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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
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1-7.魔女は嘘を吐かない

 

 あれから1年が経とうとしていた。

 遠くに行ったという兄の帰りを待つことも疑うこともせず、ボクは何の変哲もない日常の続きにいそしみ暮らす。

 あれからセイカと二人で禁足地に足を踏み入れることはなかった。彼女と同じように学舎(まなびや)に通ったり成人の儀を受けることもなかった。ボクらはあの夜のことを忘れて沈黙する、暗黙の誓いを守った。


 けれど時折のぞく不穏な白い影は、その輪郭をより一層濃くして忍び寄っていた。


「君は誰なの?」


 ボク以外の誰にも見えない白い少女は、小さな背丈の3倍ある白い髪の毛を土に擦らせてボクに付き纏った。交流は叶わず、ひたすら追ってくるだけだ……


「アルバ」


 セイカのノックの音に振り返る。「今出るよ」と答えて上着を羽織り、仕事の相棒を背に担いだ。


 毎朝セイカと一緒に家を出て、分かれ道まで並んで歩くのが日課だ。ボクは仕事場にセイカは学舎(旧校舎に自分の研究室を作ってしまった!)へと向かう。


「あのねアルバ、今日は付き合ってほしいところがあるの」


 ゴーグル越しに見る瞳からはその意は読み取れない。ニヒヒと笑うセイカ。


「何するのかによる!サボれないし」

「むーそんなに重要な仕事でもないでしょ」


 セイカだけ学舎に通うようになり、暇を持て余したボクに与えられた仕事は……穴掘りだ。

 仕事場は遠くに豆粒みたいに畑が見える何も無い開けた土地の、梯子を下った先の薄暗い坑道。数人の大人に混じって穴を掘り、青黒い星空のような鉱石を採掘するのだ。お互いの顔も見えない中、黙々と……


「ボクにとっては重要なんだ。すごく向いてるし」


 人間のボクにとって土の下で働くのは苦では無いが、竜族にとって日光を長時間浴びれない仕事というのはかなり辛いようだ。


 仲良くなった同僚の、よく喋る穴掘り屋のおじさんは息を切らして同じ話を繰り返す。


『坊主、その歳で苦労するな。地下なんて一番体に悪い場所であくせく働かされて……何したんだ? 全く土竜(もぐら)なんて呼んでバカにしてる奴らめ、俺らの有り難みを分かってないんだよ。上ってやつは……ぶつぶつ……だめだ、一旦外に出てくる。坊主無理すんなよ』


 暗がりはボクが人間だということを隠してくれる。同胞として屈託なく接してもらえる唯一の場所。土竜 (仲間)になれる……


「楽しいよすっごく。それより優先できること?」

「優先して」


 セイカの強引さにしらっとした表情になるが……

 結局次の瞬間には、地下は地下でも秘密基地にいた。ボクは推しの強い友達には弱いんだ……


「まだやってたの?」

「もちろん。アルバが穴掘ってる間にワタシは解読を続けたの! それで分かった。多分おそらくきっと、ううん絶対に――こんなの解んない」

「……うん?」


 何か重大な事が判明したのかと思いきや、解らないことが分かったと……ボクはたまにセイカのことを自分より頭が悪いのではと疑う。


「聞いて、とにかく聞いて」

「うん……」

「暗号、文字の解読に何が必要だと思う?」

「何がって……使ってた人と話すとか?」


 ボクはからかうつもりで言った。


「究極そう。じゃあ誰が使ってたと思う?」

「それは……昔の竜人なんじゃないの?」


 見つかった場所や遺跡の壁画を見てそう考えるのは自然だ。


「えっ?……ま、まあワタシもそう思って学舎で古い蔵書も読み漁ったけど、今の言葉とほぼ同じだった。何も残ってなかったわ」

「……じゃあ外界から持ち出されたものってこと?」

「そう、ワタシも初めはそう思ったの! 外界は広いしきっとどこかの文字なんだって……でも……」


 アルバはセイカほど頭は柔らかくない。言語がいくつもあるなんて思いもしなかった。


「最近習ったの。外界の言語はたった一つだって。各地方で訛りや独特の言い回しはあっても、ワタシたちと同じ文字や言葉を使う」

「ならやっぱり大昔の竜族が使ってた……?」

「それだと説明つかないところがあるの。そもそも時間が経ったとはいえ元々使っていたのに、残したものが一つもないなんてどうなの? それにあの遺跡……あれはね、地理的には外界に位置してる」

「じゃあ大昔の外界人の……?」

「ね、キリがないでしょ。とにかく何考えても何も解らないの」


 そういう……とボクは言いかけたがやめた。なんとなくセイカがやりたそうなことがわかったからだ。


「セイカ、ボクに外界に行けって言ってる?」

「……ワタシも行くの」


 ボクは素直に感嘆した。あんな目に遭ってまだ外界へ行こうというのだから。

 ボクの方は物心ついて初めて見た外の世界に衝撃を受けて、そんなにいいものではなかったんだなと思い知ったというのに。セイカの方は差別を受ける側だから尚更だというのに……


 ボクは黙って秘密基地の外へ出た。優先しなきゃよかった、と全身で伝えた。

 それを追いかけてくるセイカ。


「資料がここにないなら探して手に入れればいいんだよ!」

「手に入れるったって、セイカ戦えないよね!?ボクだって扱えるのはこれだけ」


 背負ったスコップを拳で叩いた。


「死んじゃうよ」

「どうして外へ出たクロ兄は殺されなかったの?」


 クロ兄の名前が禁句になっていたことはお互い暗黙に了解していたはずだ。


「方法があるんだ」

「あるといいね」

「それに戦えるよ、ナイフくらい扱える。見ていて」

「は……」


 振り向くと、セイカは持っていたナイフで自分の角を抉り取ろうと額に刃を突き立てていた。血が顎まで垂れた。


「やめてよ……!」


 慌ててナイフを取り上げる。最中、セイカの額に赤く一線が引かれた。パラパラと斜めに切られた前髪が舞う。

 はずみでナイフは二人の手の中から飛び出し、御神木に突き刺さった。


「バカなことしてんな!」


 竜になりたい。みんなと一緒になりたい。

 そんなボクを嘲笑う、挑発的な行為に見えた。そんなつもりはないと分かっているのに。


「神さまとかっ……」


「死んだ後のこととかっ……どうでもいい。ワタシを連れてって、アルバ……! ここでずっと仲間外れなのは辛い」


 仲間外れ。ボクはそれを聞いて真っ先に、自分のことを思い浮かべた。


「いいじゃないか! セイカは竜族なんだから。今失くしそうだったのがその証拠だよ! 何が仲間外れだよ……ボクはッ、ここにいても一生不純物なんだ……!」


 セイカがボクをそばにおくのは、ボクが人間だからではないかと疑っている。仲間とうまくやれない自分より下の、異質な存在を側におけばマシに見えるから。



「そうだね、アルバ。じゃあなんで出て行かないの?」


 ボクは自分の中の矛盾を突かれて、ぐっと拳に力が入った。


「ワタシたちはここから出ないのが賢明ね。だから口酸っぱく言い聞かせられてきた。 でもアルバは違ったでしょ」


「人間なんだから」



 かえりたい――


 ボクは魔女に魅せられた原風景を想った。


 ここが 一番 かえりたい場所なのだ 

 でも、それを どう説明すればいい?



 頭が痛い。



「ここがボクにとって一番いいところなんだ……たとえ一生心が孤独だったとしても……誰かが近くにいるから」



 ――匣の中と何が違うの?



 幻聴に心臓が跳ねる気がした。目を開くと白い少女が目の前に立っていて、何かを指差している。


「孤独? アルバ、あなたは来た頃と何も変わってないんだ。母さんやワタシはあなたを孤独にした覚えはない。あなたが孤独なのは、あなたが人を信じられないからよ!」


 パチパチと目の前が弾けるうちに、白い少女の姿は消えていた。


 ボクは少女が示したものに指をかけた。


 それは御神木に突き刺さったセイカのナイフだった。赤い液体が傷口から垂れていた。初めはセイカの血だと思ったが違う。


 とめどなく流れるそれに、


「生きてるみたいだ」


 触れた。



「アルバ……? アル――」




 セイカの声が遠ざかっていくのを感じていた。意識が白く塗りつぶされていった。




 ……長い夢を見ている気がする。


 幸せではなかったし、いつも悲しかった。

 一人になりたくなかった。迎合されないと分かっていて縋るのは辛かった。優しくしてくれる人が知らない時を狙って、何度も石を投げられた。露天の店主も坑道の同僚も、太陽の下では豹変した。


 人も竜も違いはないと知っていた。


 抜け出す勇気はなかった。一人ではどこへも行けなかった。

 それでもあれほど分かり合えていたはずの友人と、二人きりになるのはもっと怖かった。

 変わってしまった君が、変わらない僕に気づくのが怖かった。いずれ置いて行かれるのが嫌だった。


 僕は死んだままこの場所に辿り着き、死んだまま育った。一度死んだものが生き返ることなどないのだ。



「生きてるみたいな、あなた――」



 白い少女だけが、僕の本質を知っていた。




 *




 セイカは親友の部屋の前、廊下にうずくまって考え事をしていた。

 御神木の前で倒れたアルバはひどく苦しみ始めた。熱が出て呼吸は乱れ、腹の中心から細い血管が浮き出て中身が暴れていた。

 初めこそセイカも看病に回っていたのだが、「瘴気にあてられる」と追い出されてしまった。


 6回太陽が昇ったその間、セイカの前を横切って部屋に何人もの大人が出入りした。医院の魔法使いだとか、村外れの占星師だとか、とにかく滅多にお目にかかれない胡散臭い偉い人たちだ。


「手に負えません。一体何に手を出したの?その子はなんて?」


 母は何度か咎められた。

 だがセイカは禁足地に立ち入っていたことを話すわけにいかなかった。そうすれば必ず罰を受ける。外界へ行くなんて夢のまた夢になるからだ。




『このままじゃあなたはすぐに死ぬ』


 不吉な魔女の予言。


『生き延びたければ――』



 ……アルバ。




「──ワタシが御神木を傷つけて……それで」


 セイカは無意識に真実を口走っていた。それが彼女の選択だった。


 母親はハッとしてセイカの両肩を掴んだ。


「なぜ言いつけを守れないの」

「よしなさい、今更詮なきこと。覚悟の上で告白したのですね? セオンテイカ」

「だから……助けてください、お願い……します」――



 セイカはぼうっとした。大人の話し声が頭にとどまらず抜けていった。


「旧き神に呪われたとでもいうのですか? ――あれは子どもを遠ざけるおおばあ様の作り話で」

「でも実際死にかけておる――体の中の魔素が肉体を食い荒らして……」

「人間だけ被害に遭ったというのも――」


 涙が出た。

 嫌いな大人、その中でもとりわけ胡散臭くていけ好かない奴らに泣いて頼って、その結果があの何の成果も出なさそうな話し合いかと思うとやりきれなかった。


(ワタシ…… 間違ったの?選択を……)






『――うそよ!!どうしてわたしが死ぬの!?』


 セイカは無数の扉に囲われた中心で激昂した。

 彼女に用意された選択肢の多さを異常な滞在時間が示す。彼女がその空間に足を踏み入れてから実に1ヶ月は経過していた。


『全部ひらいた……全部よ、それなのに一つも道が続いていないなんてそんなのって……!』


 見た目や開いた瞬間見える向こう側の景色はどれも違う。けれどどれだけ希望を感じて潜っても、足を踏み入れた瞬間扉はただの枠組みになり、どこへも辿り着けない。


 それが意味するのは……


『行き止まりだね。全部はりぼてか。 可哀想に……曲がりなりにも一度は家族の縁を結んだ子どもを見捨てるのは心苦しいよ』

『あなたが……仕組んでるんでしょ!? そうじゃなきゃ……! 到底受け入れられない、こんなことは』


 涙が暗闇に落ち水のように波紋を作る。


『変えられないの? 未来は』

『過去は決まってる。未来は変えられる。でも死から生までは……誰も変えられない』


 言葉遊びだ。


『待ち人はもう来た。あなたはその手をもう取った。探し人はもう見つかった。あなたはその手を掴むことはできない。 それはね、仕方のないことなんだよ。どうせ死ぬから好きに生きなよ。生から死までは、あなたは自由だ』

『……自由?』


 自由ならどうしてどこへも行けないの。


 子どもの頃世界地図をくれた人がいた。

 ああ……東の果ての黄金の島。海の底の古代王朝。天空に遥か高く伸びる世界一高い塔、頂点まで登れたら。

 そうだ、世界一のお酒は白くって、口の周りに泡をつけるのがいいんだって。そのままふわふわの雪に飛び込んで、大雪漠(だいせつばく)に抱かれたような気持ちになれれば……忘れちゃダメ、珍しい魔法道具がこれでもかと並ぶマジックアーケード(裏拱廊)は外せないわ!

 そうだ、帝国は竜をいじめる意地悪な国だけど、一番歴史が面白いの。叶うならお兄ちゃんが行った学園都市でいろんな国のことを学びたいな……


 人間がいっぱいいる。わたしたちと同じ亜人だってたくさん……



 こんなところで死に腐る。

 あんな冷たい渦の中で、次なんかに思いを馳せて死に腐る。

 前のことなんかぐちゃぐちゃになって覚えていられないくらい ばらばらに……なって……


『このままじゃあなたはすぐ死ぬ。願うの?セオンテイカ』


『生き延びたいの?』




『死んでも……生きたい……』


 頭で考える前に口をついて出たら、それは本心なのだと思う。






「――何か悩んでいるのかしら」


 優しく話しかける者がいた。


「違うの……ワタシ魔女の言うことを信じっ……」


 顔を上げると小さな手で目を覆われた。


「魔女? 魔女がいるの? 竜の泣き巣にもいるのね。私もお会いしたいわ」

「あ、あなた誰?」

「私も魔女よ。美味しそうな魔の匂いにつられて出てきちゃった。お友達、大変そうね」


 彼女からは甘い匂いがした。どこか甘い清涼な通りの声はセイカの心を落ち着かせる。

 両目に添える彼女の手を無理に振り解けない、そんな魅惑を、姿見えない少女は放つ。


「手を退けて……」

「いけないわ。見られれば殺さなくちゃいけなくなってしまうの」

「殺すって……?」

「大丈夫。私たちの存在を黙っていてくれるなら、代わりに彼を助けてあげるわ」

「本当に?」

「魔女は嘘を吐かないわ。名前を教えて」

「セ…… セオンテイカ・インシオン……」



「貴女少し変わった匂いがする……覚えたわ。セオン、目を瞑って待っていて。約束は違えないでね――死期が早まるだけよ」


 それだけ囁いて、彼女は甘い匂いを残して去っていった。心臓が高鳴る、不思議と不快でない……



 …………。




 瞼の裏の闇の中、セイカは待った。高揚が失せて、魔女の囁きを不信に思い始めた。


(……ああ、だめ。何も考えられない。疲れた……ただ疲れた……)


 6日目、13月の夜はそうして過ぎていった。甘い匂いが心地よく浅い眠りに誘った。


(ねぇほんとは……ワタシのこと、嫌いだったの……?起きて…… 教えて……あなたを助けようとした価値が、あなたにあったのか、知りたい)


「アルバ……」







「なに? セイカ」



「――どうしてこんなところで寝てるの? 何か変な匂いするね……」


 セイカは布団を肩で引きずる彼の普段と変わらない姿に「うそ……」と漏らした。


「なんか身体中痛いや……ほんとにどうしたの? セイカ……」


 セイカはアルバを抱きしめていた。


「あれは……約束を守ったんだ」





 そう、魔女は嘘を吐かない。


『このままじゃあなたはすぐ死ぬ。 生き延びたければ――嘘を吐くしかない。 黙ることは許されない。真実は論外。 吐いた嘘の分、あなたは生き延びることができる』



 竜の娘は魔女になってしまった。なるに値するか知らずに……


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