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3. 相手のいない復讐

 地平線まで続く荒野。

 草木の息吹は一切なく、地面は干上がり割れている。


 その地に横たわる巨龍。


「この俺が、地平に沈む時が来ようとは。

 グハハハハ……長生きはしてみるものだな……!」


 龍は左半身が削り取られたように消え、夥しい血が砂を黒く染める。

 だが死の間際にあって、その眼はむしろ冴え冴えとしていた。

 

 最古にして最強の龍、その一柱。

 眼光一つで大地を焦がし、羽ばたきは天を焼く。

 炎ではなく、天日そのものを喰らう龍──”太陽のイグナード”。


 数多の英雄が挑み灰となり、勇者すらも届かなかった天炎。

 ──その太陽を、ただ一人の女が撃ち落とした。

 

「名を……聞かせてくれ」


「リゼリア・ヴァーミリオン。

 偉大なる魔王、ゼノ・ヴァーミリオンの娘」


「リゼリア──しかと覚えた。

 ”太陽を墜とせしリゼリア”……そう名乗ることを許そう。

 ……誇れ、お前は太陽をも焼き焦がした」


 イグナードの胸奥から、眩い光の球が浮き出る。

 それはふわりと私へ近づき、抵抗も痛みもなく、すっと身体に沈んだ。


「褒美だ……何かの役に立つだろう……」


「これは?」


 問いに、巨躯は答えなかった。

 光は傾き、太陽は落ちた。


 私は遺骸を火葬した。

 ──”太陽”と評されるイグナードは、炎に対する耐性が異様に高い。

 だからこそ、全力で。

 彼に敬意を表し、持てる炎のすべてで送った。

 胸に宿った光が、私の焔をひと息だけ白く高める。


 灰の前に、私ひとり。

 勝利の高揚は、砂に吸われてどこかへ消えた。

 胸に残るのは、冷えきった復讐心だけ。

 

「この力があれば、勇者にだって──」


 ◆


 思えば、父は誰よりも恐れられる存在だった。


 魔王ゼノ。

 人間たちは父を”災厄王”と呼び、魔族の中ですら震え上がる者がいた。

 

 ──けれど、私にとってはただの“父”だった。


 母は私を産んですぐに亡くなった。

 兄弟姉妹もおらず、私は父の愛を一人占めにした。

 戦場へ赴く父の背中を見て育ち、玉座の隣の席がいつもの居場所だった。


 父は多忙だったが、驚くほど私には甘かった。


 ◆


 私が高熱で倒れた日。

 報を聞いた父は戦場から飛んで帰り、熱が引くまで手を握って離さなかった。

 父は私の傍らで泣きそうな顔をしていたのを覚えている。

 

 熱が下がると、父は奇跡でも見たかのように舞い踊った。

 その後も数日はつきっきりで、戦場へ戻ったのは一週間後。


 ──その間に押していた戦線が押し返されて、後で四天王に滅茶苦茶怒られてたっけ。


 


 父の誕生日に初めて上げた花冠は、永久保存するために”アイテムボックス”という貴重な魔道具に入れていた。

 以後、私の贈り物は、食べ物に至るまで何らかの方法で保存された。


 ──食べた感想が欲しかったのに。


 


 私が十歳の誕生日を迎えたとき、父は世界中の魔石を集めた。

 魔石は魔物から取れる石で、本来は兵器を生み出すのに使う。

 集めた魔石の中には、幻石と呼ばれる珍しいものもあり、それらを職人に加工させ、世界一豪華な首飾りを作ってくれた。

 ちなみに何の機能もない。


 「世界で一番綺麗な娘には、世界で一番綺麗な宝石を」


 ──正直、恥ずかしい。


 


 一度だけ、母のことを聞いてみたことがある。

 

「お母さん──リリナはとても強くて、綺麗で……怒らせると滅茶苦茶怖かった。

 魔王の我でも震えるくらいにな」


 父は笑っていた。

 

「今でも、愛してる?」


「もちろん。

 でも、リゼが一番だけどな!」


 そう言って父は私を抱きしめた。

 ──横顔はどこか寂し気だった。


 


 時折、鬱陶しさを感じることもあった。

 だけど”鬱陶しさ”とは、たぶん”愛”の別名だ。

 私もまた、そんな父を愛していた。


 ◆


 戦が最も激しかったある夜、私は城の奥に呼ばれた。

 戦場の喧騒が遠く響く中、父は穏やかな表情で私を見つめていた。

 その眼差しに、いつもと違う“覚悟”があった。


「リゼ」


「……なに?」


「お前は魔王の娘であることに縛られず、自由に生きろ。

 我にもしものことがあっても──復讐など考えるな」


 その言葉に、私は首を振った。

 嫌だった。

 父のいない世界に、自由なんてない。


「我は、お前が幸福に生きていてくれれば、それだけで満足だ」


 声はいつも通りで、目の奥だけが少し遠かった。


 私は頷けなかった。

 頷いたら、約束が呪いになると思ったから。

 結局、私は頷かずに笑った。

 父も笑った。

 それが、最後の顔合わせになった。


 ◆


 その“もしも”が、現実になった。

 魔王軍は総崩れとなり、父は勇者に討たれた。


 勇者が父の胸を貫いた瞬間、世界が音を失った。

 私はその光景を、遠くの崩れた塔から見ていた。

 足がすくみ、声も出なかった。

 あの夜、私の中で何かが壊れた。


 泣き叫ぶよりも先に、心の奥で一つの言葉が燃え上がった。


 ──復讐。


 他の者には畏怖の象徴でも、私にとっては愛する家族だった。

 それを奪った勇者を、許すことはできない。

 父の願いを裏切るとしても、必ずその首を墓前に捧げてみせる。

 

 ◆


 それから10年の歳月が過ぎた。

 私は強さを求め、魔導書を貪り、禁術を己に刻み、フェンリルやグリフォンといった強魔を屠り、 新たな魔王にも勝てるほどに鍛えた。


 そして遂に、最強の龍をも下した。

 これだけの力があれば、勇者を屠れる──私は確信した。


『復讐など考えるな』


 父の言葉がよぎる。


「私の心は……愛を奪われた穴は……復讐でしか埋められなかったのです。

 お父様……愚かな私を、どうかお許しください」


 荒野の天井には、数多の輝きが広がっている。

 私の言葉に呼応するように、輝きは一筋の軌跡を描いて消えた。


 ◆


 私は姿を偽り、人間の国々を巡った。

 勇者の名を出せば、どの街でも噂が溢れている。

 しかし、どの噂も違和感があった。


「勇者は、魔王との戦いで負った傷が原因で死んだらしい」

「いや、王に逆らって処刑されたんだ」

「人間同士の戦で討たれたって聞いたぞ」

「病で倒れたらしい」


 どれが正しいのか分からないが、共通しているのはただ一つ。


 ──「勇者は、すでに死んでいる」


 そんなはずはない。

 あの男が、あの化け物が、死ぬはずがない。

 頼むから生きていてくれ。


 でなければ、私は──誰に復讐すればいい?


 ◆


 噂の真相を探るうち、勇者のかつての仲間──魔法使い”ロイエ”の名に行きついた。

 いまはとある国で屋敷を構えるという。

 私は彼が噂の真相を知っていることに一縷の望みをかけ、接触してみることにした。




 夜、彼の屋敷に忍び込んだ。

 先に子の部屋に入り、ロイエの子供を人質に捕る。


「騒げば殺す。

 お前の父の部屋まで案内しろ」


 子供は恐怖に震えながらも、大人しく言うことを聞く。


 案内された部屋にロイエはいた。

 子供の首筋に短剣を当て、静かに告げる。


「勇者は今どこにいる?

 ……答えなければ、この子を殺す」


 ロイエは一瞬だけ目を見開き、すぐに落ち着いた声で返した。


「あなたは、魔族ですね。

 人質など要りません……話します。

 ──勇者は死にました」


 呼吸が止まる。

 視界が揺れる。

 何を言っているのかわからない。


「死んだ?

 嘘をつくな!」


「嘘ではありません。

 彼は……自ら命を断ったのです」


 胸の奥が、音を立てて裂けた。


「そんな……嘘だ……そんなわけ……」


「──何があったのか、話しましょう」

 

 ロイエの瞳には、深い悲しみが滲んでいた。

 炎のようでもあり、雪のようでもあった。


 私は短剣を下ろし、ただその言葉を待った。


 ◆


 勇者が魔王を討ち、世界には久方ぶりの平穏が訪れた。

 人々は英雄を称え、各地の教会には「勇者に祝福を」と刻まれた碑が建てられた。


 だが、その静けさは長くは続かなかった。

 突如として、勇者の母国トライゾンが周辺国へ侵攻を開始したのだ。

 旗印には勇者の名が掲げられ、戦場に立つその姿が各地で目撃された。


 私は信じられなかった。

 彼が進んで人に刃を向けるはずがない。

 何か理由がある——そう信じて、私は彼のもとを訪れた。


「なぜ戦うんだい?」


 問いかけても、彼はただ沈黙した。


 やがて絞り出すように言ったのは、「俺は……止まれない」という一言だけだった。


 私は諦めきれず、独自に調査を始めた。

 やがて辿り着いた真実は、あまりにも醜悪だった。


 彼が旅立った折、トライゾンの王は“保護”の名目で彼の家族を城へ呼び寄せていた。

 だが、それは保護ではなく、人質だった。

 魔王を討った英雄を、戦の駒として繋ぎ止めるための鎖。

 勇者の家族はその鎖の錘にされていたのだ。


 私は仲間を集めた。

 かつて共に戦った剣士、僧侶、弓使い——あの旅の記憶を背負う者たち。

 彼の家族を奪還し、勇者を救うため、私たちはトライゾン王城へと乗り込んだ。


 王の軍勢は私たちの前にすぐ崩れ落ちた。


 血に濡れた玉座の間で、私は王に自作の自白魔法をかけた。

 紫の光が王の目を覆い、偽りの声を封じる。


「勇者の家族はどこです」


 王は笑った。

 乾いた、底のない声で。


「勇者の家族は、殺した」


 その返答に皆、絶句する。

 殺意が喉を焼く。


「なぜだ!!」


「誰かに奪われれば、勇者を利用されるからな。

 連れてきた日に、処分した」


 ──その瞬間、扉が吹き飛んだ。

 そこに立っていたのは、勇者だった。


 彼の顔には涙の跡があり、瞳には光がない。


 「……はは。何だよ、それ……」


 次の瞬間、彼は王の前にいた。

 そして一閃。


 誰も動けなかった。

 王の首が床に落ち、血が花のように咲く。


 勇者は振り向き、私たちを見た。

 あの旅の時とは似つかない、苦悶の笑みで。


「ごめん」


 そう言って、自らの首を刎ねた。


 世界は静まり返る。

 血の匂いの中で、ただ一陣の風が吹き抜けた。

 その風だけが、勇者の最後の祈りを運んでいくようだった。


 ◆


 私は言葉を失っていた。

 ”嘘を感知する魔法”に反応はない。


 ──勇者は死んだ。


 その事実が、じわりと私の世界へ滲み入る。

 胸を満たしていた“もの”が、音もなく崩れ落ちていく。


「ふざ……ふざけるな……!

 私は……私は……復讐のために…………」


 指から力が抜け、短剣が床で乾いた音を立てた。


「あなたは、魔王の敵討ちに来たのですか」


「そうだ……父の敵を討つために……」


 ロイエの眉が、わずかに揺れた。


「……そう、でしたか」


 長い静寂。

 遠くの鳥の鳴き声だけが聞こえてくる。

 

 いつの間にか人質の子どもはいない。

 だが、もはや何もかもどうでもよかった。


 私は……これからどうすれば……。


 落とした短剣に視線が行く。

 

 ……いっそ、勇者のように──


 短剣を拾おうと動いたとき、視界の端に光が満ちる。

 顔を上げると、金色に輝く扉だけが、部屋の中央に立っている。


 ……扉?


 呆然と見つめる私の目に、刻まれた文字が入った。


『スキルショップ ~不要なスキル、買い取ります。必要なスキル、お売りします~』


 スキル──人間が時々持つという加護のこと?

 確か【勇者】もスキルだと聞いたことがある。


「これは……何だ。

 お前が出したのか?」


 ロイエに問う。


「これ、とは?」


「この輝く扉のことだ」


 きょとんとしている。

 どうやら彼には見えていない。


 私は再び扉を見た。


『必要なスキル、お売りします』


 どんなスキルを売ってくれるのか分からない。

 それでも、この空穴を埋められるのなら──


 ノブに手を掛ける。

 

「あ、あの──」


 ロイエが何か言いかけたが、私は無視して扉を押し開けた。


「き、消えた……」


 部屋にはロイエのみ。

 そしてそのまま、リゼリアが帰って来る事は無かった──


 ◆


 中は玉座の間のように広く、天井も異様に高い。

 天井を支える柱には、一級の職人が施したであろう彫刻。

 空気には、どことなく懐かしさを覚える匂いが漂う。

 光源はないのに、隅々まで白々と明るい。

 

 最奥に玉座はなく、執務机。

 その向こうに女が一人、真紅の長髪を揺らし、高貴な紫のドレスを纏って座っていた。

 そして何よりも”怖気がするほど美しい顔”。

 

 美に恐怖を抱いたのは初めてだ。

 あれは生物の領域を超えている。

 

「いらっしゃい。

 そんなところで固まってないで、こっちに来たら?」


 女が話しかけてきた。

 距離はかなり離れているのに、耳元で囁かれたように聞こえる。

 その声色までも、完璧に調律されている。

 

 本能的に分かる。

 彼女には勝てない。

 強い弱いの次元ではない。

 身体が、心が、魂が彼女を傷つけることを拒絶している。


 触れれば裂けてしまいそうな、薄絹のような存在。

 それでいて、誰にも壊せない宝石のような──

 

 パン、と乾いた音が響く。

 どうやら彼女が手を打ったようだ。

 急な音に、意識を引き戻される。


「ほら、こっちにおいで」


 手招きに、思わず従う。

 近づくほど、胃の底で酸が泡立つ。

 手が、足が小刻みに震えていた。

 

 彼女から漂うのは、果物の様な甘い匂い。

 きっと食べれば、この世のどんなものよりも美味しいだろう。

 

 視界が定まらない。

 鼻息が荒くなり、涎が溢れてくる。

 

 ──食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい。


 乾いた音が二度響いた。

 景色が急に鮮明になる。


 私は一体何を──


「それで、あなたはどうしてここに来たの?」

 

「私は……父を失い、復讐相手も失って。

 どうすればいいか分からず……何か変わればと……。

 ここでは、スキルを売ってくれるのでしょう?」


 女は温かい微笑を浮かべた。


「そう、ここではスキルの売買ができるわ。

 お客さんが持ってるスキルを売却する場合、現金で買い取らせてもらう。

 逆にスキルを購入する場合──相応の”魂の寿命”をもらうわ」


 魂の寿命。

 ”魂”と”魂の寿命”では何が違うのか。

 それに、取られた瞬間死んだりしないのだろうか。


「魂は器、魂の寿命はその器に入った水だと考えてもらえればいいわ。

 でも安心して。

 最低一日は必ず生きられるよう、取引するから。

 取引した直後に命を落とすようなことはないわ」


 私の考えなど”お見通し”なのだろう。


「スキルの売却は何度でもできるけど、購入は生涯に1つだけ。

 ──さて、あなたはどんなスキルが欲しいのかしら」


 もし、もしもあるのなら──


「人を蘇らせるスキルは……ありますか?」


 女は眉一つ動かさず、瞳だけがかすかに寂しげだった。


「あるわ。

 ただし、蘇生スキルは売れないの」


 身を乗り出し、彼女に詰め寄る。


「そんな……お願いします!

 私の全てを渡してもいい!!

 どうかスキルを──」


 彼女の人差し指が私の唇に触れ、言葉を遮る。


「スキル自体は売れない。

 けれど魂の寿命を貰って、私が代わりに行使することはできる。

 それも”購入”したという扱いになって、今後スキルは購入できない。

 それでもいいかしら」


「──はい」


「あと当然、復活させる人に見合った対価が払えないなら、取引不成立になるわ」


 見合った対価。

 父を甦らせるために、私で足りるのだろうか。


「それで、誰を復活させたいの?」


「……父を、ゼノ・ヴァーミリオンを復活させて欲しいのです」


 彼女はしばらく沈黙した。

 この静寂が、どんな敵よりも恐ろしく感じる。


 やがて彼女の唇が動く。


「あなたの父は、復活できないわ」


 胸に石が落ちる。

 息ができない。

 心に空いた闇は、さらに深さを増した。


「……なぜです。

 私では、対価に足りませんか?」


「ええ。

 魔王を甦らせるには、相当な対価が必要だもの。

 あなたと、龍の寿命を足しても届かないわね」


「龍の……寿命?」


 突然の単語に困惑する。


「気づいてなかったのね。

 あなたの中に、龍のも混ざっているわ。

 まるでお日様のように暖かな魂」


 イグナード──きっと彼のものだ。

 最後の褒美というのは、このことだったのか。


 でも龍を足しても、父を復活させることはできなかった。

 誇らしく思うとともに、哀しみが押し寄せる。

 久しく流れていなかった涙が、堰を切ったように溢れ出した。


「普通は、人が人を復活させるなんてできないの。

 だから大抵、この手の願いは断るのだけど。

 あなたなら相手次第では届いてしまうから。

 ごめんなさいね、期待を持たせて」


 ”相手次第”──その言葉で次に浮かんだのは。


「なら……勇者を。

 私の父を殺した、あの勇者を……」


 嗚咽と一緒に零す。


「勇者、ね。

 一応、復活はできるわ。

 でも勇者としての力は無い。

 ただの人間としてだけど、それでもいい?」


 最早、どうでもいい。

 勇者をで殺して、私も終わろう。

 

 頷きかけた瞬間、父の声が引き留めた。


『我は、お前が幸福に生きていてくれれば、それだけで満足だ』


 私の幸福はあなたといる時間だったのに。

 それを失っても、生きなければならないの?

 ……苦しいわ、お父様。


「本当は、あまり良くないんだけど。

 一つだけ、選択肢を増やしてあげるわ。

 ──あなたの母親なら復活させられるけど、どう?」


 唐突に選択肢が増える。

 母──肖像画でしか見たことの無い、私のもう一人の親。

 父の愛した人。


 父の願いを裏切った私に舞い込んだ、小さな光。

 きっと、私に最後の機会をくれたんだ。


 どんな人か、父は母について多くは語らなかった。

 私も父が思い出して悲しまないよう、あまり母について聞いたことはない。

 

 上手くやっていけるだろうか。

 父のように愛せるだろうか。


 不安はあった。

 それでも迷いはなかった。


「母を……生き返らせてください」


 その言葉に彼女は満足したのか、微笑み小さくうなずく。


「手を出して」


 差し出した手を、彼女はそっと握る。


 彼女は引き出しから一冊の本を取り出した。

 パラパラと勝手に開き出す。

 止まったページから、文字が空中に浮かび上がる。


 ”リリナ”──母の名前だ。

 

 文字が集まって人型になり、光り輝く。

 思わず目を伏せた。

 

 次に見たとき、そこには裸の女が立っていた。

 肖像画のままの──母。


「……ここは?」


 状況が飲み込めず、困惑している。


「ここはスキルショップ。

 あなたは一度死に、生き返ったのよ、リリナ」


「えっと、あなたたちは?」


「私はここの店主。

 こっちは──」


「私はリゼリア。

 ゼノ・ヴァーミリオンの……あなたの娘です」

 

「え、私の娘?

 おかしいわね~。

 私に、こんな大きな子いなかったはずなんだけど……」


 母はなおも混乱している。


「あれ……何で私、裸なの~?

 すみません、何か着るものをください~」


 随分、語尾が緩い話し方をする人だ。


 本当にこの人が、私の母なの?


 チラッと店主の方を見る。

 苦笑いしながら、頷いている。


 私も苦笑いになりながら、アイテムボックスから母に服を渡す。

 

「ありがとうございます~。

 それで~、生き返ったっていうのは~?」


「あなたは私を産んですぐに亡くなりました。

 紆余曲折あって、私があなたを──蘇らせてもらったのです」


「ふ~ん……何を代償にしたの?」


 空気が、すっと変わった。

 柔らかさの奥に、刃が見える。


「わ、私の魂の寿命……です」


 母は店主に向き直り、歩を詰めた。


「あなたがこの子から私に、寿命を移したってことでいいのかしら?」


「概ね、その理解で間違いないわね」


 母の声が、低くなる。


「なら──この子に、寿命を戻しなさい」


 鳥肌が立つ。

 一触即発の状況。

 

「ごめんなさいね、そう言うことはできないの」


 店主は全く臆さず、ただ淡々と告げる。


「──あなたが心配するほど、彼女は消耗していないわ。

 代替品があったもの」


 母は少しの間、店主を睨みつけていたが、やがて諦めたのか元の雰囲気に戻る。


「そうなんですね~。

 お騒がせしました~。

 もう帰っても大丈夫ですか~?」


「ええ、取引は完了。

 対価も受け取ってるし、帰っても大丈夫よ。

 出口はあちら──」


 母は私の腕を掴むと、強引に出口まで引っ張っていく。


「あ、ありがとうございました!」


 私は店主にお礼を言い、母に連れられたまま扉をくぐった。


 


 外に出ると荒野だった。

 それも、イグナードと闘ったあの場所。


 忘れていたが、ロイエの屋敷から店に入ったので、出るのも同じ可能性があった。

 そうなっていたら、逃げるのが面倒だ。


 きっと店主が気を聞かせてくれたのだ。

 振り返ると、扉はもう無かった。

 

「さてと、色々と聞かせてもらいましょうか」


 母はどう見ても怒っている。

 ──魔王すら身を正すほどに。


 私はそんな母を見て、少し嬉しくなった。

 父が愛した人は、確かにここにいる。


 ◆


 それから、母とこれまでのことを話した。

 幼い日の記憶から、父との別れまで。

 長く胸の底に沈めていたものを、少しずつ言葉に変えていった。


 母は私の幼少期の話に、楽しそうに目を細めた。


「そんなに木登りしてたのね~。

 あなた、落ちて怪我でもしたらどうするの~?」


「そのたびに、お父様が魔法で治してくれました。

 “リゼの涙は世界の毒だ”って言って」


「……あの人らしいわね~。

 ほんと、親ばか」


 そう言いながらも、母の声には微かな嫉妬が混じっていた。


「でもね、あなたを見てるとわかるの。

 きっと、あの人は幸せだったのね~」


 父の死のことを話すと、母は長い睫毛を震わせて、静かに涙を流した。

 しばらく言葉もなく、ただ私の手を握っていた。

 そして──少し間をおいて、叱るように言った。


「どうして復讐なんて考えたの~?

 あなたが死んだら、あの人泣いちゃうわよ~?」


「……そう、ですね。

 わかっていたのに、止められませんでした」


「まぁ、今こうして生きてるんだから良しとしましょう~」


 優しい声で言って、私を抱きしめた。

 あの腕の温かさは、まるで父の抱擁の記憶をそのまま受け継いでいるようだった。


 ◆


 私たちは二人で、静かに暮らすことにした。

 母と築けなかった過去を埋めるように。

 父と続けられなかった未来を描くように。


 母は料理が苦手で、最初の朝食は真っ黒なパンだった。

 私は無理に笑って食べ、母はむくれていた。


「うぅ……焦げたの、愛情のせいなのよ~。

 あなたが可愛すぎて、火加減を忘れたの~」


「……愛情が燃えすぎです」


 そんな会話を繰り返すうちに、母の笑顔が私の日常になっていった。


 やがて、母は父と同じように私を溺愛するようになった。

 抱きついて離れないこともあれば、寝る前に髪を梳かしてくれることもある。


「もう子供じゃないですよ」


「母にとっては、いつまでも赤ちゃんよ~」


 やっぱり、時折鬱陶しさは感じる。

 けれど、その鬱陶しさが心地よかった。

 その愛し方が、父によく似ていて、どうしても嫌いになれない。


 復讐で埋めていた場所に、別の灯がともるのを、私は確かに感じていた。


 ◆


『我は、お前が幸福に生きていてくれれば、それだけで満足だ』


 父の声が、静かに蘇る。

 夜空に広がる星の海原へ、そっと呟いた。


「お父様。

 私は今、とても幸せに生きています。

 ……少し、賑やかですけどね」


 隣で母が、くすくすと笑う。


「聞こえてるわよ~。

 賑やかなのは、あなたが笑えるようになった証拠でしょ~」


「ふふ……そうかもしれません」


 その瞬間、夜空に一つ、星が流れた。

 まるで父が「よくやった」と微笑んでいるように。


 ◆


 王の間にも似た部屋。

 女は一人、本を見つめている。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 スキル:【死者蘇生】

 魂の対価:5000年分

 使用用途:母を甦らせる

 備考:売却ではなく、代行使用


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 指先でそっと頁をなぞった。

 金の文字が静かに浮かび、やがて光の粒となって本へと沈んでいく。


「復讐するために10年費やして”その間に相手は死んでました”、って納得できないわよね。

 けれど、彼女は“終わらせる”ことを選ばなかった。

 憎しみで世界を焼くよりも、愛でひとりを取り戻す道を……」


 本を閉じると、微笑んだ。


「5000年の寿命を捧げて、手に入れたものが母の微笑み。

 損か得かなんて、私の計算では測れないわね」


 手を伸ばし、本を引き出しに戻す。


「あなたの心は、愛を取り戻せたのね──」


 微笑と共に、部屋の灯がゆっくりと消えていった。

 残されたのは、閉じられた本の上に滲む、わずかな星のような光だけだった。

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