表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

相模勇弥、28歳、勇者である。

作者: ネルソラ
掲載日:2026/03/04

 相模勇弥(さがみゆうや)、28歳、勇者である。

 幼き頃より、世界に平和をもたらす勇者に(あこが)れていた。

 そして、忘れもしない16歳のある日、夢の中で啓示(けいじ)があったのである。

 お前は、勇者だと。

 夢の中でおぼろげだったので、少ししゃがれた老人のような声だったこと以外、何も覚えていない。

 しかし、間違いなく私は、勇者だと言われたのだ。

 その時、私は歓喜(かんき)(うず)に巻き込まれ、ベッドから転げ落ちた。

 身体をいささか打ったが、その痛みすら、勇者という啓示(けいじ)の前では、心地よくすら感じていた。

 そうか、私は、勇者なのだ。

 その日から、私は勇者として相応しい存在となるべく、鍛錬を続けている。


 まず、最初に断っておかねばならない。

 この世界には、ドラゴンのようなモンスターも居なければ、エルフも存在しない。

 存在するのは、ある意味、モンスターよりも怖い人間。

 そう、この社会には、人間しか存在しないのだ。

 現在は、西暦2026年。

 現代である。

 なうである。

 当然ながら、勇者の啓示を受けたのは、2014年である。

 ファンタジー世界のような中世ヨーロッパ的な世界ではないのだ。

 多くの人間は、その現実に打ちのめされる。

 しかし、私は絶望しなかった。

 なぜなら、私は勇者だからだ。

 勇者の本質とは何か?

 私は知っている。

 勇者の本質とは、勇気を持って戦う者。

 希望を持ち続ける者である。

 その点において、私は他者を圧倒的に凌駕(りょうが)している自負がある。

 どのようなことが起きようとも、勇気を持って前に進み、希望を捨てない人間、それが勇者。

 絶望などするはずがないのだ。

 つまり、現在の世界に絶望していない私は、やはり勇者であることは間違いないのである。


 この世界というのは、あまりにも勇者に対して厳しい。

 まず、魔王が存在しない。

 勇者と言えば、魔王を討伐するのが定番である。

 しかし、存在しないものは討伐できない。

 この問題は、私に大きくのしかかったように思えた。

 ところがである。

 よくよく考えてみれば、魔王討伐後の世界を描いたファンタジー物語だってあることに気づく。そうなのだ。

 今、この世界は、魔王討伐後だったのである。

 稲妻が走った。

 もっと言えば、魔王は大概復活するものである。

 だから、この先、おそらく魔王が復活するだろう。

 私が勇者の啓示を受けたということは、そういうことなのだ。

 魔王復活は間違いない。

 実際に、世界中には世紀末に関する記述が存在する。

 きっとそのどれかが本物で、魔王が復活し、世界を恐怖のどん底に落とすのだ。

 私は確信した。

 そして、私は勇者の資質を高めるべく、日々、鍛錬を欠かさないことにしたのである。


 次に、発生した問題は、魔法の存在。

 ファンタジー世界と言えば魔法、魔法といえばファンタジーだ。

 しかし、この世界では、どんなに詠唱をしても、炎も出なければ、氷も出ない。

 当たり前である。

 さて、困ったと思った時に、ある言葉に出会った。

 イギリスのSF作家アーサー・C・クラークが提唱したクラークの三法則である。

 その第三法則に、「十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない。」とあったのだ。

 またしても私は稲妻にうち抜かれた。

 そうなのだ、すでに魔法は存在していたのである。

 詠唱することで炎を出すことはできないが、ライターを使えば、詠唱しなくても火をつけることが可能だ。

 ガスバーナーを使えば、燃料が許す限り、炎を出し続けることができてしまう。

 詠唱不要。

 さらに、精神的なエネルギー、いわゆるMPを必要としない。

 そうか、魔法とは科学だったのだ。

 それに気づいた時、私は科学を学ぶべきだと判断し、大学の進路は理系の大学に決めた。

 科学を学ぶこととは、魔法を学ぶことと一緒なのだ。


 次の問題は、戦闘技能である。

 魔王が復活するということは、ほぼ間違いなく、その手先となるモンスターも復活するはずだ。

 そのようなモンスターと戦う技術が必要と考えたのである。

 ファンタジーの定番と言えば剣。

 しかし、恐ろしいことに、日本という国では、銃砲・刀剣類の所持が原則、禁止になっている。

 勇者を目指す者にとっては、これは大きな壁であった。

 当然ながら、刀を使った道場というのが存在する。

 しかし、そもそも刀剣類の所持が禁止なのだ。

 いざ、モンスターが登場した時に、ちょっとタンマ! と言って、刀を道場へ取りに行くことはできないだろう。

 また、日本には伝統的スポーツとして、剣道が存在する。

 私自身、小学生から中学生の頃は、剣道部であった。

 万年補欠であったが、それでも、素人よりは剣の扱いに慣れていると言える。

 だが、剣道で使うのは竹刀だ。

 木刀を使った型も存在するが、試合で木刀を使うことはない。

 これには、いささか不安を覚えた。

 竹刀でモンスターと戦うことができるのか?


 私は、絶望しかけた。あくまでしかけただけで絶望はしてない。

 なぜなら、勇者は絶望しないからである。

 そんな時、私の目に飛び込んできたのが、牛殺しの文字。

 極真会館創始者 故大山倍達である。

 そうか、人は素手で牛を倒せるのだ。

 そして、熊と戦った人間も存在する。

 そもそもである。

 慣れ親しんできたRPGの世界では、武闘家やモンクという素手で戦う職業があるではないか。

 私は再び稲妻にうたれた。

 素手で戦う技術があれば、剣が無くても良いではないか。

 私は、迷わず近くの空手道場へ入門した。

 科学という魔法、そして空手という武器を手にした瞬間である。


 そんなこんなで、勇者である私は、科学について学び、そして空手で身体を鍛えつつ、大学へ進学することになる。

 この時に、大いなる挫折があった。

 第一志望の大学に受からなかったのである。

 不合格だと分かった時は、流石に打ちひしがれた。

 そもそもD 判定だっただが、勇者である私が、大学受験に失敗するとは思っていなかったのである。

 断っておくが、絶望はしていない。

 あくまで、ちょっとだけ、心が折れかけただけである。

 折れてはいない。

 なぜなら、私は勇者だからだ。

 そもそも受験そっちのけで、科学に関する本を読み、空手の道場に通っていたのである。

 当時、親はとても心配していたが、私は断言した。

 父さん、母さん、僕はね、勇者なんだ、だから大丈夫、と。

 当初は、両親とも怪訝な顔をしていたが、私が譲らなかったため、理解を示してくれたのか、ある時期から何も言わなくなった。

 これも勇者パワーのなせる技だと当時は思っていたが、今思えば、かなり寛容な親だったと思う。

 今、こうして勇者をやっていられるのも、両親のおかげだ。

 感謝しかない。


 なぜ、大学受験がうまくいかなかったのか?

 私は、滑り止めの大学に入ってから、そのことを自問し続けていた。

 つまり、勇者とはどのような存在なのか? ということだ。

 まず、能力の面について考えてみた。

 勇者とは、すべてのステータスの値が最高なのだろうか?

 いや、違う。

 勇者のステータスは、どれも平均よりもちょっと高いぐらいが普通だろう。

 例えば、戦士は、勇者よりも力が強い。

 もっと言えば、特定のステータスが高い人間は、例えば、オリンピック選手であったり、一流大学に合格するような人間のことだ。

 これが意味するのは、勇者は一流大学に入れないということなのである。

 一流大学というのは、いわゆる賢者とか、魔法使いとか、そういう職業の人間が入る場所と言えよう。

 私が一流大学に受からなかったのは、当然の結果なのだ。

 私が剣道をしていた頃は、万年補欠だったし、空手の大会でも優勝はしていない。

 調子が良かった時に、3回程度、トーナメントを勝ち上がった程度である。

 そうなのだ。

 むしろ、そのような結果しか出せなくて良かったのである。

 もし、空手で才能が開花してしまっていたら、私は勇者ではなく、武闘家やモンクになってしまっていたのだ。

 まさに僥倖である。

 ちなみに、僥倖とは、偶然得た幸運という意味だ。

 本当に幸運だった。

 というか、特定の能力に秀でていなくて良かったと思う。

 そしてそれは、やはり私は勇者適正が高く、勇者であったことの裏返しでもあると言える。


 ついでだから、ここに告白しておくが、高校時代に科学の勉強をしていたというのは、嘘ではないが、正しくはない。

 なぜなら、ちゃんと理解はできていなかったからだ。

 それは大学での成績にも現れている。

 A判定のものもあったが、当然、BやC判定もあった。

 ずっと勉強をしてきたのもあって、一般的な人よりも知識はあるが、流石に専門分野となると、私の理解が及ばないものがいろいろとある。

 一番わかり易い例は、量子力学だ。

 かのアインシュタインは言った。

「神はサイコロを振らない」と。

 この言葉は、この世界の物事は、全て因果関係や法則によって成り立っていて、サイコロのように確率で決まらないという意味である。

 しかし、量子の世界は違った。

 そして、それが今はスタンダードなのだ。

 頭では理解できても、未だにそれを実感というか、腑に落ちてはいない。

 もちろん、相対性理論についても、ちゃんと理解はできているわけではないことを付記しておく。

 そんなわけで、この世界には、私では理解しにくい事象があることがわかった。

 だが、それは当然なのだ。

 そういう難しいことを理解し、追求していくのは、いわゆる研究者という職業である。

 ファンタジーの世界でも、魔法を研究している人間が登場するのと一緒。

 そして、研究者は、勇者ではないのだ。

 私は勇者だから、理解できなくて当然なのである。


 私は無事大学を卒業し、名前はあまり知られていないが、IT系の会社に就職することになった。

 一部上場企業とか、名前が一般的に知られている会社に面接にも行ったのだが、受からなかったのである。

 しかし、これもよくよく考えてみると当たり前のことだ。

 一部上場企業や大企業というのは、言ってしまえば、名門王侯貴族的な組織である。

 私が知っている限り、勇者は、名門王侯貴族ではない。

 だいたいポッと出の人間である。

 むしろ、王侯貴族から依頼を受けて、魔王を討伐するのが勇者。

 だから、大企業からの依頼を受けて、仕事をする私は、やはり勇者なのだろうと思う。

 私は、最初に入った会社で、寝る間も惜しんでバリバリと働いた。

 危うく勇者であることを忘れそうになるほどに。

 高校時代から、空手をやっていたことで、体力には自信があり、多少無理な働き方をしても、身体を壊すことは無かった。

 当初はあまり詳しく無かったITに関する勉強についても、地道に進めることができた。

 これは高校時代から、魔法、もとい、科学の本を読んでいて、読書という習慣があったからだろう。

 そして、ついに私は、今の会社でパーティー、もとい、チームのリーダーに抜擢されることなった。

 リーダー!

 魔王を倒すために、パーティーを引っ張っていくのが勇者。

 リーダーとは、まさにチームを引っ張っていく存在であり、勇者とやっていることは一緒ではないか。

 この時、私は思ったのである。

 ついに、私は勇者になれたと。


 チームリーダーになったのは、2年前で、私は現在もリーダーをしている。

 まだ、魔王が復活する気配はない。

 ただ、世界情勢が不安定になっていることを、日々、感じている。

 私は考えた。

 そもそも勇者とは、何を達成する人間なのか? と。

 もっと具体的に言えば、勇者の目的とは何なのか? ということだ。

 魔王を倒すのが勇者の目的なのだろうか?

 違う。

 勇者の目的は、世界に平和を取り戻すことだ。

 魔王を倒したからと言って、犯罪が横行していたり、弱い者たちが虐げられているのが当たり前だったら、意味がない。

 もう何度目かわからないが、稲妻が私の全身を駆け巡った。

 私が勇者であるならば、リーダーという存在に甘んじていてはいけないのだ。

 皆が平和に暮らせる世界を目指す。

 それが、今、私の勇者としての目的である。

 平和な世界を築くのは、とても難しいだろう。

 現実的ではない、無理だという意見もあろう。

 確かに、世界情勢は、かなり不安定になっている。

 あまりにも様々な事情が絡み合いすぎて、まさにスパゲッティコード。

 中小企業で働く、いちリーダーの私の力では、国を動かすのは難しいし、私の声など届かないかもしれない。

 だからと言って、絶望することはない。

 なぜなら、私は勇者だからだ。


 了


 ・参考資料

 クラークの三法則 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%B8%89%E6%B3%95%E5%89%87

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ