第二十一話 月夜の出会い
エーティアの元気が無い。
ランの様子もおかしいままだ。
そして、レントに対する私も普通じゃなくなる。
世の中、おかしな事ばかりだ。
憂鬱な気分で月夜の中、私は精霊の姿で彷徨っていた。
久し振りに世界樹のもとへと向かう。
世界樹のそばには、先輩精霊がたくさん居た。
私の内心とは裏腹に、楽しそうに今夜も踊っている。
『あら、新人さんじゃない』
『久し振りね』
『今夜はどうしたのかしら?』
私のもとに降りてくる先輩精霊たちに、私はぺこりと頭を下げた。
『久しぶりに、皆に会いたくて』
ずっと暗い空気の中に居たので、先輩精霊たちと話をしたくなったのだ。
精霊は善の存在。世界樹は清涼なる空気に包まれている。
ヒーリング効果はバッチリなのだよ。
『まあ、嬉しいわ』
『私たちも、貴女に会いたかったのよ?』
くるくると踊りながら、精霊が私の手を取る。
ふわりと私の体が舞う。
『さあさあ、踊りましょう』
『悲しいことは忘れて、楽しいことをするのよ』
先輩精霊たちの言葉に、目を瞬かせる。
そんな私を、先輩精霊たちは微笑んで見ていた。
『貴女、今悲しいのでしょう?』
『それぐらい、分かるわ』
『だって、私たちは世界樹を介して繋がっているのだもの』
『新人さんは人間みたいな思考をしているのも、知っているの』
それは驚きだ。
私には、皆の気持ちとか分からないのに。……ダメな精霊なのかな、私。
生まれて数ヶ月で、『ミミ』として生活を始めたから精霊の常識もないし。
『ほらほら、そんな顔をしないで』
『そう、私たちは楽しく生きなくては』
先輩精霊に囲まれて、私はくるくると舞い続ける。
そうしていると、だんだん感化されていくのが分かった。
ふわりと、心が軽くなっていく。
うずうずと胸が騒ぐ。
『……久しぶりに、踊りたいな』
呟けば、笑顔が返ってくる。
私を中心に輪が出来、皆が口ずさみ始めた。
これは──精霊歌だ。
私がミミの時に歌うような前世の曲ではなく、精霊が世界樹の為に捧げる歌。
気が付けば、私も口ずさんでいた。
精霊の皆と一緒に歌い踊る。
いつもの私はエーティアを思うけれど、今は世界樹の事を考えていた。たぶん今の私は皆と同調しているのだろう。
精霊歌に応えるように、世界樹が葉を揺らす。
ゆらゆらと水面が波打つ。
精霊たちの宴だ。
精霊は善。
世界樹の守護者。
精霊はこうやって善なる気持ちを世界樹に贈り、世界樹を安定させるのだ。
『ああ、楽しいわ』
『歌や踊りは、私たちを楽しませてくれる』
『そして私たちの良い感情は、世界樹の力となるの』
そうか。だから、先輩精霊たちはいつも楽しそうなんだ。それが世界樹の為になるから。
それはまるで、『ミミ』とエーティアの関係みたいだ。
ミミ──私も、エーティアを楽しませたい。もう悲しませたくない。辛そうにしているエーティアを、見たくない。
エーティアは立派な神子になるんだ。誰にも後ろ指指されない、神子に。エーティアには、そうなる心の強さがある。
私はそんなエーティアの味方で、彼女を支えるんだ。
先輩精霊たちと踊り、歌ったことで気分が浮上できた。感謝だ。
『ふふ、新人さん。良い笑顔ね』
『そう、私たちには笑顔が必要なのよ』
先輩精霊たちの言葉に私は頷いた。
そうだ。今は、エーティアのことを考えよう。他のことまで背負えるほど、私には余裕がないんだから。
──そう、思ったというのに。
何故、森の方へと目が行ってしまったのだろう。
湖と森の境界線に立つ人物を、見つけてしまったのか。
前は、誰なのか分からなかった。
こちらからは、薄暗くて人間の男だとしか判断できなかったのに。
どうして今は分かってしまったのだろう。
人影は、『彼』なのだと。
あんなにも遠いのに、何故か断言できた。
あの人影は──。
『……レント』
思わず名前を呟けば、心が苦しくなる。
彼はいつからそこに居たのだろう。独りきりで、ただ私たちを見て、何を思っているのか。
『新人さん?』
動きを止めた私を、訝しげな声がかけられる。
でも、その頃には私は彼女たちの手を振りほどき、森へと──レントのもとへ飛んでいた。
エーティアのことだけを考えると決めたのに、感情が私の誓いを破ってしまう。
近づけば胸の苦しさは増していく。
レントの表情が見えた。彼は驚きに目を見開いた後、微笑みを浮かべた。
以前、神殿の庭園で見せてくれた笑みだ。
もう一度見たいと願っていた、レントの笑顔。胸の苦しさは増すばかりだ。
レントの前まで飛ぶと、一定の距離を開けて私は止まった。これ以上は、近づくのが怖かった。
レントが優しい眼差しを私に向ける。
「世界樹から離れるとは、君は変わった精霊だな」
『……そう、かな』
レントの声があまりにも柔らかくて、声が震えそうになる。精霊の声は、元々空気を震わすような感じだから、平気だったけど。肉声で話していたら、絶対震えていた。
「ああ、そうだ。君は、神殿にも来ていた。本当に変わっている」
今のレントには、エーティアやミミの時の私に向ける棘がない。
もしかしたら、これが本来のレントなのかもしれない。
そう思えるくらい、今のレントは自然体だ。
『レ……貴方は、よくここに来るの?』
そう問いかけると、レントは軽く目を見張った。
「……精霊が、世界樹と神子以外に興味を持つとは、驚いた」
『あ、貴方とは、前にも会ったこと、あるから』
嘘だ。
彼の好きなもの、嫌いなもの。些細なことでも良い。
私はレントを知りたいのだ。
「そうか、俺に興味を抱いてくれたのか」
私の言葉に、レントはまた笑った。嬉しそうに。
何だろう。さっきは苦しかった胸が、今度は高揚してくる。
レントが笑いかけてくれた。
私と会話をしてくれる。
それが、嬉しい。
嬉しくて、たまらないのだ。
「ここには、よく来る。俺が許された場所だからな」
『許された、場所』
レントの言うことが、ちょっと分からない。
レントは苦笑を浮かべた。
「……俺は、神子候補だった。父親に期待され、候補として日々研鑽を積んでいた。友と呼べる騎士もそばに居て、充実した日々だった」
『……』
レントの語る言葉は、全て過去形だ。
分かっている。だって、レントは……。
レントは目を瞑った。眉間にシワが寄る。
「だが、それも全て終わった。俺に聖痕は宿らなかった。全てを、失った。皆の期待も、友も……!」
レントの叫びに、私は言葉を失う。
彼の声は痛々しかった。涙こそ流していないけれど、心は軋んでいるかのように見えた。辛いと、レントの言葉が叫んでいる。
「俺は、俺には、この場所しか残らなかった。候補を外されても、ここへの立ち入りは許された。縋るしかないじゃないか……!」
レントは、眉を寄せたまま、目を開けた。そこには深い悲しみが宿っている。
私は何と言えば良いのか分からないでいた。
レントの苦しみにはエーティアが関わっている。
そして、それは私もだ。
神子の起こした奇跡。命を宿したぬいぐるみは、レントを更に追い詰めた筈だ。
私は俯いた。
情けない。私はいったいどうしたいのだろう。
エーティアの力になりたい。
でも、レントを苦しめたくもないのだ。
両立しない感情が、私を苦しめた。
かさり、音がする。
レントが一歩踏み出したのだ。
「すまない。君を困らせるつもりはなかったんだ」
『でも……』
レントの苦しみは、私のせいでもある。
だけど、それを伝える勇気が私にはなかった。
レントの笑顔が消えるのが嫌だ。親愛の眼差しが、嫌悪に変わるのを見たくない。
なんて、勝手な言い分だろうか。
私がこんなにも自分勝手で浅ましい存在だと、レントに知られたくない。
レントを見れば、彼からは先ほど浮かべた辛そうな表情は消えていた。
代わりに、優しさに満ちた笑みを浮かべて、私を見つめている。
「俺は、君とまたこうして話したかった」
『え……?』
「前にも言ったが、俺は君が誕生した瞬間を見ているんだ」
『わ、たし、の?』
確かにレントは言っていた。見た、と。
そして、思い出す。私が世界樹から出た時、人影があったことを。あれは、レントだったのだ。
「美しい光景だった。あの瞬間から、俺は……」
と、そこでレントは口を閉ざした。
何かに耐えるように、拳が強く握られる。
どうしたのだろう。
「……あの頃の俺は、まだ神子候補だった。誕生した君が、俺を特別扱いしてくれると信じていたんだ」
『そ、れは』
精霊にとって特別なのは、世界樹と神子だ。興味を持つのも、親愛の念を抱くのも。
だけど、私は変だ。精霊なのにレントに、特別な感情を持ってしまった。
そう、特別だ。
エーティアに感じるのとは、全く違う感情。
私、きっとおかしくなってしまったんだ。
……レントの微笑みを見た瞬間から。
自分の気持ちを自覚し、動揺する私をどう解釈したのか。
レントは寂しそうに笑う。
「分かっている。俺は神子ではない。君が俺に興味を持ったのも、気まぐれだというのも」
『ち、違う!』
とっさに出たのは、否定の言葉。
レントのもとに来たのは、気まぐれなんかじゃない。
私はレントともっと話したい。
だけど、私にはエーティアが。
エーティアのことだけを……!
でも!
感情が爆発しそうだ!
心が引き裂かれるぐらい、苦しい。
ない交ぜの感情に、体が硬直する。口が動かない。
黙り込んだ私に、レントが諦めの表情を浮かべた。
「嘘はつかなくて、良いんだ。君は以前、神子に歌を捧げただろう? 君の心は、もうあの女のものなんだ」
そうして、レントは背を向けた。
私の体や口は動かないままだ。
「……正攻法は無理だ。だから、俺はどんな手を使っても手に入れてみせる」
その声は、暗い響きがあった。
レントは森の方へと消えていってしまった。
後に残された私は、心配して様子を見に来てくれた先輩精霊たちにより、世界樹の中へと入れられた。
『貴女は今、感情が制御できていないの』
『しばらく世界樹の中に居なさい』
『落ち着いたら、また神子のもとへ戻れば良いわ』
先輩精霊たちの言葉を聞きながら、世界樹の中で私はエーティアとレントを想った。
エーティア、助けて。
私、苦しい。
エーティアのそばに居たいよ。
でも、レントのことも考えちゃうんだ。
私、どうしたらいいんだろう。
どうしたいんだろう。
私は世界樹の中で、ただただ、迷い続けていた。




