第十話 夜の散歩
世界樹は、エーティアに世の平和を願ったらしい。平和大事だよね。
その事は、ちゃーんと先代達に伝えたよ。
「初の対話、無事に終える事が出来て、本当に良かったわ」
先代は、嬉しそうにそう言った。
本当に良かったよ。これで、エーティアを悪く言う奴が少しは減ればいいんだけどね。
「エーティア、良かったですね」
広間からの帰り、ランが微笑んで言った。
エーティアも穏やかに笑う。
「ええ、本当に」
エーティアは、肩の荷が下りたような顔をしている。また一つ、神子としての仕事をこなしたんだもんね。
これで、エーティアに少しでも自信が付くと良いんだけど。
エーティアの腰で揺れながら、私は思案した。
いつかのリスティリオとレントの言い争いを思い出したのだ。
エーティアが神子として認められるのは、本当に素晴らしい事だ。
だけど、それはきっとレントの矜持を傷付ける行為でもあるのだと思う。
エーティアとレント。二人は、危ういバランスの上で成り立っている。
どちらかに傾き過ぎれば……何かが起きる。そんな気がするのだ。
……その時、私はエーティアの絶対的な味方で居よう。そう思った。
「エーティア、エーティア。ミミ、頑張るよ!」
ぐっと、私は拳を握り締めて発言する。
「ん? ええ、期待してるわ」
エーティアの手が、優しく私に触れる。
エーティア、大好きだよ!
夜が来た。
エーティアは変わらず、机に向かって予習復習をしている。
頑張れ、エーティア。
ベッドの上で、足をぷらぷらさせていた私は、おもむろに窓の外を見た。
相変わらず四角い星空に、まんまるのお月様が輝いている。
今夜は満月なんだ。
月光は、私達精霊に力を与えてくれると、先輩精霊が言っていた。
エーティアは集中しているみたいだし、私も邪魔をしたくない。
ならば、月光浴も良いかもしれない。
私は、ベッドから飛び降りた。
エーティアに声を掛けようかと思ったけど、集中を途切れさせるのは悪い。そう思い、私は静かに扉を開き、部屋の外へと出たのだった。
夜の神殿はひんやりだ。静かな空気の中、時々足音がする。
遅くまで残って仕事している神官か、警備の兵士のものだと思う。
静かな神殿を私は歩く。
月明かりの中、見えてきたのは、いつかの時に見た庭園だ。
月光に照らされた花々は、うっすらと光っているように見える。幻想的な光景だ。
私は、体がうずうずするのを感じた。
ああ、空を飛びたい。月光の中、花々と戯れたい。
私は、ぽきゅぽきゅと庭園の中に入っていく。
そして、花々の陰に入る。ここなら、このぬいぐるみの体を隠しておける。
私は、そっとぬいぐるみとの同調を切っていく。
手足から私の感覚が消えてる。視界がぐっと高くなる。
ああ、久し振りの精霊の体だ。
私は伸びをするように、手を伸ばした。精霊の体に血行なんて関係ないけど、人間だった頃の名残だ。
立ち上がった私は、夜空を見上げる。
大きな月が、私を見下ろしていた。
『きれー』
久方振りの精霊の声だ。透き通るような声に、ちょっとだけ違和感を覚えるのは、私がすっかり肉声に慣れたせいだろうか。
私は、すうっと空に浮かんだ。
高い視界に、ぐるんと一回転だ。
調子が、ぬいぐるみになる前より良い。それは、月光のお陰だろう。
高く高く私は飛ぶ。月に近づくように、もっと高く飛びたい。
月光が私を照らす。なんて、気持ち良いんだろうか。
気付けば、私は口ずさんでいた。
色んな歌を。月明かりの中、ご機嫌に。
月は、本当に私達精霊に力を与えてくれるようだ。
高揚が止まらない。
くるくると、私は踊る。
精霊に伝わる踊りを。先輩精霊達が私に贈ってくれた、祝いの踊りを。
私は誰に捧げようか。
それは決まっている。エーティアに、だ。
この踊りは、世界樹との対話に成功したエーティアに捧げよう。
月に向かって両手を広げる。
月は私を照らしてくれる。優しい光だ。
『月の祝福を、神子に……』
祈るように口にする。
エーティアに、月の祝福を。
かさり。私の耳がピクリと動く。草を踏む音。誰か、居る!?
『誰……っ』
私は、眼下を見下ろす。
すると、神殿の方で誰かが走り去るのが見えた。
姿は良く分からない。陰になっているから。ただ、体つきから、男性だとは思う。
一瞬追うべきかと思ったけど、止めた。
そもそも、去って行った男に私が見えていたのかも怪しいのだ。
私達精霊を見る事が出来る人間は、限られているのだから。
たまたま、庭園のそばを歩いているところだったのかもしれないし。
まあ、それにしては足早な気がしないでもないけど。
でも、たとえ見えていたとしても、私が困る事はない。
神殿内で善である精霊が、月夜に舞っていただけなのだ。
何も悪い事はしていない。
『まあ、いいか』
私は、また短い旋律を口にし、月を見上げた。
「……ミミ?」
しかし、今度は呼び声が聞こえた。
聞き覚えのある声に、名前だ。
しまった。今度は明確な焦りを覚える。
私は今、何を口にした。アニメの曲だよ!
しかも間が悪い事に、いつかの折に口ずさんだ事のある曲だ。まずい!
「ミミ、そこに居るの?」
声の主は、エーティアだった。
不安そうな表情で、庭園を見ている。
もしかして、私を探しに来たのかな!
散歩に出て、もうそんなに時間が経ってしまったのだろうか。踊りに夢中になり過ぎた。私のうっかりめ!
まずい、このまま庭園に入られたら、隠してあるとはいえ、もしかしたらぬいぐるみの体を見つけられてしまうかもしれない。
私が密かに焦っていると、不意にエーティアが顔を上げた。
「あ……」
『え……』
私とエーティアの声が重なる。視線も、交わる。
エーティアの目が見開かれる。
「精霊……?」
エーティアの瞳に、私の姿が映り込む。
私もまた、両目を見開いていた。
不測の事態だ。どうしよう。この姿で、エーティアと会うつもりは無かったのに。
「精霊が、どうしてここに? 確か、精霊は世界樹から離れないって……」
エーティアが、私に不思議そうな視線を向けてくる。
『エー……、神子』
名前を呼びそうになって、すんでのところで踏みとどまる。
エーティアは、私から視線を逸らさずにいる。
「貴女、私を知ってるのね。世界樹のところに居たのかしら?」
『そう、だよ。居たよ』
エーティアの腰にね。
「そうだったの。ねえ、貴女。動くぬいぐるみを見なかった?」
エーティアは、見上げたまま尋ねてくる。
ぬいぐるみとは、当然だが私の事である。
私は、エーティアのもとに降りる。
『……見てないよ、神子』
「そう……」
エーティアは目に見えて落胆した。
ごめんね、エーティア。
「ミミっていう、喋るぬいぐるみなの。気が付いたら、部屋に居なくて……。私、心配で探しに来たの」
『そう、なんだ……』
ごめんよ、エーティア! 私がミミなんだよ!
やっぱり、声を掛けてから部屋を出るべきだったよね!
「ミミ、どこに行ってしまったの……?」
エーティアは心細い様子で、呟いた。
エーティア……。
こんな時だけど、私は感動していた。
エーティアは、私が居ないと寂しいと感じてくれるのだ。
それは、私がエーティアにとって身近な存在になっているからだといえる。嬉しい。凄く嬉しい。
でも、今はそれを面に出す事は出来ない。
今の私は、精霊なのだから。
『神子、ここにはぬいぐるみは居ないよ』
花の下には居るけれどね! ごめんね、エーティア!
「ええ、そうみたいね……。ミミの歌が聞こえたのは、気のせいだったのかな」
ギクリ!
『そうだよ、気のせいだよ。神子』
私は平静を装い、エーティアに言う。
うう、罪悪感が……。
「うん。他を探してみる」
『そうするべきだよ』
ごめんね、エーティア!
でも、私がミミだとバレる訳にはいかないんだ。
「……あの、精霊さん」
『な、なに?』
「私、貴女の邪魔しちゃったみたいね。私はもう行くから、お花楽しんでね?」
エーティア、本当に良い子だなぁ。
私は頷いた。
『うん。ありがとう、神子』
「それじゃあ、さようなら」
『さようなら』
振り返るエーティアに、私は手を振った。振り続けた。
エーティアが完全に見えなくなったのを確認し、体から力を抜く。
『ふうう、危なかったー……』
そのまま、庭園の地面へと降りていく。
地面ギリギリまで近付けば、愛嬌のあるぬいぐるみが横たわっているのが見える。
私が宿らないミミは、当然ながら無反応で、生命のかけらを感じさせない。無機質なのだ。
こんな姿を、エーティアに見られなくて、本当に良かった。
エーティアには、生命力溢れるミミを見てもらいたいから。
私が、少しでもエーティアの元気の源になりたいから。
『……そろそろ、戻ろうか』
私は、ぬいぐるみの中に入り込む。
そして、同調を始める。
視界がいつもの低さに戻り、私はホッと息を吐いた。
「エーティアに心配掛けちゃったな」
反省しつつ、私はエーティアの後を追った。
私を探しながら歩いているからか、エーティアには直ぐに追いつけた。
「エーティア!」
「ミミ!」
声を掛ければ、エーティアはすぐさま振り返った。
「もうっ、どこに行ってたの! 心配したんだから!」
「ごめんね、エーティア。エーティア集中してたから、邪魔したくなくて」
私は、しょんぼりと肩を落として謝罪をする。
「そうだったの……」
エーティアは、私を抱き上げた。そして、優しい微笑みを浮かべる。
「ミミの気持ちは嬉しい。でもね、ミミ。ミミは私の大事なお友達なの。ミミに何かあったら、私凄く悲しい。あまり心配を掛けないでね」
「エーティア……。うん、分かったよ! 今度から、気を付ける。エーティアに必ず声を掛けていくよ!」
「約束よ?」
「うん、約束!」
エーティアと手を握り合って、私達は約束をした。
「あら……?」
ふと、エーティアが私の頭を嗅いだ。
「ミミから、お花の匂いがする」
「え……っ」
しまった。お花の近くに置いてたから、匂いが移ったのかも!
「ミミ、庭園に行ったの?」
「う、うん。ちょっとだけね!」
私は慌てて誤魔化した。
「私も庭園には行ったのよ。すれ違ったのかしら」
「きっと、そうだよ!」
私は内心冷や汗を流していた。うう。
「庭園といえば、精霊が居たの! ミミは見た?」
「えっ、えっと。ミミには、精霊は見えない、から」
私はしどろもどろに言うのが精一杯だった。
しかし、エーティアが私の様子に気付く事は無かった。
「そうなの? とても綺麗な精霊だったのよ。神秘的だったわ」
「ふ、ふーん」
精霊はどれも綺麗で神秘的だと、私は思うよ。
「また会えないかなぁ」
「あ、会えると、良いね」
私にとって冷や汗だらけの会話は、エーティアの部屋に着くまで続けられたのだった。うわーん。