"さみしい”とは
”あの日”から、夜、ちゃんと眠れなくなった。
いや、違う。ルークがそばにいないと、目を閉じていても体がじっとしていられなくなった。
夜。ほんの小さな物音に、私は敏感に反応してしまう。
「ルーク......?」
うっすらと目を開けると、ルークが起き上がっているのが見えた。
ルークの寝巻きの裾を、思わずぎゅっと握る。
暗くてよく見えないけれど、ルークがピクリと動いたのがわかった。
「......リシェル、水を飲みに行くだけだ」
言葉が耳に届く。体の奥で揺れていたものが、少しだけ静まる。
けれど胸の奥には、まだ小さな“何か”が引っかかったまま。
ルークが、またどこかに行ってしまうんじゃないか——そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「......私も、一緒に行く」
一瞬、空気がぴたりと止まった。
ルークの喉が、ごくりと鳴るのが聞こえる。
「わかった。おいで」
差し出された手。けれど、私はその手を取れずに、ぽつりと呟いた。
「......抱っこして」
沈黙。
それから、ルークが小さく息を呑む音がした。
その反応に、胸がぎゅっと熱くなる。
「......わかった」
そっと私を抱き上げるルークの腕に、全身の力を預けた。
背中に手を回し、寝巻きの布をぎゅっと握る。
その感触が、まるで「ここにいるよ」と囁かれているみたいで、あたたかさで胸がいっぱいになる。
(ルークは、ここにいる......)
揺れる身体に顔を押し付けると、体の中でざわざわしていたものが、少しずつ溶けていく。
夜の静けさの中、二人だけの時間。
このぬくもりは、絶対に手放したくない——
ずっと、ずっと一緒だから。
***
ルークと過ごすうちに、ひとつわかったことがある。
お金を稼がなければ、ご飯は食べられないということ。
そして、お金を得るためには“仕事”というものをしなければならないということだ。
私はまだ働けない。
私も働けたら、ルークとずっと一緒にいられるのに……。
その朝、ルークはいつもより少し早く起きて、支度を始めていた。
きっと仕事があるのだろう。でも、もしかしたら違うかもしれない――そんな淡い期待を抱いて、声をかける。
「ルーク……今日もお仕事なの?」
「……ああ」
やっぱり。視線が自然と下を向く。
”さみしい”という言葉が喉元まで来たけれど、飲み込んだ。
「働かないとご飯が食べられないんだもんね。私、ご飯は勝手に運ばれてくるものだと思ってたから……」
言葉を選びながら、ゆっくり伝える。
(ルークを、困らせちゃいけない......)
少し息を整えて、お見送りの言葉を口にした。
「がんばってね。......さみしいけど、待ってるよ」
不器用に言葉をつなぐと、ルークの瞳がかすかに揺れた。
彼は何かを言いかけて、結局、飲み込むようにして私を抱き寄せる。
「ああ、待っててくれ」
(......大丈夫、ルークは帰ってくる)
自分にそう言い聞かせながら、ルークの裾をぎゅっと握った。
「......いってらっしゃい」
ルークは優しく微笑んで、私の頭をぽんぽんと撫でた。
そして、扉の向こうへと歩いていく。
――ガチャリ。
閉まる扉の音が、やけに大きく響いた。
その瞬間、部屋の中の空気が静まり返る。
いつもなら、すぐにルークの声が聞こえるのに——今日は、それがない。
(......さみしい)
胸の奥に、小さな穴がぽっかりと空いたようだった。
気を紛らわせようと、本棚に向かう。久しぶりに本でも読もうと手に取るけれど、文字がまるで頭に入ってこない。
おかしいな。王宮にいた頃は、毎日これが当たり前だったのに。
ふと、窓の外に目を向けた。
一羽の蝶が、ふわふわと舞っている。
光を受けて羽がきらりと揺れ、まるで小さな宝石が空を漂っているみたいだった。
やがて蝶は、庭に咲く一輪の花にとまり、羽をゆっくりと閉じる。
(......きれい)
息をするのも忘れるほど、見入ってしまう。
もっと、見ていたい――こんな感覚、初めてだった。
ルークと出会う前の私は、ただ起きて、本を読み、食事をして、また眠るだけ。
それが当たり前で、普通だった。
心が動くことなんて、一度もなかった。
でも、今は違う。
ルークと過ごすうちに、私はたくさんの“初めて”を知った。
嬉しい、楽しい、寂しい、あたたかい——こんなにもたくさんの気持ちを、教えてもらった。
だから、蝶と花を見ただけで、胸がふわりと踊るのだ。
(……私、変わったんだ)
その事実が、心の奥をじんわりとあたためる。
今、外にいるルークは、きっと私の知らない景色を見て、いろんな感情を抱いているのだろう。
私も、もっと知らない世界を知っていけたら――
ルークと同じ景色を、隣で見られるのかもしれない。
(そうしたら……ずっと、ルークと一緒にいられるかも)
蝶が花にとまったまま、陽の光を受けて羽を震わせる。
その姿が、まるで未来を指し示すようだった。
さくっと完結させるつもりでしたが、リシェルを深掘りしてたら収まらなくなってきたので、あと10〜15話は続くかも?




