行自体は速やかなものだった」
「じゃあ、何の問題も無いじゃんかよー」
私の言葉に、リスティリオは眉をひそめた。
「奇跡の割には、品位が無いな」
「うるさいですー」
私は、足をバタつかせて抗議した。
そんな私の様子に、リスティリオはため息を吐いた。
「……新たな神子は、花を咲かせられなかった」
「え……?」
私は暴れるのを止めた。
花を咲かせられなかったとは、いったい?
私の疑問に気付いたのか、リスティリオは言葉を続ける。
「世界樹の花だ。儀式の最後に、神子は世界樹の枝に触れる。今までの神子達は、触れた瞬間に世界樹の枝に花を咲かせたのだ。だが、新たな神子は、咲かせる事が出来なかった」
「そんな……」
儀式帰りのエーティアの横顔を思い出す。
暗い表情をしていた。
花を咲かせる事が出来なかった、それは何を意味するのだろう。
ピクリとも動かなくなった私に、リスティリオはまたため息を吐いた。
「……勘違いするな。世界樹の花は、儀式の余興のようなものだ。俺は新たな神子と呼んでいるだろう。儀式の要である聖痕は、きちんと輝きを発した。代替わり自体は成功しているのだ」
そうか。儀式は、ちゃんと終わったのか……。良かった。
「ただ、世界樹の花を咲かせる事が出来なかった事で、うるさく言う輩は居る」
「うん……」
エーティア、今頃落ち込んでないかな。
心無い言葉に傷付いていないかな。
心配だよ。
リスティリオは、ふいっと私から視線を逸らした。
「だが、まあ……」
と、小さな声で呟く。
「お前という奇跡の存在が、そういった輩の何割かを黙らせているのも事実だ」
「リスティリオ……」
「……ふん」
リスティリオは、言いたい事は全部言ったとばかりにきびすを返していった。
なんだよー、リスティリオの奴。良い奴じゃんか。あれか。ツンデレって、奴か。
「世界樹の花、か……」
そう呟き、私は足をぷらぷらさせた。
漸く乾きました!
ミミちゃん、復活です!
エミリーさんに物干し竿から降ろしてもらい、私は一目散にエーティアの元へ走った。
部屋の前まで来ると、ぴょんと飛んでドアノブを開ける。
「エーティア、ミミだよー!」
私はとてとてと、部屋の中に入る。後から、エミリーさんが扉を閉めて入ってきた。
エミリーさんから、エーティアがふさぎ込んでいると聞いて、凄く心配だった。
エーティアは、居た。
出会った頃と同じように、ベッドの上で膝を抱えている。
違うのは、エーティアの顔を覆うベールだけだ。
エーティア、本当に神子になったんだ。
「エーティア、エーティア!」
私はベッドに飛び乗り、エーティアの顔を覗き込んだ。
エーティアは、沈んだ顔をしていたけれど、私の声に気が付くと静かに微笑んだ。エーティアは、神子──先代とは違い、ベールを浅く被っているようだ。顔がよく見える。
「ミミ……お帰りなさい。会いに行けなくて、ごめんね」
エーティアが、私をギュッと抱きしめる。
「ううん、いいよ。エーティアは、そんな事気にしなくて、いいんだよ」
本当はちょっと寂しかったけど、そんなのはリスティリオに話を聞いて飛んでいってしまった。
世界樹の花を咲かせられなかったエーティア。
今のエーティアは、とても儚くて直ぐに消えてしまいそうだった。
エーティアは、私を抱きしめたまま、そっと呟く。
「ミミ、私……失敗、しちゃった」
「エーティア……」
「私、お花を咲かせられなかったの」
エーティアが語るのは、リスティリオが話したのと同じ内容だ。
だけど、エーティアには悲壮感が漂っている。
「あの儀式の場で……皆が、ざわついた。皆、私の事が神子に相応しくないと思っているんじゃないかって気がして、私怖かった」
エーティアは、更に私を抱きしめた。
「ミミがそばに居なくても、私は大丈夫だって、思ってたのに……っ」
エーティアの言葉に、私の胸が痛んだ。
なんで私は、儀式に同行しなかったのだろう。
何の手助けにならなくとも、そばでエーティアを支える事が出来たかもしれないのに……。
私は悔やんだ。全ては、ジョンが悪いのだ!
ジョンさえ、私にじゃれつかなければ、お洗濯される事も無かったのに!
くうう、ジョンめ! やっぱり、奴は天敵だ!
今度見かけたら、全力で逃げてやる!
いやいや、今はそんな事より、エーティアの事だ!
エーティアはすっかりしょげている。
神子としての自信を失っているのかもしれない。
でも、でもでも! リスティリオは言ってた!
代替わり自体は成功してるって!
だから、エーティアは間違いなく神子なのだ。世界樹と対話出来る、唯一の存在だ。
「エーティア、エーティアは、神子だよ。ミミには立派な神子に見えるよ!」
エーティアの腕の中、私は必死に言葉を紡ぐ。少しでも、エーティアに届くようにと。
「ミミ……」
エーティアがかすれた声で、私の名前を呼ぶ。
とても悲しそうな目をしている。
どうしたら、その悲しみを払拭出来るのだろうか。
私まで落ち込みそうになった時、それまで黙っていたエミリーさんが、一歩前に出た。
「エーティア様、ミミ様の仰る通りです」
「エミリー……」
弱々しく名前を呟くエーティアに、エミリーさんは真っ直ぐな眼差しを向けた。
「エーティア様は、立派な方です。そして、とてもお優しい方でもあると思うのです」
「そんな、私なんか……」
自分を卑下するエーティアに、エミリーさんはかぶりを振った。
「いいえ、お優しいです。エーティア様は、私達神殿の使用人に、ありがとうと仰ってくださいます」
エミリーさんの言葉に、エーティアはきょとんと瞬いた。
「そんなの、当たり前の事よ?」
そうだよね。何かしてもらったら、ありがとうってちゃんと言わなくちゃ。
人間としての礼儀だよねー?
不思議そうにする私達に、エミリーさんは悲しそうに、またかぶりを振る。
「いいえ、エーティア様。エーティア様の世界では、それが当たり前だったかもしれません。ですが、貴い血筋の方にはそれが当たり前でない事もあるのですよ」
エミリーさんの言葉に、私は考える。
貴い血筋って、つまり貴族の事だよね。
あー……、確かに傲慢な人間も居るのかもしれない。
同じ人間なのに、生まれの差だけで差別するのも居るのかも。
「残念ながら、神子にお仕えする方の中にも、そういった方はいらっしゃいます」
「そんな……」
エーティアは、言葉に詰まる。
彼女は、長閑な村の出だ。一番偉いのは、彼女の父親である村長で、彼女の父親は穏やかな人物だった筈だ。
村人も、優しい人間が多く、大きな諍いも無い、本当に平和な村だ。
そんな環境で過ごしてきたエーティアにしてみれば、威張り散らす輩は、理解出来ないのだろう。
エミリーさんの口振りから、エミリーさん達はそういった輩を相手にする事が日常茶飯事なのだと察せられた。
「同じ、人なのに……」
エーティアは、悲しそうだ。
勿論、貴族の中にだって立派な人間は居るだろう。だけど、平民を見下す奴が居るのも確かだ。
エーティアだって、そういう輩に中傷めいた皮肉を投げつけられた事がある筈だ。
その事を思い出して、エーティアは心を痛めているのかもしれない。
エミリーさん達の境遇に、自分を重ねているのかもしれない。
エミリーさんの話は続く。
「そうやって、私達の事を思い、悲しんでくださるエーティア様は、お優しいと思います。そして、思いやる事の出来る立派な方だと、私は感じているのです」
「エミリー……」
エーティアの声が震える。
エミリーさんの言葉が、本心からくるものだから、エーティアの心に届いたのだ。きっと。
「ありがとう、エミリー。私、頑張ってみる」
浮かべた笑みは、本来の輝くようなエーティアの笑顔とは程遠いものだったけれど。
でも、エーティアの目には、光が戻っていた。
「エーティア、エーティア! ミミも、応援しているよ」
エーティアの腕の中、ぽむぽむと彼女の腕を叩く。
頑張れの気持ちを込めたつもりだ。
「ミミ……、そうね。私には、ミミという力強い味方が居るのだもの」
「その意気です、エーティア様」
エーティアの神子様生活は、まだまだ始まったばかりで、苦難も多いと思う。
でも、でもね、エーティア。エーティアには、私がついているから。
だから、一緒に頑張ろうね!
「ねえねえ、エーティア」
「なぁに、ミミ」
私は、エーティアの腕から飛び出し絨毯の上に着地する。
そして、優雅にお辞儀をした。
「エーティア、神子就任おめでとうございます」
私としては、百点満点の出来だったと思ったのだけど。
「ミミ、なんだか似合わないわ」
と、エーティアに笑われてしまった。
えー、なんだよー。頑張ったのにさー。
エーティアは、微笑んだ。
「ミミは、いつも通りでいて。その方が、可愛い」
「そっかー、分かった!」
可愛いだって!
エーティアにそう言われ、何よりエーティアの笑顔をまた見られて、私は満足だった。