Scene:02 回想――旅立ち――(2)
シャミルが聞いている、シャミルの父親ジョセフと、母親マリアンヌの出会いは、ジョセフがマリアンヌの店に客として来たことだったそうだ。
その頃、シモンズ骨董店は、マリアンヌの父ピエールが店主を務めていたが、連邦アカデミーを卒業して、テラに戻っていた一人娘のマリアンヌも店の後継者として、父親に付いて、鑑定眼を養う修行の傍ら、店の手伝いをしていた。
そんな時に、探検の際に手に入れたという骨董品を持って、ジョセフは突然、シモンズ骨董店にやって来た。
マリアンヌは一目で恋に落ちた。そして、シャミルを身籠もった。しかし、ジョセフはマリアンヌと結婚しようとはしなかった。探検家だと言っていたジョセフは、ずっと宇宙を飛び回っていて、アスガルドに寄った時だけ、シャミルの母親の元に来ていたそうだ。シャミルの母親も、ジョセフに結婚を迫ることはせずに、女手一つでシャミルを育て上げた。
シャミルも、父親の記憶はそれほど鮮明に残っておらず、その顔を思い出すことはできなかった。しかし、シャミルの誕生日パーティーに駆けつけてくれて、プレゼントをくれたこととか、シャミルを肩車してくれて、テラの宇宙港に発着する宇宙船をずっと眺めていたこととか、微かな想い出は、今もシャミルの記憶の片隅に残っていた。
「母上。父上は、もう帰って来られないのでしょうか?」
「分かりません。でも、この船も、ずっと係留しているだけでは可哀想ですからね。それに……」
母親は、優しい笑顔をシャミルに向けて、話を続けた。
「あなたは、人の下で働けるとは、とても思えません」
「そ、そんな……」
「物分かりが良いようでいて、実は、自分が信じる道以外には絶対に進まない意固地なところがありますものね。上が決めた道がそれと違っていたら、あなたは絶対、その道を進まないでしょう?」
「……もう、母上には何も反論できません」
「ほほほほ。これでも、あなたの母親ですもの。あなたがどんな人間かはこの世の中で一番知っている人間ですよ」
「そうでした」
「あら、二年も家から離れていたから、私が母親だということも忘れていたのかしら?」
「い、いえ。とんでもないです」
超天才児シャミルも、母親の前では、只の十六歳の娘でしかなかった。
「あなたは、この船の船長となって、自分の進みたい道を進みなさい」
「母上……」
「それと……」
母親は、一旦、エアカーに戻って、大きめのハンドバックを持って来ると、その中から自分の情報端末を取り出した。そして、シャミルが左手首にはめているシャミルの情報端末に向けてデータを送信した。
シャミルが自分の情報端末を見てみると、そこには、シャミル名義の銀行口座情報が表示されていた。
「あなたも社会人になるのですから、自分の口座を持たなくてはね」
「母上」
「残額をご覧なさい」
シャミルは、自分の端末を操作して残額データを確認して驚いた。そこには千万ヴァラナートが入金されていた。豪邸が一棟新築できるほどの大金である。
「母上、こんな大金をどうして?」
「その金は、お店を改築しようかと思って貯めていた資金です。でも、あなたが人より早く大学を卒業して、しかも探検家になるなんて言うから、仕方なく、そのお金の使い道をあなたに振り分けることにしたのです」
「そんな大切なお金を頂く訳にはいきません」
「誰があげると言いました。これはあなたへの貸付金です」
「はい?」
「私もまだまだ自分の店を大きくしたいと思っていますからね。あなたが探検家として得た報酬で、少しずつでも良いので、私に返してください」
「……母上」
「このアルヴァック号は、約二十年前に就航した船だそうです。少なくとも、エンジンはかなり旧式のはずです。探検航海に使用するのであれば、高速で航海できる船が良いはずですね。だから、そのお金で、エンジンを最新鋭の物に替えると良いでしょう」
「……」
「それと、探検家稼業も軌道に乗るまでは、安定した収入がなかなか得られないと思いますけど、船乗り達の給料も、当面は、そのお金から払えるでしょう」
「……母上。それでは、私が探検家になるのを許していただけるのですね? まだ、正式にお答えはいただいてなかったかと……」
「許すも何も、あなたは、お勉強もお稽古事も全部、人の二倍努力をして、人の二倍の速さで終えているのです。あなたは、もう大人と同じです。大人のあなたが、自分の未来を自分で選ぶことができることも当然です。もう、私が口を挟むことはできません」
「母上。……ありがとうございます」
シャミルは母親に丁寧にお辞儀をした。
「それから、もう一つ、あなたにプレゼントがあります」
そう言うと、母親はバックの中からナイフシースに収められたナイフを取り出した。その柄には青い宝石のような石がはめ込まれていた。
シャミルもそのナイフは知っていた。父親の残したナイフで、リビングの飾り棚の上にずっと置かれていた物だった。
「コト・クレールですね?」
「そうです。シャミルが学校を卒業したら、これをシャミルにあげるようにと、お父上から言いつかっていました」
「これも父上が?」
「そうです。……アルヴァック号のことといい、コト・クレールのことといい、まるで、お父上は、あなたが探検家になることを知っていたみたいですね」
「……」
「コト・クレールは、必ず、あなたを守ってくれるはずです。探検航海も危険なことがあるでしょう。ひょっとしたら海賊達が襲ってくるかもしれません。コト・クレールをいつも身に付けていなさい」
「はい」
母親からコト・クレールを受け取ったシャミルは、微かにコト・クレールが震えており、そして柄の青い宝石がほのかに光っていることに気がついた。
「母上。コト・クレールが」
母親は、シャミルの言葉を遮るように言った。
「父上は、こうも言っていました。コト・クレールは、それを持つべき者を知っていると……」
母親はシャミルを愛おしげに見つめた。
「あなたが、その者だということでしょう」
母親は、視線をシャミルからアルヴァック号に向けると、アルヴァック号に近づいて、その船体を撫でながら、寂しげに言った。
「あなたは、もう、私の元から飛び立ってしまうのですね。こんなに早く大人の仲間入りをしてしまうなんて……」
しばらく目を閉じて、思いにふけっていた母親であったが、目を開けてシャミルの方に向いた時には、その目は優しくも厳しい、シャミルが知っている、いつもの母親の目になっていた。
「シャミル! これからあなたの家は、このアルヴァック号です。そして、探検家にシャミル・パレ・クルスありと言われるほどにおなりなさい!」
「はい!」
「……でも、テラにも、たまには帰って来なさい」
「は、はい。母上」
母親の目にうっすら浮かんだ涙を見て、涙ぐんでしまったシャミルだったが、それで、これから探検家として生きる覚悟を新たにしたのであった。
シャミルは、母親から借りた資金を使って、テラの造船所で、アルヴァック号のエンジンを、その船体に積めるサイズで最大パワーが出せる最新鋭の物に替えた。そのエンジンに替えて航行をしても、ボディは十分耐久性を持っており問題は無いとのことであった。
また、航海士、機関士を始めとする航海のためのスタッフについては、母親の人脈を頼りに、有能で信頼できる人材を集めることができた。
しかし、探検航海や未知の惑星探査は、常に危険と隣り合わせである。
航海については、考え得る限りで最高のスタッフを揃えることができたが、船長として、シャミルがすべてについて采配することは実際的には不可能であるし、シャミルが不在の時などに、シャミルに代わって指揮がとれる人材が必要であった。また、常にシャミルの側にいて、シャミルの身の安全を守ってくれるボディガード役や、惑星探査において役に立つ知識や能力を持った補佐役を兼ねることができる人材であれば言うまでもなかったが、残念ながら、テラでは、そのような人材を捜し出すことはできなかった。




