Scene:07 黒い狼(1)
「シャミル! シャミル! どうした?」
シャミルが気がつくと、目の前に、ベッドに横たわったまま心配そうにシャミルを見つめるキャミルの顔があった。
「キャ、キャミル……。キャミルなんだよね。生きているんだよね」
シャミルは、キャミルの両頬を両手で包み込みながら、震える声で訊いた。
「そうだよ。……怖い夢でも見たのか?」
キャミルは自分の両頬に置かれていたシャミルの手を自分の手で優しく包み込み、胸の前で合わせて両手で握りしめた。
「……夢?」
シャミルが辺りを見渡してみると、そこはデリング博士の娘の部屋で、二人は向き合ってベッドに横たわっていた。
「……良かった。キャミルがいてくれて」
シャミルは、思わずキャミルを抱きしめた。
「お、おい! シャミル、どうしたんだ、一体?」
「私を置いて行かないでください! もう私を一人にしないでください!」
「……シャミル」
シャミルは、しばらくキャミルを抱き締めて泣きじゃくった。
涙が枯れるほど泣いて、少し落ち着いたシャミルは、キャミルから少し体を離して、キャミルの顔を見た。
「ごめんなさい。すごく怖い夢を見て」
「私が、……死んでしまう夢か?」
「うん。……デリング博士とアリシアちゃんも」
「……そうか。それは酷い夢を見たな」
「夢だったのかな?」
「えっ」
「すごくリアルで、……そう、タイムスリップした前のような感覚です」
「……シャミル。辛いかもしれないが、その夢の内容を詳しく教えてくれないか」
「……はい」
シャミルとキャミルは上半身を起こすと、壁に背中を着けて、ベッドに並んで座った。
シャミルの話をしばらく黙って聴いていたキャミルは、険しい顔をしていた。
「その大男には、コト・クレールの不思議な力が効かなかったということか?」
「はい」
「その大男に見覚えは?」
「ありません」
「……シャミル。これは飽くまで私の推論だが、シャミルが見たことは本当のことだったのではないだろうか? つまり、リアルで起こったことだが、その時に生き残ったシャミルだけが、またタイムスリップして、この時間に戻って来たということだ」
「……そんな気もします。でも、……キャミルが傷つくところなんて、もう見たくないです!」
シャミルにとって、現実はもちろん、夢だったとしても、キャミルが死んでしまうシーンを見たことは相当なショックだった。
「シャミル、私なら大丈夫だ」
キャミルはそう言うと、右手でシャミルの肩を抱いた。
「キャミル」
「もし、その大男がまた現れたとしても、私は負けない。約束する。私はシャミルを一人にしたりはしない」
「約束ですよ、キャミル」
「ああ、誓うよ」
シャミルは涙ぐみながらも大きくうなづいた。
その頃には、窓の外は明るくなり始めていた。
「シャミルのお陰で早く目が覚めてしまったな。朝食の準備でもするか?」
「はい」
シャミルとキャミルは台所に行くと、素早く朝食を用意した。
デリング博士とアリシアが目覚めた時には、バターと蜂蜜がたっぷり掛かったトーストと、ベーコンエッグ、新鮮野菜のサラダ、生オレンジジュースとコーヒーという朝食がテーブルの上に並べられていた。
「お前さん方がずっといてくれたら、儂も楽ができるのにのう。ところで、お前さん方は今日はこれからどうするんじゃ?」
トーストを頬ばりながらデリング博士がシャミル達に訊いた。
「まだ日程的に余裕もあるので、もう一回、バルハラ遺跡に行ってみようかと思います」
「お前さん方も物好きじゃのう。儂も遺跡に行って調査をするつもりじゃったから、一緒に行くか?」
シャミルが「経験」した夢と同じデリング博士の台詞だった。
「デリングさん。今日は、お家でゆっくりされたらいかがですか?」
「いや、日々の絶え間ない積み重ねが大きな成果を生むのじゃ。家でゆっくりなんぞしておれん」
シャミルは、デリング博士を何とか遺跡に行かせないように仕向けたが、デリング博士は、うんとは言わなかった。
しかし、そこで引き下がったら、シャミルの「経験」した夢の再現となってしまう。
「デリングさん。デリングさんの講義をぜひ聴かせてほしいのですが」
シャミルは、デリング博士の自尊心をくすぐる作戦に出た。すぐにキャミルも助け船を出した。
「そうだな。学生の私達にとって、違う大学の先生の話をぜひ聴いてみたいものな」
「何の話をじゃ?」
「先生が昨日言われたことですよ」
「何じゃ、急に先生呼ばわりして、気持ち悪い奴らじゃの。……でも、まあ良かろう。特別にテラ大学名誉教授サミュエル・デリングの講義を聴かせてやろう」
「ありがとうございます」
コーヒーを飲みながら、居間のテーブルで小一時間ほど、デリング博士の特別授業を受けたシャミルとキャミルだったが、意外と話がうまくて退屈することはなかった。
「まあ、こんなもんじゃの。……おお、もうこんな時間か。ちょっと、お手洗いに行ってくるわい」
デリング博士が居間から出て行ったのを見計らったかのように、それまで大人しく絵本を読んでいたアリシアがシャミル達の側に寄って来た。
「ねえ、お姉ちゃん達、もう、お爺ちゃんのお話は終わったの?」
「えっ、ええ、そうね。そろそろかな」
「まだ、終わらないの? つまんないなあ」
「じゃあ、お爺様が帰って来るまで、ちょっとだけ遊ぼうか?」
「本当? 良いの?」
「うん。何をする?」
「じゃあね、尻取り!」
「良いわよ。キャミルもよ」
「わ、私もか?」
「三人でやる方が楽しいものね?」
「うん」
嬉しそうなアリシアの顔を見るとキャミルも断ることができずに、しばらく三人で尻取りをして遊んだ。
「デリングさん、遅いな?」
「そうですね?」
シャミルとキャミルは、トイレに行ってみたが、誰もいなかった。
玄関に行くと、小さなメモがピンで貼られていた。
『アリシアがあまりに楽しそうに遊んでいるので、お前さん方はそのままアリシアと遊んでやっておくれ。儂は調査に行って来る。お昼には帰るので、何か美味いものでも用意しておいてくれると助かる』
「キャミル!」
「ああ」
居間に舞い戻ったシャミルは、待ちかねていたアリシアに言った。
「アリシアちゃん。ちょっとお爺様を迎えに行ってくるから、お家で待っててくれる?」
「お爺ちゃんはどこに行ったの?」
「遺跡に行ったらしいの」
「アリシアも行く」
「アリシアちゃん、今、遺跡に怖い人がいるという噂を聞いたから迎えに行くんだよ。危ないから、アリシアちゃんは、鍵を掛けて家の中でじっとしてて」
「怖い人?」
「大丈夫。すぐに戻って来るから」
「分かった。アリシア、お留守番してる」
「アリシアちゃんは良い子だね。大好きだよ。帰ったら、また遊ぼうね」
「約束だよ」
「うん。約束する。お爺様と一緒にすぐに帰って来るから」
シャミルとキャミルは、遺跡に急いだ。
エペ・クレールとコト・クレールをそれぞれ手に持って、いつ襲われても良いように神経を研ぎ澄ましながら走った。
嫌な予感がした。シャミルが「経験」した夢が、過去の一つだとすれば、あの大男がまた現れる可能性は十分あるはずだ。
遺跡に入ったシャミルとキャミルはデリング博士を捜したが、どこにもいなかった。
用心をしながら、ピラミッド状建造物に近づいて行ったが、やはり、デリング博士の姿は見えなかった。
「調査と書いていたから、てっきり、この場所にいると思ったのですが」
「見渡す限り、デリングさんは見当たらないな」
「ええ」
シャミルは、「経験」した夢で、入口のような切れ目ができていた所に行ってみた。
「キャミル! これを見てください」
すぐ後をついて来たキャミルがシャミルの指差す先を見た。
「これは?」
「今朝の夢と一緒です。この切れ目が突然、開いて、大男が出て来るのです」
まさしく、その時、シャミル達の目の前に、ぽっかりと穴が開いた。
キャミルは、すぐに危険を察知して、シャミルの腕を掴んで、五メートルほど、後ずさりした。
夢と同じ大男がゆっくりとその穴から出て来た。
それと同時に、二人は手にしたエペ・クレールとコト・クレールがこれまでに無いほど震えているのが分かった。
「キャミル! コト・クレールが!」
「エペ・クレールもだ。これは一体?」
シャミルとキャミルに気づいた大男が大股で二人に近づいて来ると、鋭い眼光で二人を見下ろした。
「この盾がこれほど震えるのは初めてだ。貴様らは一体、何者だ?」
大男は、左の二の腕にはめている、中心に青い宝石のような石がはめ込まれている盾の形をした腕輪を右手でさするように触っていた。




