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終章 そして、不運少年のいつものこと

終章 そして、不運少年のいつものこと


 神嶋大翔の一日は、車に跳ねられかけるところから、始まる。

「危なかったぁ……」

 今日も今日とて、家の真ん前で轢かれかけたのだ。間一髪で逃れることができたものの、今日は本当にヤバかった。ぜいぜいと荒い息を吐きながら、大翔は考える。

(これも、俺の呪詛(カース)のせい……なんだよな)

 今まではなにがなんだかわからないうちに、不運を甘受していた。しかし今ではその原因がわかり、解決策もわかっている。

(この不運体質がなくなるなら……綾音、に)

 頭をよぎった考えに、思わずごくりと息を呑む。そしてぶんぶんと、首を振った。

(いやいや、あり得ないから! 『大人の行為』とか、なしだから!)

 相変わらず、大翔はヘタレだ。そのことは重々承知しているけれど、決意できない自分がどうしようもない男だと情けなくなることひとしきりだ。

(……だって、高校生なんだ! まだ、そんなことしちゃだめ……できるわけ、ないだろう!)

 ますます強く頭を振った大翔の耳に、聞き慣れた声が入ってきた。

「だいちゃん、大丈夫?」

 姿を現わしたのは、ひよりだ。いつもながらののんびりした口調に、大翔の心は癒される。まったく琳も、よけいな術をかけてくれたものだ。ひよりがすっかりと忘れているらしいことだけが、救いである。

「大丈夫……、このとおり、平気」

「すごい音がしたから、なんなのかと思ったよ」

「俺も、びっくりしたよ」

 ふたりで、通学路を歩く。もう桜は終わっていて、桜並木は葉桜に変わっている。陽射しも、入学したばかりのころに比べるとずいぶんと鋭くなった。

「暑っちいな……。なぁ、衣替えっていつだったっけ?」

「六月に入ってからだよ。もう少し」

 ひよりは、くすくすと笑いながら大翔を見あげる。

「なんかだいちゃん、男前になったねぇ」

「なんだ、今までは男前じゃなかったって言うのかよ」

 そう応えると、ひよりは慌てたように首を左右に振る。

「そうじゃないよ、そうじゃないけど……あのさ、お風呂事件から」

「ああ……」

 故意ではないとはいえ、綾音を泣かしてしまったのはいまだに大翔の心の傷である。しかしあのとき潔く謝り、綾音が許したことが、かえって皆の――特に女子――の好感をかってしまったらしく、こうやってときおり、あのときの話が蒸し返される。

「だいちゃんて男前だよねー。好きになっちゃいそう」

「……へっ?」

 ひよりが、耳慣れないことを言った。大翔はなにを聞き間違えたのかと、ひよりを見やる。しかしひよりは、先ほどの言葉などなかったかのように、なおもにこやかに今日の予定の話をはじめた。



 教室のドアを開けると、いきなり抱きついてきた者があった。

「わぁぁ!」

 大翔ーっ、と腕にしがみついてくるのは、琳だ。ないしっぽをぱたぱたさせながら、大翔にじゃれついてくる。

「ねぇ、今日こそ! 今日こそ、わたしに子供生ませてっ!」

「おまえ……、こんなとこで言うなっ」

 人間じゃなくても、綾音にだって羞恥心はあったぞ。そう言おうとする大翔に口を開かせない勢いで、琳はぎゅうぎゅう抱きついてくる。

(胸、胸が……!)

 柔らかいものが押しつけられて、どうすればいいかわからない。琳のこのような行為はいつものことだけれど、どうしても慣れることはできない。

「そういうこと言うのは、事情を知ってるやつらの中だけって、言っただろう!?」

「だぁって、大翔、つれないもん。最近、特につれない」

「それは、前からだ! お前の望みを叶えてやるつもりは、ないっ!」

 それでも琳は、離れない。ぎゅうぎゅうと大きな胸を押しつけてきて、大翔を困惑させる。

 そこに、大きな声が響いた。

「琳っ、なにをやってるの」

 綾音だ。大翔は少しほっとして、綾音に助けを求めようと顔を向ける。そこには仁王立ちの綾音がいて、こちらに視線を向けていた。

「離れなさい、大翔から、離れて!」

「やだよー、わたしは、大翔の子供生むんだから!」

「だぁっ、それはやめろって!」

 綾音の「呪詛(カース)を食べさせて」なら、他人が耳にしてもなんのことかはわからない。しかし琳の要求はあからさまで、誰が聞いても理解できてしまうのが困ったところだ。

「琳、離れなさい」

 大きな声で綾音が脅しをかける。しかし琳は、離れない。

「いやよ、綾音は、ほかの呪詛(カース)持ちを探せばいいじゃない! わたしは、犬神さまの呪いを引き継ぐという任務があるんだから」

「わたしは、大翔がいいの。大翔じゃなきゃだめなの。呪詛(カース)持ちだとか、もうどうでもいいのよ!」

 それは、ある意味熱烈な告白だ。大翔は思わず頬が熱くなるのを感じた。

「じゃあ、大翔の血だけ継がせてよ。犬神さまの呪いは、子孫に受け継がれる。わたしは、それを守っていく。それでいいじゃない」

「よくないっ!」

 綾音は、駄々を捏ねる子供のように言った。

「子孫ってことは、琳が、大翔と……えっ、えっ、えっちなことするってことでしょうが!」

 教室中が、ざわりとした。大翔はというと、この場からいなくなりたいほどの羞恥に駆られている。

「そうよ。それが、問題ある?」

「大ありよっ、そんなの、あり得ないんだから!」

「だいたい、『大人の行為』を先に求めたのは綾音だろうが……」

 思わず綾音にツッコむと、綾音はぴたりと足を止め、ゆっくりと大翔を振り返る。その顔が真っ赤になっていて、ああ、これは好きな表情だ、と思う。美人のはずの綾音の恥じらった顔は、写真にでも収めておきたいほどにかわいらしいものになる。

(まぁ、綾音はどんな顔してても美人だし、かわいいけどさ)

 遠くから、ばたばたばたと足音が聞こえた。

 大翔ははっとそちらを見、目に入ったものが朱色――巫女服の袴であることに気がついた。

「犬尾さん! 今日こそは祓わせてもらうわよ!」

 現われたのは、志保だ。手には符呪を持って、見るからにやる気が漲っている。

「あっ、神嶋くんもいるじゃない! 雁首揃えてるとは、好都合」

「会長、それじゃ悪役の台詞です」

 大翔はツッコみ、しかし志保の耳には届いてないようだ。そうだ、と彼女は振り返る。

「神嶋くん。浴場事件の犯人、まだ挙げられなくて。ごめんね」

「いえ……、もう、いいことなんで」

 いきなり『生徒会長モード』になった志保は申し訳なさそうに言う。しかしそういう殊勝なことを言っておいて、すぐに『陰陽師モード』に変化した彼女は表情をきりりと引きしめて、符呪をかざした。

「やぁぁぁん、っ!」

 呪いに憑かれているだけの大翔には、五芒星と文字のたくさん描かれている符呪がなにか直接的な影響を及ぼすということはない。しかし犬神の眷属――つまり人間ではない琳には、恐ろしいものであるらしい。

 琳は素早く大翔の腕から逃げると、窓の外に飛び出した。

「おい、三階だぞ!」

 誰かが驚きの声をあげる。しかし琳が高いところから飛び降りている光景は何度も見たので、大翔には今さら驚くことでもない。

「なぁ、会長の符呪。おまえには効かないんだな」

 大翔が綾音にそう言うと、綾音はふふん、とでもいうように顎を逸らせた。

「人間ごときの術が、わたしたち呪詛喰らい(カース・イーター)に効くわけないじゃない」

「そんなもんなのか……?」

 志保は、来た道を戻ってばたばたと行ってしまった。琳を追いかけているのだろう。ふたりの声が、遠くから聞こえてくる。

「会長も、琳も……普通の人間じゃないってこと、まわりに隠さないんだなぁ……」

「大翔」

 琳のしがみついていた腕を、綾音が取る。ぎゅっと抱きしめて、すると丸くて柔らかいものの感触が、もろに伝わってきて。

「絶対、逃がさないから」

 小さな声で、綾音は言った。

「琳なんかに取られるくらいなら、わたしが大翔を、今すぐ全部食べるわ」

「俺を食べるって、おまえ……」

 それは単純に呪詛(カース)を食べるということなのか、それとも『大人の行為』の意味の深いところを指して言っているのか。

 どちらにしろ、大翔はヘタレと言われようとなんと言われようと、まだ覚悟ができていない。腕に体を押しつけてくる綾音の、胸の感覚だけでどぎまぎしてしまう大翔には、まだまだ早すぎると思う。

「ねぇ、大翔。だからあまり待たせずに、食べさせてね」

 ささやいた綾音は、どういう意味で言っているのか。首をかしげてそう言う綾音のかわいらしさに心を射抜かれて。

「……ああ」

 大翔は思わず、肯定の返事をしてしまう。それを聞いた綾音はにっこりと笑い、その笑みは美しくもかわいらしく、今まで見た中でも最上のものだった。


〈おわり〉

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