相模勇弥、28歳、勇者である。
相模勇弥、28歳、勇者である。
幼き頃より、世界に平和をもたらす勇者に憧れていた。
そして、忘れもしない16歳のある日、夢の中で啓示があったのである。
お前は、勇者だと。
夢の中でおぼろげだったので、少ししゃがれた老人のような声だったこと以外、何も覚えていない。
しかし、間違いなく私は、勇者だと言われたのだ。
その時、私は歓喜の渦に巻き込まれ、ベッドから転げ落ちた。
身体をいささか打ったが、その痛みすら、勇者という啓示の前では、心地よくすら感じていた。
そうか、私は、勇者なのだ。
その日から、私は勇者として相応しい存在となるべく、鍛錬を続けている。
まず、最初に断っておかねばならない。
この世界には、ドラゴンのようなモンスターも居なければ、エルフも存在しない。
存在するのは、ある意味、モンスターよりも怖い人間。
そう、この社会には、人間しか存在しないのだ。
現在は、西暦2026年。
現代である。
なうである。
当然ながら、勇者の啓示を受けたのは、2014年である。
ファンタジー世界のような中世ヨーロッパ的な世界ではないのだ。
多くの人間は、その現実に打ちのめされる。
しかし、私は絶望しなかった。
なぜなら、私は勇者だからだ。
勇者の本質とは何か?
私は知っている。
勇者の本質とは、勇気を持って戦う者。
希望を持ち続ける者である。
その点において、私は他者を圧倒的に凌駕している自負がある。
どのようなことが起きようとも、勇気を持って前に進み、希望を捨てない人間、それが勇者。
絶望などするはずがないのだ。
つまり、現在の世界に絶望していない私は、やはり勇者であることは間違いないのである。
この世界というのは、あまりにも勇者に対して厳しい。
まず、魔王が存在しない。
勇者と言えば、魔王を討伐するのが定番である。
しかし、存在しないものは討伐できない。
この問題は、私に大きくのしかかったように思えた。
ところがである。
よくよく考えてみれば、魔王討伐後の世界を描いたファンタジー物語だってあることに気づく。そうなのだ。
今、この世界は、魔王討伐後だったのである。
稲妻が走った。
もっと言えば、魔王は大概復活するものである。
だから、この先、おそらく魔王が復活するだろう。
私が勇者の啓示を受けたということは、そういうことなのだ。
魔王復活は間違いない。
実際に、世界中には世紀末に関する記述が存在する。
きっとそのどれかが本物で、魔王が復活し、世界を恐怖のどん底に落とすのだ。
私は確信した。
そして、私は勇者の資質を高めるべく、日々、鍛錬を欠かさないことにしたのである。
次に、発生した問題は、魔法の存在。
ファンタジー世界と言えば魔法、魔法といえばファンタジーだ。
しかし、この世界では、どんなに詠唱をしても、炎も出なければ、氷も出ない。
当たり前である。
さて、困ったと思った時に、ある言葉に出会った。
イギリスのSF作家アーサー・C・クラークが提唱したクラークの三法則である。
その第三法則に、「十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない。」とあったのだ。
またしても私は稲妻にうち抜かれた。
そうなのだ、すでに魔法は存在していたのである。
詠唱することで炎を出すことはできないが、ライターを使えば、詠唱しなくても火をつけることが可能だ。
ガスバーナーを使えば、燃料が許す限り、炎を出し続けることができてしまう。
詠唱不要。
さらに、精神的なエネルギー、いわゆるMPを必要としない。
そうか、魔法とは科学だったのだ。
それに気づいた時、私は科学を学ぶべきだと判断し、大学の進路は理系の大学に決めた。
科学を学ぶこととは、魔法を学ぶことと一緒なのだ。
次の問題は、戦闘技能である。
魔王が復活するということは、ほぼ間違いなく、その手先となるモンスターも復活するはずだ。
そのようなモンスターと戦う技術が必要と考えたのである。
ファンタジーの定番と言えば剣。
しかし、恐ろしいことに、日本という国では、銃砲・刀剣類の所持が原則、禁止になっている。
勇者を目指す者にとっては、これは大きな壁であった。
当然ながら、刀を使った道場というのが存在する。
しかし、そもそも刀剣類の所持が禁止なのだ。
いざ、モンスターが登場した時に、ちょっとタンマ! と言って、刀を道場へ取りに行くことはできないだろう。
また、日本には伝統的スポーツとして、剣道が存在する。
私自身、小学生から中学生の頃は、剣道部であった。
万年補欠であったが、それでも、素人よりは剣の扱いに慣れていると言える。
だが、剣道で使うのは竹刀だ。
木刀を使った型も存在するが、試合で木刀を使うことはない。
これには、いささか不安を覚えた。
竹刀でモンスターと戦うことができるのか?
私は、絶望しかけた。あくまでしかけただけで絶望はしてない。
なぜなら、勇者は絶望しないからである。
そんな時、私の目に飛び込んできたのが、牛殺しの文字。
極真会館創始者 故大山倍達である。
そうか、人は素手で牛を倒せるのだ。
そして、熊と戦った人間も存在する。
そもそもである。
慣れ親しんできたRPGの世界では、武闘家やモンクという素手で戦う職業があるではないか。
私は再び稲妻にうたれた。
素手で戦う技術があれば、剣が無くても良いではないか。
私は、迷わず近くの空手道場へ入門した。
科学という魔法、そして空手という武器を手にした瞬間である。
そんなこんなで、勇者である私は、科学について学び、そして空手で身体を鍛えつつ、大学へ進学することになる。
この時に、大いなる挫折があった。
第一志望の大学に受からなかったのである。
不合格だと分かった時は、流石に打ちひしがれた。
そもそもD 判定だっただが、勇者である私が、大学受験に失敗するとは思っていなかったのである。
断っておくが、絶望はしていない。
あくまで、ちょっとだけ、心が折れかけただけである。
折れてはいない。
なぜなら、私は勇者だからだ。
そもそも受験そっちのけで、科学に関する本を読み、空手の道場に通っていたのである。
当時、親はとても心配していたが、私は断言した。
父さん、母さん、僕はね、勇者なんだ、だから大丈夫、と。
当初は、両親とも怪訝な顔をしていたが、私が譲らなかったため、理解を示してくれたのか、ある時期から何も言わなくなった。
これも勇者パワーのなせる技だと当時は思っていたが、今思えば、かなり寛容な親だったと思う。
今、こうして勇者をやっていられるのも、両親のおかげだ。
感謝しかない。
なぜ、大学受験がうまくいかなかったのか?
私は、滑り止めの大学に入ってから、そのことを自問し続けていた。
つまり、勇者とはどのような存在なのか? ということだ。
まず、能力の面について考えてみた。
勇者とは、すべてのステータスの値が最高なのだろうか?
いや、違う。
勇者のステータスは、どれも平均よりもちょっと高いぐらいが普通だろう。
例えば、戦士は、勇者よりも力が強い。
もっと言えば、特定のステータスが高い人間は、例えば、オリンピック選手であったり、一流大学に合格するような人間のことだ。
これが意味するのは、勇者は一流大学に入れないということなのである。
一流大学というのは、いわゆる賢者とか、魔法使いとか、そういう職業の人間が入る場所と言えよう。
私が一流大学に受からなかったのは、当然の結果なのだ。
私が剣道をしていた頃は、万年補欠だったし、空手の大会でも優勝はしていない。
調子が良かった時に、3回程度、トーナメントを勝ち上がった程度である。
そうなのだ。
むしろ、そのような結果しか出せなくて良かったのである。
もし、空手で才能が開花してしまっていたら、私は勇者ではなく、武闘家やモンクになってしまっていたのだ。
まさに僥倖である。
ちなみに、僥倖とは、偶然得た幸運という意味だ。
本当に幸運だった。
というか、特定の能力に秀でていなくて良かったと思う。
そしてそれは、やはり私は勇者適正が高く、勇者であったことの裏返しでもあると言える。
ついでだから、ここに告白しておくが、高校時代に科学の勉強をしていたというのは、嘘ではないが、正しくはない。
なぜなら、ちゃんと理解はできていなかったからだ。
それは大学での成績にも現れている。
A判定のものもあったが、当然、BやC判定もあった。
ずっと勉強をしてきたのもあって、一般的な人よりも知識はあるが、流石に専門分野となると、私の理解が及ばないものがいろいろとある。
一番わかり易い例は、量子力学だ。
かのアインシュタインは言った。
「神はサイコロを振らない」と。
この言葉は、この世界の物事は、全て因果関係や法則によって成り立っていて、サイコロのように確率で決まらないという意味である。
しかし、量子の世界は違った。
そして、それが今はスタンダードなのだ。
頭では理解できても、未だにそれを実感というか、腑に落ちてはいない。
もちろん、相対性理論についても、ちゃんと理解はできているわけではないことを付記しておく。
そんなわけで、この世界には、私では理解しにくい事象があることがわかった。
だが、それは当然なのだ。
そういう難しいことを理解し、追求していくのは、いわゆる研究者という職業である。
ファンタジーの世界でも、魔法を研究している人間が登場するのと一緒。
そして、研究者は、勇者ではないのだ。
私は勇者だから、理解できなくて当然なのである。
私は無事大学を卒業し、名前はあまり知られていないが、IT系の会社に就職することになった。
一部上場企業とか、名前が一般的に知られている会社に面接にも行ったのだが、受からなかったのである。
しかし、これもよくよく考えてみると当たり前のことだ。
一部上場企業や大企業というのは、言ってしまえば、名門王侯貴族的な組織である。
私が知っている限り、勇者は、名門王侯貴族ではない。
だいたいポッと出の人間である。
むしろ、王侯貴族から依頼を受けて、魔王を討伐するのが勇者。
だから、大企業からの依頼を受けて、仕事をする私は、やはり勇者なのだろうと思う。
私は、最初に入った会社で、寝る間も惜しんでバリバリと働いた。
危うく勇者であることを忘れそうになるほどに。
高校時代から、空手をやっていたことで、体力には自信があり、多少無理な働き方をしても、身体を壊すことは無かった。
当初はあまり詳しく無かったITに関する勉強についても、地道に進めることができた。
これは高校時代から、魔法、もとい、科学の本を読んでいて、読書という習慣があったからだろう。
そして、ついに私は、今の会社でパーティー、もとい、チームのリーダーに抜擢されることなった。
リーダー!
魔王を倒すために、パーティーを引っ張っていくのが勇者。
リーダーとは、まさにチームを引っ張っていく存在であり、勇者とやっていることは一緒ではないか。
この時、私は思ったのである。
ついに、私は勇者になれたと。
チームリーダーになったのは、2年前で、私は現在もリーダーをしている。
まだ、魔王が復活する気配はない。
ただ、世界情勢が不安定になっていることを、日々、感じている。
私は考えた。
そもそも勇者とは、何を達成する人間なのか? と。
もっと具体的に言えば、勇者の目的とは何なのか? ということだ。
魔王を倒すのが勇者の目的なのだろうか?
違う。
勇者の目的は、世界に平和を取り戻すことだ。
魔王を倒したからと言って、犯罪が横行していたり、弱い者たちが虐げられているのが当たり前だったら、意味がない。
もう何度目かわからないが、稲妻が私の全身を駆け巡った。
私が勇者であるならば、リーダーという存在に甘んじていてはいけないのだ。
皆が平和に暮らせる世界を目指す。
それが、今、私の勇者としての目的である。
平和な世界を築くのは、とても難しいだろう。
現実的ではない、無理だという意見もあろう。
確かに、世界情勢は、かなり不安定になっている。
あまりにも様々な事情が絡み合いすぎて、まさにスパゲッティコード。
中小企業で働く、いちリーダーの私の力では、国を動かすのは難しいし、私の声など届かないかもしれない。
だからと言って、絶望することはない。
なぜなら、私は勇者だからだ。
了
・参考資料
クラークの三法則 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%B8%89%E6%B3%95%E5%89%87




