これ、誰の匂いなの?
今日もルークはお仕事。
窓の外はすっかり暮れ、部屋の中に灯りをともす。
――もうすぐ、帰ってくる時間だ。
扉の開く音がして、心が跳ねる。
「おかえり、ルーク!」
「ただいま、リシェル」
嬉しくて、駆け寄って、そのまま抱きついた。
けれど――その瞬間、身体がぴたりと固まった。
(……あれ?)
ルークの服から、いつもと違う匂いがした。
食べ物でも、香草でもない。
ほのかに甘く、どこか……人の肌のような、そんな匂い。
(これ……誰かの匂い?)
頭の奥がぐらぐらと揺れ、胸の奥に冷たい痛みが刺さる。
息が詰まって、喉がきゅうっと狭まる。
(なんで……?)
いつも優しく、私を抱きしめてくれるルーク。
その腕の中は、安心で、幸せな場所のはずなのに。
(それを、他の人にも……?)
そんなの......嫌だ。
ルークに私以外に抱きしめるような相手がいる。
そんなことを考えるだけで、その相手を遠ざけたいような、引き離したいような感情が芽生える。
さらには、不幸になって、いなくなってしまえばいい――なんて。
そんな恐ろしい考えまで浮かんでしまった。
そんなこと、考えたくないのに、止められない。
(……自分が、怖い)
心がざわめいて、どうしようもなく苦しくて。
思わず、ルークの服を指先を振るわせながら、ぎゅっと掴んだ。
「……リシェル? どうした?」
優しい声が降ってきた瞬間、胸の奥が熱くなった。
でも、こんなにひどいこと考えているなんてルークが知ったら――。
(嫌われちゃう……)
涙がこぼれそうになって、唇が震える。
「……きらいにならない?」
「なるものか。俺は、リシェルが大好きだよ」
あたたかい声。
それだけで、胸の奥の冷たい針が少しだけ溶けていく。
「……わたしも、だいすき」
でも、気になって仕方がなかった。
胸の奥のもやが、どうしても消えない。
「……でも、今日のルーク、いつもと違う匂いがする」
涙がつっと頬を伝う。
勇気を振り絞って、顔を上げた。
「……だれ?」
ルークの目がわずかに見開かれる。
次の瞬間、苦笑のようなものが浮かんだ。
「仕事でな、馴れ馴れしいやつがいて……抱きつかれただけだ。すぐに引き剥がした」
「……ほんとうに?」
「もちろんだ。リシェルがいちばん……いや、リシェルしかいない」
その言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。
冷たいものが消えて、代わりにあたたかさが広がっていく。
(……ああ、私……ルークがいないとダメみたい)
「……よかった。ルーク、ずっといっしょ」
「ああ、もちろんだ」
ルークの腕が、優しく――けれど離れないように強くなる。
そのぬくもりに包まれると、混乱していた頭の中が、霧が晴れるようにはっきりとしてきた。
そうか。前にルークが言っていた"しっと"って――。
大好きな人が、自分から離れて、他の人のところへ行ってしまうかもしれない。
そんな考えが止まらなくなることのことを、言うのかもしれない。
あの時のルークの言葉は、意味はわかったけど理解はできていなかった。
なんでそんなふうに思うのか、わからなかったから。
でも今なら――わかる。
大好きな人を、失いたくないという痛みを。
このとき、私はルークに抱きしめられながら、彼の服を離さないように、強く、強く握りしめていた。
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