3-1.月の見える丘
前回までのあらすじ:
別に行きたかないが割と大変な役目を言い渡されてしまった。一族の期待を背負って旅立ったアルバ。
目的地は定まっているが、どう振る舞えばいいのやら……いろいろ分からないことは多いがとりあえず頼れる兄貴分もいることだし大丈夫でしょう!
登場人物
アルバ:
人間の少年。自分にしか見えないかわいい友達がいる。救世主の自覚はそんなにないけれど、よくしてくれた人の期待に応えたいところ。
クロエド:
竜族の青年。剣士。世間知らずの主人公のお守り役。
ハクア:
アルバにしか見えない幼く白い女の子。あどけなさの残るかわいい顔立ち。
自警団の団員の竜背に乗って地上へ降り立つ。恐らくは人生史上二度目に、外界の土を踏み締めた。
想像していたよりずっと閑散としている。ひび割れた赤みのある土が靴の裏に張り付いたかと思えば、少し振れるだけで形を保てずすぐ剥がれ落ちる。
「あまり留まらない方がいい。ここからは歩きだ、いいね?」
どこからか現れたクロエドの隣を、並んで歩けるよう歩幅を大きめに取った。
第三話 不実なることは
「――ごめんください!」
長い路を歩き尽くし肩で息をする。野営を繰り返しようやく辿り着いたヒトの住む村。今夜の宿探しにまだ歩く羽目に。
夜の帷は容赦なく下りる。
ある民家、音沙汰ない玄関を無視して、アルバは背伸びして曇った窓から中を覗いた。カーテンが閉め切られている。が、もくもく煙突から煙が上がっている。
(中に人がいるのはバレバレだ)
「ごめんください! ごめんください!」
「何回来たって無駄さね!!」
「なんと」
表に繋がれている犬が吠えた。
「どうしよう……誰も泊めてくれないみたい」
足を棒にしてやっと辿り着いたこののどかな村はアルバらを歓迎しなかった。
一定の間隔で並んだ家々はすべて微妙に外観が違う。住人が手をかけられるほどの余裕があるのだ。
たった二人泊める余裕も……
「ねえ?」
語りかけたはずの相手はそこにいなかった。
(あの人結構自由人だよな……)
クロエドは角を曲がった先、路地の影が伸びた暗がりで誰かに話しかけているようだ。
相手は土気色の肌、落ち窪んだ目の老人だ。上半身に纏う衣はなく、あぐらをかいた膝の上にあちこち破れた布を引き、力なく土に手の甲をついている。
「悪魔…… 悪魔……」
クロエドは布の上に銅貨を投げてその場を後にした。
「あれは……?」
「住む家がないんだろうね。ああやって恵んでもらって生き延びるんだ」
「そうなんだ……助けてあげられないほど貧乏な村には見えないのにな」
道中通った広間は掃き掃除が行き届いていた。石畳の上に落ち葉の一枚すらない。
それほど人の交流や往来は活発ということだろうに、夜とはいえ嘘のように静まり返っている。
「ねぇどうしよう? 幸先悪いねぇ」
「また野宿かな」
「この辺にめぼしい神像はないわよ」
口を挟んできたのは女性だった。ランプを掲げ、片手でローブのフードを脱いだ。
「たちまち魔物のお腹に収まっちゃう」
「シンゾーって何?」
「あら、小さな旅人さん。道中パパに教わらなかった?」
「……教会があちこちに設置した魔除けの魔術が刻まれた像のことだ。村や街にはああいう大きなものが置かれているが……」
彼の指さす先、路地先にある井戸。その向こうに像はひっそりと鎮座していた。恐らく村の中心に位置している。
「俺たちにはこれで十分だよ」
クロエドがローブの隙間から見せたのは、片手で持てるほどの大きさのものだった。姿形は村のものとは異なる。
「そんな安物じゃダメよ。最近うろついてる奴の話、知らないの?」
「……いえ、立ち寄ったのは今し方の話で」
「それは大変だったわね。 どうかしら。私の家に泊めてあげてもいいわ。親子を魔物の腹の足しにするのは忍びないもの」
「! ありがとう、お姉さん」
「ただし顔を見せて。そうしたら信用するわ」
フードを目深に被って隠した、竜族特有の目の色と角。晒されるのをどうにか防ごうとアルバが口を出す。
「あっあの……」
「構いませんよ。隠している訳ではありませんから」
クロエドがフードを脱ぐのを察知して、アルバは顔を逸らした。
彼は顔を明かし、レンズに薄ら色のついた眼鏡を下にずらした。
「驚いた。山羊の……魔人? 随分と……納得よ。ついてきて」
アルバはその言葉に困惑して彼の顔を見上げるが、何ら変わったところはない。
「山羊って?」
「この眼鏡、幻視って言ってね。相手に都合のいい姿に見せてくれる魔法道具なんだ」
「そんなのが……それさえあれば正体を隠して暮らせるのに、どうして?」
アルバはセイカのことを思い出して聞いた。
「不完全な代物だよ。何に見えるかは十人十色。それで話が食い違う。一番いいのは、あまりヒトと関わらないことだね」
「だけど、たくさんの人と話をしなくちゃいけない時はどうするの?」
アルバの目的はあくまで帝国の賢者にまみえることなのだ。その道中、誰とも関わらないなど不可能だった。
「その時はその時で考えるよ」
アルバは彼が、自分に本当のことを話す気がないのだと分かってしまった気がした。
「うん……」
狭い路地を村外れの方へ向かって進む。アルバは前を歩く女に走って追いつくと聞いた。
「家はどこに?」
「''月の見える丘''。川の上流まで坂を登るけど、その分眺めが良くってね。夫と二人で決めたの」
「あ……旦那さんが? 本当にいいの?」
「彼はダメって言わないわ。 それより坊や。どこからやってきたの? こんなつまらないとこまで。パパと観光?」
「ううん、帝国に行くの。あとパパじゃないです、親戚の人」
「帝国?……坊や、随分遠くから来たのね。ここは国境近くの帝国北西部にあたるわ」
アルバは大層驚いた。
はじめに置かれた地点がすでに帝国国内だったのだろう。
「帝都までどのくらいかかりますか?」
「行き方にもよるわね。最短の道を行けば一月だけどとても危険だし、今の時期はお勧めしないわ。ぐるっと東南の海街まで回って行くのが安全だけど……海路でも三月はかかるでしょうね」
「そんなに……」
「急ぐ旅なの?」
違うけど……アルバは言い淀んだ。急いでいる訳ではないが、何やらクロエドは焦っているようだから。彼から以前とは違う、どこか冷ややかな視線と温度差が感じられる。
「最短をお勧めできないのはどうして?」
彼女は、それも知らないの?と言いたげな表情をした。責めたいような、哀れむような色をしていた。
「この時期は毎年帝都で''選定会''があるからよ。出入りが活発になる分検問はより厳しく大雑把になる。鎖のついてない魔人はまず通れないわ……そもそも検問に至る過程が無謀ね。樹海を抜けなきゃいけないんだもの」
アルバは明らかな困惑の色を浮かべた。
「エンダーソンの樹海っていって、魔物の蔓延る超危険地帯よ。大型の人喰い魔の生息地。死にたくないなら遠回りすることね」
「分かった。ありがとう、お姉さん」
「ピオニーよ」
ピオニーと名乗った女性。薄い月明かりの下、歩みは止めずに顔だけ振り向いた。そよ風が彼女の纏う花の香りを運ぶ。
右手側の足元を流れる小川の傍には小花が咲いていて、水の膜を張り雫を垂らした。
彼女の顔の隣に、丘の上の一軒家が見えた。窓から柔らかな光が漏れている。
その家はアルバが暮らしていたあの家を想起させた。今にも誰かが迎えに出てきそうで、それが無性に恋しさを助長させた。
「雲が晴れるから見てごらん」
丘の上の一軒家、その背景で大きな満月が輝いていた。
(月の見える丘……)
*
「紹介するわ。夫のヨゼン」
ヨゼンは軽く会釈した。夫婦は同じ生地から仕立てたろう衣服と揃いの指輪を身につけており、交わす視線が仲の睦まじさを如実に示していた。
「突然ごめんなさい。迷惑にならないよう気をつけます」
「いいんだよ。彼女のおせっかいは今に始まったことじゃないからね」
夫妻は二人に二階にあたる屋根裏部屋を貸した。
簡単な食事を済ませて、当たり障りない会話をした。
会話の大半は夫妻の昔話……実質惚気話だ。
彼らは幼馴染で、子どもの頃から自然とお互い一緒になるものだと思っていたとか。数年前、ピオニーのわがままで村を離れたこの丘に居を構えたとか。
「私の好きなおとぎ話があってね……
昔、''月の谷''っていう幻想郷があって。そこにとある恋人同士がいたんだけど、二人は人種が違って、片方は寿命が早く尽きてしまったの。
残された方は、愛した人を谷に埋めて、骸を守り続けた……哀れに思った太陽の神様は、月に彼らを引き合わせるよう言って……なーんていう!」
「なんか暗いっていうか。切ないお話だね」
「そこがロマンチックなのよ。永遠の愛って感じがね、素敵なの」
「ピオニーさんたちがそうなんだね」
彼女はもうやだっと照れてニコニコと上機嫌に笑った。
お喋りで世話焼きな妻と、穏やかで妻に甘い夫といった印象だ。アルバは自分の両親もこんなふうだったのかな、と想像してみた。
真夜中、アルバははふと目を覚ました。慣れない布団の匂いと感触に寂しさを覚える。
水を飲もうとして一階へ。物音を立てないよう忍び足で往復した。
帰り際、トントン……カリカリ……と物音が聞こえた。爪をひきたてるような、か細い音だ。
(…………?)
寝ぼけた目が窓の外に人影を捉えた。
ぼうっと誰かが立ち尽くしていた。
「ひっ!」
足から力が抜けて尻もちをついた。一気に眠気がとんで、その正体に気づく。
「なっなんだ、ハクアか……!」
悪戯が成功したのをケラケラ喜んで、彼女はまた姿を消した。
「心臓に悪い……!」
動悸が治らないまま、アルバは階段をできる限り静かに駆け上がった。
隣の布団で、毛布を口元まで被り静かに眠るクロエドを羨ましいと思った。
アルバは毛布の中に丸まった。動悸が段々小さくなるにつれ、寝息と夜の静けさを取り戻していった。
(ハクアの後ろに何かいた……)
「ちょっとやめて!引っ張らないでいいわ、従うから!」
明朝、アルバを眠りから引き戻したのは、ピオニーの叫び声だった。
ピオニーが手を振り払って睨みつけたのは、兜と軽鎧を身につけた体躯のいい数人の男たちだった。胸当てに帝国の紋章が刻まれている。
「失礼」
背筋が伸び、落ち着いた佇まいの男が前へ出る。
「……犬……!?」
黒い犬の顔だった。
アルバは初めて見る獣族の容貌に目を見張らずにはいられなかった。
「他に家族が?」
「いないわよ。客人が二人、その子含めてね」
「旅人にしては幼いですね。難民ですか」
「ナンミンって?」
「……失礼」
アルバはすっとぼけた。国を追われた民、その意味を知らないわけではない。
「我々は帝国騎士団の者です。我が主より、村民は即刻中央広場に集まるようにとの命令が下されましたこと、お伝え致します。速やかに従っていただけますね」
「だから言ったでしょ、ちょっと待ってって!客の世話があるのよ」
「なりません。お客人ともども丁重にお連れ致します、ご容赦を」
「……犬が」
ボソッとピオニーは悪態を吐いた。荷物をまとめる間もなく、ピオニーは直ぐに連行された。
とっくに寝床を空にしていたクロエドの姿は未だ見えない。アルバは騎士に「どこへ行ったか分からない」と素直に話した。
アルバには自らを救世主だと名乗るつもりはなかった。注目が集まれば、その分クロエドが動きにくいからだ。
素性を問われた時のためのシナリオはある程度用意している。
不自然に喋りすぎず、かといって小出しにしすぎない絶妙なバランス……アルバは考えたが、結局その必要はなかった。
黒犬族の騎士は、明らかに保護者がいないアルバを訝しむ様子すら見せず、黙って見守った。
中央広場の人だかり。昨日までなかった赤と黄金の旗がはためいている。
ざわつきが、ドンッと木箱が叩き踏まれたことで、一瞬で静寂に塗り替えられた。
木箱をきしませ、田舎のちゃちな舞台に飛び乗ったその男は、村民の視線を一身に集めた。
「あー私の名は……」
舞台の真ん中に歩みを進めながら、片手を振って合図をする。
騎士が槍の石突を突き立て足踏みをする。敬礼の一種だろうか。
「バーバリック! 当然この名に覚えがあるはずだ。が、あえて丁寧に名乗ってやろう! 私は帝国騎士団副団長バーバリック・コーディンその人だ。感慨に咽び首を垂れる必要は、まだない。下民よ、聞かれたことに正直に答えたまえ、命を――惜しいと思うなら」
(演出過剰だ……)
アルバはうんざりした。
いかにも、な男だ。
特徴的な眉に一つ一つのパーツが整った堀の深い顔立ち。硬そうな質の赤黒い長髪。一人だけ鎧を身につけず、値が張りそうな特別な装いをしている。長身で鍛えているだろう肉体は一見強者を思わせるが……戦いのためというよりは肉体美を追求していそうなバランスの良い見栄えだ。
(貴族ってやつだな……)
アルバの知識は基本的に、故郷の書院……セイカが見繕った本の数々から構成されている。
多少偏ってはいるだろうが、『身分』という最低常識程度は叩き込んだつもりだ。苗字もしくは中間名があるのは、それなりの地位だという証である。
「この中に邪教の教えに傾倒したことがある者は?」
バーバリックは早速本題に入った。
アルバはどきりとする。
『邪教』と渦神を自分の中で結びつけたからだ。
(まさかね……)
村民たちは口々に喋り始めた。
アルバはそんな村民たちから離れた後ろの方で、他人事と思って眺めていた。
舞台の上、バーバリックの周りをハクアの白い影が、消え隠れしながらくるくる回って踊っていた。
「あのぅ」
手を挙げたのは中年の男だった。
「質問をしてもよろしいでしょうか」
「殺せ」
「はい?」
彼は努めて冷静に返事をしたが、それがいけなかったのかもしれない。
「質問を許す前に質問したので、殺せ」
蜘蛛の子を散らすように、男の周りから人が遠ざかった。
「えっ?えっ?えっ?」
戸惑う男に、騎士がためらって繰り出した槍先が、中途半端に突き刺さる。
「イタッ!」
上腕に穴が空いてうずくまるのを、何人かが取り囲んだ。
バーバリックは舞台から降り、襟元を直しながら、その男に歩み寄った。
「邪教徒がいるなどというくだらん告発のおかげで、わざわざ王の子たる俺様が赴いてやったというのに。 誰も協力する気は無いらしい。 それで前回は皆殺しにして言い訳が面倒だった……」
バーバリックはコートの内側から取り出した杖の先を男に向けた。
「俺様は反省を生かす男だ。 今回の遠征のテーマは『情け』でな。 一人ずつ丁寧に聞き込むしかあるまいな?」
男の鼻先を掠めるかと思われたその時、
「悪魔に魅入られた女がおる!!」
静まり返った場を一変させる叫声だった。
声の主は、昨日見かけた浮浪者の老人だった。
「戦争で死んだはずの兵士が帰ってきた!そこの女の家に隠れておる!!」
とピオニーを指差す。
「悪魔ァ?」
「そうじゃ! 悪魔じゃ!」
老人はきぇーっと発狂して、唾を飛ばして騒いだ。
「フゥム……悪魔といえば、邪神の眷属に名を連ねる。証言があった以上、女が悪魔憑きかどうか調べるべきか」
明らかに狂言の可能性が高いというのに、バーバリックはウンウン、と頷く。片手を振ると騎士はピオニーを拘束し、引きずって連れていった。
「ふざけんなァ!! 許さない、アンタたちぜったい許さないわ!!」
ピオニーはこれでもかと暴れて怒号を飛ばすのを見せないためにか、黒犬族の騎士はアルバの前に立って視界を遮った。
「彼女の事情聴取は長引くと思われます。これから家も暴かれるかと……戻られるならお供します」
アルバは彼の優しさに甘えることにした。クロエドが戻ってきている可能性もある。
*
アルバは丘に戻って、一軒家の周りの花畑が荒らされているのに気づいた。
何か重いものを引いたように潰れた花々が、家を中心にして円状に広がっている。それは樹木の断面図のように、無事な部分と潰れた部分が交互に層になっていた。
「なにこれ……さっきまで普通だったのに」
「悪魔に心当たりはありますか?」
「その、悪魔が何なのか……」
私も詳しくはありませんが、と前置きして、
「悪魔の何たるかは、学者の間でも相当議論された命題です。魔物とも魔族とも魔人とも言われ、そのどれでもない……死骸を転々とし生者を唆す。意思を持った霊体……というのが今の通説です。 人の願いを叶えるという逸話があり、邪神の眷属としても有名で……」
辞書的な説明をしてくれた。アルバは生真面目な人なんだな、と思った。
「強烈な魔を惹きよせ群れを作るため、危険度の高い駆除対象です。一個体に対して二万人の隊編成が最低限と論じられます。机上の空論ですが」
アルバは冷や汗を垂らした。
「あのーこんなとこにホントに出るの?ボク昨日泊まったけど何ともなかったよ……?」
「悪魔が現れると、地形が変わると言われています。
魔術的円環というそうです。ちょうど、こんな……」
「……」
アルバには疑念が二つ。
(ピオニーさんが隠したから、言わない方がいいと思った……旦那さんのことは。おじいさんの言うことが本当なら、ヨゼンさんは悪魔……?でも、普通だったよね?ちゃんと見えていた……
見えないのは、むしろ……)
白い少女が家の中を窓から覗いていた。真夜中と同じように。
(ハクア……)
アルバは怖くなった。
「――ってクロ兄! どこ行っちゃったんだろ! それに、魔術的円環はさっきまでなかったんだから、やっぱり変だよ」
アルバは考えるのをやめて、ハクアの元、窓辺へ向かった。
「割れてる……!」
何者かが破ったのかもしれない。ガラスの破片は草むらに飛び散っていた。
「――ハッケー!! 犬が!! 何を遊んでいる!?」
バーバリックの叫び声が丘の下から響いた。
「先鋒を買って出て気が効くと思えば、その様子じゃ調査どころか足を踏み入れてすらいないな!? 臆したか!?」
「バーバリック様……」
大声で捲し立てる。
「気狂いの言うことなぞ真に受けおって! なんだろうが所詮口実に過ぎないと何度言えば分かる!? 一体いつになったら俺様は守護獣を自慢できるようになるのだ!?」
「申し訳有りません、しかし魔術的円環が……」
「サークル!?……」
血が上って気が付かなかったろう魔術的円環の存在に、ようやく注意がいった。
「構わん!!! 勇姿を見せろ!!」
ハッケーと呼ばれた彼の表情筋はぴくりとも動かないが、複雑な感情を抱いたことは雰囲気で分かった。
ハクアはいつの間にか窓の向こう側にいる。
アルバは助け舟のつもりで、玄関の扉をバァンと開け放った。
「危険です! 何を……」
「大丈夫だよ! ハッケーさん、だよね?」
アルバが飛び込んだのに驚きつつも、ハッケーも剣を抜いて後を付いてきた。
屋根裏部屋から確認する。
先回りしたハクアが遊んでいるのが視界に入りはするが、他に何の気配もない。
一階の居間は荒らされていた。盗人が金目のものを探して荒らしたというよりは、
「誰かが揉み合ったのかな」
ハッケーは敵がいないのに安堵して言った。
「誰もいなかったから良かったものの、無謀はやめて下さい!」
「無謀じゃないよ……窓は内側から勢いよく破られていた。逃げたんだと思う」
「そうとは限らないでしょう!」
(それだけじゃない。ハクアが手招きしていたから。安全だと分かってた……
だって、いつも、彼女は僕を導いている)
ハクアは足元を指差していた。
(信じていいよね?)
示した先には、絨毯がめくれあがって顕になった床穴……地下室へと続いている。