第60話
「双葉だ」ムスタング種の一頭が叫んだ。「双葉がいるぞ」
「皆逃げろ」別の一頭も叫ぶ。「消されるぞ」
どどどどど、馬たちは一斉に走り出し、あっという間に遠くへ去った。
「あっ」コードセムーは慌てて電子線の射出口を向け戻したが、馬たちは速く、もう射程距離のはるか向こうまで行ってしまい小さな後ろ姿しか見えなくなっていた。「待ちなさいよ!」思わず叫び、推進し始める。
「あなたこそ待ちなさいよ」だがセムーの前に、先ほどの巨大な馬が立ちはだかった。「消すってどういうこと? あなた彼らに何をするつもりなの?」
「うるさいわね、そこをどきなさいよ」セムーは怒りの声を挙げた。
「いいえどかないわ」馬、つまりキャンディも怒鳴り返した。「あなた、きっと悪いことをする者なのね」
「関係ないわ、あんたなんかには」セムーはキャンディに向けて電子線を射出した。
しかし、それは実行されなかった。
『残存エネルギー量不足のため、このサイズの生体は分解できません』というエラーメッセージが目の前に出現する。
「はあ?」セムーは信じ難いという声でそう言い、改めてキャンデイに対する憎悪を掻き立てた。「なんなのよ、この、でかぶつ駄馬!」
「──」キャンディは口を閉ざし、コードセムーの罵詈雑言を受け止めた。「そうね、確かに私はでかぶつだわ、あなたから見ればさらにね。雑菌さん」
「なんですって」セムーはもう一度電子線の射出を試み、もう一度先刻と同じエラーメッセージを見た。「ああもう!」金切り声を挙げる。
「どうして地球の動物に、ひどいことをするの? 消して回っているの?」キャンディはたてがみを風になびかせながら訊いた。
「だから、あんたに関係ないでしょ。仕事よ、これが私の」セムーは大声でそう言うと、キャンディの立つ方とは別の方向へ推進しようとした。
しかしキャンディは驚くほど素早く移動し、再びセムーの行く手を遮ったのだ。「仕事?」と訊き返しながら。「何の?」
「うるさい、どこかへ行きな」セムーは脅しつけた。「さもないと、分解じゃなくてあんたの存在そのものを『消す』わよ」
それは無論、ギルド内で厳禁とされる行為だった。たとえギルド員の生命が危機の状況にあったとしても、捕獲対象であるか否かを問わず動物の生命を断つことは許されない。ギルド員は、動物を遺伝子分解するか、不可能であればその場を退去するしかできないのだ。
万一そのどちらも不可能な上ギルド員の生命がピンチであり、仲間による援助も間に合わなかったら──ギルドの規定には明文化されていないが『今までの活躍が大いに称えられて、安らかなる休息へと導かれる』そんな風な言い伝えがひそやかに伝承されている。
だが今のセムーには規定も言い伝えもどうでもよかった。このでかばか馬!
「消す? 私を? あなたが?」キャンディはゆっくりと訊き返した。「どうやって?」その直後、彼女は突然前肢を高く持ち上げたかと思うとセムーの上から蹄を強く振り下ろした。
「わあっ」セムーはすんでのところでその蹄をかわし、高く上空へと逃げた。「何すんのよ!」
「下りてきなさいよ」キャンディは空に向かって言いつける。「この卑怯者」
「な」セムーはまたしても怒りに我を忘れた。「なんですって! 私のどこが卑怯者なのよ、ふざけたこと言ってんじゃないわよ」
「私はふざけてない。大真面目に言ってるわ、あなたが卑怯者だって」
「キ──」セムーは煙を上げそうなほど高速振動し、言われた通りキャンディの顔の真正面に急降下してぶち当たった。
キャンディが素早くよけなければ、彼女の右目がその体当たりによって傷ついたことだろう。セムーはキャンデいのたてがみの中に突っ込んだ。
微細毛たちがたちまちセムーの周囲を取り囲み、彼女を閉じ込めようとした。
セムーはそれでもギルドの精鋭部隊を構成する実力者だ。一部のたてがみにターゲットを絞り、電子線にてそれを『消し』、自らの逃げ道を確保して再び大気中に飛び出した。
「あっ」さすがのキャンデイも驚き焦った。「何するの、私のたてがみを! 禿げができてしまったじゃない」悔しさに大きな蹄で大地を蹴りつける。
「いい気味だわ。でかばかはげ馬」セムーは捨て台詞を残して一目散に飛び逃げた。ムスタング種が去って行った方向とは逆向きにだ。
「ふん」キャンディもそっぽを向いた。「ばかちび雑菌」
「うひゃあ──」
その時突然、少し離れた所──地上から、素っ頓狂な声が聞こえた。「でけえなまた!」
キャンディが地上を見下ろすと、小さなネコ科が目をまん丸く見開いてこちらを見上げていた。




