最終話.なぜ夜闇は私を排するのか
路地裏に差し掛かったところ、帝都を出る彼を呼び止めた。
「あいつと、行くってんじゃないでしょうね……?」
ネイメアは足を止め、半身だけで振り返る。冷たい、射抜くような視線。
「まだ分からない」
クオリアは曖昧な返答に、余計に勢いづいて捲し立てた。
「アンタ、とうとう気が狂ったの?あいつがマトモじゃないのは分かってんでしょ?数日の間に見違える外見になったわよね、後ろの化け物は相変わらずだけど!」
たかが数日で見違えるほどに成長した。それが異常だということは、他ならぬネイメア自身が言っていたことだ。
「あいつが飼ってる化け物が、あたしたちにとってどれだけ危険だと思ってるわけ!?」
彼が常に背負っている白い境界霊の姿。
血走った百目の怪物が、羽根を広げて周囲を威嚇するように蠢いている。
遠目でも、それがいる場所が分かる。視界に入るたび眩暈がした。
「絆されたんじゃないでしょうね!?アンタは!殺さなきゃ、いけないのよ……!!」
クオリアには、今までなぜネイメアが彼を殺さなかったのか、その理由が分からなかった。
いや、分からないというより、分かりたくなかった。
ネイメアが左右に視線を揺らす。
「――あの境界霊どうも引っかかる」
「え……?」
「ただの悪霊ならいい。積もり積もってああいう異形の形を成すやつはいないわけじゃない。でも、あれは……」
唇を撫でる。焦点が合わない目で言う。
「境界霊というより、悪魔……」
「あ、悪魔……?悪魔憑きに自覚がないなんてありえないでしょうが」
「むしろ――神……?」
クオリアはぞわ、と身震いした。生理的な悪寒だった。
「意味わかんないわよ……」
「殺す」
ネイメアがローブの襟元を直す。
「あいつの持つ聖痕とやらも確かめた。覚えはないが、なんとなく……嫌な感じがする」
「はあ?アンタそんな曖昧な確信で、離れるっての……!?」
「別にいいだろ。オレはもう枢機卿じゃなくなった。つっても執行猶予期間だけど」
フードを深く被りこみ、冷ややかに笑った。
「おめでとう、女帝殺し。じゃあな、クオリア」
クオリアは唇をギチ、と噛み切った。
去り際のネイメアの背中に怒りと共に飛びつく。肩を強引に掴み寄せた。
「階級の盾がない今、バクスは必ずアンタを狙う。殺されるわよ」
「望むところだろ?」
「アンタにあたしの望みがわかるの?」
「分かる。約束する。お前の望みは叶う」
クオリアはより一層の力を込め、彼の肩に指を食い込ませた。
「あたしはアンタに死んで欲しいの」
「必ず、叶える」
その嘘のない眼光に、クオリアは思わず肩に触れた手を跳ねさせた。
一度も振り返ることなく、ネイメアは去っていった。
一人取り残されたクオリアは、震える指先を見つめながら、力無く呟く。
「なんなのよ……」
*
「――君らしいね」
船を降りたらお別れだ。アルバは物悲しくなって、微笑みを浮かべながらも俯いた。
「何しょぼくれてんの?」
ネイメアがからかうように言う。だって、と言いかけた時、
「本当の名前はさ」
アルバは顔を上げた。
「――ゲーレっていうんだ」
朝焼けが彼を照らしていた。白い肌が日差しで橙色に染まっている。
アルバは込み上げる何かを、押し込めるようにして身を震わせた。勝手に目元に力が入る。
隠すように顔を逸らして、朝日を反射して輝く海を眺めた。
「ボクはアルバ」
「なに、知ってんだけど」
「ただのアルバ。知って欲しいのは名前だけ……」
初めて出会った日。そう名乗った。
その時の、彼の呆れた表情。どこか傷ついたような顔をしていた。
「――じゃないよ!ゲーレ」
アルバは笑って、彼の方を振り向いた。
「意味わかんねー」
呆れたように、優しく笑っていた。
船の上で、二人は夜通し話を続けた。
くだらない、取るに足らない話――自分のことを。
夜闇が溶けるように陽の向こうに去る。
ようやく世界に受け入れてもらえたような、そんな気がする。




