Scene:10 皇帝崩御
シャミルが惑星ソウラにいた頃、反体制派の攻撃がまだ及んできていない惑星アルダウでは、いつもと変わらない時間が流れていた。
皇帝の実弟で皇帝派のリーダーであるカリアルディ公爵邸。
その書斎に、公爵は一人の男性といた。
室内には、書棚の前に豪華な執務机があり、その前には、贅沢な造りの応接セットが、部屋全面に敷き詰められている絨毯の上に置かれていた。
執務机と、応接セットのテーブルには、「モルカ」で半分ほど満たされたワイングラスがそれぞれ置かれていた。
執務机に座った公爵は、左手でワイングラスを持ち上げ、顔の下で揺らしながら、向かい合って応接セットのソファに座っている男に話し掛けた。
「とにかく、あの老害を何とかしなければならぬ! ことあるごとに和平和平と唱えているようでは、我が軍の兵士達の士気も上がりようがない!」
「しかし、仮に、あのお方がいらっしゃらなくなっても、セルマ皇女が後を継がれるだけですぞ」
「ふん、あんな小娘に何ができる。言葉巧みに丸め込んで、儂が摂政になることも容易かろう」
「そうでしょうか? 先日、初めてお会いした印象では、かなり聡明なお方のような気がいたしましたが?」
「儂の言うことなど聞かぬと?」
「その可能性は十分あるのではないかと」
「買いかぶりすぎだ」
「まあ、その辺りのご判断は閣下がなされませ」
「それで、老害は今後、どうなる運命なのだ?」
「私が昨晩見た夢では、原因不明の病に冒され、数日後にはお亡くなりになられましたな」
「そなたの夢は正夢になるのであろう?」
「ええ。かなりの確率で」
「しかし、娘や侍従達が不審死として騒ぎだすのではないか?」
「今回、宮殿に忍び込むであろう病原体は、未知のものであって、誰も死因を特定することはできないでしょう。それに典医にも閣下の息が掛かっておるのでございましょう?」
「まあ、そうだが。そうすると、そなたが病原菌ということじゃな?」
「これは酷い例えだ」
「はははは」
「もし、皇女が同じ宮殿にいれば、流行病が移らない訳がありませんからな。ひょっとしたら、皇女も罹患されていたかもしれませんな」
「なるほど。それは惜しいことをした。ソウラ疎開に反対をしておけば良かったのう」
「そうですな」
「まあ、良い。あんな小娘、宮殿に帰ってからでも何とでもなる」
公爵は満足げにうなづくと、ワイングラスを掲げた。
「儂には、その病原体が感染しないように祈って」
応接セットに座っている男もワイングラスを持って掲げた。
「それは閣下のお心一つでございましょう」
三日後。
セルマの警護をしていたキャミルの元に治安維持派遣軍司令部から急使が来て、呼び出されたキャミルは、惑星ソウラの宇宙港に停泊している戦艦エアリーズ内の司令部に出頭していた。
「キャミル・パレ・クルス少佐! ただいま出頭いたしました!」
司令部が置かれている会議室に入り敬礼をしたキャミルを、部屋の中の執務机に座っていたコンラッド中将が手招きをして、キャミルを近くに寄らせた。
コンラッド中将は、他には誰もいないことを確認するように、部屋を見渡した後、小さな声で、机のすぐ側に立ったキャミルに話し掛けた。
「キャミル少佐。急遽、来てもらったのは他でもない。アルスヴィッドで、あの姫君を、また、アルダウに連れて行ってくれたまえ」
「アルダウ空域の治安が改善されたのですか?」
「いや、違う」
コンラッド中将は、また左右を見渡してから、一層小さな声で告げた。
「皇帝が危篤らしい」
「えっ!」
さすがのキャミルも驚いた。
病弱とは聞いていたが、ほんの二週間前に謁見した時には顔色も良く、体調も良さそうであったからだ。
「昨日から体調不良を訴えられていたが、今朝には既に意識不明になってしまい、典医らの懸命の治療が続けられているが、……もっても明日、明後日中ではないかとのことだ」
皇帝の健康状態という皇帝派にとっての最重要機密を、銀河連邦軍が遅滞なく把握していることに、キャミルはレンドル大佐の顔を思い浮かべるとともに、軍情報部の情報収集能力の高さに脱帽する思いであった。
「今朝になって、宮殿から至急、セルマ皇女を呼び戻して欲しいとの要請があった。この情報は、おそらく反体制派にはまだ漏れてはいないと思うが、仮に反体制派が把握していたら、攻勢のチャンスとばかりに攻撃の手を強めることも予想される。今は、再度の講和条約交渉のテーブルに着くことを希望している反体制派の幹部達も翻意するかもしれないからな」
確かに、アシッド率いる穏健派の幹部達も、この千載一遇のチャンスに攻撃を強めるべきだとの強硬派の主張に押し切られるおそれもあった。
「前にも増してアルダウ空域は危険になっているだろう。その中を君にセルマ皇女の護衛をお願いしている訳だが」
「分かりました。行きます。……いえ、行かせてください! 皇帝陛下は殿下のたった一人の家族なのです。その家族に会わせてあげたいのです」
「うむ、君ならそう言うと思った。いや、誤解をしないでくれ。もし他の者にこの任務を任せても、君が交替を申し出てくるだろうなと思ったのだ。それなら初めから君に命令をした方が速いからな」
「中将も私の性分をよくご存じですね」
「まあ、宇宙軍第七十七師団のロバートソン少将とは、若い頃、惑星軍と宇宙軍の共同作戦で、よく同じ釜の飯を食った仲でな。彼から君の噂は聞いている。何と言っても君は連邦軍の中では一・二を争う有名人だからな」
「いえ、……では、いつ出発を?」
「直ちにだ。今頃、宮殿からの使者もセルマ殿下の元に行っているところであろう」
「分かりました」
「うむ。準備でき次第、許可を待つことなく出発しろ!」
三時間後。
アルスヴィッドは惑星ソウラを飛び立ち、惑星アルダウに向かって全速力で飛行していた。
シャミルもセルマのことが心配であったことと、探検家として異国の首都を見てみたいという誘惑に勝てず、キャミルに無理を言って、アルスヴィッドにアルヴァック号を搭載してもらい、一緒にアルダウに向かっていた。
さすがのセルマも元気が無く、アルダウに着くまで、ずっと、艦長室に籠もりきりで、艦橋で指揮を執るキャミルの代わりに、シャミルがずっと側に寄り添っていた。
航行中、何隻かの戦闘艦らしき船が近づいて来たが、アルスヴィッドからの警告や、モニター撮影限界まで近づいて来て船影を確認して連邦宇宙軍のギャラクシー級戦艦であることが分かると、それ以上、近づいて来ることはなかった。
アルダウに着くと、セルマは宮殿が用意したロボット馬車で宮殿に向かった。セルマの要請で、キャミルとシャミルも同乗していた。
セルマが皇帝の寝室に駆けつけた時、既に皇帝の目は閉じられていた。
「陛下! 陛下! 目を開けてください! わらわを置いて行かないでください!」
セルマの願いも叶わず、皇帝が再び目を開けることはなかった。
――皇帝崩御!
この事態を受けて、至急、招集された皇帝派の重鎮達は、しばらく皇帝崩御の事実を隠すことを計画したが、どこから漏れたか、帝国内のマスコミの知るところとなり、相次ぐ取材攻勢に、皇帝派もその事実を認めざるを得なかった。
即日、セルマの皇帝即位が決定され、一週間後の戴冠式を待って、セルマは皇帝メヒトス十世となることとされた。
そして、戴冠式が終わるまでの間、皇帝派は反体制派に休戦を申し入れ、アシッド率いる穏健派が主導権を握っている反体制派はそれを受け入れた。
穏健派であった皇帝メヒトス九世は国民の人気も高かったことから、今回の崩御にあたり、帝国内に喪に服するべきという世論が国民の間から湧きあがってきており、反体制派の中の強硬派もその空気を読んだようで反対をしなかった。
休戦にあたって、戴冠式までの間、戒厳令が敷かれ、入出国や惑星間の移動が禁止された。
シャミルも惑星アルダウで足止めをされてしまった。




