第78話
「まあまあまあ会えてよかったわい」シャチはレイヴンの真下辺りの水面から顔を出して見上げつつ笑った。「君らにも伝えとかないかんちゅうて皆で話し合うてね、儂が代表で来たんよ」
「あ」レイヴンは、また某かの新情報が得られることを察知し、大量のパルスを発生させた。「ありがとうございます。何かわかったんですか?」興奮気味に訊く。
「うん、わかったっちゅうか、ついに同意が得られたんよ」シャチは水面上の顔を頷かせた。「細菌たちのね」
「同意」レイヴンは復唱する。「細菌たちの」
「うん」シャチはまた頷き、それから水面上の頭部をきょろきょろさせ周囲を見回した。「君も前に聞いたと思うが、細菌たちに『奴ら』の細胞をつくりかえる仕事を任せたいと頼んでおったんじゃ」
「あ」レイヴンは、今や遠く離れた南極大陸においてアデリーペンギンたちから教えられた『作戦』を思い出した。「ええ、え、それが?」
「おう」シャチは誇らしげに水面近くで胸を反らせた。「この度ついに、細菌らに了解してもらうことができたんじゃ」
「おお」レイヴンは声を震わせた。「全面対決ということですね」
「うむ」シャチは頷く。「しかしまずは前哨戦として『奴ら』に抗生物質を投げつけちゃらんといかん。まだそっちの方の段取りが組めとらんのじゃが」そして俯き、鼻先を海水に浸け込んだ。
「あ」レイヴンは水面上に残されたシャチの黒く光る後頭部を見下ろしたがかけるべき言葉をすぐに思いつかずにいた。「そ、そうなんですか」声を小さくして呟く。
「うむ」シャチは頭部をふるふると左右に振り、彼の周囲にささやかな波を起こした。「『奴ら』は、まあ実際のところ儂らからみれば神出鬼没で、今どこに何奴が何匹おるのか、正直検討がつかん。こればっかりは、随時ピンポイントで全動物らに情報を発信するということが、たとえレッパン部隊であっても不可能なんじゃ」
「なるほど、確かに……」レイヴンは再度呟き、上空を見上げた。
現時点で、ヒマラヤ山麓にマルティコラスという地球外産動物とともに、コードルルーという双葉が一体確実にいるだろうことは、彼らも知ってはいるのだろうが──
「……あ」レイヴンは思いつき、そしてその自分の思いつきに戦慄した。
「ん」シャチは鋭く嗅ぎ付け、ばしゃっと音を立てて再度鼻先を水面から引き上げレイヴンを見た。「どうした、何かあるんか」素早く訊く。
「──う」レイヴンはしかし激しく迷った。
地球産動物たちには、感謝している。しきれないぐらい、感謝している。だから、協力できることには最大限協力したい。彼らの役に立つのであれば、何をするのもやぶさかではない。
しかし──
「何か思うことがあるなら、ぜひ、教えてくれんか」シャチが水面から懇願する。「頼む。レイヴン」
「あ、の」レイヴンの中枢帯はいまだ激しく躊躇し高速で信号を走らせ続けていた。だが彼は、にも関わらず口にしていたのだ。「今、ぼくの仲間──親友が、実は双葉と、一緒にいます」
シャチはすぐに声を上げず、ただじっとレイヴンを見上げていた。
「も、もしかすると、ご存知のことかも知れませんが、ええと、ぼくも確かめたわけではないんですが、その、彼は、双葉の一体と、け」言葉が詰まる。レイヴンは大気を一度大きく取り込んだ。「結婚、したという噂です」
シャチはいまだ黙したままだが、レイヴンを見る瞳を強く見開き輝かせた。
「そして、これも本当かどうかはわからないのですが、その双葉は今、ぼくの親友との子を胎内に宿しているとも、言われています」
「なんじゃと」シャチはそこで初めて叫んだ。「それは初耳じゃ」
「あ」レイヴンは触手をびくりと震わせた。「そ、そうでしたか」
「しかしレイヴン、君は、まさかその親友に」シャチはただちに本題に戻り、同じく声を震わせ始めた。「その、妻となった者に対して」
「ど、どうでしょう」レイヴンの思考は更に激しく加速した。「妻にというか、妻を通して他の双葉にというか」
妻──
レイヴンはしかし、あのモサヒーが、本当にその双葉を愛した上で結婚したのかという事に大いなる疑問を隠せなかった。それは、
「調査、調査を続けます」
最後に叫んだモサヒーの、その言葉がいまだ鮮明に聞こえているからだ。
そう。
本当に愛した上での『まっとうな結婚』なのであれば、そもそもモサヒーは最初に彼自身から伝えてきたはずじゃないか。
そうだ、結婚したことも、子ができたことも、自分に伝えてきたのは全部、あのコードセムーという双葉の奴だ。
これは、きっとモサヒーの『作戦』なんだ。
──と、ぼくが勝手に決めつけていいものかはわからないが……
レイヴンはシャチの体が波に数回揺れるのを見守った後、口にした。
「彼はモサヒーといいます。誠実な奴です。ぼくは彼を心から信頼しています。彼に、地球の動物の皆さんに協力することを、ぼくから頼んでみます」




