ルークがいないと息ができないよ
心がぽかぽかして、あったくて。
知らなかった気持ちに、全身がふわりと包まれる。
(これが……“うれしい”ってことなんだ……!)
こんな気持ち、誰も教えてくれなかった。
知らなかったことを知る。それだけで世界って広がるんだね。
そのとき、目の前のお兄ちゃんが、ゆっくりと口を開いた。
「......ひとまず、ここは危険です。俺と一緒に行きますか?」
ここが危険な場所かどうかなんて知らない。でもこの人のそばにいれば、もっと世界が広がっていく気がした。
私は、迷わず答えていた。
「そっかぁ、わかった!」
返事をした瞬間、身体がふわりと宙に浮いた。
気づけば、お兄ちゃんの腕の中に抱え上げられている。
(このまま、どこかに連れていってくれるのかな……?)
お兄ちゃんは、青白く淡い光を放つ大きな円を描き、その中に見たことのない文字を刻み始めた。
(これ……本で見た魔法陣……?)
そう思った瞬間、視界が揺らいだ。
身体が何かに引っ張られるような感覚に襲われる。
飛んでいってしまわないように、必死でお兄ちゃんの身体にしがみついた。
――辿り着いたのは、小さな家だった。
「お兄ちゃんすごいね。これがワープ?」
「そうですよ」
「すごーい!えへへ。こんなの初めて!」
また胸が、ぽかぽかとあたたかくなる。
もうわかるよ。
「あ、これが“うれしい”なんだね!」
お兄ちゃんと一緒にいれば、きっともっといろいろなことがわかる。
まだ言葉にできないけど、胸の奥に、小さな期待が芽生えていくのを感じた。
***
そうして、私とお兄ちゃんは、この小さな家で暮らし始めた。
名前はルークっていうんだって。
一緒に暮らすなら、名前くらい知らないとね?
敬語もやめてもらった。
私だけくだけた口調なのが、なんだかむずがゆかったから。
そして今日は、ルークが“たのしい”を教えてくれる日。
「ねぇ、ルーク!今日は魔法を見せてくれるっていったよね!」
「ああ、そうだな」
ルークが手に力を込めると、キラキラ光る蝶が現れた。
魔法でできた蝶たちは、部屋の中をふわふわと舞い飛ぶ。
その瞬間、心が踊るように高鳴った。
自然に笑みがこぼれる。
「うわ〜、きれい!ありがとう、ルーク!」
「楽しんでもらえたか?」
「うん!これが“たのしい”なんだね!」
ルークは、いろんなことを教えてくれる。
もっとずっと一緒にいられたらいいな。
***
ある日の朝。
目を覚ますと、部屋がやけに静かだった。
いつも隣で寝ているはずのルークもいない。
(あれ、先に起きたのかな?)
そう思ったけれど、胸の奥がぎゅっと縮まる。
息のしかたが、急にわからなくなる。
部屋中を探しても、どこにもルークがいない。
(なんで……なんで……?)
お仕事に行くときは、いつも教えてくれた。
何も言わないでいなくなることなんて、一度もなかったのに。
(もしかして……もう帰ってこない?)
私、これからひとり……?
考えただけで、目が熱くなった。
涙が止まらない。
「……ぐすっ」
息が苦しい。呼吸ってどうやるんだっけ……?
「ルーク……ルーク……! 帰ってきてよ……!!」
どれくらい泣いていたのかわからない。
――ガチャッ。
ドアの開く音がした。
(……ルーク!?)
私は音のする方へ走った。
ゆっくり開いたドアの向こうに、ルークが立っている。
勢いよく、彼に抱きついた。
「ルーク!!どこ行ってたの!!」
涙で前がよく見えない。
鼻をぐすぐす鳴らしながら、やっと少しだけ息ができるようになる。
「あのね、わたし……ルークがいないって気付いて、涙が止まらなかったの……」
ルークは私をぎゅっと抱きしめる。
「ごめん、リシェル。でも、それが“さみしい”という感情なんだ」
「ルークは“さみしい”を教えようとしたの?」
「うん……ごめん」
(これが“さみしい”……?)
苦しくて、息ができなくて、胸が壊れそうなこの気持ちが……?
わかった。でも、こんなのはもう嫌。
「もうイヤ!さみしいのイヤ!ずっと一緒にいて!!」
必死に叫ぶと、ルークは息を呑み、瞳を揺らした。
抱きしめる腕の力が強くなる。
「……わかった。もう二度と置いていかない」
その言葉に、胸の奥の苦しさが少しだけやわらぐ。
ルークがいないだけで、息ができなくなった。
本当に死んじゃうかと思った。
多分、このまま帰ってこなかったら、死んじゃってた。
――ルークがいないとダメなんだ。
抱きついたまま、ルークの胸に顔を押しつける。
(ずっと、ずっと……一緒にいよう。いなくなっちゃだめだよ……)




