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第四章 彼女がデレたら

第四章 彼女がデレたら


 委員長、というと聞こえはいいが、要は雑用係である。

「こんにちはー……」

 初めて訪れる、『生徒会室』とのプレートのある部屋の前に、大翔はいた。こんこん、とノックをすると「どうぞー」と答えがあって、少しどきどきしながら、ドアを開ける。

「一年B組の、神嶋です……」

 高校の『生徒会室』など、なんだか高尚な気がして怖じ気づいてしまう。大翔は恐る恐る、名を名乗った。

「ああ、一年生ね。書類、そこに置いといて」

 凜とした女性の声だ。大翔は手にした書類を『受付』と書かれた箱に入れながら、奥を見た。

「ありがとう。お疲れさま」

「あ、ども……」

 ぺこり、と頭を下げた。声の主は、逆光になっていて顔がよく見えない。

「あ、B組の子だったら、これも持っていってほしいの。これこれ」

 彼女がひらひらさせる紙を取りに行こうと、大翔は声の主に近づいた。彼女の机には、『生徒会長』と書かれたプレートが置いてある。

「神嶋くん、って言ったっけ? なにかと用を頼むこともあると思うから、よろしくね」

「あ、こちらこそ」

 紙を受け取りながら、大翔は声の主を見た。彼女はひとりで、しかしまわりの机に書類が散らばっていたり、キャップを開けたボールペンが置いてあったりするところから、ほかの生徒会メンバーは席を外しているだけだと見受けられた。

 きらめくような瞳の持ち主だった。髪は長く、立っている大翔からは長さの見当がつかないけれど、腰まで届くロングのように見えた。

 ついで目に入ったのは、つり気味の目だ。それは声同様彼女をきりりと見せていて、大翔は思わず目を奪われる。

(生徒会長だって、決定……)

 プレートに書いてある文字だけではなく、そう思った。それほどに彼女は凛々しい雰囲気を持ち、大翔は目を離せないでいる。

 色が白くて、小さなくちびるをしていて。手は華奢で、手首も細くて。そんな可憐なのに、声音や態度からも感じるくらいに彼女は『生徒会長』に見えた。容姿は細くしなやかでも、生徒会長たる重責にふさわしいだけの実力があるからこそ、その椅子に座っているのだろう。

「あ、肩」

「はい?」

 声をかけられて、一瞬戸惑った。じっと見つめているのを見咎められたのかと思ったのだ。

「肩。ゴミがついてるわよ」

 そう言って、彼女は身を乗り出して肩に触れてくる。彼女との距離が縮まって、すると甘い匂いが漂う。柑橘類系――ミントの香りも感じられるような気がする。嗅ぐとこちらを爽やかにしてくれる、清涼な香りだ。

「神嶋、なにくん?」

「あ、大翔、です」

 名を訊かれ、答えると彼女はにっこりと笑った。

「そう。わたしは、蔦森(つたもり)蔦森志保(しほ)。見てのとおり、生徒会長やってるの。よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 やはり、思ったとおり彼女は生徒会長だった。志保はにこにこと新入生たる大翔を見ていたけれど、ふと眉をひそめた。

「なに……?」

 急に、志保の表情が変わったことに驚いた。彼女は大翔の肩に手を置いたまま、訝しげな顔をしてささやいてくる。

「神嶋くん……あなた」

「はい?」

(な、なに?)

 なにごとかと戸惑う大翔の耳に、志保はそっとささやいてくる。

「なにか、おかしなものに取り憑かれていない?」

「取、取り、憑く……?」

 普通の場合なら、なにを言っているのかとたしなめるところだ。しかし今の大翔は、呪詛(カース)だの呪詛喰らい(カース・イーター)だの、はたまた犬神の眷属やらに見込まれている身だ。「取り憑く」という言葉がすんなりと理解できた。

「いや……、取り憑かれていると言えば、取り憑かれていますが……」

 ここで、「なんでもない」と言うべきだったのかもしれない。しかしあまりにも志保が、真剣なまなざしをしていたから。思わず大翔は、うなずいていた。

「心当たりは、あるのね?」

 志保は、ますます真剣な表情をして大翔を見てくる。

(しまった、うなずくんじゃなかった)

 しかし、もう引くことはできない。言ってしまった以上逃げるわけにはいかず、ためらいながら大翔は口を開いた。

「あるといえば、ありますが……」

 いっそ、志保に相談してしまおうかと思った。綾音のこと、琳のこと。呪詛(カース)のこと、犬神のこと。しかしこの美しい上級生が、なにを考えてこういうことを言い出したのかわからないから。なにをどこまで言っていいものか、わからないから。

「ないといえば、……ないような」

 大翔は口を歪めて笑いを作ると、志保の前から遠のいた。涼やかに甘い香りが遠のいて惜しく思ったけれど、それよりもこれ以上なにか言って墓穴を掘る前に、今は志保の近くにいてはいけないと思った。

「あの、失礼します……」

「気をつけて……、気をつけたほうが、いいわ」

 しかし、それも今さらだ。言ってくれるなら、もっと早くに――しかし言われたからといって、自分にはどうしようもなかっただろうとは思うけれど。

「気をつけてね、神嶋くん」

「はい……、あの、ありがとうございます……」

 大翔は志保から遠のこうとして、しかし彼女の手はしっかりと肩にかけられたままだ。そのことを、少し体を反らせて知らせようとすると、志保は、はっとしたように目を見開いた。

「あ、ごめんね」

「いや、俺こそ」

 頭を下げ、あげると自分がまだ、志保の真剣なまなざしに晒されていることがわかる。なにが大翔に取り憑いているのか、どうすればいいのか、考えているといった熱心な目つきだ。

 生徒会室を出ていく大翔は、そんな志保の視線に見送られた。ぱたん、とドアが閉じて、大翔はふぅと息をつく。

(取り憑かれてるとか、見る人が見たら、わかるのかな……?)

 そういうことがわかる、というのは志保もその方面に詳しいのかもしれない。志保も『普通ではない』のかもしれないとなると、この学校の普通でない度合いはどのくらいかと考えてしまう。さらにはその『普通ではない』中に、大翔も入ってしまっているのだ。

 教室へ、廊下を歩きながら考えた。

 どう考えても異常な日々。しかし綾音、そして琳に逢う前に戻りたいかというと、そうではないのだ。確かに大変な目に遭わされるけれど、もう彼女たちに振りまわされる日々が大翔にとっての『普通』になってしまっているのだ。

 大翔は、額に手をやる。

「あいつに、『おでこにちゅ』までされたしなぁ……」

 ひよりがどういう意図で、あのようなことをしてきたのかはわからない。しかしひよりだけには変わらず、幼馴染みの『ひよりちゃん』でいてほしいのだけれど。

 ひよりの『おでこにちゅ』が効いたのかどうかわからないけれど、今の大翔は異常な毎日を受け入れる気になっている。余裕が出てきた、とでもいうのだろうか。

(余裕なんか、かましてる場合じゃないんだけどな……)

 大翔はひとり苦笑しながら、廊下を曲る。

「う、わっ!」

「きゃあ!」

 誰かとぶつかった。大翔はかろうじて足をとどめていられたものの、相手は廊下に転んでしまった。

「あ、ごめん……」

「大翔……?」

 よく見れば、それは綾音ではないか。膝を立てて廊下に座り込み、痛そうに肩を撫でている。

「綾音? こんなところでなにしてんだ」

「……待ってたのよ」

 座った綾音の、スカートの中身が見えそうな体勢から極力目を逸らしながら、大翔は彼女に手を差し伸べる。

「いったぁ……」

「大丈夫か?」

 あまりにも綾音が痛そうな声を出すものだから、大翔は思わず彼女を正面から見てしまい、スカートの中が目に入った。

「わわっ……」

「なによ」

 慌てた大翔に、綾音は膨れっ面を見せる。

「見たわね……」

「見てない、見てないっ!」

 再び見てしまいそうだったので、懸命に目を遠のけながら大翔は言う。

「なんで怒るんだよ。不可抗力だっ!」

 差し出した手を、綾音は取らない。下着を見られた羞恥からだろうか。大翔がなおも手を差し伸べ立つように彼女を促すと、やっと小さくて柔らかい手を出してくる。それを掴んで、ようよう綾音は立ちあがった。

(あ、軽い……)

 綾音は、頼りないほど軽かった。背も高いし、琳の言うとおり胸もあって、グラマラスな体をしているのに。まるで紙でできているかのように、軽かった。彼女の頼りない体重に、大翔はどぎまぎしてしまう。

「こんなところで、なにしてるんだ?」

 動揺を誤魔化すように、慌てて大翔は尋ねた。

 生徒会室の部屋は大翔たちの教室のある三階よりもひとつ上、四階だ。四階はほかの委員会や文化系クラブの部室があったりして、まだクラブに入っていない大翔たちには用のある階ではないのに。

「……だって、大翔。あなたが、なかなか帰ってこないから」

 拗ねたように、綾音は言った。そんな、いつもの彼女らしくない態度にどきりとする。

「わたし、待ってるって言ったわ。帰ってこないから、浮気でもしてるのかと……」

「浮気もなにも、俺たちの間にはなにもない」

「どうしてそんなこと言うのよ!」

 なおも怒った顔のまま、綾音は喚いた。大翔は綾音の手を取ったまま彼女を見、するとなぜか綾音はびっくりしたように目を見開いて、手を引っ込めかけた。

「おっと」

 その勢いが余りに強かったので、綾音はまた転びそうになる。それを彼女の腰を抱く恰好で引き寄せ、ふたりでダンスをしているような恰好で見つめあった。

「や、……っ……」

 なにが彼女をそこまで恥ずかしがらせたのかはわからないけれど、綾音は顔を赤くして大翔から離れようとする。

「なんだよ、いつもは平気で迫ってくるくせに」

「だって……みんな、見てる」

 そう言われて、はっとまわりを見まわすと、何人もの視線とぶつかった。皆、珍しいものを見るような目を大翔たちに向けている。

(まぁ、確かに衆人環視は……)

 ぱっと手をほどこうとした。すると綾音がまた転びそうになり、仕方がないと手は離さない。しかし手を取られた綾音は肩をすくめて小さくなっていて、その仕草はまるで子供のようだ。

「や……、離して……」

 それがあまりにかわいかったので、大翔は思わず微笑んでしまう。

 そう、綾音は美しいけれど、同時にとてもかわいいのだ。初めて会ったときのつんとしたような印象は、最近よく見るこのかわいい表情や行動に上書きされている。

(美人の顔もいいけど、かわいい顔もいいよな……)

「……なんだか、大翔。すっごく、嬉しそう」

 大翔は、うっとりと綾音を見つめていたらしい。綾音は不満げに、そう言った。

「いや、おまえがかわいいなって」

 そんな大翔の言葉に、綾音は思わぬ反応を示した――顔を真っ赤にしたのだ。熟れたトマトよりも赤い頬に、大翔は心底彼女をかわいいと思った。

「本当にかわいいな、おまえ」

「そ、な……、なに、言う……っ」

 綾音は力を込めて、大翔の手を振りほどいた。そしてそのまま、階段を駆け下りてしまう。

「おい……、綾音」

 取り残された大翔は、唖然と彼女を見送るばかりだ。

「ふたりだけのときは、恥ずかしがったりしないのに」

(なんで今は恥ずかしいんだ?)

 確かに、皆の視線を集めている状況は大翔だって恥ずかしい。しかしいつもあんな大胆な迫りかたをしてくるのに。

「今さら。なに、逃げてんだ?」

 首を捻りながら、大翔も階段を降りる。綾音の恥ずかしがる表情や赤い顔を思い起こし、改めて「かわいかったな」と胸の奥でつぶやきながら。



 その日も、ひよりは鍵を忘れて家を出たらしい。

 自宅の門の前で、見るからに焦っているひよりを見かけた大翔は、駆け足で彼女のもとに向かう。

「また忘れたのか?」

「あー、だいちゃん」

 鍵がなくて家には入れないというのに、ひよりは呑気な声とともに振り返った。

「鍵、ないんだろう? ちょっと待ってな」

 ごそごそと自分のバッグを探り、両家の鍵のついているキーホルダーを取り出した。門を開けてやり、中庭を通って玄関の鍵も開けてやる。

「今日は、こっちも閉まってたな」

「だいちゃんがいなかったら、誰か帰ってくるまでずっと家の前で待ちぼうけだったよ。ありがとうー」

 にこっ、とひよりが笑顔を見せる。メガネ越しの目が細くなるのがかわいらしくて、大翔もつられて笑ってしまう。

「お礼に、お茶出すから。あがって」

「おぅ」

 今さら、遠慮をする仲でもない。大翔はかつて知ったる由衛家のリビングにあがり、ひよりがのんびりした調子でコーヒーの支度をするのを見つめていた。

(普段はおっとりしてるのに、こういうことはそつなくこなすんだよな……)

 待つほどの時間もなく、すぐにコーヒーと、手づくりとおぼしきクッキーが皿に盛られて運ばれてきた。

「待たせてごめんね、どうぞー」

「いやいや、ありがたいよ。いただきます」

 ふたりでコーヒーを啜り、ぽそぽそとクッキーを囓る。今日あった出来事などを話すともなく話しながら、穏やかな時間が過ぎていく。

(……なんだか、違和感が)

 それに気がついたのは、コーヒーを半分ほど呑んだときだった。目の前のひよりの目つきが、変わっていく。とろんとまるで酔ったようになっていて、大翔は慌てた。

「ひより、どうしたんだ……体調でも、悪……」

「だいちゃん……」

 ひよりは膝をすべらせて、大翔の後ろに座り込む。ぎゅっと後ろから腕をまわして抱きしめてくるひよりは、なぜか思い詰めたような声で大翔の名を呼んだ。

「な、なんだよ……」

「ねぇ……だいちゃん」

 いつもの口調で、いつもの声音で。ひよりは、つぶやいた。

「……しよ」

「な……」

 大翔の心臓が、どくんと大きく跳ねた。背中には丸くて柔らかいものがぴったりと押しつけられていて、ささやかながらもその圧迫感は大翔を動揺させるのに充分だ。

「し、よ……って、なにを……?」

 このシチュエーションでそう尋ねるのも間抜けな話だけれど、大翔の胸の鼓動は激しく打ち続けたまま緩むことを知らない。

 ひよりはするりと腕をほどき、それに大翔はほっとしたものの、そのままひよりの手はすべって大翔の前に膝を突き、ぐいと体重をかけてきたのだ。

「わぁ、ぁぁっ!」

 すんでのところで、後頭部を地面に打ちつけるところだった。下が絨毯で助かった――ものの、目の前にはひよりが、思い詰めた顔をして見下ろしてくるのだ。

「だいちゃん……、しよ」

 人生、三回目の押し倒され。

「あ、あ、あ……の、な……」

 地面にあがった魚のように、口をぱくぱくさせてしまう。ひよりの、メガネ越しの目はどこか浮かされ酔っているかのようで、いつもの彼女ではないようで。

 なによりも、それよりも。

(どうしてこうなるんだー、この体勢はー!?)

 遺憾ながら、三回も女の子に馬乗りされてしまった。しかしまさか、ひよりまでが。完全にパニックに陥った大翔は、ひよりが目を閉じるのを見た。

「ん……」

 彼女の唇が、近づいてくる。二十センチ、十センチ。もう少しで、くちびるが触れあう――。

「ちょーっと、待てっ!」

 大翔は、大声をあげた。みすみす女の子に押し倒されて、しかもそれが幼馴染みのひよりだとあっては、どうしようもない驚愕と羞恥が襲ってくる。

「やめろ、やめろっ! なぁ、やめてくれよ!」

 しまいには哀願口調になる自分が情けないが、ひよりはまるで酔っているかのような、焦点の合わない目で大翔を見つめているのだ。

(明らかに、普通の状態じゃない)

「ひよりっ!」

「……あ、ぁ……?」

 とたん、ひよりは大きく瞠目した。メガネ越しの目がこれ以上はできないほどに見開かれ、表情が見る見る、驚愕したものに変化していく。

「だ……だい、ちゃん……」

 がばり、と身を起こしてひよりは真っ赤になる。先ほどまであんなにくっついて、ねだっていた姿が嘘のようだ。

「わ、わたし……なにを……?」

 ひより自身、意識してやったことではない。となると怪しいのは、人間ではないあの面々のうちの誰か――。

「いや、なんでもない。おまえは悪くないから、安心しろ」

 動揺するひよりの前、肘を突いて起きあがる。ひよりは自分が大翔の上に馬乗りになっていることに気づいたらしく、兎のように飛び跳ねた。

「これ……、こんな、の……いったい……」

 ひよりの顔は、真っ赤に染まったままだ。大翔もどうすればいいかわからずに戸惑っているところ、屋外からけたけたと笑い声が聞こえてきた。

「琳っ!」

 窓の向こうを見れば琳が、コンクリート塀の向こうに立って声をあげて笑っている。心底から楽しげな表情が、憎らしい。

 大翔はがばりと立ちあがり、猛烈な勢いで玄関を出た。靴を適当に突っかけて、琳の前に駆け寄る。塀越しに、大きな声をあげた。

「おまえか、ひよりを操ったのは! なにやってんだ!」

「だってね、大翔が全然、なびかないから」

 なおも笑いながら、塀の上に腕をかけて家の中を覗きこむ恰好で琳が言う。

「かわいい幼馴染みをけしかけてみたら、大翔の中のなにかが目覚めるんじゃないかなぁ、と思って」

「ひよりは関係ないだろう!? あいつを巻き込むな!」

 大翔は、リビングのほうを指差しながら喚く。そんな大翔に、琳はきょとんと首をかしげた。

「ちょっと術かけただけだよ? そんなに効き目があるとは思わなかったけど」

「おまえ……軽々しく、そんなことするな!」

 厳しい視線で睨みつけるが、琳には少しも堪えていないようだ。

「術とかかけるんなら、俺にしろ! こんなことができるなら、俺を無理やりその気にさせることだってできるんだろう?」

 だぁって、と琳はくちびるを尖らせた。

「大翔、強いんだもん。術とか、全然かからないの。犬神さまの呪いに取り憑かれてながら、死なずに済んでる人間は、やっぱり違うんだなぁ」

 拗ねた表情のまま、琳は言う。

「大翔を操れたら、一番早いんだけど」

 ということは、今までにも琳は術をかけ続けていたのだ。油断も隙もない。

「だからって、ひよりによけいなことしやがって……!」

「つまんないんだもん。大翔はちっとも反応してくれないし」

 琳は、悪びれもしない。どうしようもなく苛立つ気持ちはあるが、琳の楽しげに笑う顔、そしてやはり犬神の眷属たる彼女は普通の人間とは感覚が違うのだ、というところを見せられては、怒りも冷めてしまう。

 大翔は、由衛家のリビングの窓越しのひよりを振り返った。自分はなにをしていたのか、と今度は青くなってこちらを見ているひよりに、なんでもないとうなずきかけてみせる。

「おまえ……、もう、よけいなことすんなよ!」

 大翔は琳に怒りの一瞥を向けると、琳がなにか言おうとするのを無視して、由衛家のリビングに戻った。

「だ、だいちゃん……」

 ひよりはおろおろと、自分を襲った衝動に戸惑っているままだ。大翔はそんな彼女の横に座り、ぽんと肩を叩く。と、ひよりはしっぽを踏まれた子犬のような声をあげた。

「まぁ、なんだ。全部あいつが悪いんだから、おまえは気にするな」

「う、うん……」

 しばらくひよりはもじもじしていたが、大翔の顔が見られないというように立ちあがって、くるりと背を向けた。そして脱兎のように二階に逃げてしまう。

「あ……」

 その場に取り残された大翔は、大きくため息をついた。

(次から、ひよりの顔見られねぇじゃねぇか……!)

 顔をあげると、塀の向こうでなおも琳がにやにやと笑みを見せている。そんな彼女に厳しい一瞥を向けたものの、琳がますます楽しげな顔をしたものだから、もう呆れてため息をつくしかなかった。

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