第十九話 発露
闇の精霊は、復活の予兆こそあったものの、その後はなりを潜めていた。
今、エーティアは神子像のある広間で、枯れた世界樹の枝と対峙していた。
広間には、他に先代とジューク。そして、ランも居た。
皆、先代に呼ばれたのだ。
ジュークは先代の後ろに控えている。ランは、エーティアの後方で、膝をついていた。
先日の事もあり、エーティアとランの間にはぎこちない空気がある。
私も、ランの様子は気になっていた。
エーティアの腰から、ちらちらとランを見やる。
ランは、無表情で静かな様子で跪いていた。
その顔から、何かを読み取る事は出来ない。
だけどその徹底した無表情さこそが、いつものランらしくないと邪推してしまう。
ラン、何があったんだよー。
「神子、わたくしが呼んだ理由を話しましょう」
「はい、先代様」
私がランに気を取られているうちに、エーティアと先代は会話を始めていた。
「文献を見ましたが、枝が枯れたという記述はあまりにも少なかった」
先代は、ため息を吐く。
「けれど、世界樹の枝をこのままにしておくのも、よくは無いと思うの」
「それは、どういう……」
エーティアの困惑した声に、先代は頷き返す。
「神子。貴女が世界樹の枝に力を注ぎ、葉を甦らすのよ」
「え……!」
先代の言葉に、エーティアは驚きの声を上げた。
きっと、エーティアの頭の中では、継承の儀式の事が思い浮かんでいるのだろう。
その証拠にベール越しにも分かるくらい、顔色が悪い。
「で、でも。私は、儀式で花を咲かす事すら出来ませんでした……! それなのに、世界樹の葉を甦らす事なんて……っ」
エーティアは悲痛な声を出す。
儀式での失敗が、エーティアの心に傷を残しているのだ。
しかし、先代も引かない。
そっと、エーティアの顔を両手で包み込む。
「神子。よく聞きなさい。貴女は確かに、花を咲かせる事が出来なかった。でも、わたくしは見てきたわ。貴女の努力する姿を。真剣な眼差しを。神子。貴女の努力は、きっと報われる」
「先代様……」
エーティアが、先代の手に触れる。
「大丈夫よ、エーティア。わたくしは、貴女から強い力を感じるの」
凛とした先代の声に、エーティアの肩が震える。
「分かり、ました。先代様のご期待に添えられるかは分かりませんが、頑張ってみます」
エーティアは、頷いた。先代はエーティアから離れる。
「頑張って、エーティア!」
私も応援の言葉を、エーティアに送る。
「ええ、ミミ。ありがとう」
「うん」
エーティアは、世界樹の枝の載った台座に近付く。
そして、聖痕のある右手で枝に触れる。
「お願い……っ」
エーティアは祈るように呟く。
しかし、枝に変化は起きない。枯れたままだ。
エーティアは、落胆した様子で、うなだれる。
「やっぱり、駄目なの……?」
エーティアの弱々しい声に、広間には重苦しい空気が広がる。
「神子……」
先代が慰めるように、エーティアを呼んだ。
私は、たまらずエーティアの服を握った。
「エーティア、エーティア。自分を信じて。恐れないで」
「ミミ……」
エーティアはきっと、失敗を恐れているのだ。心が竦んでしまっている。
だから、私はエーティアの力になりたいと思った。エーティアを支えたいと。
「……」
私の思いが届いたのか、エーティアは真っ直ぐに世界樹の枝を見つめた。
その時だった。エーティアの聖痕が輝いたのは。
「え……!」
聖痕の光は、エーティアの右手に広がり、世界樹の枝へと移る。そして、世界樹の枝もまた、輝いたのだ。
「枝が……」
光輝いた枝は、蕾が花開くように葉を茂らせていく。
瑞々しい葉が、世界樹の枝に広がっていった。
驚き固まるエーティアに、先代が微笑みかける。
「やりましたね、神子」
「先代様……っ」
エーティアが枝から手を離しても、葉は枯れなかった。
世界樹の枝、復活である。
「やったね、エーティア!」
「ええ、嬉しい!」
エーティアは涙声だ。よほど不安だったのだろう。
「お見事です」
「ありがとう、ジューク」
エーティアは笑顔を見せた。
枯れた世界樹の枝を甦らせたのだ。これで、少しはエーティアの評判も上がる。
私は嬉しくて、この気持ちを分かち合おうとランを見て、そして息を呑んだ。
ランは、暗い光を宿した目を、エーティアに向けていたのだ。
その場は、解散となった。
神子とジュークは去り、ランもいつの間にか居なくなっていた。
「ラン、どうかしたのかな。様子が変だった気がするの」
エーティアが、顔を曇らせて言う。もしかしたら、エーティアもランのあの目を見たのかもしれない。
「ランのやつ、最近おかしいよね」
とりあえず、私はエーティアに同意する。
先日の件から、ランはおかしい。なんか無表情だし。何か思うところがあるのなら、はっきり言えばいいのに。
エーティアを、あまり不安にさせないでほしい。
「ミミ。私、行きたい場所があるの」
気を取り直すようにエーティアが言った。
「いいよー。どこに行くの?」
「ん、ちょっとね。見ておきたい場所があるの」
エーティアは言葉を濁した。
私は、エーティアの様子を不思議に思いながらも、頷いたのだった。
エーティアがまず向かったのは、庭園だった。
「ここに来たかったの?」
「ちょっと、違うかな」
エーティアはそう言うと、庭園の花を数本摘んだ。
そして、いつだったかランが示した細い道を歩いて行く。
「エ、エーティア。この道って……」
「うん、そう。ミミが怖がるかと思って黙っていたけれど、霊園に行こうかと」
「エーティアー……」
霊園に行くなら行くって言ってよ! 心の準備というものが、だね! 私、前世からオバケとか怖いんだよー!
「怒らないでよ、ミミ。ごめんね?」
「うー……、霊園に何しに行くの?」
唸りながら、私はエーティアに目的を聞いた。
エーティアは歩みを止めずに言う。
「……初代神子様のお墓が、霊園にあると聞いて。お会いしたくなったの」
「そーなんだ」
そうだよね。神殿にある霊園だもん。初代神子の墓があってもおかしくないよね。
それにしても、いつの間に聞いたんだろう。私と一緒の時では無いよね? 私、知らなかったもん。先生に聞いたのかな?
そんな事を考えていると、霊園に着いた。霊園には、薄く四角い石に名前が掘られているものが、ずらりと並んでいた。
「あー……、お墓がいっぱい」
「当たり前でしょ、ミミ。あら……?」
エーティアが立ち止まった。
どうしたのだろうと、エーティアの視線を辿れば。ある墓の前で、膝を着いたランが居た。藍色の長い髪が風に揺れている。
「あそこが、ランのお母様のお墓なのかな」
「うん……」
二人でこそこそ話していると、ランが立ち上がるのが見えた。
振り返ったランが、私達に気付き驚きに目を見張る。
エーティアは、ランのもとへと歩いていく。
「エーティア……」
ランが、エーティアの名前を呼ぶ。いつもより、元気が無い気がする。
「こんにちは、ラン。お母様のお墓参り?」
ランの様子がおかしい事はエーティアも分かっているだろうけど、エーティアは何でもない風を装って声を掛けた。
「え、ええ……、母と、話をしていました」
「そうなの」
そこで会話は途切れる。二人の間を、沈黙が流れていく。
エーティアは、居心地が悪そうに目を泳がせた。会話を探しているのだろう。
しかし、エーティアが探し終わる前に、ランが口を開いた。
「母は……聖人では無いんです。それに、神官ですら無い」
「それは……」
エーティアが戸惑うように言葉を詰まらせる。
以前にラン自身が言っていた。この霊園は、聖人の墓があるのだと。
ならば、何故。ここにランの母親の墓が?
「……母は、僕を生んで亡くなりました。母を溺愛していた父は嘆き悲しみ、相当無理を言って、ここに母の墓を作らせたと聞いています」
淡々とランは語る。
以前、街中で見たランの父親とのやり取りを思い出す。ランの父親は、息子であるランを憎んでいるようだった。
ランを息子ではなく、愛する妻の命を奪った相手として見ているのだろう。
それは、なんて悲しい事なのか。
「ラン……」
エーティアもそう思ったのか、震える声でランの名前を呼んだ。
花を持たない方の右手で、ランに触れようとした。
しかし、それをランは拒絶した。
「触らないでください!」
「あ……」
右手を払われたエーティアは、呆然と立ち尽くす。
エーティアを拒絶したのはランだというのに、ランの方が苦しそうな顔をしている。
「……聖痕」
「え?」
「それがある限り、貴女は……っ」
ランは俯き呻くように呟いた。
両手を強く握り締めている。何か強い感情を耐えるかのように。
そして、エーティアに視線を移す。
その目は、どこまでも暗い。先日見た、絶望を映した目だ。
ぞくり。寒さからではない震えが、私の全身を巡る。
今のランは、どこかおかしい。はっきりとは言えないけど、いつものランじゃない。
「ラン……?」
戸惑うエーティアに、ランは口の端を歪ませる。
自嘲に満ちた表情で、片手で顔を覆う。
「……僕に、こんな浅ましい感情が、あったなんて」
ランの声はくぐもっていて、まるで別人のようだった。
「辛いんですよ。苦しいんです……」
暗い目をしたランは、エーティアから視線を逸らした。
「貴女が、他の誰かに笑い掛ける姿なんて、見たくないんです……っ」
ランは、エーティアから一歩後ずさる。
「父上も、僕を見て、こんなに苦しんだのかな……」
「ラン!」
あまりにも、辛そうなランの姿に、エーティアが叫ぶ。
エーティアの声に、ランはハッと目を見開き、力なくエーティアを見た。
そして、儚く笑う。
「すみません、エーティア。今のは、忘れてください」
「いいえ、出来ない。今の貴方、苦しそうだもの! 私、前に言ったわ、貴方を支えたいって……!」
エーティアの言葉が途切れる。
ランが、エーティアを抱き締めたのだ。だが、今回のは以前の温かな包容とは違う、乱暴なものだった。
「痛い、ラン……っ」
きつく抱き締められ、エーティアが小さく悲鳴を上げる。
エーティアの悲鳴に、ランは直ぐ様体を離す。
そして、泣きそうな表情を浮かべた。
「エーティア。貴女は、優しすぎる。そんな貴女だから、僕は……っ」
「ラン……?」
「忘れてください、エーティア。僕を苦しめたくなければ」
ランは、それだけ言うと、エーティアの横をすり抜けて行った。
ランの背中は、他者を完全に拒絶していた。
すとんと、エーティアが膝から崩れ落ち、両手で体を抱きしめる。
「ラン、どうして……」
悲しそうなエーティアの声に、私も掛ける言葉が見つからなかった。