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平凡な社会人が女子高校生を自宅に入れてしまった件


「お邪魔しまーす」

「ど、どうぞ……」


 どこか楽しそうにも見える表情に対して僕は緊張で硬くなってしまう。


(って、いうか……)


 目の前に立つのは年下の女子高校生。

 黒と赤 のガーリーなワンピースは丈が短く、そこから伸びている足はモデルのように細く、黒いオーバーニーソックスが一層際立たせる。フリル袖から現れる腕、肩から下げている小さなピンク色の鞄も妙に意識させられてしまう箇所になっている。


「え、ええっと……何か変、かな?」

「えっ? あ、いえ……すみません。どうぞ」


 慌てて視線を逸らした。

 危ない……、まじまじと服装を見てしまった。その恰好に目が惹かれてしまった。気を付けないと色々と問題になってしまう行為もあるから気を引き締めないと。


(……どうして、こうなったんだ?)


 本当に、なんでこんな状況になったんだろう。

 部屋の中に招きながら、こうなった経緯を思い出す。



『――新井さんの自宅に私達が護衛として滞在するのが良いと思います』


 何の躊躇いも無く言った一言。


『それってどういう意味?』


 眉間に皺を寄せ田原さんが尋ねる。


『向こうも表向きは世界的とはいえ一企業です。ですので、平日に何かを実行するのは怪しまれる可能性が高いので仕掛けてこないと思います。そうなると休日、主に土日に動いてくると思うのです』


 皆が真剣に唐木田さんの話を聞いていた。


『新井さんが襲われてからでは取り返しのつかない状況に陥るかもしれません。ですので、私達が傍にいれば対応できますし、私達は素性がバレていませんので一般人と勘違いしてくだされば抑止力にもなると思います』

『理由はわかったわ。でも、自宅に滞在する理由は無いと思われるのだけど』

『相手が本当に新井さんをターゲットにしているのであれば、何をしてきてもおかしくはありません。多少強引な手を使ったとしても他に目撃者がいなければ十分に考えられると思います。新井さんがいなくなれば現場で見ていた人は誰もいないことになるのですから』


 その後も田原さんと唐木田さんの意見はぶつかり合った。あまりの迫力に僕と片瀬さんは口を挟むことが出来ずに、ただただ行く末を見守っていた。


『ですが、新井さんは一般の方です。攻撃は出来ませんが、魔原素を回復できる力がありますし、姿を変えて戦闘に参加することができます。攻撃は出来ませんが』


 胸にチクリとした。

 攻撃が出来ないことを二度も言わなくても……。


『なら――』

『ですが、どんな理由であれ新井さんを巻き込ませてしまった以上は、私達にも守る義務があると思うんですよ。忘れてはいけないのは、新井さんは一般の方であり、私達の都合によって、この現状に陥っていることです』


 理路整然と話す彼女の言葉に、思わず息をすることも忘れ聞き入ってしまった。

 それから数秒、黙り込んだ後、


『……わかったわ』


 大きなため息を吐き出しながら話は終息を迎えた。

 あの会話を思い出すだけでも唐木田さんに対しての印象が変わってくる。

 醸し出す雰囲気や、仕草、話し方などから、どこかのお嬢様みたいな感じに思えたので、控えめな性格だと思っていたけど、そうではないかもしれない。

 それに今回の案は唐木田さんが発案したものだ。意外にも大胆な性格の人なのかもしれない。


「へー、一人暮らしの部屋ってこんな感じなんだ」


 今まで他人を家に上げたことがなく、一人で過ごしてきた日を更新してきたが、ついにその記録が途絶えることになった。それも女子高生の手によって。 

 一応、片付けと掃除はしておいたけど、まじまじと見られると埃とかゴミが残っていそうな気がして落ち着かない。

 それに女子高校生を家に上げるなんて、不安とドキドキで胸がいっぱいだ。


「すいません、狭い部屋で。それにお手を煩わせてしまうような形になってしまって……」

「ううん、謝るのはあたしの方。こんな危険なことに巻き込ませちゃったから。だから、せめてあたしに出来ることはしようって決めたから」

「片瀬さん……」

「だから、何かあたしに出来ることがあったら言ってね。何でも協力するから」


 微笑んだ表情に少しだけドキドキとしてしまった。

 護衛の件が決まり、当番制という形で行うことが決まった。その際に最初の護衛を誰が行うのかという話になった時、彼女が自ら挙手して名乗りを上げてくれた。もしかしたら、そのあたりの事情も責任を感じてのことだったのだろうか。


「飲み物や消耗品とかは勝手に使って大丈夫です。トイレは冷蔵庫の隣の扉になります」


 一先ず、部屋の説明をする。まぁ時間的に半日くらいだし、それに外出する手もあるから何とかなりそうだ。

 残りの問題は……。

 ちらりと視線を向けると、小さな部屋を隅々まで見るように忙しく首を動かしている。余程、一人暮らしの部屋が気になっていたのだろうか?

 見られて恥ずかしい物は無いし、万が一漁られたとしても大丈夫。部屋に不安な物は一切に無い。

 ただ不安にさせる事象がある。


(流れで上げちゃったけど……このあと、どうすればいいんだ?)


 片手で前髪を鷲掴みにするようにして頭を抱えた。ここから先数時間、女子高校生と何をすればいいのだろうか。

 休日だからと言って特に何かあるわけじゃない。

 無趣味、無個性、インドア派の人見知り。特にこれと言って何かがあるわけでもない。独身、彼女いた経験が無い社会人だから、これからどうやって最近出会った女子高校生との時間の浪費をすればいいのかがわからない。

 会社の業務以上に頭を回転させて、何か良い策が無いかと探っていた。その時、机に置いていたスマホが音を出しているのがわかった。


「あれ? 主任から電話だ……どうしたんだろ?」


 画面には「大野主任」と表示されている。土曜日に電話がかかってくるなんて珍しいことだ。

 不思議に思っていたら着信が切れた。画面には幾つもの着信履歴が残されていたので、慌てて折り返した。


『もしもし新井です。何かありましたか?』

『何かありましたか……じゃないだろ! 時間、過ぎてんぞ!』

『へ?』

『もしかして、忘れてんじゃないのか? 今日は土曜日だがオンラインで会議やるって言っただろ』

(完全に忘れてた!)


 冷汗があふれ出してきた。

 そうだった、事件の影響で会社が入っていたビルが閉鎖され、暫くは在宅で仕事を行うことになっていた。

 事件の影響で滞っていた仕事が幾つかあったので、部長の命令の元、土曜日に各班は進捗を兼ねての会議をするということになった。


『幸い、あのクソ部長はまだ来てないから。めんどくさい状況になる前に早く入って来いよ』


 部長もなんやかんやあったみたいだけど無事だったみたいで、今は普通に生活しているとのことだ。ただ僕を襲ったことの記憶は完全に無くなっているみたいで、覚えていないの一点張りだそうだ。


(事件前後の記憶が中途半端に覚えているのが、返ってややこしくなっているんだよな……土曜日も会議をやるって言いだしたのは部長って話を聞いたし……)


 深く長い溜息を全身でついた。

 事件の影響で数日仕事がまともに出来なかったのは言うまでもないが、だからと言って周り会社が合わせてくれるわけではなかった。

 仕事が出来なかった分が持ち越されただけで、量が減ることはなかった。結果、一日の仕事量が増え、目の前の仕事をこなすのに皆が精一杯になってしまったので、こうしてミーティングだけだが、休日も仕事をする羽目になったのだ。


(何故だかミーティングに部長も同席するんだよなぁ……)


 通話を終えると、直ぐに大きなため息が漏れた。もうすでに気が重たくなっている。


「どうかしたの? 何かあったような感じだけど……」

「そうなんですよ、これから――」


 話そうとしたタイミングで我に返った。

 今、この家で起きている事柄を思い出す。


(今、この部屋にいるのは僕だけじゃない!)


 焦燥感に苛まれた。

 ましてや女子高校生を部屋に招いているなんて知られるわけにはいかない。もし知られたりでもしたら……未成年を連れ込んだって事で警察沙汰になってしまうかもしれない!

 考えただけでも身の毛がよだつ。

 そして行動を移すのに時間はかからなかった。


「すいません! これからネットで会議をするので、終わるまでの間、静かにしていただいてもよろしいでしょうか?」


 まるで取引先の相手のように丁寧な言葉遣いと、頭を地面に擦りつけた。

 社会人が女子高校生に敬語とか、なんて言っていられない。こんな状況化でプライドなんてものは捨て去った。


「えっと……」


 当然、戸惑い気味の返答が返って来たけど、暫くの間、微動だにせず姿勢を崩さなかった。


「と、とりあえず普通にしてもらってもいいかな?」

「は、はいっ!」


 寸分の狂いも無く床と直角になって立ち上がる。


「……わかった。なんか重要そうな感じが伝わったから、大人しくしてるね」

「あ、ありがとうございます!」


 僕の必死さが伝わったのか、特に何の疑問を持たずに承諾してくれた。

 急いで会議の支度をして、作成されたルームに入ると、既に僕以外が集結していた。行儀よく背筋を正して、始まるその時を待っているみたいだ。

 僕が入った数秒後に、部長が参加した。


『来たぞ。ったく、普通なら出社して皆で顔を合わせるのが会議の醍醐味だろ』

『じゃあ、警察にさっさと現場検証を終わらせろ、って言って来てください。別に部長が居なくても会議は進行しますから』

『俺が抜けたら、どうせサボるに決まっている。だから監視しに来たんだ』

『ちっ、つべこべ言わずに行けってんだ』

『……今、舌打ちしなかったか?』

『していません、気のせいじゃないですか? 年なんですから、病院に行った方が良いですよ。そのまま入院してきてください』


 画面越しのやり取りだけど、殺伐とした空気が伝わってくる。

 たぶん、僕を含めた残りの人達も気が気でないと思う。


『おい、全員カメラとマイクをオンにしろ。画面外でテレビとかスマホとか見ている可能性があるからな。特に若い奴、サボりなんて許さねーから』

『決算の印を押すしか仕事が無い、社内ニートが何を言ってんだが』

『余計な私語を慎め、大野!』


 激しい口論が繰り広げられるが、見ている僕からすると、ちゃんと自分の意見を言えて凄いなと思う反面、部長が何か起こすのではないかと冷汗が止まらない。

 これに割って入る勇気は無いし、二人をなだめる度胸も無いので、黙ってお地蔵さんのように固まるしかほかなかった。

 ただただ黙って時間を過ぎるのも待つしかない。傍から見ればお行儀よくパソコンの前でジッとしている可笑しな人だろう。

 ほんの僅か視線をずらして様子を確認する。ほら、何もせずにパソコンを眺めているから、何をしているのか気になった片瀬さんから、不思議そうな目でこちらを見ているのが伝わってくる。


(――って、集中しないと……もうすぐ僕の番になるのだから)


 軽く息を吐いて意識を画面に戻す。


(一先ず、用意した資料を――って、あっ!?)


 パソコンの隣に置いといていた資料がひらひらと宙に舞いながら床に落ちてしまった。


(マズい! 資料が床に!)


 そして状況は最悪だ。画面越しでは部長が話をしている最中だった。ここで少しでも部長の気に障るようなことになれば面倒事になるのは確定だ。少し動いただけでも難癖をつけられてしまうのは対面の会議で経験済みだ。


(と、届かない……)


 画面上では何事も起こっていないようにするため、表情は一切変えず、映っていない片手だけを使って何とか集めようとするも、僕の腕の長さじゃ全然届かない場所まで飛んで行っていた。


(どうしよう……何とかしないと――ん?)


 難航していて頭の中が真っ白になっていた。すると――


「――――」

(っ!)


 足音がしないくらいにゆっくりと近づいた彼女は、無言で無音のまま資料を拾い上げると、元の置いてあった場所に戻してくれた。

 一連の流れを横目で見ていた僕は、画面に映さないように、片手をあげてありがとうのサインを送る。

 助かった。これで何とか無事に報告が出来る。そう思って安堵した矢先、彼女は離れないで、その場でそのままジッと画面を見始めた。このまま見るつもりなのだろうか? ……何だか恥ずかしくなってきた。

 ――あれ、近くないですか?

 いや、まぁ他に座れるような場所も無いし、狭いからしょうがないとは思うけど……少しでもカメラを動かしたら映り込んじゃうよ!

 僕だけこんなにドギマギしているって……何だか強く意識してしまっているみたいじゃないか!


『――い!』


 聞こえて来た部長の声に思わずビクリと身体が跳ね上がる。


『次の奴、さっさと始めろ!』

『は、はいっ! すみません』


 再び意識を画面に戻して、慌ててマウスを動かして用意した資料を共有させた。

 そこからは、準備してあった資料を読み進めた。

 無理矢理、意識を画面に集中させ、

 額に汗が浮かび上がるほどの緊張によって、何度か?んでしまう場面もあったけど、何とか発表としては形になっていたと思う。


「――という形で進んでいます」

『……つまらん報告だ、次!』

『――はい、画面共有させていただきます』


 自身の報告が終わり、ほっと胸をなでおろす。後は他の人の報告を聞いているだけで済むので、一安心だ。

 本日の山場を乗り越えたと思うと肩の力が抜けていく。余計なことをしない限りは安泰だ。そう思って少しだけ気を緩めた時だった。

 ポンッと、その肩に何かが当たった。


「…………ん?」

「………………」

「――!?」


 目に入って来た光景に思わず、声を上げそうになった。

 まだ画面では他の人が報告を行っているので、目立たないように首だけを動かして状況を再び確認すると、片瀬さんの頭が僕の肩に寄りかかっていた。


(なっ!? 何が起こって……!?)


 今、どういう状況になっているのか頭の理解が追いつかず、何度も首と視線が画面と片瀬さんの頭と行ったり来たりを高速に繰り返す。


「あ、あの片瀬さん!?」


 掠れるような声で応答を求めるも、彼女の反応は無い。

 頭の中が真っ白になり、どうしていいのかわからない。

 少しだけ寄りかかっている方の肩を上下に動かすも、やはり反応は返ってこない。


「あ、あの――」

「…………すーー」

「ん? もしかして……」


 ほんの僅かな音が耳に届く。

 今度はしっかりと片瀬さんの方を見ると、彼女の瞳は閉じていた。


(ね、眠っている……のか?)


 静かに寝息を立てているから、たぶんそうだろう。特に何事も無く安心――出来ない!


(こ、この状況は流石に……)


 女の人が自分の肩にもたれかかる経験なんて、皆無なのでどう対処していいのかわからない。何だか緊張してきたし、心臓の鼓動も早くなってきているような気がする。

 チラリと視線を動かせば経験した事のない情景がある。

 黄金色の髪は僕の呼吸の風量でも揺れそうなほどサラサラしているし、以前にも香ったフローラルの匂いも相まって、男としての部分が反応してしまいそうになる。

 人の髪なんて意識したことすらないけど、こうして改めると色々と考えているのかなー―って、なんでこんなに真面目に考察しようとしているんだ、僕は! これじゃ、まるで変態じゃないか!


(で、でも……起こすのは申し訳ないよね)


 スヤスヤとどこか気持ちよさそうに寝ている姿を見ると、起こすのを躊躇ってしまう。かと言って席を立てば部長に何を言われるかわからない。

 幸いにもリモートだから、そのまま座ったままでも一応は作業できるから……最悪このまま何とか僕が耐えれば平気だな。

 そう決意をして、意識を画面に向けた時、あることに気が付いた。

 他の人の発表で、僕自身のカメラ映像は小さくなっているが、そこに二人いることが明確にわかる状態になっていた。


(こ、これは……カメラに映っている!?)

 ――マズいマズいマズい!

 カメラにハッキリと片瀬さんの姿が映っちゃっているよ! しかも僕の肩にもたれかかりながら寝ている状況が丸わかりだ!

 他の人が発表しているから、僕の画面を見ている人はいないと思うけど……いつ終わっ

てもおかしくは無い!


(どうしよう……何とかしないと)


 画面上ではまだ他の人が報告をしているので、幸いなことに皆がそちらに集中しているので気が付いた人はいないみたいだ。

 寄りかかっている肩を押し返すように揺らしてみる。が、彼女は起きることは無い。それどころか力が弱かったのか押し返した頭が戻って来た。


(ダメだ、こうなったらタイミングを見計らって動かすしか方法は無い!)


 ちらちらと画面を見ながら、適切な瞬間が来ることを待っていると、


『むっ……少しトイレに行ってくるが、そのまま続けていろ』


 歓喜の瞬間が訪れた。

 部長がいないのに報告する意味があるのかどうかは疑問だが、そんなことを思っている場合じゃない。部長が離籍したタイミングでゆっくりと片瀬さんを抱きかかえる。

 心臓がドキドキと音を立てている。まるで悪いことでもしているかのような面持ちになっていた。


(クッションがあったから、枕変わりに使って――)


 マイクに物音が入らないように、まるで割れ物を扱うようにゆっくりと丁寧に彼女を動かす。その際に近くにあったクッションを片手で取り、ゆっくりと彼女の頭の下に敷いた。仰向けの状態で何とか床に着地させることに成功させた。未だに夢の中で起きる気配は感じられない。


(ふぅ……何とかこれで解決した)


 移動させる際に色んな部分に目がいってしまったことは黙っておこう。

 これで問題は解決したから何とか――


『……おい、ちょっと待て。何してんだ?』


 底冷えするような声にビクリとした。


『お前だよ、今画面から消えてなかったか?』

『す、すいません! え、えと……あの、雨が降って来たみたいで、それで窓を開けていたので閉めようとしていました。』

『しっかり集中しろ! だからお前はダメなんだよ。日々の積み重ねが数字に表れてくるの! 普段がそんなんだからクソみたいな営業しか出来ねぇーんだろ。そうだろ?』

『は、はい! おっしゃる通りです』


 画面から見切れるくらいに深々と頭を下げた。

 わざとらしいくらいに大きなため息を吐いた後、小言を呟いて事なきを得た。

 な、何とかバレずに済んだのかな? 多分僕が画面と戻るタイミングで部長も戻って来たみたいだ。

 一抹の不安を覚えながらも、何とか無事に解決できて一安心。心臓の音はまだうるさいけど、少しずつ収まり始めている。

 その後もリモートでの会議は進み、昼も跨いで行われていた。

 所々で発言したり、僕自身の報告もあったけど、日頃の疲れが溜まっているのだろうか、片瀬さんは起きる様子は無くスヤスヤと眠っていた。


『これで全員終わったか。ったく、しょうもない報告ばっかりだったな。これだから、最近の奴はぬるいんだ。俺が若かった頃は――』

『終わったので、これにて解散させて頂きます。お疲れさまでしたー』

『おい、大野! 俺の話はまだ終わって――』


 まるで機械のように感情の無い挨拶を済ませた大野主任は、綾瀬部長の怒りのスイッチが入る前に強制的に会議を終了させた。

 めんどくさいことになる前に片付けるその手腕、流石です。

その後直ぐに会社の連絡網に『十分後に再び集まってほしい、班のミーティングを行うから、軽く休憩を取ってくれ』との大野主任から連絡が入っていた。

 休憩時間の間に薄い毛布を片瀬さんに掛ける。まだ彼女は起きる様子は無さそうだ。

 その後に行われたミーティングでは、今日の反省点や今後の仕事内容についての話だった。また暫くはリモートでの日々が続くとの話もあった。現場に大野主任が足を運んでいるらしいのだが、未だに捜査が続けられているのだとか。


『――とりあえずはお疲れ様。各自仕事に戻ってくれ、何かあったら直ぐに連絡してくれ。それとだが……新井、少し残れるか? ちょっとだけ話がある』

『あっ……は、はい。わかりました』


 意表を突かれ、思わず声が裏返った。

 他の皆がログアウトして二人きりになる。


「新井……大丈夫か? なんか、すごい疲れているように見えるんだが……」

「あ、いえ……大丈夫です。ははは……」


 神妙な面持ちで声を掛けられた。

 最近知り合った女子高生が家にいて、隣で肩にもたれながら寝ています――なんてことを言えるはずも無く笑ってごまかした。


「そ、それで話っていうのは……」

「あぁ、前に行ってくれたチェインから、さっき連絡が入ったんだが――もう一度話がしたいと会社に連絡が来た」

「会社に、ですか?」

「あぁ、それも今度は重要な話になるから上司も一緒に来てくださいとのご要望だ。ともかくめんどくさいことにはなりそうだ。私が一緒に行くことになったから準備しておいてほしい。詳しい日程や資料などはこの後送るから」


 オンラインの会議が終わり、深く息を吐き出す。鉛のような重さの疲れが身体中に降り注いできた。


(一先ず終わったけど……一難去ってまた一難だよ)


 気が重く、悩みの種は一向に無くなりそうになさそうだ。そう思ったらため息がどんどん外に漏れ出ていく。

 それに再び訪問しないといけなくなるとは……考えるだけでお腹も痛くなってくる。

 担当者じゃなくて、わざわざ会社に掛けてきたってことは、この前の会議はダメだったのかな? 契約の打ち切り? 担当者の変更?


「も、もしかしてこの前の撮影とかがバレて……」


 本気で僕の事を消しに来たんじゃないのか?

 想像しただけで血の気が引き、不安で押しつぶされそうになる。

 というか、今この瞬間にも狙われていたりして……。


「――あの、すみません!」

「うわっ!」


 突然の声に、全身が飛び上がりそうになった。

 振り返ると、そこには先程まで眠っていた片瀬さんが、目を覚ましていていた。


「あっ……すいません。うるさかったですかね?」

「あっ、いや大丈夫――じゃなくて、ごめんなさい! つい眠くなっちゃって……本来の目的を完全に忘れてました!」


 正座をしながら両手を合わせる姿を間近に見て、逆にそんなことをさせてしまったことへの申し訳なさが生まれてくる。


「別に眠くなるのは仕方のないことですから、大丈夫です」

「本当?」

「はい、ただ寝方については注意した方がいいですよ」

「寝方? わ、わかった」


 本当、本当にお願いします。

 たぶん次に同じことをされたら、色んなものを耐える自信は無いです。


「そ、それとなんですけど……ちょっと話がありまして」

「話?」


 先ほど大野主任との内容を話した。


「そ、それは問題だね!」

「まさか、こんなにも早くもう一度伺うことになるなんて」

「一先ず、皆に連絡しなきゃ」


 急いでスマホを取り出すも、何故か手を止めてしまった。


「……どうかしましたか?」

「そういえば……充電するのを忘れちゃって……それでコンセント借りて良いのか相談しようとしてお兄さんの近くに行ったんだっけ」


 な、なるほど……急に近づいてきたのはそれが理由だったのか。別にコンセントなんて勝手に使って良いのに。


「そうだ! それ、借りてもいい?」


 指で指したのは先程まで使っていたパソコン。

 そこから手際よく準備を進めていった。


「あー、あー。どうかな?」

『こっちは平気よ』

『こちらも大丈夫です』

『じゃあ始めようか』


 わりと直ぐに集まったいつものメンバー。僕がパソコンの準備をしている間に、スマホを貸して招集していた。

 話の議題は、勿論僕が再びチェインに向かうことについてだ。


『なるほど……本格的に動き出したみたいね』

『そうですね、事前に対処が出来れば被害も無くて済みますが……現状これと言っての有効な方法がありませんね』

『そうね、そうすると、もう一度頼むしかないかしら』


 片瀬さんに向けられていた視線が僕に移る。


「へ? ぼ、僕ですか?」

『えぇ、悪いんだけど、前回と同じように内部の様子を取ってきてほしいの』

 ですよねー。


 何となく頼まれそうだなとは感じていた。彼女達にとっては重要な情報になるのだからしょうがないとは思うけど。ただ僕も自らの意思でやりたいかと言われれば難しいです。


『そういえば、江理の方はどうなのかしら?』

「へ? どうって?」

『護衛のことよ。その様子だと何も無かったようね』

「え、あー、護衛のことね。うん、な、何も無かったよ」

『……まさかとは思うけど、護衛の件忘れていてご迷惑とかかけてないわよね。それかずっと寝ていたとか』

「そ、そんなことないよー」


 す、鋭い……。片瀬さんの尋問を身振り手振りを使いながら弁明していた。正直、いつ寝ていることがバレていてもおかしくはなかったけど、何とかやり過ごしていた。

 その後は世間話をしたりして時間は過ぎていった。所々で話を振られて参加したけど、ついて行くことが出来なかった。ファッションやインフルエンサー、アイドルグループ等々の話で盛り上がっていた。


「すみません、今日はありがとうございました。失礼しました」


 街灯も点灯し、月が綺麗に見える時刻の頃、防衛任務は終了した。結局、特に何も起きないまま終えることになった。


「ううん、大丈夫。駅まで送ってくよ」


 流石に女子高生を夜に一人で帰らせるわけにもいかないので、駅まで送り届けることにした。

 人気のあまり無い住宅街で、横に並ぶ二人。


「ねぇ……お兄さんは実際の所、どう思っているの?」


 しばらく歩いた後、それまで一切会話が無かったが、唐突に片瀬さんの口が動いた。


「どうって言うのは?」

「あたしだったら……たぶん怖いって思ってる」


 少し俯きながら話す彼女の表情は、どこか暗く感じる。


「突然変な化け物に襲われて、街の平和を守ることになって、その結果見知らぬ人から狙われている。……あたしだったら耐えられないと思う」


 僕の置かれている状況の話だった。

 言われてみて、確かに身の危険に晒されていることを改めて自覚した。……っていうかよく生き延びてこれたな。


「正直……わかりません」


 ポツリと口から零れ始める。

 危機的な状況下に置かれているけど、それを受け入れている自分がいるのも確かだ。躊躇いや文句は出てきているけど、怒りという感情は生まれていない。


「怖い思いも、大変な思いもしてきました」


 思い出されるのは、逃げ回り死闘の日々。何度、人生が終わったと思っただろうか。


「でも、それらを全て受け入れて飲み込んでいるのかもしれないです」


 僕自身もあまりわからない。正直、社会人になってから理不尽や理屈を受けいれる体制が出来上がったのかもしれない。


「でも、……まぁ、その大丈夫だと思います」

「…………本当に?」

「はい、大丈夫です」

「…………わかった、でも、もし何かあったら気軽に話してね」


 そう残して片瀬さんと分かれた。だけど家に帰っても、先程の会話が頭に残り続けている。

 少し前の時間では複数人の声が聞こえていた部屋とは思えないほどの無音の世界になっていた。


(まぁ……刺激的な毎日になっているのは間違いないけど)


 刺激が強すぎるのはどうにかしてほしいけどね。


(でも、怒りとか……そういった感情が湧かないのはどうしてだろう?)


 もしかして楽しんでいる……とか? いや、どうなんだろう。

 その問いに答えが出ぬまま視界を黒くした。



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