Scene:11 イリアスでの邂逅
イリアス共和国の首都ムスペル。
街で一番豪華な酒場に、ハシムは、取引先の商会役員を呼んで、豪華な接待の席を設けていた。
孤児だったハシムが、ここまでのし上がって来られたのは、その類い希なる商才もさることながら、生まれながらにしての愛嬌のある容姿と性格で、同じ商人仲間からも可愛がられてきたことも一因であった。
接待の宴会も大成功に終わり、ハシムは、さんざん酒を飲ませて、べろんべろんになった取引先の役員に肩を貸しながら、貸し切りにしたVIPルームから出口まで案内していた。
「いやあ、ハシム君! 君は本当に面白いな!」
「ありがとうございます。部長さんもお若いですなあ。今でも若い娘さんとウハウハされているんじゃないですか?」
「ははははは! 女房には秘密だぜ!」
取引先の部長は足元がフラフラしており、他の客が座っているテーブルの間を、ハシムが支えながら歩いていたが、ハシムが少し油断をしたとき、部長は体を揺らして、座っていた女性の客の背中にぶつかった。
それほど強くはなかったが、背中にぶつかった勢いで、コップが倒れ、女性が飲みかけの酒がこぼれてしまった。
テーブルから床にしたたり落ちる酒を見ながら、体を震わせだした女性は、すくっと立ち上がると、役員の胸ぐらを掴んだ。
「てめえ! どこを見て歩いてるんだよ!」
小柄な体には不釣り合いな、たわわな胸を持つ白髪のショートカットの女性が、かなりの迫力で迫ると、部長はすっかりと怯えてしまった。
「す、すみません」
「すみませんで済むんなら、警察はいらねえんだよ!」
「ひえ~」
「おっと、ごめんよ」
そこに、ハシムが割り込んで来て、取引先の部長を自分の部下に任せて店の外に出すと、女性に頭を下げた。
「申し訳ない。本当、申し訳ない」
「あんた、あいつの連れか?」
「連れと言うより、お客様だ。だから、あの人の不始末の責任は俺が取る」
「へえ~、そうかい。じゃあ、責任を取ってもらおうか」
「その飲み物代を弁償する。服も濡れたのなら、そのクリーニング代もだ」
「それだけか?」
「もちろん、心ばかりの慰謝料を払わせてもらう」
「お前の言う『心ばかり』てのは、いくらなんだい?」
「そっちの提示額を聞かせてくれ」
「じゃあ、百万ヴァラナートだ」
「えっ?」
「百万ヴァラナートだよ! 聞こえなかったのかよ!」
「おいおい、冗談は止めてくれ。たかだか服が濡れただけで、どうして慰謝料が百万ヴァラナートにもなるんだよ」
「この服は特注なんだよ。それにクリーニングしている間、オレに裸でいろって言うのか?」
「変な言いがかりは止めてくれ! 強請の常習犯か?」
「そんな、ちゃちな連中と一緒にしないでほしいね」
「冗談じゃないのなら、警察に来てもらわないとな!」
その言葉で女性は背中から棍棒を抜いて、ハシムに突きつけた。
「警察を呼ぶ必要なんてねえよ! 金を払うつもりがないのなら、今ここで始末を付けるだけだ」
見た目は可愛い顔つきだったが、その目には狂気の光がどんよりと灯っていた。
ここは逃げるにしかずと思ったハシムは、前を向いたまま、ゆっくりと後ずさりをしたが、誰かにぶつかった。
振り向くと、女性にしては背が高くスリムな体型の女性が立っていた。変わった柄の着物を着て、長い黒髪に切れ長の目の女性はモンゴロイド系テラ族のようだった。
「おっと、すまない」
「どちらに行くつもりですか?」
「いや、ちょっと、トイレに」
ハシムは、前の白髪の女性から突きつけられている棍棒から目を離さずに言った。
「どうせ死ぬのなら、今更、トイレに行く必要など無いでしょう?」
直感的に危険を察知したハシムが転がりながら横っ飛びすると、その頭上で鎖鎌が回転した。
明らかに命を狙って振り回された鎖鎌に、辺りにいた客も悲鳴を上げて立ち上がり、店の壁際まで下がって、ハシム達から距離を取った。
ハシムは、虫のように床を這いながら、間合いを取り、立ち上がった。
「何しやがる! 殺す気か?」
「そうだよ」
白髪の女性と黒髪の女性が並んで、ゆっくりとハシムに近づいて来た。
「ちょっと待て! 弁償するって言っただろうが!」
「百万ヴァラナートを払う気になったかい?」
「……」
「あんたの命なんて、それだけの価値も無いかもしれないけどさあ」
笑う二人の女性から発せられる殺気に、ハシムも本気で金を払うしかないと考えた時!
「何をしてるんだい?」
気がつくと、二人の女性の背後にスタイルの良い女性が立っていた。
大きくウェーブが掛かった紫色の長髪に、はち切れんばかりのバストと魅惑的なヒップの女性は、希に見る美人で、ハシムも命の危機を忘れて、思わず見とれてしまった。
「メルザ様!」
二人の女性が振り向いて頭を下げた。
「その男がオレの酒をこぼしやがったから、お仕置きをしようとしたんですよ」
メルザがハシムを見た。
ハシムは、メルザに対して、美人だと思う感情だとは別の、不思議な感覚を覚えた。
以前に会ったことがあるような、何となく懐かしいという感覚であった。
そして、その感覚は、メルザも感じていたようで、少し戸惑った目でハシムを見つめながら、ゆっくりと近づいて来た。
しかし、メルザから発せられているオーラにも狂気を感じたハシムは、後ずさりをして、隙を見て逃げようと考えた。
「お待ち!」
メルザが声を掛かると、まるで逆らうことができないように体が動かなくなった。
しかし、それは恐怖によるものではなかった。
メルザがハシムのすぐ近くに寄って来た。
「あんた、名前は?」
近くで見ると、目が釘付けになるくらいの美貌だった。
「ハシム。……ハシム・ファサドだ」
「……ハシム。……テラ族だね?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「俺は、ここイリアスの孤児院で育ってて、親のことは何も知らないんだ」
「……そうかい」
ハシムは、今まで狂気しか感じなかったメルザに、ほんの一瞬であるが、優しく自分を見る表情が浮かんだことに気がついた。
「アズミ! ファルア! 帰るよ」
「え~! メルザ様! 服を濡らされたオレの落とし前は、どうすれば良いんですか?」
「体も濡れてしまったのかい?」
「そうですよ。びしゃびしゃですよぉ~」
「私が一緒にお風呂に入って綺麗に洗ってあげるよ。服が乾くまで、私の部屋にいれば良いさ」
「ほ、本当ですか? メルザ様!」
「ああ、こんなつまらない男の相手をするだけ時間の無駄だよ」
「メルザ様がそうおっしゃるのであれば! って言うか、むしろ、そっちの方が嬉しいっす!」
「店長はいるかい?」
メルザがカウンターに向けて言うと、蝶ネクタイを着けた男が震えながら出てきた。
メルザは、懐から一万ヴァラナート金貨を五枚取り出すと、店長の足元に投げた。
「迷惑掛けたね」
メルザはそう言うと、再びハシムを見た。
「あんたは商人をしてるのかい?」
「あ、ああ」
「そうかい。海賊メルザには捕まらないようにしな」
「えっ?」
さっき、アズミとファルアと呼んだ女性がメルザと呼んでいた、その本人が「海賊メルザに捕まらないように」と言ったことが合点のいかないハシムであった。
メルザは名残惜しそうに、最後までにハシムに視線を残そうとしたまま、アズミとファルアの方に向き直った。
「お前達も、素人さん相手にマジになるんじゃないよ!」
「す、すみません」
二人揃って頭を下げたアズミとファルアをそれ以上、責めることはせずに、メルザを先頭にして、悠々と店を出て行った。
お尋ね者であるにもかかわらず、メルザ達は堂々と大通りを並んで歩き出した。
「それよりお前達、奴の居所は掴めたのかい?」
「残念ながら、既に出航しているようです」
「また、逃げられたのかい?」
「申し訳ありません」
「お前達のせいじゃないさ」
しばらく無言で歩いた後、メルザは立ち止まった。
「私は、これから寄る所があるから、お前達は先に船に戻ってな」
「メルザ様、お一人でですか? どこに警察や軍の連中がいるか分かりませんよ」
「心配いらないよ」




