4. 弱いということは、学ぶ理由があるということ
生まれたときから、俺は周りのゴブリンよりも頭が良いと理解していた。
──理解“できて”しまった、と言うべきかもしれない。
群れの連中は、食えば笑い、眠れば忘れる。
空腹のときは喧嘩をし、満たされれば何も考えずに寝転ぶ。
だが俺は違った。
獲物がいない日は「なぜいないのか」と考え、寒い夜には「なぜ凍えるのか」を考えた。
何より、この“弱い種族”をどうすれば生かせるか、いつも考えていた。
ゴブリンは寒暖に強く、繁殖力も高い。
だから世界のどこにでもいる。
だが狼のような牙も、熊のような腕力も、オークのような巨体もない。
リザードマンのような硬い鱗も持たず、ウェアウルフのような毛皮もない。
罠を張る知恵もなく、狩りよりも拾い食いが日常。
ゴブリンはいつだって“食われる側”の生き物だ。
──俺は違う。
現状を理解できる。
打開策を考えられる。
この頭脳があれば、もっと上に行ける。
もっと、この種を“生かす”ことができる。
そう信じていた。
◆
まずは生き残らなければ話にならない。
生き残るためには、力がいる。
力は牙や筋ばかりじゃない。
知恵も力だ。
まず俺は武器と防具を整えることから始めた。
これまでの武器と言えば、そこらの石か木の棒。
それを振り回しては獣に返り討ちに遭う、それが日常だった。
だが俺は石を割り、鋭く研ぎ、木の棒に括り付けた。
木の棒ではなく、“槍”という形に仕立てた。
防具は樹皮を何枚も剥ぎ、穴を開けて草縄で繫ぎ、胸当てにした。
動きは鈍るが、牙や爪の一撃を一度は防げる。
俺の奇行に、最初はみんな笑った。
「なんだそれ。リク、木、着てる」
「木の実、生えるのか? ガハッ」
”石遊びのリク”と呼ばれ、鼻で笑われた。
それでも、俺はやめなかった。
次に取りかかったのは罠だった。
狩場の縁に小さな穴を掘り、葉で覆い、薄く土をかける。
別の日には、樹皮を裂いて糸にし、編んで網にする。
鳥の通り道に網を仕掛けた。
足が遅く力が弱いなら、先に道を選んで待てばいい──それが罠というものだ。
最初の数日は、成果などなかった。
だが三日目、罠にかかった鳥の首をねじり取ったとき、俺は震えた。
五日目には、穴に野兎が落ちた。
七日目の朝、樹皮の胸当てをつけた俺は、槍で子猪を突き、腹を裂いて肝を焚き火で炙った。
脂が跳ね、匂いが巣穴に満ちる。
嗤いはそこで止んだ。
鳴き声が変わり、唾を飲む音になった。
「リク、肉。どうした?」
罠から戻った俺を、仲間の一匹が首を傾げながら見た。
「落ちた。鳥、落ちた。俺、作った」
「作った?」
理解できていない顔。
だが肉の匂いには敏感だ。
「お前、次、掘れ」
その日から真似をする者が少しずつ出た。
結果は半分成功、半分失敗。
鳥を捕獲する罠はそれなりに機能した。
妊娠中のメスでも作れるのが大きい。
鳥が引っかかり、肉は日に日に増えた。
一方で落とし穴は、うまくいかなかった。
自分で仕掛け、自分で落ちる阿呆が続出したからだ。
俺は頭を抱え、穴の縁に枝を立てる目印の意味を、何度も何度も説明した。
「ここに棒。これが“危ない”。見えたら避ける」
「避ける、避ける。……ズボッ」
「避けろと言っただろうが!!」
防具は当たりだった。
牙や爪を完全に防げずとも、傷を浅くする。
浅い傷なら走って逃げられる。
逃げられれば死なない。
死ななければ学べる。
最初は拒否反応を示す者が多かった。
「重い」「動けない」と文句を言う。
だが、ある日熊に襲われたゴブリンが、胸当てのおかげで命拾いしたことで、状況が変わった。
その夜、焚き火の前で仲間たちは俺の作った防具を取り合っていた。
「リクの皮!」「俺の!」「貸せ!」と喚き散らしながら。
滑稽だが、嬉しかった。
“知恵”が命を救った瞬間だった。
武器を与えることには、躊躇があった。
急に得た力を振りかざし、仲間を傷つけるバカが出るかもしれないからだ。
それでも俺一匹の狩りには限界がある。
俺は言うことを聞く、少しは考えられる連中を選んだ。
彼らは俺の指示を守り、狩りを行い、初めて“鹿”を仕留めた。
その夜の肉は多かった。
脂が滴り、目が輝き、歯が忙しく動いた。
その日、肉の焼ける匂いとともに、俺は“長”としての地位を得た。
「リク、強い」「リク、賢い」「リク、群れの頭」
仲間たちは口々に叫んだ。
焚き火に照らされた顔に、“生きよう”とする意志が灯っていた。
◆
季節が一巡する頃、死者は減り、元の繁殖力もあって、群れは爆発的に増えた。
洞窟の中ではもう手狭だ。
外にも住まいを作る必要がある。
最初は木枠を組み、草を掛けただけの粗末な小屋だった。
寒暖には強い種だ。
雨風さえ防げれば十分だった。
だが数が増えるにつれ、もっと頑丈で広いものが必要になった。
俺は木を切り倒し、何本も並べて組み合わせた。
樹液を塗り、乾かして固定し、横木を渡す。
昼も夜も休まず作業を続け、ようやく“家”が建った。
その瞬間、俺の目から涙が零れた。
この大きな家が必要になるくらい、俺たちは生き延びたんだ。
火を囲み、雨を凌ぎ、風を避け、群れが寄り添って眠る。
小さな子らが笑いながら泥の上を走り回る。
──この光景を、俺は何度夢見ただろう。
住処が増えれば、見張りも要る。
見張り台を作り、昼と夜の番を決めた。
食い物を“みんなのために”分ける桶を置き、干し肉を作る場所を決めた。
火の周りに輪ができ、輪の中で物語が始まった。
今日は鹿を倒した。
あの谷には大きな熊がいる。
川の向こうの草は苦いが腹が膨れる──そんな事実の列が、いつしか言葉の連なりになった。
子らは耳を立て、目を丸くし、言葉を飲み込んだ。
知らなかったはずの昨日が、火の上で温め直され、明日の糧になっていく。
──俺たちは弱者の象徴だった。
だが今、俺たちは生きるために“作ること”を覚えた。
それは、他のどんな獣も持たぬ力だ。
俺の胸の中で、熱い何かが燃え上がっていた。
知恵の炎。
文明の火種。
これがあれば、ゴブリンはこの世界で生きていける。
そう、確信していた。
◆
だが問題もあった。
俺が死ねば、全てが途絶える。
だから、教育を始めた。
狩りの仕方、罠の作り方、木を組む方法。
火の扱い、食糧の保存、群れの指揮。
夜には焚き火の前で語りかける。
「お前たちは、もっと考えろ。
やり方を真似るだけでは、その先はないぞ。
考えること、それが強さだ」
だが、仲間たちは首を傾げるばかりだった。
「考える? どうやる?」
「考えるって……食える?」
答えを求めるその瞳に、理屈は通じなかった。
彼らは覚える。
だが、“理解”しない。
火を扱えるが、なぜ燃えるのか疑問を持たない。
罠を仕掛けられるが、なぜ獲物が罠に引っかかるのか考えない。
俺がいなければ、やがて全てを忘れてしまうだろう。
焚き火の炎を見つめながら、俺は拳を握った。
木が燃える音が、やけに悲しかった。
「どうして……どうしてお前たちは、考えようとしない……」
夜風が吹き抜ける。
群れの笑い声が遠く聞こえる。
俺だけが、火を見つめ、言葉を失っていた。
俺は不安になっていた。
この世界の中で、“考えるゴブリン”は俺一人しかいないのではないかと。
だが、俺は歩みを止めない。
考えることをやめた瞬間、俺はただの獣に戻る。
俺は”ゴブリン”を獣ではなく、その先の”何か”にしたい。
火の明かりが揺らめく。
群れの子らが眠る小屋の屋根に、雪が静かに積もっていく。
凍てつく夜空を見上げると、雲の切れ間から星が瞬いていた。
◆
──みんなが寝静まったある夜、遠くの闇の中に、紫色の光が揺れた。
俺はその光に目を細め、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「……あれは、何だ?」
俺は槍を掴み、光の下へ吸い寄せられるように歩き出した。
足裏の雪は凍って硬く、踏むたびに薄い氷膜が小さく悲鳴を上げる。
本来なら仲間を起こし、数匹で確認に行くべきだ。
けれど、声を出せばこの“何か”が遠ざかる気がして、俺は黙っていた。
暗闇の真ん中に、輝く板がひとつ。
周囲に動く影はない。
風すら息を潜めている。
俺は板を注意深く観察した。
板は木製で、三方を木枠が囲んでいる。
そして表面に何か模様が浮かんでいた。
何故かその”読み方”が理解できる。
『スキルショップ ~不要なスキル、買い取ります。必要なスキル、お売りします~』
スキルショップ?
その後に続く模様も、読み方は分かるが意味までは分からない。
罠か。
壊すべきか。
いや、壊していいものか。
思考の歯車が空転する。
逡巡の間に、板が音もなく横へ滑った。
元いた場所から露わになったのは、目を刺すほどの白い光。
雪がその光に温められて、ほのかに夜の水の匂いを立ちのぼらせる。
俺は餌に釣られた兎みたいに、その穴へ身を滑らせた。
◆
光の中は、小ぶりの部屋だった。
木の壁には年季が染み、手で撫でれば油と樹脂が混ざった滑りが想像できる。
空気は冬を忘れたように柔らかく、喉に引っかかる冷気がない。
部屋の四隅には火の点いた置物があり、部屋を淡く照らしている。
中央に四角い台。
その奥に──見たこともない生き物がいる。
頭から黒い毛を垂らし、顔には毛も鱗もなく、雪の表面みたいな白さ。
背丈は俺より少し高いが、腕も脚も細い。
見たこともない黒い皮?を上半身に纏い、腰からは同じ素材だろう黒い蓑?を身に着けている。
オークでも、リザードマンでも、ウェアウルフでもない。
まして──俺たちでもない。
胸の膨らみからして若いメス。
土でも血でも獣でもない、名も知らぬ花の匂い。
「よくいらっしゃいました」
炎の縁を撫でるような声。
俺は槍をわずかに掲げたまま、問いを投げる。
「お前は……何だ?
オークやウェアウルフではないようだが……」
俺の問いかけに一拍置き、納得したみたいに目じりを緩めた。
「──私は”人間”という種族です。
名前は……そうですね。
”店長”とお呼びください」
”人間”──聞いたこともない種族だ。
俺が知らないだけで、他にもいるのか?
もし周辺に多数いれば、縄張り争いになる。
「お前以外にも、人間がいるのか?
ここらは俺たちの縄張りだ。
事と次第によっては……」
穂先を真っ直ぐ向ける。
けれどテンチョーは怯えず、薄い笑みを保ったまま、首を少し傾げた。
「うふふ、残念ながら他に人間はいません。
それに、私にあなた方を害する気はありません。
安心してください」
言葉は柔らかい。
だが嘘の可能性がある。
俺は眼差しの芯だけを固く保つ。
「なら、ここで何をしている。
それから、あの光る板は何だ。
お前が置いたのか?」
「私はスキルを売買──スキルと価値ある物を交換しています。
光る板──”扉”は私が設置したわけではありません。
『普通では叶わない願い』の近くに現れるようになっています。
あなたの願いに引き寄せられた、と理解してください」
普通では叶わぬ、という言葉が喉にひっかかる。
俺の願い──“ゴブリンの繁栄”は、やはり“普通では”無理だということか。
だが”普通では”ということは、普通ではない方法があるということ。
それが”スキル”と言う物のことだろうか。
「スキルとは何だ」
「そうですね……スキルとは、例えば──」
テンチョーは俺の穂先を、その白い手で掴む。
皮膚が薄く裂けて赤が湧き、滴が手の谷間へ落ちる。
彼女は掌をこちらへ向け、囁く。
「傷を癒したり──」
落ちた血が、逆さの雨粒みたいに宙を返り、傷へ戻っていく。
赤が消え、皮が閉じ、何もなかったみたいに白が戻る。
「あるいは力を強くしたり──」
次に、穂先を指先で軽く弾く。
金属音は鳴らず、槍は砂の塔みたいに静かに崩れた。
「あるいは、壊れたものを直したりすることができる力のことです」
散った欠片の上を指が撫でると、砂が逆に積み上がるように形を取り戻し、握りの皮の皺まで“元通り”になった。
「お返しします」
返ってきた槍の重さは変わらないのに、手の中の世界は少し違って見えた。
何だこれは……どういう原理だ。
傷の治りが恐ろしいほど早いのか──いや、一度落ちた血まで戻るわけがない。
槍を壊したのは怪力だったからか──いや、あの細腕で、しかも指で弾くだけで壊れるわけがない。
槍を直したのは──最早、何の説も思いつかない。
これが全てスキルだということか。
こんなものがあれば、俺たちなど一たまりもない。
テンチョーの”害意はない”という言葉を信じるしかない。
そして長年の疑問が一つ、解けた気がした。
「他にも色々ありますが、どうでしょう。
スキル、欲しいですか?」
不可思議な力──スキル。
これがあれば、俺たちはもっと繁栄できる。
「……欲しい」
「ふふ、では当店の仕組みを説明しますね。
スキルを『手放す』場合は現金──あなたの場合、食べるまで腐らない食糧と交換できます。
スキルを『受け取る』場合、あなたの”魂の寿命”を代価として貰います。
ただし最低1日分の寿命は残します。
またスキルの受け取りは、生涯に一つまでです」
「魂とは何だ」
「魂とは身体の内に灯る、見えない火。
魂の寿命が尽きれば、例え身体の寿命が残っていても生物は死にます」
つまりスキルを得るには、命を捨てろということか。
「質問がある。
俺の魂の寿命はどれだけある?」
「それは教えられません」
テンチョーは微笑みを崩さない。
自分で推察するしかないだろう。
ゴブリンの寿命など考えたことが無かった。
厳しい自然の中で餓死するでもなく、殺されるでもなく、老衰による死などほとんどない。
一番長生きなゴブリンで7~8年。
俺に残された時間も、最大で6年といったところか。
他の質問をしよう。
「なら、俺にスキルはあるのか?」
「自覚はあるでしょう?
あなたが他のゴブリンと違って物事を深く思考できるのは、スキルによるものです」
腑に落ちる音が、胸で静かに鳴った。
俺を何度も助け、そして俺を孤独にしたもの。
みんなと違う理由が知れて、少しほっとしている自分がいる。
「俺は他にスキルを持っているか?」
俺が知らないだけで、他にもスキルがあるかもしれない。
テンチョーは俺のスキルを把握できている。
”スキルを見るスキル”でもあるのだろう。
教えてくれればよいが。
「もう一つあります。
ただ当店ではお客様が自覚していない部分について、詳細を教えてはならない決まりです。
なので名前だけ教えますね。
【劣化継承】──それがあなたのもう一つのスキルです」
俺のもう一つのスキル。
名前から想像するに、能力を劣化させて受け継ぐことができるのだろうか。
「もう一つ──“思考の方”の名前は?」
俺の生き方を決めたスキルの名前だ、訊いておきたい。
「【識者の卵】です」
「識者というのは、どういう意味だ?」
「物事に対する見識や判断力がある者のことです」
俺の歩みを説明する言葉だ。
だが”卵”とはどういうことだろうか。
卵からは雛が孵る。
雛はやがて成長して鳥になる。
つまり”識者”として、俺はまだ雛ではない、ということか。
あと2段階、上があるのではないか。
「”卵”とは成長段階を表しているのか?
だとすれば、このスキルは孵る──言い換えれば進化するのか?」
「ふふふ、教えられませんね」
……つまり【識者の卵】に俺の知らない効果があるということだ。
【識者の卵】と【劣化継承】の詳細を知る方法は無いか。
暫く思案する。
……一つ、ダメ元で試してみるか。
「俺が得られるスキルの候補を教えて欲しい」
「どんな効果ですか?」
「その前に一つ。
例えば”足が速くなるスキル”を求めたとして、どの程度早くなるのか、詳細は教えてくれるのか?」
「ええ、出来る限り詳細に伝えますよ」
それなら──
「【劣化継承】と同じスキルはあるか」
俺の言葉にテンチョーは少し眉を上げ、そして笑い出す。
「……うふふふふ……いいですね。
それでは、こちらがお求めのスキルになります」
テンチョーはいつの間にか、石板を持っていた。
それを台に置いたので覗き込むと、扉と同じように模様が刻まれている。
扉のときとは違い、今度は意味も理解できた。
【自身のスキルを他者に渡す(劣化)】
自身の持つスキルを他者に渡す。
自身はそのスキルを失う。
受け取ったスキルは劣化状態になる。
劣化度合いは、受け取り側の資質によって決まる。
受け取り側の資質によって、受け取れないことがある。
これが【劣化継承】の効果。
疑問もあるが一旦横へ置く。
さて次は──
「【識者の卵】と同じスキルはあるか?」
「あります。
ですが、魂の寿命が足りないので見せられません」
手が届く範囲しか提示してくれないのか。
なら──
「【識者の卵】に近いスキルはあるか?」
「ふふ……まあそうなりますよね。
ありますよ」
テンチョーが石板に手をかざす。
淡く光ると、先ほどと模様が変わった。
【知能指数がごく少量上がる(スキル成長可能)】
自身の知能指数が+1される。
知能を使う行動を積み重ねると、スキルが進化する。
「知能指数というのは何だ」
「まあ端的に言って、賢さを数値化したものです」
俺の知能指数はいくらだろうか。
まあそれは今、重要ではない。
”スキルが進化する”──こちらの方が重要だろう。
「スキルが進化したことは分かるものなのか?」
「スキルによりますが、【知能指数が上がる】系統は分かりますよ。
これまでより深く思考ができるようになりますので」
なるほど、自覚可能なのだな。
他にも諸々疑問をぶつける。
「進化したスキルを【劣化継承】で渡すと、進化前のスキルに戻るのか?」
「そのままの場合も、進化前に戻る場合もあります。
受け取る側の資質によりますね」
元々知能が高い者であれば、進化後のスキルで継承できるということか。
「劣化しない【劣化継承】に似たスキルはあるか?」
「ありますが、残念ながら魂の寿命が足りませんので見せられませんね」
無い物ねだりをしても仕方ない。
「【劣化継承】を【劣化継承】で継承は可能か?」
「ふふ、可能ですよ」
「【劣化継承】を何度も継承すると、他のスキルを継承する際の劣化度合いは増えるのか?」
「いいえ、劣化度合いはむしろ減ります。
”劣化する”と言う効果も劣化しますので、効果量が減ります」
「なら繰り返し継承したほうが得ということか?」
「そうでもありません。
”スキルを渡す”という部分も劣化していくので、渡せないスキルが出てきたり、最終的にはスキルを渡せなくなります」
スキルを継承し続けるのにも限界がある。
弱者であるゴブリンが繁栄するためには、思考できる頭が必要だ。
それも、出来る限り多くの者が思考できなければならない。
俺が得るべきスキルは──
「スキルを遺伝させるスキル、あるいはスキルを複製するスキルはあるか?」
「ありますよ」
【自身のスキルを遺伝させる(劣化)】
自身の持つスキルを実子に遺伝させる。
遺伝するのは無作為に一つだけ。
遺伝したスキルは劣化した状態になる。
劣化度合いは、実子の資質によって決まる。
【自身のスキルを複製する(初級)】
自身の持つスキルを一つ複製する。
同じスキルを複数持っていても、効果は重複しない。
また、スキルの再使用可能になるまでの時間も共有される。
1日に複製できる回数:5回
遺伝では子を作る時間が必要になる。
俺に残される時間が分からない以上、不確実な手段はなるべく避けたい。
なら後は確認だけだ。
「複製スキルは自身も複製できるか?」
「できますよ」
1日の複製回数が5回。
最悪、今日で俺が消えても“今日の5つ”は世界に残る。
【劣化継承】の問題は未来に託すしかない。
「なら、複製スキルが欲しい」
「分かりました。
それでは手を──」
白い掌が差し出される。
その手を握ると、淡く光りだす。
俺の中にあった何かが抜け、その穴を埋めるように力が流れ込んできた。
「──取引は完了です。
お持ちのスキルを手放すのなら、食糧と交換しますが?」
「いや、手放さない。
これは俺たちに必要な火種だからな」
「そうですか。
では、その火が消えないことを祈ります。
ご利用ありがとうございました」
テンチョーの笑みは、焚き火の最後の一束みたいに穏やかだった。
「ありがとう──」
俺は短く笑って応じ、光を抜けた。
◆
外は、元と同じ場所だった。
雪原は静まり返り、風が頬を撫でる。
振り返っても、扉はもうない。
けれど冬の冷たさが、さっきまでの出来事が夢ではないことを告げていた。
俺は走った。
一瞬でも時間を無駄にしたくない。
走りながら、スキルを複製する。
【識者の卵】を二つ、【劣化継承】を一つ、【自身のスキルを複製する(初級)】を二つ。
夜の帳を抜け、集落の灯りが見えた。
仲間たちは起きていた。
焚き火を囲み、槍や棍棒を手に、まるで戦の準備でもするように。
「リク、帰って来た!」
「リク、どこ行ってた?」
「みんな、心配した!」
俺を囲む顔。
煤に汚れた頬、怯えと安堵が入り混じった瞳。
そのどれもが、俺が守ってきた世界だ。
「お前ら、どうして起きている?」
「見張り、リク出ていく、見た。みんな、起こした」
「追いかけるか、話してた」
「そしたら、帰って来た!」
こいつらは、俺がいなければ死んでいた弱者だ。
こいつらは、自分で仕掛けた罠にかかる馬鹿だ。
こいつらは、自分で思考できない阿呆だ。
──それでも、俺の大事な仲間だ。
◆
俺は信頼できる者たちにスキルを継承した。
【識者の卵】を受け取った者たちは、俺ほどではないが確かに“考える”ようになっていった。
罠を仕掛けるとき、敵を狩るとき、食料を分けるとき──その目の奥に「なぜ」が灯っていた。
俺は嬉しかった。
心の底から、胸が熱くなるほどに。
スキルを得た者たちが「なぜ」と呟き、答えを探し始める。
その姿を見ているだけで、生きてきた意味を感じた。
俺の役割は、こいつらを生かすだけじゃない。
“思考の火”を分け与えることだった。
それを果たせた俺は、誇らしかった。
──ああ、俺はきっと、これでいい。
◆
──スキルを得て5日後。
身体の力が、唐突に抜けた。
足が崩れ、雪の上に倒れる。
視界が揺れ、吐息が白い煙となって夜空に溶ける。
「リク!」
「リク、どうした!?」
仲間たちの声が遠くで跳ねる。
焦点の定まらない視界を、ゴブリンたちの影が埋め尽くしていく。
指先だけが、まだ動いた。俺は近くにいた若い雄の腕を掴む。
「……受け取れ……」
胸の奥にある火が、腕を通じて流れ出す。
──行け。
──俺の分まで、生きろ。
──未来へ。
視界の端で、焚き火が滲み、遠い星と重なった。
その光が最後に見たものだった。
◆
彼が残した火種は、やがて多くのゴブリンに広がった。
彼らは罠を作り、武器を鍛え、仲間を指揮し、群れとして狩るようになった。
そして強靭な腕力や鱗を誇る者たちを下し、かつての“最弱”は、この星の霊長となった。
知恵は彼らを強者に変えた。
そして【劣化継承】による問題も、後に“上位互換のスキル”を得た者が現れ、解決された。
これからは、ゴブリンの時代となるだろう。
彼らは独自の文明を築き、言葉を磨き、火を使い、空を夢見る。
だが、彼らはまだ知らない。
“知恵”は、正しく使う者にだけ宿るわけではないことを。
その火は、灯にもなるが、災いにもなることを。
いずれその炎が、自らを焼く日が来ることを──。
「……しかし、それは未来の物語。
今はただ、一匹のゴブリンが残した小さな灯を、静かに見守りましょう」
小さな部屋に、少女の声がやわらかく響いた。
その声に呼応するように、テーブルの上の石板が淡い光を放つ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
売却スキル:【自身のスキルを複製する(初級)】
魂の対価:10年分(残り寿命:5日)
使用用途:ゴブリンに”知恵の火”をともすため
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
少女はそっと目を閉じ、両手を胸の前で合わせた。
その唇が、祈りのように動く。
「短い生を、種のために燃やした弱者よ……安らかにお休みなさい」
言葉は炎の揺らぎとともに消え、静寂が戻る。
小部屋には、四隅の蝋燭だけが残された。
その火は、なおも揺れ続ける。
まるで彼の残した知恵が、まだどこかで燃え続けているかのように────
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