第五話 元守護騎士候補
継承の儀式が明日にまで迫ってきた。
エーティアは、儀式の作法の練習で大忙しだ。
なので、私は暇になってしまった。
儀式には同行する予定だけど、私はただのぬいぐるみ状態になるつもりだし。
そもそも、私に礼儀作法は関係が無い。エーティアの腰にぶら下がっているだけなのだから。
「エーティア、頑張ってるかなー」
ぽきゅぽきゅと足音を立てて、私は神殿の廊下を歩いていた。外壁の無い廊下からは、中庭が見えるけれど。私は降りないよ。
だって、土で汚れちゃうもんね。そうしたら、またお洗濯されちゃうよ。お洗濯嫌だよ。暇だもん。
「早く、授業終わらないかなぁ」
そんな事を言った後、私は中庭に面した廊下の縁に腰掛けた。
そして、空を見上げる。
ここから見える空は、神殿を守る高い壁により四角い。
精霊として、空を飛んだ時には考えもしなかった狭さだ。
「……これが、エーティアの世界」
こんな窮屈な世界が、彼女の全てになるのだ。
お忍びで街には出られるけれど、それも守護騎士が居てこそだ。
普通の女の子の当たり前が、もう彼女には無いのだ。
そう思うと、何だか悲しい。
「エーティア……」
アンニュイな気分で呟いた瞬間だった。
突然、頭に衝撃を覚え、気が付いたら私は地面と顔面こんにちはをしていた。
「むぎゅう!」
何かが、私の頭に乗っかっているのだ。
たしたしと、何度も頭を踏まれる。
何だ、何が起きたのだと恐れおののいていると、頭上から声がした。
「わんっ、わんっ!」
い、犬ーーーー!
私のお頭様を踏んでいるのは、犬なのか!? そうなのか!?
何で神殿に、犬が居るの!
神殿を守ってる系の犬なの? ドーベルマン的な何かなの!?
「わんっ、わふっ」
声が近い! こ、このままじゃ、噛まれちゃう!
だ、誰か助けてー! エーティアー!
押しつぶされたままで混乱した私は、同調を切って精霊になって逃げるという、当たり前の考えが浮かばなかった。
ただただ、恐怖が勝っていたのだ。
もう駄目だと、覚悟を決めた時。足音が聞こえた。
すると、頭の重りが軽くなる。
「おっ、ジョン! こんな所に居たのか。食事だぜ!」
「わんっ、わんっ!」
完全に頭から重圧が消えた。
その代わり、タッタッと走り去る犬の足音がした。
地面に突っ伏したまま、私は顔を上げる。
「わん!」
全力で振られる尻尾が見える。
私を襲った犬は、ドーベルマンでは無かった。見えるのは後ろ姿だけだが、柴犬系だった。でも、犬怖い。
「ははっ、ジョン。たくさん食えよー?」
私を襲った悪魔に餌を与えている赤毛の青年に、見覚えがあった。
確か、守護騎士候補だった……ロイドだ。
選定の時は、高い身長のせいか威圧感があったけれど。こうしてしゃがみ込んで、犬に構っている姿を見ていると、思ったよりも気さくな感じがする。
「ん……?」
まじまじと見ていたら、目が合ってしまった。こんにちはー。
「お前、あの娘の喋るっつーぬいぐるみか!」
指を差されてしまった。
「ミミだよー。あと、娘じゃなくて、エーティアだよ」
「お、おう、そうか。つーか、何やってんだお前」
地面に倒れたままの私に、ロイドは呆れた視線を寄越す。
そして、私を持ち上げてくれた。良い奴ー。
「そこのお犬様に、頭踏んづけられてたー」
私が地面倒れる事になった元凶の悪魔は、ご機嫌に餌を食べている。
「あー……そうか。悪かったな。ジョンは、俺が面倒見てんだけどよ。ぬいぐるみが大好きなんだよなー……」
「お犬様に踏まれて、すっかりドロドロ。ミミ、悲しい」
「悪かったって。洗ってやるから、な!」
「洗濯は、嫌ー!」
「我が儘な奴だなぁ、お前」
ロイドはため息を吐いた。
我が儘じゃないよ。洗濯されると、明日の継承の儀式に参加出来なくなるんだよ。ぬいぐるみが、直ぐに乾くと思うなよ!
一応、ロイドの手の中で体に付いた砂埃を払う。
「げほっ、おい止めろ!」
「止めない。砂埃は全て敵だと思え、なんだよ」
「何と戦ってんだよ、お前」
「私の誇りに掛けて、埃と戦ってるんだよ」
「上手くねーからな!」
なんだよ、ロイドは付き合い悪いな。
しかし、ロイドは私の体をパタパタと叩いて埃を払ってくれた。
やっぱり、良い奴ー。
「ロイド!」
すると聞き覚えのある声がした。
神殿の廊下の角から、凛とした雰囲気の青年が現れた。
あ! ロイドと同じく候補だったジェラルだ。
「おー、ジェラル。どーしたんだよ」
「どうしたではない!」
ジェラルは、ご立腹のようだ。手に、紐を持っている。
ジェラルは、満足そうに餌の入っていた皿を舐めるジョンに視線をやると、きっとロイドを睨んだ。
「ジョンの世話をすると決めた時、約束しただろう。ジョンは紐で小屋に繋ぐと」
「えー、でもよ。可哀想だろ」
ロイドの言い分に、ジェラルは眉間にシワを寄せた。
「ここは神殿だ。様々な人が訪れるのだ。ジョンが粗相をしないとは限らないだろう」
「ジョンが、んな事する訳……あ」
ロイドが言いかけて、気まずそうに私を見た。既に粗相してるよ。私に!
「む……?」
ロイドの視線に気付き、ジェラルが私に視線を移す。
「そこに居られるのは、次代様のぬいぐるみ殿ではないか」
「ミミだよー」
私はピコピコと右手を挙げる。
「では、ミミ殿。何故このような場所に? その、何やら汚れているようだが」
「そこのお犬様に、襲われたのー」
怪訝そうに問い掛けてくるジェラルに、私はきっぱりと答える。
「あー……」
ロイドはばつの悪そうな顔をして、頭を掻いた。
「ロイド! 貴様の監督不行き届きだぞ!」
「いや、その、な。あははは」
「笑い事ではない! ミミ殿に何かあれば、次代様が悲しまれるのだぞ!」
「そうだー、そうだー!」
私はジェラルに同意した。エーティアが悲しむのは嫌だもん。
私とジェラルに責められ、ロイドはうなだれた。
「悪かったよ。今度から、気をつけるって……」
「必ずだからな」
念を押したジェラルは、ロイドに紐を押し付けると、変わりに私を抱き上げた。おや?
「貴様は、そこでジョンの相手をしてろ。私はミミ殿を、次代様の元にお連れする」
「分かった、分かった」
ロイドはひらひらと手を振った。
すると、食事を終えたジョンが満足そうにロイドにじゃれつきにきた。あ、危なかった。もしもまだロイドのそばに居たら、また襲われるところだった。
「よーし、ジョン。食後の運動だ」
そう言ってロイドが取り出したのは、ズタズタになったクマのぬいぐるみだった。
ロイドがぬいぐるみを投げると、ジョンは勢い良くじゃれつき始めた。クマのぬいぐるみは無残な姿を晒している。
「何アレ、怖い……」
私は、恐怖に打ち震えた。
「安心してくれ、ミミ殿。貴女は、私が安全にお連れする」
「う、うん。任せるよ」
「では、参ろうか」
ジェラルに連れられ、私はエーティアの部屋に向かった。
作法の勉強ももう終わった頃だと思うし。エーティアに癒されたい。
「ねえねえ、ジェラル」
「なんだ、ミミ殿」
私はおもむろに、ジェラルに話し掛けた。
「エーティアは、次代様じゃなくて、名前で呼ぶときっと喜んでくれるよ」
「い、いや、しかし……」
ジェラルは戸惑ったように声を出す。
敬う相手を名前で呼ぶ事に、抵抗があるのだろう。
「不敬に、ならないだろうか?」
「エーティアは、気にしないよ」
「そ、そうか」
ジェラルは少し頬を赤くさせた。照れもあるのだろう。
私は話題を変える事にした。
「ねえ、ジェラル達は守護騎士候補だったんだよね」
「あ、ああ。そうだが」
「選ばれなかった場合は、どうなるの?」
それは私が疑問に思っていた事だった。
エーティアの守護騎士はランに決まった。
じゃあ、選ばれなかった他の騎士は?
「選ばれなかった我らは、神殿を守る騎士に戻るだけだ」
ジェラルは、特に気分を害した風もなく答えてくれた。
「……エーティアを恨んでる?」
「いいや。選ばれなかったといえ、私の忠義に変わりは無い。守護騎士でなくとも、神殿を守るのは神子様を守る事に繋がるのだからな」
「そっか」
ジェラルの答えに、私はホッとした。
エーティアが誰かに嫌われるのは嫌だもの。
「さあ、部屋に着いたぞ」
「わーい」
いつの間にかエーティアの部屋の前にまで、来ていたようだ。
ジェラルが躊躇いがちに、扉をノックした。
「はーい」
直ぐ様エーティアの声がする。
「神殿騎士のジェラルです。ミミ殿をお連れしました」
「ミミを?」
カチャリと扉が開く。エーティアだ。エーティアー! 怖い事があったんだよー!
「エーティア、ただいまー!」
私は、ジェラルの腕からエーティアの腕の中に飛び込んだ。
「ど、どうしたの、ミミ! こんなに泥だらけになって!」
エーティアが問い掛けるように、ジェラルを見た。
「実は……」
ジェラルは申し訳なさそうに、事の次第をエーティアに聞かせた。
私がお犬様に襲われかけた事を。
「そんな事が……」
エーティアが、労るように私の頭を撫でた。
「エーティアー!」
私はすりすりと、エーティアに甘える。
「これも全ては、我らが責任。どう詫びても、許される筈がありません」
深刻そうなジェラルに、エーティアは微笑みを向けた。
「もう、良いんです。ミミも無事だったんですし。ね、ミミ?」
「うん。ジェラルもあまり気にする事ないよ」
私とエーティアに言われ、ジェラルは深く下げていた頭を上げる。
「次代……いえ、エーティア様。ミミ殿。ありがとうございます」
と、お礼を言った。
「お許し頂けて、良かった。では、私は警護に戻りますゆえ」
「え、ええ。頑張ってくださいね」
「はい」
ジェラルは、去って行った。
その後ろ姿を、エーティアは見えなくなるまで見送った。
「ねえ、ミミ。今、聞き違いでなければ、ジェラルさん名前で……」
「きっと、エーティアと仲良くなりたいんだよ」
私がそう言うと、エーティアは嬉しそうに笑った。
「そうね。そうだと、良いな」
と言ったあと、何故か私を見る。
「じゃあ、ミミ」
「うん?」
何だろう。嫌な予感がする。
「お洗濯、しましょうか!」
「あー……」
やっぱりかー……。