普通の社会人が厄介事に巻き込まれる
(結局、ほとんど休むことが出来なかったなぁ……)
止まらない欠伸と半開きの瞼が、僕のコンディションを明確に表していた。
土曜日は買い物中に戦闘に巻き込まれ、日曜日は話し合いに参加。激しい戦いによる肉体的疲労と慣れない人たちの会話による精神的疲労が積み重ねっている。
(金曜日の朝の時の疲労度だよ……)
今週、乗り越えられるかなぁ……。
項垂れながら憂鬱な気分と壊れかけの身体を引き連れて、怪我人かの如くゆっくりと足を運ばせていた。
「――ん?」
何やら進行方向側に人だかりが出来ている。それも歩道を埋め尽くしていて壁のように形成されているみたいだ。
(会社……直ぐそこなんだけどなぁ)
思いはせながら、ため息を吐き出した。
しょうがないので壁の一部に加わった。声を出して、人をかき分けて進む元気すらなかったので、流れに身を任せた。
「何があったの?」
「なんか泥棒が入ったとか」
「滅茶苦茶に荒らされていたらしいぜ」
移動するにつれてガヤガヤとやかましくも思える雑音が耳に入ってくる。
行き交う人達から零れてくる会話が聞こえてくるも、興味を持つ余裕は今の僕には無い。
それにしても会社に近づくにつれて進みづらくなるし、すれ違う人たちの会話も自然と頭に入り込んでしまう。
「にしてもビルの五階を狙うって……あそこなんかあったっけ?」
ビルの五階か、うちと同じだな。
「なんせ週末に泥棒が入ったとか」
週末か、そういえば色々あったな。
「相当荒らされていたし、人も倒れていたらしい」
お気の毒な人だな。……会社の近くでそれだけの事件が起きるって、何だか物騒だな。僕も夜遅く帰っているから気を付けよう。
「ベースっていう会社だってさ、ほらそこのビルの五階。ガラスが割れている所だってさ」
「あー? ビニールシートが張られているところらへん? 人が多くて見にくいわ」
ベースか……僕の勤務している会社同じ名前なんて――えっ?
耳に入って来た名前によって思わずその場に立ち止まった。会話が聞こえた方へと振り返るけど、人が多すぎて誰が話していたのかわからない。
(うちの会社の名前、週末の事件、荒らされている……まさかっ!)
額から一気に汗が吹き出し始め、早く事実確認をしなければと焦燥に駆られた。
先程までゆっくりと歩いていたのが嘘のように人気を掻き分けて無理矢理でも前に進み始める。
胸騒ぎがして落ち着かない。
道端で聞いた条件は、僕が体験したものと一致する。
「す、すいません、通ります!」
人を押しのけ前へ前へと進んでいく。
金曜日の夜、突然襲われた事件。休日が休めなくなった原因。
――そして彼女に出会った場所。
「――っ!!」
目を疑い、足の動きが止まる。
会社が入っているビルには人だかりが出来ていた。立ち入り禁止の文字が掛かれた黄色いテープがビルの中の侵入を妨げている、まるで事件や火事でも起こったみたいに。いや、実際に事件は起きている。
「おじさんが倒れていて運ばれたらしい」
「犯人はまだ捕まっていないんだってさ」
ざわめきから聞こえていた情報は、僕の心を締め付けさせる。
「ご、ごめんなさい。通してください!」
不安と焦燥に掻き立てられ無理矢理現場の中に入ろうとする。
「ちょっと、ダメだよ君! 立ち入り禁止なんだから」
「その会社の従業員です!」
「それでも、警察と関係者以外、今は立ち入り禁止になっているから!」
だけど二人掛かりで止められてしまった。
大の大人、それも鍛えられている警察に適う訳が無く、野次馬達と一緒の箇所に戻されてしまった。
それでも目の前の光景を見て引き下がるわけにはいかなかった。
「すみません! 本当に会社の人なんです!」
「だから、今関係者以外は立ち入り禁止なんだって!」
「ですけど――」
「しつこいって、ちょっと誰か!」
やけくそに突破を図ろうとした。
「なんだ? 今映像を見ている最中だぞ。音が聞こえないじゃないか!」
「――あっ!? 新井!」
「大野主任!」
現場から捜査をしている人と一緒に出てきたのは大野主任だった。視線が合うと互いに驚きの声を上げた。
「お知合いですか?」
「彼は関係者の一人ですし、……先程話をしていた人物です」
「――わかりました」
大野主任の一言に、警察は素直に聞き入れ、先程のやり取りが嘘だったかのように道が開かれる。
「こ、この騒動は――」
「何が起こったのかはこっちが聞きたいよ、どういう事か説明してもらうぞ」
「えっ?」
腕を掴まれ、引っ張られる。先程まで苦戦していた黄色いテープをすんなりとくぐらせてもらった。
数人の警察がいて、少し大野主任が話をした後、そのうちの一人が近づいて端末を見せてきた。
「こちらが現場の写真になります」
「あっ……」
出された写真を見て息をのんだ。
写っていたのは、散らかった会社内。床に資料や小道具が散見され、デスクやパソコンも何一つ定位置には置かれていない。
(やっぱりあの時の戦闘が……)
何となくは想像していたけど、改めて問われると息がしづらくなる。
って、いうか部屋は魔法で元に戻っていないの!? こういうのって元に戻っているのがセオリーだと思うんだけど!
「そして、こちらの映像をご確認してください」
画面をスライドさせ、再生される。
「こ、これは――」
目に入ってきた動画によって、言葉を失った。
「映像に映っているのは、あなたで間違いないですよね?」
「監視カメラに映っていたんだ。金曜日の夜に、お前と部長、それにもう一人の誰かがいたんだ」
逃げようとする僕の姿と、戦闘中のためか後ずさる部長の姿が映し出されている。
「カメラが壊れていて、一部の映像しかないが、残っていた映像には――部長と新井と、そして三人目の人物が映っていたらしい」
戦闘の影響なのか或いは機材そのものの影響なのかはわからないけど動画の解像度は低く、現場にいた僕が記憶とすり合わせてようやく理解できるくらい。
(それに、これなら……)
三人目となる人物、片瀬さんもといエトワールの姿が映っていたのは足先だけの僅かな部分。これだけの映像では人物特定をするのは困難だと思う。内心でホッと息を胸をなでおろした。
「その部長は気を失っていて病院に運ばれたけど、命に別状はないらしい。そして肝心なもう一人の人物の行方はわからないまま。だが、警察は今話題の怪盗少女だって言っていたな」
怪盗少女……その言葉を聞いて僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
素性はバレてはいないけど、正体の特定はされている。ボロが出ないよう気を引き締めないといけない。
「それで、その場に居合わせた新井に話を聞きたいってわけ」
「そういうことです。ですので、あの現場で何があったのか? またあなたは怪盗少女の姿をはっきりと見たのでしょうか? 詳しく教えても貰っていいですか?」
メモを片手に刑事の人がグイグイと圧を掛けてくる。
今にでも襲い掛かってきそうな雰囲気で思わずしろどもどろになってしまう。きっと素直に真実を話せば、こんな怖い思いをしなくて済む。
――それでも正体を明かすわけにはいかない。
「ご、ごめんなさい……ぼ、僕も気が動転していて、その……あまり覚えて、いない……です」
視線を逸らして、ようやく言葉が口から出てきた。
けれど僕の言葉に顔をしかめ、さらに語気を強くしてきた。
「覚えていないって、あなたは目の前で見ていたんですよね? それに監視カメラの映像では確実にあなたは見ているはずだ。監視カメラ一人分しか映っていませんでしたが、被害の規模の大きさから複数人いたと我々は見ていますが、どうなんですか?」
「ですけど……その、記憶があやふやで……」
「あやふやって、まだ事件発生から一週間も経っていませんよ!」
僕の歯切れの悪い返しに苛立ちが見えていた。
強い口調と、問い詰めるようにジッと睨んでくる。態度も最初より横暴になってきたので思わずおののいてしまう。
「どうなんですか! 場合によっては証拠隠滅罪として――」
「まぁまぁ、いきなり話せって言われても気持ちの問題もあると思います」
間に割るようにして会話に入ってきたのは大野主任だった。
「しかし、彼の情報は貴重です。特に怪盗少女については一刻も早く捕まえなければならないのです」
「だからと言って、無理矢理だと話すもんも話せられないと思いませんか? 誤った情報だった場合の方が大変じゃないでしょうか?」
「それは……」
「何かわかりましたら必ずお伝えしますから、今は少し気持ちを落ち着かせて、記憶の整理をさせてください」
「……わかりました」
息を吐き出し、渋々といった表情だけど僕達から離れていった。
「あ、ありがとうございます!」
「ったく、お前もお前だぞ。事件が起こって直ぐに警察に連絡していれば、多少は向こうの対応も違ったんじゃないのか?」
「うぅ……申し訳ありません」
「…………もしかして怪盗少女に何か言われたのか? 口封じか?」
「えっ……」
思わず、ドキッと心臓が跳ね上がった。
「何か言えない事情があるなら……まぁ、それ以上聞かないけどさ。けどもし何かあった時は頼ってもらって構わないから」
「大野主任……」
その言葉に目頭が熱くなった。
感動と罪悪感が同時に襲ってくる。
「まぁ怪盗少女が一人であんなに暴れるとは思えないから、どうせ部長が酒に酔って暴れ散らかしたんだろ! どっかの取引先の人物と一緒に会社で飲んでいたんだな。証拠隠滅に監視カメラまでぶっ壊しやがって」
「あははは……」
乾いた笑いを出すしかなかったけど、勘違いしてくれたのは、事実を言えない僕にとってはありがたい。
けど、先程の鋭い質問は察しが良すぎて心臓が破裂しそうになった。
「とりあえず、出社してきた他の社員にも伝えてはいるが、今日はこんな状態だから会社の中には入れな
い。とはいえ、仕事がなくなったわけじゃない。予定の調整や資料、その他諸々はこっちで何とかするから、一先ず今日は自宅で仕事をしてもらうことになる」
「仕事……するんですか……」
「しょうがないだろ、気持ちはわかるが、うちの取引先は問題なく動いているわけだし、向こうにも都合があるからな。ただ会社がこんな状態だから、暫くはリモートでの仕事になるな」
肩を落とし、項垂れる。
建物が使用不可でも仕事ですか……休みでよいと思うんだけど。
「それと、言っておかないといけないことがある」
「なんでしょうか?」
「明後日、部長が行くはずだった取引先へ挨拶に新井が行ってもらうことになった」
「あ、明後日ですか……それでその取引先というのは――」
「辞めた部長の部下が担当していたところで、チェインっていうところだ」
「チェインですか!?」
ここが外であることを忘れたかのように僕の声が周囲に響き渡る。全方向からの視線を一瞬にして集結させた。声の大きさに気が付いて口を押えた頃には周囲の興味は消え去っていた。
チェイン、世界的な大企業で世界中探しても名の知らない人いないとさえ言われているパインの子会社として有名で、国内では圧倒的な業績とシェア率を誇る企業だ。
「元々はクソ部長の辞めた部下が話をしに行く予定だったが、いなくなった。そして担当者が不在になったところをくそったれ部長が勝手に新井を仮の担当者ってことで先方に伝えていたらしい。私も先ほど知ることになった」
「そんな無茶苦茶な……」
「その部長は生憎話ができる状態じゃない。まぁ事件に巻き込まれていなくても事前に私達に話す気はなかったってことだ」
僅かに大野主任の目つきが、獲物を狙う獣のように鋭くなった。
乾いた笑い声で返答することでやり過ごす。
「向こうは一応子会社とはいえ、全国的にも有名な所ってことを肝に銘じて置くように。もしわからないことあれば今日中に連絡してもらえれば出来る限りのことは対応する」
「あ、ありがとうございます」
「一応、参考資料は持っているから、後で送付する。とりあえず、今日はもう戻れ、残りこっちで片付けておくから。寄り道せずにまっすぐ帰れよ、まだ仕事中って事になっているから」
そう言い残すと、直ぐに大野主任は電話を掛けだした。
今ここで、僕にやれることは何もない。
どこか後ろ髪を引かれながらも、その場を後にした。
電車に乗った途端、緊張の糸が切れたのか、そのまま寝てしまい、最寄り駅を過ぎてから目が覚めた。
平日でまだ明るいうちに帰ってこられるのは、いつ以来だろうか。少なくともお昼前に帰ってきたことは社会人になって初めてだ。
「家だと人目を気にせず、それに時間も気にしなくていいから最高だ……」
まさに天にも昇る心地。自然と笑みがこぼれ、身体の奥底からジワリジワリと嬉しさが込み上げ来る。スーツを脱ぎ捨て、人目を気にせず身体を伸ばした。やっぱり自宅は最高だ。
解放感を全身で浸っていると、ピコンッと起動させていたノートパソコンにメールが届く。大野主任からの物で、そこには僕が仕事の資料やデータなどが入っていた。
「……まぁ休みになったわけじゃないから、やることはやらないと」
メール一つで一気に現実に戻され、高揚していた気持ちが萎縮した。
資料作り、見積もり、メールの返信、やることは沢山だ。
ただひたすら、ノートパソコンに文字を打ち込み、資料を添付し、必要であれば取引先に連絡をする。そんな作業を無心でただひたすらこなしていく。
ほとんどが普通に出勤した時と大差はないけど、一つだけで大きく異なることがある。
(……静かでやりやすいなぁ)
部中の怒鳴り声も、誰かの通話も、キーボードの打鍵音もなく、まるで真空の中に閉じ込められたように音が発生していなかった。
その甲斐あってなのか、いつよりも作業スピードが速くなっていた気がする。
その時、一件の通知が入った。どうやら大野主任からのメールのようだ。
「これが例の世界的有名な企業の子会社化か……」
中を開けると、先程言っていた会社の参考資料だった。前任者が作った資料や、ここ数年間のやり取りなど、データ化されてはいるのがそのページ数はゆうに三桁を超えている。
「凄い量だ……」
数枚流しで見てみるけど、気が遠くなりそうな内容と量だ。特に何か提案をしたりするわけじゃないけど、正式な後任が決まるまでの繋ぎだから、ある程度は目を通して話が出来るようにはならないといけないしな……気が重くなる。
それでも仕事はやらなければならない。憂鬱な気持ちを押し殺して資料に目を通し始めた。
終わりの見えない作業が続き、集中力が切れ始め睡魔が襲い掛かって来たころだった。
「そういえば……」
ふと、彼女達のことが脳裏に浮かんだ。たぶん、取引先の会社名が何度も目に入っているからだろう。
(連絡……した方が良いのかな?)
ただただ取引先へと向かうだけだから変なことは起きないと思し、話をしに行くだけだ。そう自分に言い聞かせながらも、指は自然とスマホを動かしていた。
でも彼女達からしてみれば敵の本拠地に乗り込むことと同じだ。だったら伝えておいたほうが良いかもしれない。
(でも僕から連絡していいのかな?)
スマホとノートパソコンの間で視線が彷徨った。
女子高校生に男の大人がメッセージを送るなんてしていいものだろうか? こういうのって一歩間違えれば警察沙汰になってもおかしくはない世の中だしなぁ……。
連絡していいのか駄目なのか、頭の中で裁判でも行われているかのように白熱した議論が繰り広げられていた。
(…………よし)
数十秒の間目をつむって考えた結果、判決が言い渡された。その瞬間、勇気を振り絞って画面をメッセージアプリに切り替える。
そこには、片瀬さんとの数個しかない会話の文字。前回の挨拶以降、交わした言葉は無い。早速文字を打ち込んで……打ち込んで、あれ?
(何て送ればいいだろう。それにどう切り出せばいいのかもわからない……)
後頭部で腕を組み、数分の間考えてみるけど良い言葉が見つからない。
メッセージを打ち込んでは取り消し、打ち込んでは取り消し。
仕事上のやり取りならともかく、プライベートに関してはほとんどやり取りの経験が無い。親と仕事関係を除けばメッセージアプリに登録している登場人物はいない。見たくも触れたくも開けたくもない禁忌の扉だ。
「えっと……『お疲れ様です。突然のご連絡失礼いたします。明後日、例の会社、チェインに行くことになりました』っと、こんな感じでいいのかな?」
当たり障りのない一文が完成するまで約三十分、メッセージを送るだけなのにこんなに時間をかけてしまう自分に飽き飽きする。
とにもかくにもこれで情報を伝えることができたし、後は返信が来るのを待って――
スマホから手を離した瞬間、ピコンッと直ぐに通知のお知らせが表示される。
『学校が終わったら向かいます』か……やっぱり、普通の高校生なんだな」
学校という文字を見て、普段は普通の高校生ということを改めて認識する。
「……って、向かう!? いつ、どこで?」
目を見開き、送られた文章を見入る。閑静な部屋に響き渡った声と浮かび上がった疑問は直ぐに解決することになった。
「――――――」
透き通るような声に加えて、リズムに乗った小刻みなステップ、そして胸のリボンが特徴的な制服も相まって、まるでどこかのアイドルのように見えてきた。
ブイサインの決めポーズもばっちり決まり、控えめな拍手をして労う。
「何か歌う?」
「い、いえ、大丈夫です」
「わかった、じゃあもう一曲……」
マイクを差し出されるも、彼女の気に障らないように遠慮した。迷うことなく機械を操作する彼女を前に、僕はただ腰を据えている。
歌える曲のレパートリーは少ないし、古めのものが多いから盛り上がりに欠けそうだし、第一に上手くない。幾つかの否定的な意見が頭の中を占拠していた。
それに、少し疲労もまだ抜けてないから、この場は彼女に一任しておこう。
――って、そうじゃなくて!
「あの……なんでカラオケなんでしょうか?」
選曲を終えたのか、曲を入れようとしている彼女に向かって、おずおずと尋ねた。
確かに僕が連絡を入れた、そして話がしたいと言われた。そこまでは理解できる。だが、彼女が指定した場所はカラオケ店だった。
女子高生と社会人の男が二人きりで来たので、受付の際に定員から不審な目で見られていた気がする。
「話を他の人に聞かれちゃうとマズいから、いつもどこかの個室で話し合いをしているの。カラオケだったらお兄さんも来やすいかなって思って」
ノリノリで歌っている姿を見ると、単に歌いたかっただけなのではと思ったけど、口には出さないでおこう。
まぁでも確かにカラオケ店ならそこまで躊躇わずに済んだ。
女子高生に人気のスポットとか、学校の中とかは居心地は良くないと思うし、個人の家なんて警察沙汰になるような気がしてならない。
「そういえば、まだあなたのこと詳しく知らないから、教えてほしいなと思って。ここならそういった話もしやすいかなって思ったし」
マイクと機械をテーブルに置くと、彼女は僕の隣に移動してきた。
女の方が近くに来ただけでも、まばたきが多くなる。
「あなたは……どこの学校の人? あたしの学校の学年では見かけないから、上級生か他の学校の人だと思っているんだけど……あれ、でもそうすると、あの時どうしてビルの中に? それとも大学生?」
矢継ぎ早の質問攻めに、思わず圧倒されそうになる。そしてこのコミュニケーション力の高さに屈しそうになる。
「あ、いえ……こ、今年で二年目の社会人です」
「……えっ!? そ、そうなの!?」
数度瞬きをしてから、目が丸くなった。
まぁ童顔だ、とよく言われるから、そこまで気にはしていな……いや、高校生は流石にちょっとへこむ。いつまでたっても子供のままなのかな?
「ご、ごめん……じゃなくて、ごめんなさい!」
「いえ、気を使わなくてもいいですよ。高校生だと思ってもらえれば……」
「ご、ごめんなさーい!」
若い女性が無邪気な子供におばさんって言われたみたいだ。僕の場合は大人じゃなくてガキって言われているような感覚だ。べ、別に本当に気にしているわけじゃないし。
「あ、いや本当に。気を使われるのも嫌ですから、先ほど同じように接して頂ければ」
「そ、そうなの? じゃ、じゃあ……そうさせてもらうね」
まだ年下から敬語を使われるのは慣れてないし、それにさっきの件で呼ばせているみたいなのも嫌なので、普通に接してもらうのが一番だ。僕自身は誰に対しても敬語なので関係ない。
「あ、えっと……、そ、それで今日のことなんだけど、メッセージに書いてあったチェインに行くことになったってのは本当なの?」
「えっ! あ、あぁ、はい……お、送った通りです……」
返事がしどろもどろになってしまう。
理由は僕の耐性の無さなのは十分理解しているつもりだけど……そ、それにしても近くない?
僕が送った文章を見せてくれようと寄ってくれるのはありがたいけど、そのせいで小さな肩が当たっているし、嗅いだことのないフローラルな香りは頭から漂い、視線を少しでもずらせば制服の上からでもわかる膨らみが傍にあった。
以上の三点セットの誘惑は、女性との関わり経験が皆無の僕には耐えがたいもので、全身が粟立っていた。
「……どうしたの?」
「っ!? い、いえ……な、なんでもありません」
「もし、何か聞きたいこととかあったら何でも言ってね」
「わ、わかりました。えっと……一つ相談というかお願いがあるんですけど」
「あたしに出来ることがあれば何でもやるよ!」
ポンッと胸に手を当てた。
何とも頼もしい発言だ。
「えっと、この前のビルの中での事なんですが……」
「ビル? っていうのは、あなたと初めて会った場所のビルのこと?」
「は、はい。あのビルで起きたことって元に戻ったりはしないんでしょうか?」
「元に?」
「はい、あのビルは僕が務めている会社なんですけど、それで今片付けとかが大変らしくて、ああいうのって元に戻すのって難しいんでしょうか?」
勝手なイメージではあるけど元に戻るものだと思っていた。まぁ、でも仕事はリモートワークになって楽になったから今すぐにでも戻らなくて平気だ。ただ将来的に場所が使えなくて移転ともなると、引っ越しやら手続きやらしないといけなくなる。うちの会社がそのままリモートワークを続けるとは思えない。
それで、魔法の力を使えば元に戻るのではないのかと思った。
「戦いの後なので物とかが散乱していて、機材とかも壊れていたみたいで……その魔法の力で元に戻すことは――」
「あーー!」
遮るような形で大声をあげた。
反射的に耳を塞いだが、それでも鼓膜に伝わるほどの大きさだった。
「ご、ごめんなさい! いつもだったら目撃者が出る前に魔法を使って何事も無かったように元に戻してはいるんだけど……忘れてました! ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる彼女に、大丈夫なことを伝えるも何度も謝られた。
今からでも元に戻すことは出来るけど、辻褄を合わすのが大変だという。確かに一夜にして事件前の状態に戻っていたらおかしな話だ。また直ぐにマスコミが駆けつけたり、目撃者がいる時は正体がバレてしまう可能性があるので、退散することを第一にしているらしい。そのためニュースで取り上げられた事件はそういった理由で元に戻すことが出来なかった時だそうだ。
(そう考えると、世間では知られていない事件が存在するってことか)
いったいどれほどの事件があったのか少し気になった。
それにしても、まさか本当に元に戻せるなんて思わなかった。
でもどうして今回は忘れてしまったのだろうか? 目撃者は僕だけだったし、記憶も消せるって言っていたから疑問に思った。そのことについて少し言及してみると、肩がビクリッと跳ね上がり、何だかもじもじし始めていた。
もしかして、怒られると思っているのだろうか?
「どうかしましたか? 別に怒ったりとかはしないですけど……」
「い、いや……そ、その……あんなことが起こったから、気が動転してて……」
「あんなこと? ――あっ」
思い出した!
確かあの時、勢いが強くてそのまま唇が重なり合って――あれ、何だか急に汗が出てきたような気がする。
恥ずかしさのあまり視線を明後日の方向へとずらした。そこから何て言っていいのかわからず互いに無言を貫くという、何とも言えない微妙な空気が流れていた。
「失礼するわ」
「お待たせしまし――あら? 何かありましたか?」
部屋の扉が開くとともに、二人の人物が入ってくる。
その、瞬間に背筋がピーンと伸びた。
「ふぇ!? え……いや、何も無いよ? だ、だよね?」
「えっ!? あ、はい……特に何も無いです」
「? よくわからないけど、まぁいいわ。話を始めましょう」
心の中でほっと一息。
まるで事前の打ち合わせでもあったかのように話を合わせることに成功して、不穏だった空気の追跡から逃れることが出来た。
でも、僕の顔が赤くなっているのに違いないから、誰一人とも正面から見せないため明後日の方向に顔を向けた。
疑いの眼差しが向けられているのを感じつつ、何とか逃げ切る事には成功した。そこからは本日の議題についての話し合いが行われた。
「――それで一応、大まかな内容はメッセージで見たけど、本当なのね? チェインとのつながりがあるって話は」
「えっと、ですね。明後日、僕の会社の都合で訪問することになっているんですよ。以前から少しだけ付き合いがあったみたいで、多分担当者とお話する程度だと思いますけど」
大野主任から送られた資料と共に、僕が知る限りの情報を伝えた。平社員の僕が知りえる情報なんてたかが知れているけど、それでも彼女達にとっては貴重なものらしい。
僕の言葉を一言一句聞き漏らさないように、真剣な眼差しで話を聞いているので、何だかプレゼンしているみたいに緊張した。
「これは……潜入するしかないね!」
「そうですね!」
「なんで二人とも楽しそうなのよ……」
目をキラキラと輝かせ手を合わせて二人、対して頭を抱えている一人。
何だか、この三人の構図というか関係性が今のやり取りで示されていた気がする。
そこからは彼女達自身が持っている情報と照らし合わせて綿密な作戦会議が始まった。正直、内容についてはよくわからなかった。僕の知る情報を提供して彼女達が対抗策を練り上げる、そんな感じで時計の針は進んでいったが、まるで見守る親御のように僕は傍観していた。
モニターに流れるコマーシャルの順番を覚え始めた頃、話が煮詰まり始める。
「よし、一先ずは休憩しよう! 一曲行こう、お兄さん!」
突如、歌って欲しいとばかりに片瀬さんからマイクを差し出される。
「い、いえ……僕は……」
「いえいえ、遠慮なさらずに」
追撃とばかりに唐木田さんからも進められる。
押し返すような形で受け取りを拒むと口を尖らせながら、ブーブーと小さな動物みたいに可愛らしく抗議を受けた。
ごめんなさい……流石に女子高校生の前で醜態をさらす度胸は僕にはありません。
「一ついいかしら」
「えっ? ……歌うのは申し訳ないけど――」
「そっちの話じゃなくて」
「へっ?」
その時に作られた俺の表情は、今世紀最大の腑抜けた顔になっていたに違いない。