4話:誘拐
今回、ルナ視点です。
彼は、いや、あいつはわたしを探しには来ない。やるせなさと気恥ずかしさが入り混じって、溜め息ばかりが口から零れる。なんだか一気に老けたような気分で、道のりも曖昧にしながらわたしはあいつと行った街へと向かっていた。
「なんであいつはいっつもそうなのよっ!!」
胸に渦巻くもどかしさ。それがなんなのか、今のわたしにはまだわからないみたい。ただ、このモヤモヤをぶちまけたらあいつとは今のままじゃ居られないと思う。そんなわたしの気持ちとは反比例に、底抜けに明るい光が纏わりついて気分をより一層落ち込ませる。
「あれ、キミって昨日の悪魔っ子?」
俯いて歩くわたしに、人間の男が声を掛けた。一瞬、見ても誰だかわからなくてキョトンとする。
「ほら、昨日ちょっと喋ったじゃん」
あぁ、昨日の。思い出したと同時に、わたしに一つの想いが芽生えた。もしかすると、他のやつと遊んだらこの気持ちが紛れるんじゃないか、と。
「うん、覚えてるよ。……それより、今日は暇なの。遊ぼっ?」
「え? マジで?」
男の顔に喜びの色。好意を利用してちょっと罪悪感、それもすぐに消えて、ごめんね。ちょっと利用させてもらうから。心の中で呟いた。
まずは何処行こっか? 男が問う。
わたしはそれにどこでも、と答えた。
それからはあんまり覚えてない。彼が今年で18になること。チャラく見られるのがコンプレックスであること。それくらい。
気付けば日は暮れて、建物の真ん中を通り抜ける風は冷たく、もどかしさに悶えるわたしの頭を冷やした。
「今日は楽しかったよ。キミ、家はどこなの? 送ってくよ」
「いいの。自分で帰れるから」
よく気遣ってくれる人。それが男への唯一の印象。
男の気遣いは断ったけど、それでも食い下がってくるので顔を背ける。
一緒に思考も此処から離れて。わたしには男の声がぼやけて聴こえてた。
そのまま、暫く遠くを見ていたわたし。それは思わぬ形で終わった。彼の声が聴こえなくなったから。
「……なっ、なんでここに?」
気になって向けた視線の先に、男の姿はない。
変わりに、この世で一番見たくなかった顔。大きな翼と牙を見せて笑うその姿に、わたしは驚きのあまり心臓が止まるかと思った。
「知り合いの能力者に開けてもらったんだ。さぁ、帰るぞ」
目の前に居たのは言うことすら嫌悪する、認めてなくても立場は変わらないわたしの父親だった。
「なに言ってんの? わたしはあなたの世話になった覚えもない。今更、保護者面して指図しないで!」
そう、幼いわたしを育てたのはこの男ではない。
面倒を見てくれたのはソラと、そのお父さん。
この悪魔はわたしを捨てたのだ。抱えるだけの価値を見出さずに。
「まぁそう言うな。漸く養えるようになったんだ」
「……どういうことよ?」
「私をそれなりの地位に置いてくれるそうだ。お前を魔王様に差し出すことでな」
急になにを言うかと思えば、そういうことね。
どうやら、ちょっとは売れ出したわたしを受け渡して、自分は王に取り入ろうという魂胆のようだ。ソラのお父さんはそんなことしない。だとすれば、しつこくソラを始末しようとしてた隣国の王かな。それ以外は力がないらしいから多分そう。それに、わたしの記憶が正しければそこの王は醜い容姿で有名で。とにかく、絶対ヤだ。
「そんな事、勝手に決めないで。わたしはここに残るの」
「まぁ、そう言うと思ってな。お前の護衛が離れるこの時を待たせてもらった」
「--っ!!」
そうだ。どうしようもなく迂闊だった。勢いに任せてソラに行き先を告げてない。それどころか着いてこないで、とまで言ってしまってる。わたしは悔しさから唇を噛んだ。
--と、悪魔が噴き出すようにして笑う。
「やっぱりな。言ってみるものだ。護衛が来ないことは、なによりお前の表情が物語っている」
知らずに適当に言ったのか、と気付いた時には遅かった。これでは、ソラは来ないと自分で言ってしまったようなものだ。
「……相変わらず狡いわね。でも、それだけが取り柄のあなたにわたしを捕まえられるの?」
今のわたしに精一杯の威勢。勿論、逃げ切れる保証なんかない。寧ろ、捕まる可能性の方が高い。なんとか引き延ばせばソラが来てくれるかも。悔しいけど、わたしはその可能性に縋るしかなかった。
「なにも考えてないと思ったのか? 巡って来たのし上がるチャンス、逃す手はない。--出て来い!!」
わたしの希望は悉く潰えていた。何故なら、建物の陰や茂みの中から別の悪魔が出て来たから。最初から用意周到に塞がれていたのだ。わたしの逃げ道は。
「おぉっ、本物じゃないかっ!」
「い、何時も見てました。ササ、サイン下さい」
狼のような体毛を生やした狼人種、息も荒くでっぷりと肥えた豚のような……なんだろう、コレ。き、気持ち悪い。総勢で十数人。それらがわたしを囲んだ。目を色欲に狂わせて。
「な、なにするの……?」
「なぁに、傷付けたりはしないさ。魔王様への献上品だからな」
「く……ぅ」
理性がこんなに邪魔だとは思わなかった。睨み付けることしか出来ない。それも虚勢。恐怖に竦む足は動く気配すらなくて。小さく、微かに震えるばかり。
「--やれ」
「ちょっ! なっ、なにするの!? わたしに触らな--むぐっ!?」
遂に悪魔の一言がわたしを捕らえた。囲まれて逃げ場はなく、死角から伸びる手にわたしは抗えない。振り払うように振り回した腕は他の誰かに掴まれて、抵抗する口には布を放り込まれた。
華のようなほんのり甘い香りが鼻孔をくすぐる。
なんだろう。この匂いは--
わたしの意識はそこで途切れた。
「連れて行け。早急にだ。幾ら伝説の悪魔とは言え、単身で敵国に乗り込んでは来ないだろうからな」
暗い闇の中で、わたしは手を伸ばす。夢か現か、目の前に見える一人の悪魔に。今となっては、わたしの心の内で一番大きくなってしまっているその存在へと--
意志と逆にほのぼのからどんどん離れて行くような……。