平凡な社会人は魔法少年として能力を開花させる
既に人通りは多く、特にスーツ姿の人がほとんどだ。この光景を見るだけでも緊張してしまい喉が渇く。
「まもなく私の上司と合流するので、返答は難しくなります」
『わかった』
周囲に不審がられないようイヤホンに届く最小限の声で連絡を取る。そして前回と同じように髪でイヤホンを隠した。
「おーい、こっちだ」
声が聞くよりも前に発見していたけど、さも今到着したように向かった。
「お、おはようございます」
「あぁ、おはよう。まだ少し時間はあるが、早いことに越したことはないだろう」
「それにしても、やっぱり大きいですね」
「三十階建てだっけか。階層が上がるにつれて会議室が段々と大きくなっているからな」
「へぇ、詳しいですね」
「あっ、あぁ……何せその最上階で今日はやるらしいからな、流石に緊張するな」
大野主任でも緊張したりするんだなぁ。意外な発見に少しばかり気が軽くなった気がする。それでも逃げ出せるなら今すぐにでも逃げ出したいほど、嫌なってことは変わらない。
チェイン、二度目の訪問だ。
「正直な所、何故呼ばれたのか理由がわからないし、理由も聞かされていない。以前、会議した時に本当に何も無かったかのか?」
「い、いえ……特には……」
「当然、クソ部長に聞いてみたけど意味なし。相手方も忙しい、の一点張りでろくに話も聞けなかったからな。正直、私の方も不安がぬぐい切れない。今日は頼むぞ」
背中をポンッと叩かれた。
本当に期待されているのかはわからないけど、それでも今の言動で僕のやる気は満たされる。
「って、おいおい。耳にイヤホンみたいなのはめてないか?」
「えっ!? あ、いや……これは……」
「全く……移動中に何をするかは自由だし口出しはしたくないけど、流石に取引先の前までにしとけよ」
「あっ……はい、すみません」
彼女達の事が頭あの中で過る。
ほんの少しの間、手が止まったけれど、髪で隠してあったイヤホンに手を伸ばした。
(ごめんなさい! バレてしまいました! この状況下では……もう、無理です!)
心の中で一生懸命謝罪をして、耳からイヤホンを外した。
「それと――ポケットに付いているペンも辞めた方がいいから、そっちも外しとけよ」
「わ、わかりました……」
平然を装って返事をしたけど、心臓がバクバクと音を立てている。
至る所の毛穴から汗が噴き出ている気がする。
(ど、どうしよう……これじゃあ撮影どころか、身の危険の可能性だって――)
何かあっても証拠を残すことが出来ないし。この先、何が行われるかわからないのに……どうしよう!
報告も、連絡も、相談も何もできない事が、こんなにも不安になるなんて……
解決策を見出す前に、入り口に入ってしまった。
前回と同じように受付でカードキーを受け取って、指定された場所へと向かう。でも、最上階なんて……一体何が待ち受けているんだろうか?
エレベーターの中でも終始無言で乗車していた。上昇する音が気になってしまうほどの緊張感に包まれていた気がする。
到着の音は、試合開始の合図と同じ。扉が開くと目の前に社員とみられる男の人が一名立っていた。
「本日はよろしくお願いいたします」
「お出迎えありがとうございます。こちらこそお願いいたします」
「お忙しいところわざわざ来ていただいてありがとうございます。来ていただいて早速ですが、大野様はこちらの会議室で、新井様は別室でとのご要望です、私についてきてもらえますか?」
「……それは、別々で行うということですか?」
「はい、そのようにと承っておりますので」
唖然とするしかなかった。
二人で来て欲しいと会社に連絡しながら、別々で話し合いをするって、どう考えてもおかしい。
もしかしたらだけど……狙われているのか?
だと、すれば最悪のタイミングだ! 録音も録画出来ていない状態だから……現場を見ることが出来ていないし伝えられない! 何より一人になっちゃうから、決定的な証拠があったとしても収めることが出来ない!
「そういう事なら仕方がないか……新井の方は大丈夫か」
はっきり言って拒絶したい。
だけどここで断りを言える勇気も立場も持ってはいなかった。そもそも何て言って二人で話し合いをする方法に持っていくかわからないよ!
「は、はい……わかりました、大丈夫です」
大丈夫じゃありません。不安と緊張で押しつぶされそうです……心の中での反論は当然ながら相手には届かない。
「それでは大野様こちらのお部屋で、新井様はご案内いたしますので付いて来てください」
そう言い男の人の後ろから付いて行く。
チラリと視線をずらして大野主任の方へ目を向けると、思わず声を上げそうになった。直ぐ近くにあった扉で挨拶して開けると一瞬しか見えなかったけど、先が見えないほどの広い空間が視界に入った。まるでドラマで重役の方達が出てくるような、そんな部屋に見えた。
暫くついて行くと、前回使った時と同じような部屋があった。
「こちらで鶴川様がお待ちしておりますので。私はこれにて失礼させていただきます」
そう言って男は来た道を戻っていった。
目の前に立っているだけなのに足が震える。
一度深く息を吐いてからノックをすると聞き覚えのある声が耳に届く。扉を掴んだ手には手汗が確認できる。
つばをゴクリと飲み込み、覚悟を決める。
「失礼します」
以前と変わらない大きさの部屋で、以前と変わらない人物がお目見えだった。
「本日はどうもありがとうございます」
「いえ、構いませんよ。それで……本日はどのようなご用件で?」
「あぁ、今日は仕事の話ではなくてですね。以前お話しした際に話題に上がった事件についてお話を伺おうと思いまして」
い、いきなりですか!?
あまりにも直球な質問に、思わずツッコミが口から零れ出てしまいそうだった。
「事件についてですが……綾瀬さんから話を聞いておりまして、あなたが事件現場にいらっしゃったので、存分にお話を聞いてもらっても構わないと」
「あ、あはは……そうですか……」
よ、余計なことを!
腹の底で怒りのガス栓に火が付いた。
「以前にも少しだけ話しましたが、我々としても少し困っていることがありますと」
「そ、そうでしたね」
「実は我々の評判を落とすために活動しているとか、おかげでメディアの恰好の的にされていて困っていますよ。また人々を操る魔法のようなものを使用する噂もございまして……正直、こちらも対処の方法が無く、有効な手立ても見つかっていない状況なんですよ」
(完全に主張が、実際に行われていることと逆になっている気がする)
やれやれとばかりに首を横に振った。
「もしよろしければ、あなたが知っている情報を教えてくれませんか? 我々としても対策を練りたいのです」
「…………申し訳ございません。警察の方に言っているですが、ほとんど何も覚えていなくてですね」
「本当に、何も知らないのですか?」
語気を強めた男の表情が一瞬、曇った気がした。
思わず言葉に詰まる。
どうにかしてこの場を乗り切らないといけない、でもこのまま帰してくれそうもない。
下唇を?みながら、断りの言葉を探していた。
「もしかして、口止めをされているのですか?」
「え?」
「なら、心配には及びません。何せ我が社は世界的な企業でございますから、例え魔法があろうとも対処することが出来ますよ」
先ほどとは打って変わって優しく微笑みかけて来た。
「どうでしょうか? もし何かあればお話をお聞かせいただければと思います。ご安心ください、この情報を外部に漏らすことはありませんし、我々が貴方の身を案じて差し上げます」
腕を広げ、姿勢を前のめりにして僕を見てくる。
圧力に身震いし、膝が震えている。
ごくりと唾液を飲み込んだ。
「……申し訳ありませんが、わかりません」
「そうですか……わかりました」
残念そうな表情を浮かべると、席から立ち上がった。
「今日の話は以上になりますので」
「え? あぁ、はい……」
あまりにも唐突な終わりに驚きを隠せなかった。
男は、そのまま扉を開けた。その横を通り過ぎる瞬間だった。
「あぁ、最後にですが――もし何らかの形で関りがあるとして我々に害をもたらすのであれば、相応の措置は取らせていただきますので、お気を付けください」
「っ!?」
耳元で呟くように言われた言葉に振り返る。底冷えするような笑顔と、低音で重みがある言葉は僕の表情と心を一瞬にして凍らせた。
「では、お気をつけてお帰りください」
何も言っていないとばかりの澄ました表情だった。気味の悪さと気持ち悪さ、そして圧倒的な恐怖感が僕を襲った。廊下を歩く度に心臓の鼓動が破裂しそうなほど音をたてている。
「お、そっちも丁度終わったところか?」
「…………」
「ん? どうした? なんか言われたのか? それに、顔色が……」
「え、えっ!? あっ……はい?」
肩を叩かれ振り向くと、そこには不安そうな表情を浮かべる大野主任がいた。
「何かあったのか?」
「す、すみません、少しトイレに行って来てもいいですか?」
「あぁ、わかった」
わき目も降らず、駆け込むような歩きでトイレの個室へと入った。
「はぁ……はぁ……」
胸に手を当てると、心臓の音がドクドクと高波を打っている。額から汗が滴れ落ちてくる。
あんなに直球で聞いてくるなんて……それにほとんど脅しじゃないか!
額に浮かんでくる脂汗が止まらない。洗面所で何度も顔を洗った。
数分後には何とか平然を保てるまでに回復した。
エレベーター前には大野主任が待っていてくれていた。
「すみません、お待たせ致しました」
「大丈夫か? 何だか様子がおかしかったように見えたけど?」
「すみません、大丈夫です」
「そうか、丁度今エレベーター来たところだが……乗れるか?」
その後も何度か気分や体調面に関して、平気かどうかの質問が飛んだけど、何とか平然を保ちながら答えてやり過ごした。
「取りあえず、今日はもう帰って安静にしてろ、いいな?」
会社を出てからも気を使わせてしまった。本当に申し訳なく感じるし罪悪感が生まれてくる。
「おっと、電話がかかってきたから、少しこの辺で話してから私は帰るから、先に帰っててくれ。また連絡する」
「あ、はい、わかりました。お疲れ様でした」
「あぁ、お疲れ様」
挨拶をし終えると、大野主任はすぐに電話をかけ直している。僕も頭の中の整理が追い付いていなくて、一人になりたい気分だったのと、早く離れたかったので足早に駅に向かった。
移動時間と道中で買い物をしていたら、すっかり街灯が道を照らしていた。
大野主任と分かれた後も、僕の心の中もざわめきは収まることはない。
「何か……仕掛けてくるような、そんな感じが……」
宣戦布告を突き付けられた気分だ。
しかも確実に僕が彼女達と関りがあると読んでいる口振りだ。というか、言い方的にも僕の置かれている立場を知っているような感じがして、心に引っ掛かった棘が抜けない。
「まさか……僕達の正体がバレている! ……のかな?」
「はい、ご明察通りです」
「っ!?」
夜風のような冷たくて消え入りそうな声は、確かにハッキリと僕の耳に語り掛けて来た。突然の背後からの声に背筋が凍り、血の気が引いた。
振り返ると暗闇の中から静かな足音と共に姿を現した。
「こんばんは、株式会社ベースにお勤めの新井宿海さん」
「あなたは……」
「先程のお会いしましたよ。そうですね、エレベーターの所と言った方が良いでしょうか?」
「っ!?」
エレベーターの一言で記憶が鮮明に蘇って来た。
闇に溶け込むような真っ黒なスーツを着こなし、傍から見れば仕事帰りのサラリーマンしか見えないだろう。
何とか平然を保っているつもりだけど、心臓の鼓動がとても速くなっているのが伝わってくる。自分の生存本能が、彼を危険だと認識しているみたいに息が勝手に粗くなり始めた。
革靴の足音が耳に届く。ゆっくりと僕との距離を詰めてきている。
って、これって絶体絶命のピンチなんじゃ……ど、どどどどうしよう!?
「な、何か用でしょうか? し、仕事のことなら後日でお願いしてもいいでしょうか? もう疲れていますので」
最速で踵を返し、逃げるように足を動かす。
「ある意味仕事になりますね。少々あなたとお話を、と思いまして」
(いつの間に隣に!?)
驚きと恐怖で全身に鳥肌が立った。
さっきまで後ろにいたはずなのに、男は僕の横で並走するように真横にいた。
「は、はなしですか……申し訳ないですけどまたの機会にでもよろしいですか? 時間も夜遅いですし」
視線を合わせることなく、足早に去ろうとする。
だけど、ぴったりと僕について来ているのが足音でわかる。
「……そう警戒なさらずとも、ですが――」
僕の行く手を遮るように、突然目の前に現れ立ち止まった。
薄暗い中、どこか笑みを浮かべているような表情は、僕に恐怖を植え付けるのには十分すぎるものだった。
「貴方の行動、返答次第でどうともなるということです」
「なっ!?」
パチンッと指を鳴らすや否や、それまで人がいなかった場所に、物陰からぞろぞろと出現した。
ゾンビのように首が垂れ、両手をぶら下げている。そこに意思は感じられない。
「あなたには見覚えのある光景ではないでしょうか? もっとも今回は規模が違いますが」
これは……会社内で起こった事件、綾瀬部長がなった現象に似ている。
逃げ道を埋めるように四方八方に敵となった人達が塞いでいる。
「これらは私の命令でいつでも動かせますので、発言には気を付けてください。それと、こちらをご覧ください」
「こ、これはっ!?」
出されたタブレット端末に映し出されていた光景に目を疑った。
場所がどこかはわからないけど、この場にいる人達と同じ状態の方々が街中を徘徊していた。それもこの場よりも遥かに多い数だ。
「暫定的な種の実験を始めさせていただきました。今都内では少しずつではありますが、理性を失い暴れ始める人が出てきています」
少しずつって……タブレットに映っていた箇所だけでも数百人の人達がいた。それが部長と同じ状態になっているなんて
「先に忠告しますが、怪盗少女がこの場に現れるなんて思っているとしたら、残念ですがそれは叶いません。奴らは画面に映っていた場所に向かって戦うでしょうし、貴方の自宅の近くだけこのような状況になっているなんて思いもしませんでしょう――ですので、これから問う質問にはきちんと答えてください」
「…………は、はい」
二つ返事で返すほかない。腰が引け、膝も震えが生まれ始めるけど、その場から動くことが出来ない。
肩を組むことが出来る距離に男が近寄ってくると、そのまま耳元で呟かれる。
「あなたは怪盗少女と関りはありますか?」
「そ、それは……」
「正直に言ってください、と言いましたよね」
今度は正面に立ち、ジッと僕の表情を見つめている。ほんのわずかの挙動ですら見逃してくれなさそう……。
「その反応ということは関りがあることは確定ですね。それ以前に怪盗少女と一緒にあなたは現れて事件を起こしたということでしょう。最近は色々と活動が活発になっていますよね。巷では魔法少女なんて呼ばれていて若者達からも強い関心があるそうで……そのせいで我々も活動が難しくなってきているんですよ」
「……結局、何が言いたいのですか?」
思いふけるように語っているけど、僕は警戒心を緩めずに周囲にも気を張った。
そんな僕の様子を見て、たっぷりと間を開けてから言い放った。
「私達と協力しませんか?」
「え?」
出てきた単語に不意を突かれ、気の抜けたような呟きが漏れてしまう。
「あなたは貴重な存在なのです。故に怪盗少女達と手を組むのではなく私達と手を組み、ともに世界を変えませんか?」
「貴重な……存在……」
「少し失礼しますね」
「なっ――」
まるで瞬間移動だった。
気づいた時には懐に入られていた。
『ボエロス!』
「――――」
首元に微弱な電気のようなものが流れた。ビリッと何かが首筋に走る。
慌てて首を手で抑えながら、すぐさま距離を取った。
「……やはり魔法が効かないというのは本当らしいですね」
訝しげに眉を寄せる。
「今、私はあなたに動けなくなる魔法を掛けました。ですがあなたは今もこうしてピンピンしていらっしゃいます」
その言葉を聞いて両手を開いたり閉じたりしてみたけれど、特にこれと言って変化があるわけでもなく、ごく普通に動いている。
「ですが、報告によれば物理的の攻撃であれば効果があるとの情報を得ています。……丁度いいので試してみますか?」
まるで準備万端とでも言うように手首を動かしている。それに言葉や表情から余裕の表しも感じる。
「悪いようにはしませんよ、何しろ上からの命令ですから」
「上からの、命令? 僕を捕まえることが、ですか?」
「はい。なので、二つ返事で了承してくだされば、私も手間が省けて助かります」
ど、どうしよう……。
もちろん、一緒に行く気はない。だけどここで断って実力行使されたら、無事では済まない気がする。
「…………」
「ふむ、だんまりですか……致し方ありませんね!」
突如、男が爆ぜるように動いた。
一瞬にして僕との距離が詰まる。
「なっ!?」
しまった、と思った時には、男の右腕が振りかぶっていた。
防御の姿勢も、回避するタイミングも逃し、まさに絶体絶命。人生の終焉がすぐそこまでに迫っていた。
「――待ちなさい!」
その運命を変えたのは一声は、その声を聴いただけで発声者が誰かわかるようになっていたほど聞きなれたものになっていた。ただ初めて聞くであろう男は、その声に驚いたのか僕に当たる寸前で動きが止まっていた。
「エトワールさん!」
「その人に何をしようとしていたの!」
僕と男の拳のほんのわずかな隙間に割って入るような形で、武器のステッキが男の拳を制止させていた。
「……何故ここに貴様がいる? 巷の奴らの相手をしているはずでは……」
「お兄さんの身の上に危機が迫っていたから、急いでこっちに来たまでよ」
「でも、どうして僕が危ないってわかったんですか?」
「イヤホン、電源が入ったままだったから、そこから音声が聞こえて来たの」
そう言われてポケットの中を漁ると出てきたのは、午前中に大野主任から注意を受けて外したイヤホンだった。
(外してそのまま入れたから電源が付いていたのか)
側面に電源のランプが緑色に点灯していた。どうやら、ここまでの会話は聞かれていたみたいだ。
「町の騒ぎもあなたの仕業ね。直ぐに皆を元に戻して」
キッと鋭い視線で睨まれるも、当の男は涼しい顔。
「残念ながらそれは出来ません。それに、彼を襲えばあなた方が出てくるということは……どうやら繋がりがあることは確定ですね」
「貴方の相手はあたしよ! その人は関係ないでしょ」
「ご安心を、彼は重要人物ですから悪いようにはしません。もっとも、重要なのは彼の方だけであって、あなた方は含まれておりませんので!」
言葉を言い終えた瞬間に男の片目が黒く光り、矢のような光線が放たれた。
「ちょっと! いきなり攻撃するなんて!」
「今の攻撃を防ぎますか……、多少はダメージを与えられると思ったのですが」
……今、何が起こったのでしょうか?
完全に不意を突かれたタイミングで放たれた敵の攻撃、僕の目には映らなかったけどどうやらエトワールが防いだみたいだ。彼女の前に防御壁のような青白い魔法陣が展開されていた。
「お兄さんはそこで待っててね」
「えぇ? でも、こんな場所は逆に危険じゃ――」
「危ないから、絶対にそこから動かないで。攻撃が来てもあたしが守るから」
僕と彼女を中心にするように、地面に円の形をした青い光が一瞬光る。
「……随分と自信があるようで――はぁ!」
「うわぁ――って、あれ?」
掛け声と同時に投擲されたのは、小さな黒い矢。一直線に僕に向かってきたけど、直撃する寸前に僕の目の前でバラバラに砕け散った。一瞬だけだったけど青い光の壁のようなものが浮き出て、矢を弾いたように見えた。
「なるほど……防御魔法ということですか。確かに彼に魔法は効かないと聞いていますが、それをさらに強固にしたということでしょう」
「これで、あなたとの戦いに集中できる。いくよっ!」
タンタンと飛びながら距離を詰めた。
右から、左からと迫ってくる攻撃をいなし、魔法での攻撃は魔法で対処。距離が出来たら隙を見て魔法での攻撃、直接攻撃にきたら、まるで新体操かのような身のこなしで華麗に避けている。
激しく上下する箇所や、めくれて見えそうな部分など、些か目のやり場に困るようなシーンはいくつか見受けられたけど、その戦いには目を奪われた。
「くっ……」
まるで赤子の手をひねるかのように圧倒していた。
大量の援軍も、彼女の前では戦力とはならず、次々と戦闘不能になり動きが止まる。
「……なんという戦いなんだ」
思わず言葉が漏れてしまうほどの迫力。
魔法攻撃の際の衝撃風は身体が飛ばされそうになるほど。足に力を入れて何とか踏ん張った。
「……なるほど、だったら――」
「えっ!?」
それまでエトワールとの戦闘をしていた男が、急に視線が僕へと移り交わった
「今の一瞬……さっきの衝撃風では魔法の壁が発動していなかった。故に魔法攻撃ではなく物理的な攻撃なら当たるはずだ」
「んなっ!」
「魔法による攻撃に反応する防御魔法ってことなら、一切の魔原素を使わない暴力となると発動しないはずだ。多少痛めつけて人質にしてやる!」
一瞬にして距離が詰まる。
「大人しく掴まれ!」
「うわぁああ!」
猛獣が突進するかのように僕の元へ飛んできた。
完全に安全だと油断していたため、逃げる準備も、避ける準備も出来ていない。
顔の前で腕を交差して防御の姿勢を取るのが精一杯だった。
「えっ?」
そこには腕を振りかぶり、僕の目の前で止まっている男の姿があった。ほんのわずかだけど小刻みに全身が震えている。
「こ、これは……」
「エトワール・ジュレ。動きを封じる魔法よ」
よくよく見ると、光り輝く紐のようなものが身体中に巻き付けられている。
「なっ!? 馬鹿なっ!」
「絶対にお兄さんを狙うって、思ったからさっきに仕込んでおいたの」
必死に抜け出そうと身体に力を入れているのがわかるが、まるで石像になったかのように動くことは無い。
「身体が……動か、ない……だと!」
「これでお終いよ! はぁあああ!」
ステッキの先端に、光の粒子がどんどん集まっていき形成していく。
『エトワール・ルミーネ!』
「くっ、くそがぁああああ!!」
放たれた光線に包まれ、男の姿が消えていった。
それと同時に動いていた人達が一斉に膝から崩れ落ちた。
『アニュッレット・シード!』
エトワールの言葉と同時に、操られていた人々に向かって光が浴びせられる。そこから小さな種が次々と出現する。
「元に戻れ」
ステッキを一振りすると、全ての種が光の粒子となり皆の身体の中へと戻っていく。
「お疲れ様です。それと、ありがとうございます」
「ううん、こちらこそありがとう、信じてくれて」
「え? どういうことですか?」
「お兄さんの周りに魔法を仕掛けてたの。誰かが近づくと発動する魔法だったから、お兄さんが一歩でも動いていても発動しちゃうから」
告白された事実に、思わず息を飲んだ。
正直思いっきり逃げようとしました……だけど咄嗟のこと過ぎて足が出なかっただけなんて、今更打ち明けることは出来ない。
「それでなんですけど、他にも戦いが起こっているっていうのは――」
「うん、今アステールとエストレアが別の場所で戦っているの」
「同じように操られた人にですか?」
「うん、たぶん敵が本格的に動き出したんじゃないかって。お兄さんが潜入したところに向かっているから、そこで合流することになっているから行こう!」
なるほど敵が本性を表してきたってことか。
いよいよ本格的な戦いになってきた。僕も足を引っ張らないようにしないと。決意を胸に仕舞い、彼女の後ろから付いていく。
タンタンと軽やかなステップで建物の壁やちょっとした足場をキックして屋根の上に登っていった。
よし、僕も――って、無理です!
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌ててエトワールを呼び止める。すると、僕の声に気が付き戻ってきてくれた。
「あっ……ごめん、流石にお兄さんは厳しいよね」
「す、すみません」
「どうしよっか……お兄さんを置いていくわけにはいかないし、でも早く合流しないといけないし……」
頭を抱えて悩む彼女を見て、心が痛くなる。ここでも僕はお荷物……彼女達の足を引っ張っている。申し訳なさと不甲斐なさ感じるのはもう何度目だろう。
「うーん……と、そうだ!」
何か思いついたのか、膝を軽く曲げ、僕に向かって背中を差し出している。
……これは、その……まさかでしょうか。
首元から背中にかけて綺麗な白色が露出しているだけでも目を背けてしまう。
「あ、あの……」
「こ、これなら移動も早くて、お兄さんも一緒に行けるかなって」
や、やっぱりおんぶですか……。
「だ、大丈夫。怖いとは思うけど落とさないから」
いや……そっちの心配じゃなくてですね……もちろん、落ちる怖さも多少はあるけど、コスチュームの影響で一部分が素肌として出ているし、その……。
「どうしたの? 大丈夫だから」
躊躇していると、彼女は不思議そうに尋ねた。
彼女は何のためらいもなさそうだ。最近の子はあんまり気にしてないのかな?
それでも抵抗があったけど、催促されて決意を固めた。
恐る恐るエトワールの首に腕を回し、腰を足で挟んだ。
自然と身体が密着してドキッとしてしまう。それに少し手を伸ばしたら山の斜面に触れてしまうと考えると、男としての部分が反応してしまう。
「えっと……その、しっかり捕まってて!」
そんな僕の葛藤を他所に彼女は足を運ばせた。
道中の景色なんて見る心の余裕はなく、必死に理性を保つための戦いを行っていた。
長くて短いフライトの中で何とか己の制御に成功した。
到着した場所は本日二度目の訪問だ。
「ごめん二人とも、お待たせ」
「あらあら、大胆ですね」
その言葉に、慌てて降りた。
「エトワール、無事のようね。それに彼も」
「うん、こっちは何の問題も無いよ。それよりも――」
「そうですね、そしてここが敵の本拠地ということで間違いないと思います」
正面の入口から入るや否や、待ち構えるかのように集団がお出迎えしてくれている。
「やはり……ここで間違いないようね」
「たぶん、ここで働いていた方達だよね」
「こんな風にするなんて……許しません!」
「皆、行くよ!」
駆け出した三人の怪盗少女は迫りくる敵をもろともせずに突き進む。
各々が魔法を活用して道を切り開いていた。
「やっぱり最上階かな?」
「きっとそうね」
「階段は向こうにあります」
戦力外の僕は案内人として皆を誘導する。
「……って、ちまちま一階ずつ上っていたらキリがないよ!」
確かにそうだ。
最上階は三十階。敵を倒しながら進んでいたら時間がいくらあっても足りない。
「どうしましょうか……敵の本陣であまり長居はしたくありませんし」
「もう、こうなったら……」
「へっ?」
視線を向けられて思わず硬直してしまった。だが、次の瞬間には膝を曲げて背中を出していた。
一度外に出てから、窓を足場にして蹴り上げる。本日二度目のおんぶによって、エレベーターもびっくりするくらいの速さで上昇していく。この際も綺麗であろう景色を見る余裕はなかった。
ものの数秒で目的地へと到達する。
(でも、どうやって中に?)
周りは全面窓ガラス、もちろん扉なんてものは存在しない。
そんな僕の疑問を抱いた次の瞬間、
「しっかり掴まっててね。やぁああ!」
(だ、大胆!)
取り出したステッキの先端から繰り出された小さな光の玉はパリンッと一面の窓を割った。
あまりの力技に開いた口が暫く塞がらなかったけど、無事に中に入ることに成功した。
下ろしてもらってから、後は一直線。
勢いそのままに、止まることなく扉を開けた。
「そこのあなた、何をしているの!」
「やはり、彼ではあなた方を止めることは無理でしたか」
待ってました、と言わんばかりに部屋の中央にその人物はいた。
その声、その体格、その表情、全てが鮮明に覚えている。
その男、鶴川の頭上には種が浮かんでいる。
「どうして、こんな真似を?」
「我々が管理してあげようと思いまして。この国には我々のような優秀な人材だけが必要なのです。世の中は多くの低能な者によって世界の成長を妨げている。一部の有能者や力ある者が可哀そうだと思わないかい?」
「それで自分たちが支配しようとしたってわけね。随分と身勝手な行動ね」
「あなたには共感できると思うのですが」
「ぼ、僕ですか?」
突然の指名に面を喰らった。
「えぇ、力の無い者が力のある者の足を引っ張っている。まさに現時点で君が行っていることじゃないか」
「そ、それは……」
足を引っ張っている。その言葉が心に突き刺さる。
思い当たる節が少なくないからだ。
「そいつの話に聞く耳を持つ必要はないわ。それよりも……覚悟はいいかしら?」
「覚悟……? それはこちらのセリフです」
鶴川は巻いていた腕時計を放り投げる。それが床に落ちた瞬間、彼はその場から消えていた。
「なっ――」
「遅いですよ!」
その姿を僕が再び捉えた時には、既に攻撃が彼女達に当たっていた所だった。さらに追撃の光線を放つまでの所作が目に追えないほど早かった。
「はぁああ!」
「やぁあ!」
「ふっ……甘い!」
エトワールとエストレアが挟み込むような形で仕掛けるも、軽くいなされてしまう。逆に攻撃を受け止められた二人が反撃を喰らって吹き飛ばされてしまう。
身体を左右に揺らしながら何とか立ち上がった。粗い息遣いの音が離れている僕の元へと届いている。
「もう、終わりですか?」
「くっ……」
「この程度とは……私が本気を出せば怪盗少女も相手では無かったとのことですね」
右手を掲げ、天井に向けた手のひらの上に黒い光の塊が完成されていた。
『ラリオス!』
言葉と同時に放たれた無数の光の玉が滝のように降り注いだ。
鼓膜を破くような激しい音と、立っていられなくなるほど地面が揺れる衝撃だった。
「うわっ!」
両手で頭を守り、目を瞑り、その場で身を縮こませた。そうでもしないと衝撃で身体が吹き飛ばされそうだ。
静音が訪れた時に目を開ける。その時に入って来た光景に目を疑った。
「なっ!?」
先ほどまで綺麗だった場所は一瞬にしてがれきの山と化していた。元々の場所の原型はとりとめていなく、自分が今どこにいるのかもわからなくなりそうなほどの変わり映えだった。
そして変わっていたのは場所だけでは無かった。
「うっ……」
「くっ……」
「はぁ……はぁ……」
がれきの上で横たわる三人は既に満身創痍の表情を浮かべていた。
既にコスチュームはボロボロで、何とか立ち上がろうと必死に身体を動かしている。けれども力が入らないのか立つことが出来ない。
(このままじゃ、皆さんが……でも僕は一体どうすれば――)
この場において、ダメージを受けていないのは僕だけだ。それに魔法の攻撃が効かないから少しでも時間を稼げれば――。
拳を握りしめ、足を動かす。
大技を放った影響か、少し休んでいた鶴川が動き出した。とどめを刺すに違いいない! 滑り込むように進行方向の前に割って入った。
「――や、やめろ!」
「……邪魔をしますか、ふんっ!」
「がっ!?」
「殺しはしませんが……私があなたに攻撃をしないからと調子に乗っているのではありませんか?」
お腹に当てられた一発の拳で、全身に力が入らなくなる。
口から滴る紅が床にぽたぽたと落ちていく。膝から崩れ落ち四つん這いの姿勢で何度も咳き込んだ。そのたびに汁が辺りに飛び散っていく。
「あなたが欲しい……と、言うよりはあなたの能力が欲しいのです。故に多少の傷でもご了承をもらえるでしょう」
耳元で悪魔のような囁きが響く。
「あなたの能力は見たことがありません。魔法が効かないことは魔法を使うものに対しては負けることがありません。きっと一定の強さまでなら無効化することが出来るのでしょう。ですが、今の私の攻撃には全身の神経を軽く麻痺させる効果を付随させました。あなたが立ち上がることが困難になっているのも、それが原因でしょう」
上から僕を見下ろすその表情は、勝ちを確信している余裕の表情だ。
「お判りでしょうが、あなたの能力は全ての魔法にではありません。あぁ、もしかするとあなたの魔原素の量によって無効化出来るのかが決まっているのかもしれませんね。故に解明するために私達に協力して欲しいとお願いしたのです。その能力が私にあれば如何なる相手が来たとて負ける可能性がありませんから」
赤子に対してしゃべるかのように、ゆっくりそしてハッキリと僕の脳に直接語り掛けてくる。
「ですが、あなたにその力があっても宝の持ち腐れです。有効な能力な有能な者が持つべきだと。貴方も薄々気が付いているのではありませんか? 彼女達の足を引っ張っているのだと」
「そ、それは……」
耳が痛い、心に刺さる。
「そうですね……貴方が我々に協力すると約束してくだされば彼女達を見逃してあげても構いませんよ。あなたの能力を解明し、我々が使えるようになるための協力です」
語気が強まり、その一言一句に恐怖がつき纏い。僕の身体が小刻みに震え始めた。
「無能が有能に変わる機会ですよ。何も出来ない力のない者が、人を守れるのですから」
下唇を噛み締め、拳をギュッと握る。
僕が……僕がここで協力しないと皆さんの命が危ない。
でも協力してしまえば、きっと世界は奴らが支配することになることは間違いない。
どうすればいいんだ?
「……困りますね、これだから無能は嫌なんです。勝負は既に見えているのですから、選択肢は一つしかないでしょう。無駄な労力は出来るだけ避けたいですし、時間も惜しいのですから」
「ぐっ……」
躊躇していると、僕の首を掴み無理やり身体を起される。
すると、空いている片方の手の平から何やら黒い物体が生成し始めていた。
それが何なのかはわからないけど、本能的に命の危険だと察知したのか、全身が硬直するほどの力が入る。
「――無能なんかじゃない!」
「っ!?」
肩で息を吸い、少しでも触れれば倒れてしまうであろう姿だけど、彼女は確かに立ち上がっていた。
「お、お兄さんは無能なんかじゃない。私を、何度も救ってくれた凄い人なんだから!」
「え、エトワールさん……ぐっ!」
「死にぞこないが……」
僕への興味が無くなったのか、まるでゴミを投げ飛ばすかのように僕をから手を離した。
「そんなに邪魔をしたいのなら、私の全身全霊を持って仕留めてやろう――はぁああ!」
鶴川が身構える。
全身から溢れんばかりのオーラを身に纏い、差し出した両手に黒色の光が急速に集まって球体を形成していく。
明らかに大技なのは見て取れるし、あんなものを喰らった、現状でもボロボロなのにどうなってしまうか想像もしたく無い。
「危ない!」
「きゃっ――」
彼女達は動くことも、守ることも出来ない状況。
でも僕の身体は動く!
それに彼女は、僕のことを無能じゃないって肯定してくれた。たったそれだけのことだけど胸の奥が熱くなった。
その熱量だけでも僕は頑張れる!
「お兄さん!」
「くぅ……うぅ……」
鶴川から光線が発射される前に、僕は前に立った。
まるで壁にでもなるかのように。
魔法の攻撃を無効化出来るなら……どこまで出来るか分からないけど、少しでも軽減出来たら!
腕を交差して光線を受け止める。
なんだろう……身体の奥底から何かが溢れだしてくるような感覚だ。それもものすごい勢いで――抑えられない!
「うっ、うおぉおお!」
「え?」
身体の中に何かが入っていく感覚がある。
「こ、これは……まさか!」
「な、なん……だと!」
「もしかして……彼の能力は魔法を無効化するのではなく、魔法を吸収する能力なのでは――」
受け止める最中、僕の身体が光りだす。
やがてそれは、徐々に大きくなる。それと同時に鶴川から繰り出された光線が消えていく。そして全ての光線が消えた時、光は僕の全身を包み込んだ。
「なっ……この姿は!?」
光が収まった次の瞬間、自身の姿に目を疑った。
白い鋸歯形のマントを身にまとい、軍服のような白色を基調としたコスチューム。グローブを付け、靴もロングブーツを履いていた。
自分自身の姿を見て驚かずにはいられない。
それは、この場にいる全員も同じことで、驚嘆の声があがっている。
「お、お兄さんも変身した!?」
「ば、馬鹿な……それに魔原素が格段に上昇している、だと!」
「い、一体何が……」
全くと言ってもいいほど自分の身に起きた状況がわからない。
わからないけど――何だかいける気がする! 身体の奥底から何かが溢れんばかりにみなぎってきたと思う! 拳に力を入れると今まで以上に力があるような気がしてならない。
うん、いける! 何だか凄い魔法を出せる気がする!
勢いに任せるとばかりに足を動かす。そしてありったけの力を込めて片腕を突き出して男の方へと向けた。
「やぁああああ!」
「ちっ……」
腕を顔の目の前で交差して防御の姿勢を取る男。
このまま攻撃を――
「ああああ、ああ……あ……」
攻、撃を……?
――あれ?
「ど、どうしたの?」
威勢の良い声が消え、そんな様子を心配するような声が耳に届く。
そして、ゆっくりと振り返って僕は尋ねた。
「す、すみません……あの、どうやって攻撃をしたらいいのか……」
ポカンと口を開ける三人の少女。
「その姿になられたということは、魔法を使えると思いますけど……」
「で、ですよね……」
そ、そうだよね……姿が変わったから攻撃できるはずだよね。
もう一度、男の方へと意識を向ける。
「や、やぁ!」
腕を振ったり、伸ばしたり、掲げてから振り落としたり。ありとあらゆる思いついた行動をとってみた。
だけど僕の腕や手のひら、身体から何かが出ることは無い。
(な、何で何も出てこないの!?)
次第に湯気が出てくるほど顔が熱くなっていく。
威勢よく掛け声を出していたのに、何もできないなんて……恥ずかしくて誰とも視線を合わせることが出来ない。
こういうのって普通はノリと雰囲気でカッコイイ必殺技とか使うんだろうけど……いや、何も教わってないからわからないよ!
「……ふっ、どうやらただの杞憂で済みそうですね。あなたも一緒に終わらせて差し上げますよ!」
「き、来たぁ!?」
振り上げられた腕から飛び出したのは、僕の顔よりも大きい火球だった。
文字通りの火の玉ストレートが一直線に向かってくる。
ダメだ! やられる!
咄嗟の行動で、マントを身体の前に出して防御の構えを取り、目を瞑った。
あっけない最後だったなぁ……。
終わりを悟ったので、これまでの人生を振り返ろう。そう思ったのだが、
「……あ、あれ?」
痛くも、熱くもない。
訪れるはずの感覚は数秒経っても味わうことは無かった。 恐る恐る目を開けると、先程と何も状況が変わっていない。
直撃したはずのマントは、焼け跡すらなく、小さな白い煙がわずかに上っているだけだった。
「ば、馬鹿な……吸収しただと」
「す、凄い……」
皆の驚嘆の視線を感じるけど、それ以上に自分自身が一番驚いている。
どうやら火の玉をマントが吸い込んだみたいだ。このマントにそんな効果があるなんて思いもよらなかった。キラキラと輝かせてマントをじっと見つめた。
「魔法が通用しないなら、こっちだ!」
「――っ!?」
「あ、危ない!」
咄嗟に身体が反応した。
攻撃対象が僕からエトワールに変わったことは、男の視線でわかった。
顔の前で腕を交差して、間に割って入る。鶴川から放たれた拳を受け止める。その拳を力で押し返すと、勢いで男は後ずさる。
「身体能力も、上がっているとは……一体何者だ」
ただの取柄の無い社会人です、ごめんなさい。
「そもそも一般人で魔原素を大量に保有しているのがおかしな話だ。魔原素を持つ者が分け与えるしか方
法が無いはずだが……それに使用となると全員が使えるとは限らないはずだ。それすら見越しているとは……侮っていたな」
いえ、毎日怒られている社会人です、そんな凄い人みたいな扱いされると恥ずかしいです。言葉を話す度に、僕の顔の体温が上昇していく。
「大丈夫ですか?」
「う、うん……」
「この状態……もしかして」
「きゃわっ!?」
自分でもよくわからないけど、今ならいける気がした。彼女の身体に触れ持ち上げる。意識を手のひらに集中させる。
「身体から……光が!」
すると突然、僕の身体から温かな光が灯っている。
白くて淡い光が 彼女の胸辺りからも発せられる。
するとボロボロに破れていたコスチュームがみるみるうちに修復されていく。
「力が……魔原素が湧いてくる!」
「ば、馬鹿な……」
「もしかして、彼は魔原素を回復できる存在なのでしょうか?」
「そ、そんなことが……でも、確かにそのように見えるわ」
コスチュームだけでなく、傷跡も無くなっていく。
そして戦闘開始前の綺麗な姿へと戻っていた。
「そんな力があるとは……」
「す、凄い……」
この場にいる誰もが驚きを隠せないでいた。
僕も自身が何をしているのか、いまいち理解していないけど。
「あ、あのっ……」
「はい?」
「も、もう大丈夫……だから、その……」
腕の中で、どこか熱の籠っているようなエトワールの声。何かを訴えるような感じにも取れて……って、腕の中!?
密着していたことをすっかり忘れていた! ぴっちりとしたコスチュームのため、胸の膨らみが強調され形もハッキリと形成されている。尚且つ薄着なのか身体の温かみが直に僕の掌に伝わってくる。
ほんの数秒だが、まじまじと目に焼き付けて、感触も味わってしまった。
「す、すいません!」
我に返った僕は直ぐに彼女を降ろした。
「くっ……」
「あ、ありがとう……、えっと、その二人もお願い!」
「そう、易々とさせるかぁ!」
「邪魔はさせないよ!」
鶴川の攻撃をエトワールが受け止める。
「今のうちに二人もお願い!」
「わ、わかりました」
急いで二人の元へと駆けつける。
「魔原素を回復させるなんて、流石です」
「回復させることが、出来るなんて……やっぱりあなた何者なの?」
「でも、どうやったら……もう一回同じようにすればいいのかな?」
急いできたのはいいけど、正直無我夢中だったから何をどうやってのかがわからない。
「少なくとも触れ合うことは大前提なのではないでしょうか?」
「触れ合う?」
「はい、先程のやり取りを見て、少なくとも身体的な接触は必要なのではないかと」
身体的な接触……、その言葉に思わず唾を飲んだ。
「身体的な接触って、本気で言っているの?」
「少なくとも魔原素の分け与えるのには身体的な接触が不可欠なはずです。元々新井さんが私達と関わる
きっかけになったのも、おそらくはエトワールとの接触がどこかにあったかと思われます。私はまだ怪我の程度が軽いので、アステールの方からで大丈夫です」
「……………………仕方ないけど、お願いするわ」
長い沈黙の後、ため息を吐きながら呟いた。
肩で息をしながら片腕を抑えている彼女の背後に立つ。って、普通に彼女に触れていいの?
「……あ、あの……えっと……」
「余計なことをしたら、わかっているでしょうね。……それと、あまり時間を掛けている暇は無いわ」
今日の戦闘中で一番怖い物を見たかもしれない。少なくとも戦闘を共にしている人を見る目では無かったことだけは確かだ。
「で、では……し、失礼します」
最小限の刺激になるようにゆっくりとアステールに触れた。
触れる事への抵抗をはっきり意識してしまった。さっきは無我夢中だったので、意識をすることは無かったけど、よくよく考えてみれば女子高校生を抱きしめているみたいだ。これって色んな意味で許されるのかな?
様々な思考と邪念が頭の中を駆け巡ったが、一度首を横に振り意識を集中させる。
エトワールと比べれば胸部は慎ましいが、まるでモデルのような美しい体型、それに何だか脳を惑わせるような良い香りが鼻を通る。
エトワールの時と同じように胸の辺りが光りだし、やがてアステールへと伝達していく。
「……本当に魔原素が回復していく」
傷が完璧に癒えた。
「それでは私もお願い致します」
間髪入れずに、エストレアの方に回復をさせていく。コスチュームからはあまり感じられなかったけど、結構な大きな山が――って、何を考えているんだ僕は!
やはり煩悩と戦いながら、何とか理性を保って回復を終わらせた。
「馬鹿なっ……」
「よし、皆行くよっ!」
「お、お願いします!」
「……助けてもらって虫が良いのはわかっているけど、攻撃は出来ないのね」
耳が痛い。
へこむ僕を他所目に三人が集まった。
互いの杖の先端を重ね合わせた。その先端に現れたリング状の円法陣が徐々に速度を上げながら回転を始めた。
『三つの光よ集まれ、アミュレット・ライトニング!』
リングの中心を貫くようにして発生した巨大な光の衝撃波が一直線に駆け抜けた。
「ぐはっ!」
そして劈くような轟音と白熱させるまばゆい光が鶴川を飲み込み見事に打ち抜いた。えぐられた天井と床がその威力を物語っている。
少年心をくすぐられるような必殺技に思わず拍手をしていた。
黒幕を倒せたし、これで一件落着――って、あれ?
「あ、あれ? 身体に力が入ら……ない?」
「あっ――」
ふっと抜け、視界がぐらついた。
「あ、危なかったー」
「…………ん」
足に力が入らず、その場で倒れこんだ。気が付くとコスチュームも元に戻っていた。
「す、すみません。急に力が入らなくなってしまって」
「ぁ、ん……」
「ぁ……ご、ごめんなさい!」
妙に色っぽい声が聞こえたと思ったら、状況が読み込めた瞬間、青ざめた。
転倒した弾みで、右手にはエトワールの柔らかいものを掴んでいた。
「……何してるの、この変態」
「あらー、大胆ですね」
冷ややかな視線が突き刺さる。
「ち、違います! これは事故で!」
慌てて弁明するも聞く耳を持ってくれなかった。
当の本人も顔を赤くして怒ってしまっているみたいだ。
『アニュッレット・シード!』
倒れていた多くの人々から種が取り出されていく。
「元に戻れ!」
掛け声とともに小さな光の塊が窓の外へと流れていく。
「これで一件落着ってことですか?」
安堵の息を吐きながら、戦いを終えた彼女達に確認をとるように問うた。
「たぶん、大丈夫だと思う。敵も倒したし、種も破壊できたしね」
「それにしても、あなた」
「えっ? ぼ、僕の事ですか?」
突然キッと睨めて、思わずたじろいでしまった。
「本当に一体何者なのかしら? 相手の魔法攻撃は吸収出来て、逆に私達に魔原素を与えることが出来るなんて」
ずいっと顔を近づけられて、反射的に顔を背けてしまう。
こんな風に女性に近づけられた経験が無く、不慣れな僕の心臓の音がうるさくなり始める。
「でも、凄かったよね。回復できるなんて、これがあれば百人馬力だよ」
「もしかして、吸収した分だけしか回復できない可能性もありますね。いずれにせよ大きな力になることは間違いありません」
「そうね、戦闘時において役に立つ能力ね」
期待を込められた眼差しが向けられるも、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
といっても僕自身に自覚があるわけではない。
どうして、どうやってと問われても言葉を濁しながら唸る事しか出来ない。
「これで解決なんでしょうか?」
「そうだね、皆の魔原素を元に戻したから大丈夫だよ。それよりも疲れたから何か食べに行かない?」
明るい口調の言葉は重苦しくなりそうだった雰囲気を吹き飛ばす。
「いや……今、何時だと思っているのよ。それに夜遅くに食べて体重がどうなってもいいのかしら?」
「うっ……ううぅ~~……」
放り投げられた腕時計をアステールが拾い上げた。表示されている時刻を見てエトワールの悔しそうな表情と声によって辺りに笑いと笑みが零れる。
一先ずは解決したことだし、これからのことは後で考えるとして……流石に疲れたからゆっくりさせて欲しいなぁ。
まるで旅行の帰り道かのように、これまでのことを話しながら階段を降りていった。沢山の階段があったけど、話をしていればあっという間に下っていった。
戦闘が終わり、何となく終わりに雰囲気が漂い始めた時だった。
「待って! まだ町の人達の様子が!?」
空気を一変させたエストレアの叫び声。それまで賑やかだった空気が一変した。急いで確認すると、外には理性を失った人達が大群となって暴れ散らかしていた。
「どういうこと、なの?」
「種はさっき壊して、魔原素は元に戻したはずだよ」
そうだ、僕もこの目で見ている。
でも実際には種を使って操られている状態の人が沢山いる。ということはつまり――
「この状況下ってことは、考えられる可能性は一つ。まだ破壊できていない種が残っていることになるわ」
「でも、この場所には何も感じられません。もしかすると別の場所にいるのかもしれません」
他の誰かが、どこかの場所で種を使って操っているということになる。
「誰がどこで……やっぱりチェインと関係がある人でしょうか?」
「まぁ、そういう風に考えるのが妥当ね、だけど……」
「そんなのキリがないよ……」
「どうすれば……」
絶望の空気が辺りに広がり始める。
一体誰が何をしているのか、原因がわからない。
焦燥感に駆られる。早く何とかしないと……。
「この腕時計に何か機密のデータとかは…………なさそうね」
戦闘前に投げ捨てられた腕時計は戦利品として残っていた。小さなことでも何か情報を得ようとしているけど、何の成果も出てこない。
……あれ? その腕時計どこかで――
「っ!? すみません! その時計を見せてください」
半ば強引にアステールが持っていた腕時計を受け取る。
ジッと細部まで事細かに確認する。
「な、なにかわかったの?」
「――気になることがあります。調べることはできますか?」
「はい、調べ物は得意ですのでお申し付けください」
エストレアに気になった点を伝えた。
「ねぇ、一体何がわかったの?」
「――もしかしたら、首謀者がわかったかもしれません」