第十二話 元守護騎士候補2
エーティアの勉強時間がやってきた!
私とエーティアが引き裂かれる、非情な時間だ。
「エーティア、エーティア! またねー!」
座学の先生の呆れた視線が私に突き刺さるけれど、気にしないのだ。
私は、戸口の隙間から体を出し、エーティアに手を振り続けた。
「ええ、ミミ。また会いましょうね」
毎度の事なのに、エーティアは律儀に付き合ってくれる。
「ほら、ミミ様。さっさと出て行ってください」
座学の先生に冷たく言われ、私は渋々扉を閉めた。
何だよー、もう少しぐらいいいじゃんかー。
私は閉じられた扉を睨み付けた。
「ふーん、だ」
私は、ぽきゅぽきゅと歩き出した。
さて、どこに行こうかな。
庭園は、既に何回か行ったし。厨房は、おやつの時間によく行く。食べられなくても、おやつが作られる姿は何度見ても楽しい。
でも、おやつの時間まで、まだだいぶある。
うーん、どうしよう。
私が腕を組みながら歩いていると、コロコロとボールが転がってきた。おや?
廊下に面した庭から転がってきたようだ。
「なんで、こんなところにボールが……?」
私は好奇心から、庭に飛び降りる。
お洗濯は怖いけど、汚れないように気を付ければ大丈夫だ。多分。
私はボールに近付いた。赤い色に、何やら血が騒ぐ。
「よいしょ」
ボールを持ち上げる。うん。持てる持てる。……で、どうしよう。
私がうーんと唸っていると、足音がした。
「あー……、どこ行っちまったかな」
「全く、お前は力を込めすぎなのだ」
おや、この声は……。
かさりと、庭に生える垣根を超えて二人の男性が現れた。
ロイドとジェラルだ。
二人とも神殿騎士の制服ではなく、ラフなシャツ姿だ。
今日は、騎士はお休みなのかな。
「あんだけ目立つ色なら直ぐに見つけられるはず……て、あったあった!」
そんなロイドの言葉とともに、私の体が浮く。おお、私はとうとう精霊の姿にならなくとも、空を飛べるようになったのか! 凄いな、私!
……とか思ったら、ロイドの顔が目の前にあってびっくりした。
なんて事はない。私が空を飛んだのではなく、ロイドが私の持っているボールを持ち上げただけなのだ。
「……何やってんだ、ミミ」
ロイドが呆れたように問い掛けてきたので、私はボールにぶら下がったまま答える。
「ボールにくっついてる」
「そりゃ、見りゃ分かるがよ。なんで、ボールにくっついてんの」
「そこにボールがあったから」
「ああ、そうかい」
ロイドはテキトーな態度で、私からボールを引き剥がした。
「さらばだ、ボールよー!」
私は悲壮感たっぷりに言った。
「なんか、俺が悪者みたいだな」
「ミミ殿、悪のりが過ぎるぞ」
「ちえー」
ジェラルにまで言われ、私はしょんぼりと肩を落とした。
体は、依然としてロイドに掴まれたままだ。
その状態で、私はピコピコと両腕を振る。
「ようよう、久し振りに会ったってーのに、この扱いはねーだろー」
「口調が変わった!」
「ミミ殿、いかがなされた」
突っ込み役が居ないって辛いの。
「いいから、そろそろ降ろしやがれってんだー」
「お、おう」
ロイドが戸惑いながら、私を地面に降ろした。
私は、二人を見上げた。
「で、二人は何やってたのー?」
「口調が戻った!?」
「お前、何なの」
二人は私という存在に動揺を隠しきれないようだ。ふふーん。
「ミミは、至って普通のぬいぐるみなのー」
万歳をしながら私は言った。
「いや、それ絶対違うだろ」
「ミミ殿、それは無理がある」
な、なんだとー! 幼いエーティアお手製の、このぬいぐるみの愛らしさが分からぬとは!
「二人とも酷い!」
「あー、はいはい」
ロイドは私の相手が面倒くさくなったようだ。むう。
そして、ロイドは私にボールを見せた。
「お前、ボールに興味あるのか?」
「その球体美に惹かれるものはあるよー」
「何だよ、球体美って……」
ロイドはため息を吐いた。
「ミミ殿、ロイドは一緒にボール投げをしないかと誘っているのだ」
「そーなのー」
何だよ、だったらハッキリと言ってくれないと困るよ!
「ああ、そうだよ。そーですよ。で、どうすんだ」
「ボール投げするー!」
私は即答したのだった。
「ロイドとジェラルで、ボールで遊んでたのー?」
移動中、私はロイドの腕の中に居た。
「あー、まあな」
「遊びではない。鍛錬の一環だ」
二人の答えはバラバラだった。
まあ、ジェラルは鍛錬だと称されて、ロイドに連れてこられたんだな。
二人は、やっぱり今日は休日だという。
「ジョン用の新しいボールを買ってさ、試してみようと思ってさ」
「ジョン居るの!?」
私はロイドの腕の中で、恐怖から飛び上がった。
ロイドは苦笑を浮かべた。
「居ないって」
「きちんと紐で小屋と結んであるからな」
「よ、良かったー……」
これで放し飼いのままだったら、ロイドの髪を引っこ抜くところだったよ。
「ロイド、髪拾いしたね」
「何だよ、髪拾いって」
ロイドは訳が分からないという顔をした。
「私としては、助言が聞き届けられて満足している」
「そーかよ」
そんな事を話していると、見知った姿を発見した。
誰をも拒絶しているといった後ろ姿に、黒い髪。
「レントだ……」
私は思わず呟いた。
「おー、本当だ」
廊下を歩くレントに気付いたロイドが、なんと手を振り出した。
「よー、レントー!」
と、フレンドリーに呼び掛けたのだ。
な、何してるの!? レント、明らかに他人を拒絶してるよ!
案の定、レントは不機嫌丸出しの顔で、こちらを振り返った。
「……何の用だ」
ほらほら、凄く怒っているよー!
あわあわと慌てる私をよそに、ロイドは楽しそうに話し掛ける。
「俺ら今から、これで遊ぶんだけどよ。一緒に来ないか?」
え、さ、誘うの!?
あのレントと、ボール遊びしちゃうの!?
流石のミミさんもびっくりだよ!
ボールを掲げてみせるロイドに、レントは元からあった眉間のシワを更に深くする。ですよねー。
「レント、遊びではない。鍛錬だ。一緒に来い」
え、ジェラルも誘っちゃうの!?
なんでそんなに、レントに親しげなの、この二人は。
どういう事なの。
「……」
レントは、無言だ。無言のまま二人を見て、そしてロイドの腕の中に居る私を見た。な、何だよ。
「……俺は、行かぬ」
と、拒否した。
まるで、私が居るから嫌だと言われたみたいで、ほんの少し、本当にちょっとだけ悲しくなる。
「なんだよ、最近のお前付き合い悪いぞ」
ロイドは不満げだ。
というか、ロイド達とレントって付き合いがあったんだ。
二人の様子からして、割と仲が良かったみたいだけど……。
今のレントは、それを感じさせない程、冷ややかだ。
「俺に、お前達と付き合う暇はない。失礼する」
そう言うと、レントはさっさと行ってしまった。
「……レントのやつ」
「暇が無いのだ、仕方ないだろう」
不機嫌そうに呟いたロイドに、ジェラルが宥めるように言う。
私は、そっと二人を窺い見る。
二人はなんだか寂しそうだった。
「あいつ、変わっちまったよ」
「立場が変わったのだ。直ぐには、な」
きっと、二人はレントと親しかったのだろう。そう感じさせる会話だ。
「ねえ、レントは変わったの?」
私はそっと問い掛けた。
「ん、ああ」
ロイドは、乱暴に髪をかきあげた。
「以前のレントは、あれほど攻撃的では無かったのだ」
「そう、なんだ……」
私は以前のリスティリオとレントの諍いを思い出した。リスティリオも、レントの事を心配しているようだった。
どこか苛立ったように、ロイドは口を開いた。
「俺らは、ちっせー頃から、神殿に居てよ。リスティリオとレントの事も知ってたんだ」
「神子候補と、側付きの騎士として二人の関係は良好だった」
二人は、私に説明するように語り出す。
「最初は近寄り難かったが、話してみれば普通のガキでよ。俺達は年も近い事もあって、よくつるむようになったんだ」
レントは、幼い頃から精霊の姿を見れたらしい。それで、神殿でも権力のあった父親が、神子候補にとごり押ししたそうだ。
レントは、自分の意思で神子候補になったわけでは無かったんだ……。
親の意思に翻弄されてしまったのかな。
「その内、ランも神殿に上がってきてな。私達はよく一緒に居た。まあ、リスティリオは単独行動が多かったが」
ジェラルの言葉に驚く。ランもレントと親しかったのか。それは初耳だ。
いや、優しいランの事だ。わざと話さなかったのだろう。
レントに辛く当たられているエーティアに、レントの事を話すのははばかれたのだと思う。
「俺達は、ずっとこのままだと思ってたんだがな」
ロイドが寂しげに呟く。
ジェラルも無言になる。
そうか、レントは変わってしまったのか。
聖痕が現れず、神子候補から外され。側付きだったリスティリオも奪われ、多分だけど周りから向けられる目も変わったんだと思う。
そんな中、現れた聖痕を宿した少女。
エーティアを見た時、レントはどう思ったのだろう。
──……全てを持っているお前に、俺の気持ちが分かるものか。
あの言葉は、そういう意味だったのだろうか。
分からない。私はレントじゃないから。
でも、エーティアが言ったように、レントがエーティアを認めてくれるといい。
私はそう思った。
「あ、まあ。俺は、今の神子の事認めてるぜ」
重くなった空気を軽くしようとしてか、ロイドがそう言った。
「最初は、まあ。頼りない娘だとは思ったが、最近は良い顔つきになってきたしな」
「ロイド、エーティア様に対して不敬だぞ!」
「いーじゃねーか。そういうのは、俺の柄じゃねーし」
「……全く、お前という奴は」
ジェラルは呆れ顔だ。
「だが、私も最近のエーティア様は頑張っておられると思う」
「だろー?」
二人の会話に、私は嬉しくなった。
エーティア、ここにエーティアを認めてくれる人達が居るよ。
エーティアの努力は確実に実っているんだよ。
「えへへ。エーティアは凄いんだよ!」
私は胸を張った。
「ああ、そうだな」
ロイドがぐりぐりと私の頭を撫でる。
「エーティア様は、きっと素晴らしい神子様になるだろう」
「うん!」
和やかな雰囲気になったところで、ロイドがボールを掲げた。
「そんじゃ、もう少し開けた場所に出たら、遊び始めるか」
「遊びではない、鍛錬だ」
「はいはい、鍛錬、鍛錬」
「遊びー、鍛錬ー」
私達は賑やかに移動した。
「……それで、そんなにドロドロになったのね」
「……はい」
ボール遊びを終えた私は、エーティアの前で正座をした。
私の体は真っ黒である。熱中し過ぎた。失敗、失敗。
後ろでは、私の真っ黒な足跡を掃除するエミリーさんが居る。本当に、すみません!
エーティアには、レントの事を除いて全て白状した。
ロイド達とボール遊びしたよーって。
「ミミ」
「はい……」
「お洗濯、しましょうね?」
うわーん!