3. 相手のいない復讐
地平線まで続く荒野。
草木の息吹は一切なく、地面は干上がり割れている。
その地に横たわる巨龍。
「この俺が、地平に沈む時が来ようとは。
グハハハハ……長生きはしてみるものだな……!」
龍は左半身が削り取られたように消え、夥しい血が砂を黒く染める。
だが死の間際にあって、その眼はむしろ冴え冴えとしていた。
最古にして最強の龍、その一柱。
眼光一つで大地を焦がし、羽ばたきは天を焼く。
炎ではなく、天日そのものを喰らう龍──”太陽のイグナード”。
数多の英雄が挑み灰となり、勇者すらも届かなかった天炎。
──その太陽を、ただ一人の女が撃ち落とした。
「名を……聞かせてくれ」
「リゼリア・ヴァーミリオン。
偉大なる魔王、ゼノ・ヴァーミリオンの娘」
「リゼリア──しかと覚えた。
”太陽を墜とせしリゼリア”……そう名乗ることを許そう。
……誇れ、お前は太陽をも焼き焦がした」
イグナードの胸奥から、眩い光の球が浮き出る。
それはふわりと私へ近づき、抵抗も痛みもなく、すっと身体に沈んだ。
「褒美だ……何かの役に立つだろう……」
「これは?」
問いに、巨躯は答えなかった。
光は傾き、太陽は落ちた。
私は遺骸を火葬した。
──”太陽”と評されるイグナードは、炎に対する耐性が異様に高い。
だからこそ、全力で。
彼に敬意を表し、持てる炎のすべてで送った。
胸に宿った光が、私の焔をひと息だけ白く高める。
灰の前に、私ひとり。
勝利の高揚は、砂に吸われてどこかへ消えた。
胸に残るのは、冷えきった復讐心だけ。
「この力があれば、勇者にだって──」
◆
思えば、父は誰よりも恐れられる存在だった。
魔王ゼノ。
人間たちは父を”災厄王”と呼び、魔族の中ですら震え上がる者がいた。
──けれど、私にとってはただの“父”だった。
母は私を産んですぐに亡くなった。
兄弟姉妹もおらず、私は父の愛を一人占めにした。
戦場へ赴く父の背中を見て育ち、玉座の隣の席がいつもの居場所だった。
父は多忙だったが、驚くほど私には甘かった。
◆
私が高熱で倒れた日。
報を聞いた父は戦場から飛んで帰り、熱が引くまで手を握って離さなかった。
父は私の傍らで泣きそうな顔をしていたのを覚えている。
熱が下がると、父は奇跡でも見たかのように舞い踊った。
その後も数日はつきっきりで、戦場へ戻ったのは一週間後。
──その間に押していた戦線が押し返されて、後で四天王に滅茶苦茶怒られてたっけ。
父の誕生日に初めて上げた花冠は、永久保存するために”アイテムボックス”という貴重な魔道具に入れていた。
以後、私の贈り物は、食べ物に至るまで何らかの方法で保存された。
──食べた感想が欲しかったのに。
私が十歳の誕生日を迎えたとき、父は世界中の魔石を集めた。
魔石は魔物から取れる石で、本来は兵器を生み出すのに使う。
集めた魔石の中には、幻石と呼ばれる珍しいものもあり、それらを職人に加工させ、世界一豪華な首飾りを作ってくれた。
ちなみに何の機能もない。
「世界で一番綺麗な娘には、世界で一番綺麗な宝石を」
──正直、恥ずかしい。
一度だけ、母のことを聞いてみたことがある。
「お母さん──リリナはとても強くて、綺麗で……怒らせると滅茶苦茶怖かった。
魔王の我でも震えるくらいにな」
父は笑っていた。
「今でも、愛してる?」
「もちろん。
でも、リゼが一番だけどな!」
そう言って父は私を抱きしめた。
──横顔はどこか寂し気だった。
時折、鬱陶しさを感じることもあった。
だけど”鬱陶しさ”とは、たぶん”愛”の別名だ。
私もまた、そんな父を愛していた。
◆
戦が最も激しかったある夜、私は城の奥に呼ばれた。
戦場の喧騒が遠く響く中、父は穏やかな表情で私を見つめていた。
その眼差しに、いつもと違う“覚悟”があった。
「リゼ」
「……なに?」
「お前は魔王の娘であることに縛られず、自由に生きろ。
我にもしものことがあっても──復讐など考えるな」
その言葉に、私は首を振った。
嫌だった。
父のいない世界に、自由なんてない。
「我は、お前が幸福に生きていてくれれば、それだけで満足だ」
声はいつも通りで、目の奥だけが少し遠かった。
私は頷けなかった。
頷いたら、約束が呪いになると思ったから。
結局、私は頷かずに笑った。
父も笑った。
それが、最後の顔合わせになった。
◆
その“もしも”が、現実になった。
魔王軍は総崩れとなり、父は勇者に討たれた。
勇者が父の胸を貫いた瞬間、世界が音を失った。
私はその光景を、遠くの崩れた塔から見ていた。
足がすくみ、声も出なかった。
あの夜、私の中で何かが壊れた。
泣き叫ぶよりも先に、心の奥で一つの言葉が燃え上がった。
──復讐。
他の者には畏怖の象徴でも、私にとっては愛する家族だった。
それを奪った勇者を、許すことはできない。
父の願いを裏切るとしても、必ずその首を墓前に捧げてみせる。
◆
それから10年の歳月が過ぎた。
私は強さを求め、魔導書を貪り、禁術を己に刻み、フェンリルやグリフォンといった強魔を屠り、 新たな魔王にも勝てるほどに鍛えた。
そして遂に、最強の龍をも下した。
これだけの力があれば、勇者を屠れる──私は確信した。
『復讐など考えるな』
父の言葉がよぎる。
「私の心は……愛を奪われた穴は……復讐でしか埋められなかったのです。
お父様……愚かな私を、どうかお許しください」
荒野の天井には、数多の輝きが広がっている。
私の言葉に呼応するように、輝きは一筋の軌跡を描いて消えた。
◆
私は姿を偽り、人間の国々を巡った。
勇者の名を出せば、どの街でも噂が溢れている。
しかし、どの噂も違和感があった。
「勇者は、魔王との戦いで負った傷が原因で死んだらしい」
「いや、王に逆らって処刑されたんだ」
「人間同士の戦で討たれたって聞いたぞ」
「病で倒れたらしい」
どれが正しいのか分からないが、共通しているのはただ一つ。
──「勇者は、すでに死んでいる」
そんなはずはない。
あの男が、あの化け物が、死ぬはずがない。
頼むから生きていてくれ。
でなければ、私は──誰に復讐すればいい?
◆
噂の真相を探るうち、勇者のかつての仲間──魔法使い”ロイエ”の名に行きついた。
いまはとある国で屋敷を構えるという。
私は彼が噂の真相を知っていることに一縷の望みをかけ、接触してみることにした。
夜、彼の屋敷に忍び込んだ。
先に子の部屋に入り、ロイエの子供を人質に捕る。
「騒げば殺す。
お前の父の部屋まで案内しろ」
子供は恐怖に震えながらも、大人しく言うことを聞く。
案内された部屋にロイエはいた。
子供の首筋に短剣を当て、静かに告げる。
「勇者は今どこにいる?
……答えなければ、この子を殺す」
ロイエは一瞬だけ目を見開き、すぐに落ち着いた声で返した。
「あなたは、魔族ですね。
人質など要りません……話します。
──勇者は死にました」
呼吸が止まる。
視界が揺れる。
何を言っているのかわからない。
「死んだ?
嘘をつくな!」
「嘘ではありません。
彼は……自ら命を断ったのです」
胸の奥が、音を立てて裂けた。
「そんな……嘘だ……そんなわけ……」
「──何があったのか、話しましょう」
ロイエの瞳には、深い悲しみが滲んでいた。
炎のようでもあり、雪のようでもあった。
私は短剣を下ろし、ただその言葉を待った。
◆
勇者が魔王を討ち、世界には久方ぶりの平穏が訪れた。
人々は英雄を称え、各地の教会には「勇者に祝福を」と刻まれた碑が建てられた。
だが、その静けさは長くは続かなかった。
突如として、勇者の母国が周辺国へ侵攻を開始したのだ。
旗印には勇者の名が掲げられ、戦場に立つその姿が各地で目撃された。
私は信じられなかった。
彼が進んで人に刃を向けるはずがない。
何か理由がある——そう信じて、私は彼のもとを訪れた。
「なぜ戦うんだい?」
問いかけても、彼はただ沈黙した。
やがて絞り出すように言ったのは、「俺は……止まれない」という一言だけだった。
私は諦めきれず、独自に調査を始めた。
やがて辿り着いた真実は、あまりにも醜悪だった。
彼が旅立った折、トライゾンの王は“保護”の名目で彼の家族を城へ呼び寄せていた。
だが、それは保護ではなく、人質だった。
魔王を討った英雄を、戦の駒として繋ぎ止めるための鎖。
勇者の家族はその鎖の錘にされていたのだ。
私は仲間を集めた。
かつて共に戦った剣士、僧侶、弓使い——あの旅の記憶を背負う者たち。
彼の家族を奪還し、勇者を救うため、私たちはトライゾン王城へと乗り込んだ。
王の軍勢は私たちの前にすぐ崩れ落ちた。
血に濡れた玉座の間で、私は王に自作の自白魔法をかけた。
紫の光が王の目を覆い、偽りの声を封じる。
「勇者の家族はどこです」
王は笑った。
乾いた、底のない声で。
「勇者の家族は、殺した」
その返答に皆、絶句する。
殺意が喉を焼く。
「なぜだ!!」
「誰かに奪われれば、勇者を利用されるからな。
連れてきた日に、処分した」
──その瞬間、扉が吹き飛んだ。
そこに立っていたのは、勇者だった。
彼の顔には涙の跡があり、瞳には光がない。
「……はは。何だよ、それ……」
次の瞬間、彼は王の前にいた。
そして一閃。
誰も動けなかった。
王の首が床に落ち、血が花のように咲く。
勇者は振り向き、私たちを見た。
あの旅の時とは似つかない、苦悶の笑みで。
「ごめん」
そう言って、自らの首を刎ねた。
世界は静まり返る。
血の匂いの中で、ただ一陣の風が吹き抜けた。
その風だけが、勇者の最後の祈りを運んでいくようだった。
◆
私は言葉を失っていた。
”嘘を感知する魔法”に反応はない。
──勇者は死んだ。
その事実が、じわりと私の世界へ滲み入る。
胸を満たしていた“もの”が、音もなく崩れ落ちていく。
「ふざ……ふざけるな……!
私は……私は……復讐のために…………」
指から力が抜け、短剣が床で乾いた音を立てた。
「あなたは、魔王の敵討ちに来たのですか」
「そうだ……父の敵を討つために……」
ロイエの眉が、わずかに揺れた。
「……そう、でしたか」
長い静寂。
遠くの鳥の鳴き声だけが聞こえてくる。
いつの間にか人質の子どもはいない。
だが、もはや何もかもどうでもよかった。
私は……これからどうすれば……。
落とした短剣に視線が行く。
……いっそ、勇者のように──
短剣を拾おうと動いたとき、視界の端に光が満ちる。
顔を上げると、金色に輝く扉だけが、部屋の中央に立っている。
……扉?
呆然と見つめる私の目に、刻まれた文字が入った。
『スキルショップ ~不要なスキル、買い取ります。必要なスキル、お売りします~』
スキル──人間が時々持つという加護のこと?
確か【勇者】もスキルだと聞いたことがある。
「これは……何だ。
お前が出したのか?」
ロイエに問う。
「これ、とは?」
「この輝く扉のことだ」
きょとんとしている。
どうやら彼には見えていない。
私は再び扉を見た。
『必要なスキル、お売りします』
どんなスキルを売ってくれるのか分からない。
それでも、この空穴を埋められるのなら──
ノブに手を掛ける。
「あ、あの──」
ロイエが何か言いかけたが、私は無視して扉を押し開けた。
「き、消えた……」
部屋にはロイエのみ。
そしてそのまま、リゼリアが帰って来る事は無かった──
◆
中は玉座の間のように広く、天井も異様に高い。
天井を支える柱には、一級の職人が施したであろう彫刻。
空気には、どことなく懐かしさを覚える匂いが漂う。
光源はないのに、隅々まで白々と明るい。
最奥に玉座はなく、執務机。
その向こうに女が一人、真紅の長髪を揺らし、高貴な紫のドレスを纏って座っていた。
そして何よりも”怖気がするほど美しい顔”。
美に恐怖を抱いたのは初めてだ。
あれは生物の領域を超えている。
「いらっしゃい。
そんなところで固まってないで、こっちに来たら?」
女が話しかけてきた。
距離はかなり離れているのに、耳元で囁かれたように聞こえる。
その声色までも、完璧に調律されている。
本能的に分かる。
彼女には勝てない。
強い弱いの次元ではない。
身体が、心が、魂が彼女を傷つけることを拒絶している。
触れれば裂けてしまいそうな、薄絹のような存在。
それでいて、誰にも壊せない宝石のような──
パン、と乾いた音が響く。
どうやら彼女が手を打ったようだ。
急な音に、意識を引き戻される。
「ほら、こっちにおいで」
手招きに、思わず従う。
近づくほど、胃の底で酸が泡立つ。
手が、足が小刻みに震えていた。
彼女から漂うのは、果物の様な甘い匂い。
きっと食べれば、この世のどんなものよりも美味しいだろう。
視界が定まらない。
鼻息が荒くなり、涎が溢れてくる。
──食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい。
乾いた音が二度響いた。
景色が急に鮮明になる。
私は一体何を──
「それで、あなたはどうしてここに来たの?」
「私は……父を失い、復讐相手も失って。
どうすればいいか分からず……何か変わればと……。
ここでは、スキルを売ってくれるのでしょう?」
女は温かい微笑を浮かべた。
「そう、ここではスキルの売買ができるわ。
お客さんが持ってるスキルを売却する場合、現金で買い取らせてもらう。
逆にスキルを購入する場合──相応の”魂の寿命”をもらうわ」
魂の寿命。
”魂”と”魂の寿命”では何が違うのか。
それに、取られた瞬間死んだりしないのだろうか。
「魂は器、魂の寿命はその器に入った水だと考えてもらえればいいわ。
でも安心して。
最低一日は必ず生きられるよう、取引するから。
取引した直後に命を落とすようなことはないわ」
私の考えなど”お見通し”なのだろう。
「スキルの売却は何度でもできるけど、購入は生涯に1つだけ。
──さて、あなたはどんなスキルが欲しいのかしら」
もし、もしもあるのなら──
「人を蘇らせるスキルは……ありますか?」
女は眉一つ動かさず、瞳だけがかすかに寂しげだった。
「あるわ。
ただし、蘇生スキルは売れないの」
身を乗り出し、彼女に詰め寄る。
「そんな……お願いします!
私の全てを渡してもいい!!
どうかスキルを──」
彼女の人差し指が私の唇に触れ、言葉を遮る。
「スキル自体は売れない。
けれど魂の寿命を貰って、私が代わりに行使することはできる。
それも”購入”したという扱いになって、今後スキルは購入できない。
それでもいいかしら」
「──はい」
「あと当然、復活させる人に見合った対価が払えないなら、取引不成立になるわ」
見合った対価。
父を甦らせるために、私で足りるのだろうか。
「それで、誰を復活させたいの?」
「……父を、ゼノ・ヴァーミリオンを復活させて欲しいのです」
彼女はしばらく沈黙した。
この静寂が、どんな敵よりも恐ろしく感じる。
やがて彼女の唇が動く。
「あなたの父は、復活できないわ」
胸に石が落ちる。
息ができない。
心に空いた闇は、さらに深さを増した。
「……なぜです。
私では、対価に足りませんか?」
「ええ。
魔王を甦らせるには、相当な対価が必要だもの。
あなたと、龍の寿命を足しても届かないわね」
「龍の……寿命?」
突然の単語に困惑する。
「気づいてなかったのね。
あなたの中に、龍のも混ざっているわ。
まるでお日様のように暖かな魂」
イグナード──きっと彼のものだ。
最後の褒美というのは、このことだったのか。
でも龍を足しても、父を復活させることはできなかった。
誇らしく思うとともに、哀しみが押し寄せる。
久しく流れていなかった涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「普通は、人が人を復活させるなんてできないの。
だから大抵、この手の願いは断るのだけど。
あなたなら相手次第では届いてしまうから。
ごめんなさいね、期待を持たせて」
”相手次第”──その言葉で次に浮かんだのは。
「なら……勇者を。
私の父を殺した、あの勇者を……」
嗚咽と一緒に零す。
「勇者、ね。
一応、復活はできるわ。
でも勇者としての力は無い。
ただの人間としてだけど、それでもいい?」
最早、どうでもいい。
勇者をで殺して、私も終わろう。
頷きかけた瞬間、父の声が引き留めた。
『我は、お前が幸福に生きていてくれれば、それだけで満足だ』
私の幸福はあなたといる時間だったのに。
それを失っても、生きなければならないの?
……苦しいわ、お父様。
「本当は、あまり良くないんだけど。
一つだけ、選択肢を増やしてあげるわ。
──あなたの母親なら復活させられるけど、どう?」
唐突に選択肢が増える。
母──肖像画でしか見たことの無い、私のもう一人の親。
父の愛した人。
父の願いを裏切った私に舞い込んだ、小さな光。
きっと、私に最後の機会をくれたんだ。
どんな人か、父は母について多くは語らなかった。
私も父が思い出して悲しまないよう、あまり母について聞いたことはない。
上手くやっていけるだろうか。
父のように愛せるだろうか。
不安はあった。
それでも迷いはなかった。
「母を……生き返らせてください」
その言葉に彼女は満足したのか、微笑み小さくうなずく。
「手を出して」
差し出した手を、彼女はそっと握る。
彼女は引き出しから一冊の本を取り出した。
パラパラと勝手に開き出す。
止まったページから、文字が空中に浮かび上がる。
”リリナ”──母の名前だ。
文字が集まって人型になり、光り輝く。
思わず目を伏せた。
次に見たとき、そこには裸の女が立っていた。
肖像画のままの──母。
「……ここは?」
状況が飲み込めず、困惑している。
「ここはスキルショップ。
あなたは一度死に、生き返ったのよ、リリナ」
「えっと、あなたたちは?」
「私はここの店主。
こっちは──」
「私はリゼリア。
ゼノ・ヴァーミリオンの……あなたの娘です」
「え、私の娘?
おかしいわね~。
私に、こんな大きな子いなかったはずなんだけど……」
母はなおも混乱している。
「あれ……何で私、裸なの~?
すみません、何か着るものをください~」
随分、語尾が緩い話し方をする人だ。
本当にこの人が、私の母なの?
チラッと店主の方を見る。
苦笑いしながら、頷いている。
私も苦笑いになりながら、アイテムボックスから母に服を渡す。
「ありがとうございます~。
それで~、生き返ったっていうのは~?」
「あなたは私を産んですぐに亡くなりました。
紆余曲折あって、私があなたを──蘇らせてもらったのです」
「ふ~ん……何を代償にしたの?」
空気が、すっと変わった。
柔らかさの奥に、刃が見える。
「わ、私の魂の寿命……です」
母は店主に向き直り、歩を詰めた。
「あなたがこの子から私に、寿命を移したってことでいいのかしら?」
「概ね、その理解で間違いないわね」
母の声が、低くなる。
「なら──この子に、寿命を戻しなさい」
鳥肌が立つ。
一触即発の状況。
「ごめんなさいね、そう言うことはできないの」
店主は全く臆さず、ただ淡々と告げる。
「──あなたが心配するほど、彼女は消耗していないわ。
代替品があったもの」
母は少しの間、店主を睨みつけていたが、やがて諦めたのか元の雰囲気に戻る。
「そうなんですね~。
お騒がせしました~。
もう帰っても大丈夫ですか~?」
「ええ、取引は完了。
対価も受け取ってるし、帰っても大丈夫よ。
出口はあちら──」
母は私の腕を掴むと、強引に出口まで引っ張っていく。
「あ、ありがとうございました!」
私は店主にお礼を言い、母に連れられたまま扉をくぐった。
外に出ると荒野だった。
それも、イグナードと闘ったあの場所。
忘れていたが、ロイエの屋敷から店に入ったので、出るのも同じ可能性があった。
そうなっていたら、逃げるのが面倒だ。
きっと店主が気を聞かせてくれたのだ。
振り返ると、扉はもう無かった。
「さてと、色々と聞かせてもらいましょうか」
母はどう見ても怒っている。
──魔王すら身を正すほどに。
私はそんな母を見て、少し嬉しくなった。
父が愛した人は、確かにここにいる。
◆
それから、母とこれまでのことを話した。
幼い日の記憶から、父との別れまで。
長く胸の底に沈めていたものを、少しずつ言葉に変えていった。
母は私の幼少期の話に、楽しそうに目を細めた。
「そんなに木登りしてたのね~。
あなた、落ちて怪我でもしたらどうするの~?」
「そのたびに、お父様が魔法で治してくれました。
“リゼの涙は世界の毒だ”って言って」
「……あの人らしいわね~。
ほんと、親ばか」
そう言いながらも、母の声には微かな嫉妬が混じっていた。
「でもね、あなたを見てるとわかるの。
きっと、あの人は幸せだったのね~」
父の死のことを話すと、母は長い睫毛を震わせて、静かに涙を流した。
しばらく言葉もなく、ただ私の手を握っていた。
そして──少し間をおいて、叱るように言った。
「どうして復讐なんて考えたの~?
あなたが死んだら、あの人泣いちゃうわよ~?」
「……そう、ですね。
わかっていたのに、止められませんでした」
「まぁ、今こうして生きてるんだから良しとしましょう~」
優しい声で言って、私を抱きしめた。
あの腕の温かさは、まるで父の抱擁の記憶をそのまま受け継いでいるようだった。
◆
私たちは二人で、静かに暮らすことにした。
母と築けなかった過去を埋めるように。
父と続けられなかった未来を描くように。
母は料理が苦手で、最初の朝食は真っ黒なパンだった。
私は無理に笑って食べ、母はむくれていた。
「うぅ……焦げたの、愛情のせいなのよ~。
あなたが可愛すぎて、火加減を忘れたの~」
「……愛情が燃えすぎです」
そんな会話を繰り返すうちに、母の笑顔が私の日常になっていった。
やがて、母は父と同じように私を溺愛するようになった。
抱きついて離れないこともあれば、寝る前に髪を梳かしてくれることもある。
「もう子供じゃないですよ」
「母にとっては、いつまでも赤ちゃんよ~」
やっぱり、時折鬱陶しさは感じる。
けれど、その鬱陶しさが心地よかった。
その愛し方が、父によく似ていて、どうしても嫌いになれない。
復讐で埋めていた場所に、別の灯がともるのを、私は確かに感じていた。
◆
『我は、お前が幸福に生きていてくれれば、それだけで満足だ』
父の声が、静かに蘇る。
夜空に広がる星の海原へ、そっと呟いた。
「お父様。
私は今、とても幸せに生きています。
……少し、賑やかですけどね」
隣で母が、くすくすと笑う。
「聞こえてるわよ~。
賑やかなのは、あなたが笑えるようになった証拠でしょ~」
「ふふ……そうかもしれません」
その瞬間、夜空に一つ、星が流れた。
まるで父が「よくやった」と微笑んでいるように。
◆
王の間にも似た部屋。
女は一人、本を見つめている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
スキル:【死者蘇生】
魂の対価:5000年分
使用用途:母を甦らせる
備考:売却ではなく、代行使用
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
指先でそっと頁をなぞった。
金の文字が静かに浮かび、やがて光の粒となって本へと沈んでいく。
「復讐するために10年費やして”その間に相手は死んでました”、って納得できないわよね。
けれど、彼女は“終わらせる”ことを選ばなかった。
憎しみで世界を焼くよりも、愛でひとりを取り戻す道を……」
本を閉じると、微笑んだ。
「5000年の寿命を捧げて、手に入れたものが母の微笑み。
損か得かなんて、私の計算では測れないわね」
手を伸ばし、本を引き出しに戻す。
「あなたの心は、愛を取り戻せたのね──」
微笑と共に、部屋の灯がゆっくりと消えていった。
残されたのは、閉じられた本の上に滲む、わずかな星のような光だけだった。
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