第76話
「ふむ」レッサーパンダはタケを齧った直後、黒い目をいっそうまん丸く見開いた。「ナンゴクワセオバナが」
「ほう」別のレッサーパンダもタケを咀嚼しつつ黒い目を見開く。「翼の生えたネコ科により次々と食されている、と」
「その隣に双葉も存在し」
「トラを一頭消した、と」
二頭のレッサーパンダらは顔を上げ、互いに黒い目を見交し合った。
「ん?」ハシナガイルカは真面目に泳いでいたが、不意に何かに気付いたようだった。
「ごめーん、なんか情報がきたー」上空のレイヴンに声をかけると、ざぶん、と水中深く潜っていく。
「情報?」レイヴンは訊き返したが、しばらくの間留まって待つ他なかった。
「お待たせー」やがてハシナガイルカは再びばしゃんと水面から顔を出し「翼の生えたネコ科とー、一緒にいる双葉がー、ヒマラヤ山麓のあたりに来てるってー」と伝えた。
「ヒマラヤ山麓」レイヴンは復唱した。「そうか……少し遠くなっちゃったな」
「双葉がトラを消したってー」ハシナガイルカは続けてそうも伝えた。
「トラを」レイヴンは苦々しく復唱した。「あいつらめ」
「行こうかー」ハシナガイルカは先に立って泳ぎ始めた。
レイヴンも急ぎ浮揚推進を再開する。
「うん、レイヴン」
突如モサヒーからの呼びかけを検知する。
「あ、モサヒー?」レイヴンは飛びながら飛び上がるように返事した。
「うん、マルティがヒマラヤ山麓の辺りにいるという情報はもう入りましたか」モサヒーは心なしか声をひそめるようにして訊ねてきた。
「あ、うん、たった今聞いたところだよ」レイヴンは答え、続けてあること──結婚のこと──をモサヒーに訊いてよいかどうか考えたが、それよりも先に、
「うん、マルティの傍に、双葉がついて来ているというのも、うん、すでに知っていると思いますが」モサヒーの方が話を続けた。
「あ、うん、知っているよ」すぐにレイヴンは新情報の方に気持ちを振り向けた。
「うん、その双葉の個体認証名ですが」モサヒーは告げた。「コードルルー、という者である可能性が、うん、高いと考えられます」
「コードルルー?」レイヴンはいったん復唱し、二秒後に「えっ」と驚いた。
「うん、何かご存知でしたか」モサヒーが訊く。
「あいつ?」レイヴンは答えるでもなく問い、それから「何であいつが?」とさらに問うた。
「うん、その者の同行経緯については未確認です」モサヒーが答える。「うん、更なる調査を行います。それでは」
「ああ、レイヴン?」通信を切ろうとしたモサヒーから線をひったくるように、コードセムーの甲高い声が稲妻のごとく差し込んだ。「元気にしてる?」
「あ」レイヴンはまたしても飛びながら飛び上がった。「ど、どうも、はい、お陰様で」
「セムーさん」モサヒーが止めようとするが、
「ねえ知ってる? 私とモサヒー、結婚したのよ」セムーの雷は衝撃波を発生させた。
「まじで?」レイヴンは思わず、誰に向けてか──恐らく全世界に向けてだ──叫ばずにいられなかった。「あれは本当だったのか? ただのゴシップじゃなく?」
「レイヴン」モサヒーが今やひそひそ声をかなぐり捨て彼にしては珍しく叫びに近い声を張り上げたが、
「ええ、そして私は今、彼の子を身籠っています」セムーは舞台上で歌うように残りの衝撃的事実を明らかにした。
「こっ──」レイヴンは飛びながら声と呼吸を失い眩暈を起こしかけた。
「ねえレイヴン、近いうちにお会いしましょう。あなたも直接お祝いを言いたいでしょうから」
「うん、レイヴン、調査、うん、調査を続けます」モサヒーは最後にそう叫ぶと今度こそ通信を強制終了した。
世界は穏やかなものに戻った。
レイヴンの中枢帯以外は。




