第十八話 自覚
あれから数日、私はエーティアのベッドの上で幾度となく頭を打ちつけた。
レントの顔がちらつき、夜も眠れないほどだ。
世界樹の中ほどじゃないけど、エーティアのベッドも寝心地いい筈なのに!
「もうっ、なんなんだよー!」
私はダイナミックに頭からジャンプした。
ぽすんと、ベッドにめり込む。
そして、再びレントの両手を広げた姿が思い浮かび。
「ぬがああああ!」
がすがすと、頭を激しく打つ。
これが、ここ数日の私の姿である。がくり。
そんな私を、最初こそ心配そうに見ていたエーティアだったけど、数日もすればすっかり慣れてしまったようだ。
今は、窓際で読書をしている。
エミリーさんが淹れてくれた紅茶を、優雅な仕草で飲んでいる。
様になってるね、エーティア。
エミリーさんは、今は部屋に居ない。
「ぬうっ、ぬうっ、ぬうー!」
ごろんごろんして、私は止まる。ぐたり。
「ぬうー……」
うつ伏せで、手足を投げ出して力なく呻く。
「落ち着いた? ミミ」
「うん……」
むくりと、私は起き上がる。散々転がったから、なんだかくらくらする。
私はベッドの上に立ち上がる。
「ミミさん、疲れた!」
「うん。お疲れ様」
エーティアが紅茶と本を、テーブルの上に置く。
「エーティアー」
私はタイミングを見計らって、ベッドから飛び降りてエーティアの方へと走り寄る。
「ミミ」
エーティアは優しく私を抱き上げる。
私は、すりすりとエーティアに頬ずりする。
あー、こうすると安心するなぁ。
「エーティア、私……」
「うん」
「私ね、多分ね」
そっと、エーティアの手が私の頭を撫でる。
「好きな人、出来たんだと思う……多分」
「そうなんだ」
エーティアは、優しく頷いてくれた。
でも、深くは追求してこない。そんな、エーティアの気遣いが嬉しかった。
私は、多分。多分だよ? レントに対して、特別な気持ちを抱いてしまったんだと思う。
この感情は、エーティアへと抱いているものとは全然違う。
エーティアへ感じる暖かさとは違う、焦がれるような気持ち。
この感情に、名前を付けるのは、まだ早い気もするし、直ぐに口にしてしまいたいとも思う。
なんて、不思議な感情だろうか。
私は、なんて感情を得てしまったのだろうか。
「エーティア……ミミ、怖いよ……」
私はエーティアにぎゅっとしがみついた。
私にとって、一番大切な存在はエーティアだ。私は、エーティアの為に存在していると言える。
世界樹を離れ、一生を共にしてもいいぐらい、エーティアは大切な女の子だ。
だけど……私のエーティアで大部分を占める心に、レントという存在があるのも事実で……。
私の心は、チリチリと軋んでいた。
「エーティア、心が苦しいよ……!」
「ミミ、大丈夫、大丈夫よ」
「エーティア!」
「私がそばにずっと居るから」
エーティアは、私の背をさすった。ゆっくり、ゆっくりと。
それがあまりにも慈愛に満ちていて、私はエーティアに身を委ねた。
エーティア、エーティア。レントはね、本当は優しい人なのかもしれないよ。
でもね、笑顔は精霊にしか見せてくれないんだ。
ぬいぐるみの私には、遠い存在なんだよ。
そう思うと、酷く胸が痛んだ。
「いやぁ、悪かったな!」
「ロイドさん」
エーティアが神子像のある広間に祈りに行く為、部屋を出るとロイドに遭遇した。
出会い頭に、ロイドは頭を下げた。
「うちのジョンが、ミミを追いかけ回したみたいでな。本当に済まなかった」
「そんな事があったの、ミミ?」
エーティアが驚いたように、腰にぶら下がった私を見る。
そういえば、レントショックで、エーティアには話してなかった!
思い出したら、なんだか腹が立ってきた。
「そうだよ! ジョンに追い回されたんだよ!」
腕をぶんぶんと、殴るように私は振り回す。
「ロイド! 髪の毛毟らせろ!」
「え、やだよ」
あっさり拒否された。ぬうう!
「ミミ、怖い思いをしたのね」
そっとエーティアが私を撫でた。エーティア、すりすり。
「ロイドは、もっとミミに誠意を見せるべきだよ!」
「……だ、そうです」
「参ったなぁ」
ロイドは困ったように、頭を掻いた。
本当に困り切った様子なので、少しは私の溜飲もさがった。
「……まあ、許してやるか、だよ」
「ミミ、大丈夫?」
「反省してるみたいだし」
私はやれやれと肩をすくめた。
「本当か! じゃあ、これは仲直りの握手な!」
ロイドは、私とエーティアの手を取った。ロイドの腕が、左右バランス悪く揺れる。
「あの、私はいいんですよ? ミミが許すならそれで」
エーティアが、困ったように笑う。
ロイドは、にっと笑顔を見せた。
「まあ、あんたとミミは相棒みたいなもんだからな。二人で一組だろう?」
ロイドは、エーティアと私の手を話すと、腕を組んだ。
「だから、ミミに非礼を詫びるなら、あんたもなんだよ」
「はあ、そうなんですか」
「そういうもんさ」
はははと、ロイドは笑う。
今気がついたけど、ロイドはジェラルとは違い、エーティアに敬語を使ってないな。
ロイドも一応は神殿騎士なんだから、エーティアを敬わないとマズいのではないのだろうか。
い、良いのかなぁ。
「なあなあ、ロイド。敬語じゃなくて、良いのかよー?」
「あっ、ミミはまた!」
エーティアに即座に、言葉使いをたしなめられてしまった。ちえー。
ロイドには、私の態度を気にした様子はない。
それよりも、私のさっきの発言内容について考え込んでいるようだった。
「んー……、俺は敬語とか性に合わないんだよなー」
と、眉を下げて言う。
神殿騎士なのに、いいのかそれで。
「あ、いや。俺だって立場とか気にしたりするぜ?」
私の視線に気付いたのか、ロイドは慌てて釈明する。
「けどよ。エーティア」
あ! 呼び捨てだ!
私は驚いたけど、エーティアは普通にしていた。
そういえば、エーティアは敬われるの苦手なのだった。
ロイドみたいに、気さくに話しかけられたりする方が、良いのかも。
「なんですか、ロイドさん」
エーティアの言葉に、ロイドはひらひらと右手を振る。
「ロイドでいいよ。俺も呼び捨てだしな。敬語も無しだ。あー、話の続きだけどさ。あんた、俺の妹に似てんだよ」
「妹さんに、ですか。あ、いえ、妹さんに似てるのね」
エーティアが目を瞬いた。
「……ああ、そっくりだ。だからかな、あんたが頑張ってる姿を見ると応援したくなるんだよ」
ロイドが暖かく笑いかける。
「ロイドさ……ロイド」
エーティアの声が震える。
思えば、エーティアがこうやって面と向かって労れるのは、あまり無い事だ。
ランやエミリーさんは、エーティアに親身になってくれる。先代やジュークだって、エーティアを認めていてくれる。
それはとても喜ばしい事だ。
でも、数にしてみればあまりにも少ない。
神殿の神官や衛兵の殆どは、恐れ多いとエーティアを遠巻きにしているし、たまに近付いてくる人間が居ても、上から目線でエーティアに接してくる。エーティアを、何も知らない子供だと思っているのだ。
そんな人間とも日々接しているエーティア。
そんなエーティアを認めてくれる人物が、また一人増えたのだ。
エーティアに妹を重ねているのか、肉親のような温かな眼差しを向けてくれるロイド。
そんなロイドの言葉は、真っ直ぐエーティアに届いていた。
「だから、あんたの守護騎士はランだけどよ。俺の事も頼りにしてくれよ」
ぽんぽんと、子供にするようにロイドはエーティアの頭を、ベール越しだけど撫でた。
真っ直ぐな目をしている。下心は無いな、うむ。ならば、良し。
「ロイド……ありがとう」
撫でられた箇所に、エーティアはそっと触れて微笑んだ。
ロイドへの親愛が、溢れた笑顔だ。
「なに、礼を言われるような事は言ってないさ」
「ううん」
エーティアは首を緩く横に振る。
「私、兄さんって居ないから分からないけれど。もしも居たら、ロイドみたいなのかなって思ったの」
エーティアの言葉に、ロイドは破顔した。エーティアに嬉しくてたまらないという笑顔を向ける。
「そうか。俺は、エーティアの兄ちゃんか!」
「きゃっ!」
ロイドがエーティアのベールを、乱暴に撫でる。わしわしーて。
「ちょっ、止めてよロイド! せっかくエミリーに髪型を作ってもらったのに!」
「あははは、済まねーな! つい、嬉しくてさ!」
ロイドの笑顔に、エーティアもついつい笑みを浮かべる。
「もうっ、仕方ないなぁ」
呆れながらも、エーティアは笑っている。実に楽しそうな様子だ。
ふと、私は視線を感じて、エーティア達の後方を見た。
そこには、廊下の角で花を抱えたランが立ち尽くしていた。
視線は、エーティアとロイドに釘付けで、私が見ている事には気がついてないみたいだ。
どうしたんだろ。様子がおかしい。
「エーティア、エーティア。ランが居るよ」
私は、エーティアとロイドの会話に割り込んだ。
「え、ランが?」
「あ、本当だな。何やってんだ、あいつ」
二人はランに気付いたようだ。
「ラン、おはよう!」
「お前も、こっちに来いよ!」
エーティアが挨拶を口にし、ロイドが手を振る。
だが、ランは無表情で二人を見たあと、身を翻して廊下の向こうに行ってしまった。
「ラン……?」
エーティアが、不安そうに名前を呼ぶ。
今のは、ランが二人を無視したように見えた。
「どうしたんだ、ランのやつ。聞こえてなかったのかもな」
ロイドが不思議そうに、ランの姿が消えた廊下の先を見ている。
「そうなのかな……」
何か感じるものがあったのか、エーティアは顔を曇らせた。
「きっと、そうだよ」
私はエーティアを慰めるように、腕をぽんぽんと叩いた。
と、その時。時間を知らせる鐘の音が響いた。
祈りの時間になってしまった。
「あっ、私急いで、お祈りに行かないと!」
「おう、もうそんな時間か。頑張れよ」
ロイドが、エーティアの肩を軽く叩いた。
「ええ、ありがとう! じゃあ、行ってきます」
エーティアは、祈りを捧げる広間へと急いだ。
エーティアの腰で揺れながら、私は先ほどのランの表情が忘れられないでいた。
ランの目は、まるで絶望していたように見えたから。
その事をエーティアに話すべきか私は悩み、そしてただの杞憂だった場合、二人の関係を壊してしまう気がして、私は黙る事にした。
ただでさえ、背負うものが多いエーティアに、これ以上の負担を掛けたく無かったのだ。
「……気のせいかもしれないし」
私は、エーティアに聞こえないように呟いた。