7-18.別離の予感
真夜中の海は、すべてを飲み込む深い濃紺だ。
「黄金島か……」
アルバは船の柵に頬杖をつき、船上で星の瞬きを見つめていた。
冷たい潮風が、髪をさらう。帝都から焦げた匂いを運んでくる。
あたりは静まり返っていて、波の音だけが響き渡っていた。
一人で静かにものを考えるのはいつぶりだろう。
怒涛の数日間が、走馬灯のように脳裏を駆け巡って、やがてぱたりと失せる。
あれこれと後悔や疑問が浮かんでは消える。
過去のことではなく、これからのことを考えるよう努めた。
「大教母様に会えば……」
太陽神教の本拠地、黄金島。そこにいる大教母に会う。
そうしたら、分かるかもしれない。
ハクアのことが。竜族のことが。……神のことが。
太陽神と邪神。そして、古き神について。
(もしかしたら、ハクアが取り憑いているから、救世主として見なされなかったのかもしれないし……なんて)
いまさら自分が救世主かどうかなんて、こだわらないけど。
アルバは心中でその一縷の望みを軽く笑い飛ばすことができた。
(でももしも、ハクアの魔法の代償で、記憶がないのだとしたら――取り戻してみたい)
自分が、誰だったのか。どこから来たのか。何をしていたのか。
何を知っているのか。
やっと知る覚悟ができた。
探ろうとするだけで身がすくむ思いがする。まるで暗い井戸の底を、覗き込むような……
けれど、そこに何があるのか。知らなければ、前に進めない。今はそう思える。
「……セイカ。なんでかな、君は生きてる気がする……」
そうして一番に知って欲しい。自分のことを。
柵に突っ伏す。
(こう思えるのも、君のおかげだ。ねえ……生きてるの?)
脈打つ波に、そっと呟いた。
「ネイメア……」
「――なんだよ」
聞き慣れた声に、振り向いた。
甲板の上、帆の影に半ば隠れるようにして、その人がいた。
「迷子みたいな面」
彼はアルバの驚いた表情に、意地悪く鼻で笑った。
「生きてたの……?」
「どうだろうな」
コツコツと足音。彼はアルバの隣に何食わぬ顔で寄ると、背中で柵に寄りかかった。
「なっ、なんでここにいるの……!?」
「手頃の船があったんで忍び込んでやった。今の帝都じゃおちおち眠れやしない」
彼のいつもの皮肉に、自然と頰が緩んだ。
「そんなこと言って。ほんとはボクを追いかけてきたんじゃないの?」
からかう。ネイメアは空を見上げ、
「そうかもな」
首を傾けてアルバを見つめた。
意外な答えと、やや上目遣いになった優しげな瞳にあてられて。アルバは慌てて顔を逸らした。
頬を何気なく拭う。
そうだ、今聞かなきゃ――気を取り直してたずねてみる。
「クロエドに聞いたよ。女帝様の暗殺計画を立ててたって……レガリアの話って嘘だったんだ?」
平静を装ってたずねるまではできたが、怖くてまともに顔を見れなかった。
すると、視界の端に金色の何かが映る。
ネイメアが人差し指に何かを引っ掛け、くるくると回して見せた。
――ティアラだ。
肖像画の女帝の頭上に輝いていた、精緻な細工が施されたそれ。星あかりに反射して輝いた。
「……!それ、女帝様の!?」
「帝冠の金を溶かしてティアラに加工してた。魔石もはめこんで」
アルバは納得して、ふうと小さく笑った。
「まあ自然に考えれば、それが一番アリな線だよね」
「……あの女帝が、そんな型にこだわるとは思えなかったからな」
「そう……?」
「魔石だけえぐっててもおかしくないと思ってた」
言って、彼は伏目がちに俯く。
アルバは一呼吸置いて、波の模様を見つめながら静かに問いかけた。
「女帝様を殺したのは……ネイメア?」
意外にも、胸の音は静かだった。ざわつき一つ感じない。
ネイメアの気配だけを辿ってみる。
指の動きが止まって。こちらを向いて、何かを言おうと口を開き――やめた。
顔を逸らす。見ないでも分かった。
「……違う」
アルバは彼の方を見て、その表情を確かめた。
「……って言ったら、信じてくれるか?」
淡い光が頼りなく照らす。薄く逆光を背負って、よく見えない。
なのに、泣いてるように思えた。
「……信じるよ」
アルバは柵に手をかけ、腕を伸ばす。星空に祈るように言った。
「難しい方を選ぶよ」
「……バカだなー……お前……」
それからネイメアは自らの目的を語り始めた。ぽつりと、吐き出すように。
「オレは……三つの魔法を探してるんだ」
この世界に散らばる三つの魔法を集めること。彼はそれが宿る魔法道具を追い、世界各地をめぐる旅をするのだという。
帝都にある一つ目、帝冠は崩落に乗じて手に入れた。二つ目は黄金島に、三つ目はまだ見ぬどこかにあるのだという。
「黄金島に……?」
二つ目を探すため、この船に乗り込んだ。そう考えれば合点がいく。
ぽつぽつと話すネイメアに対し、アルバは意を決して言った。
「行き先が同じなら一緒に行こうよ」
ネイメアが怪訝そうに、でもどこか満更でもないように「なんで」とぶっきらぼうに言う。
アルバは、きっとネイメアは理由を求めているのだと思った。彼に自分の有用性を提示するべきだと。
それでも、
「知りたいんだ。いろんなことを」
口をついて出たのは、拙い動機だ。
――今まで、何も知らないで、流されるままに生きてきた。
そんなふうには全然思ってなかった。
むしろみんなが押さえつけてきて、それが、嫌で……上手く、言えない。
でも、そうじゃなかったって今は思う。
悔しくて。
不貞腐れて、色んなものを台無しにしてきたことが。
取り戻せないって分かってる。やり直すなんて都合のいいことはできないし、やったことは消えない。
……でもこのまま、何もない自分のまま生きるのはどうしても嫌だ。
そうして、いろんなことを知った時には――
「その時には、隣に君にいてほしい。君の世界の見え方が、君の言葉が、ボクには必要なんだ」
アルバは自分の心を確かめるように言った。
「君のことを知りたいんだ」
言い切って、まっすぐ見据えた。
ネイメアは目線を合わせず、小さく、低く応えた。
「答えになってない」
ぐっと喉が痛くなった。
でも、それだけ言って突き放すネイメアの瞳は、揺れているように見えた。
「どうして……その魔法が必要なの?」
ネイメアはその問いを、頭の中で何度も繰り返した。
(どうして。どうして、どうして……?)
その問いは、ネイメアを心の奥底――板切れや土を継ぎ合わせた荒屋へと連れ戻した。
在りし日の記憶。
入り口に垂らしたござは、いくつも穴が空いているのを歪に縫い合わせている。開けると、指に棘が刺さった。
犬小屋より劣悪な寝床。
硬い床に寝そべっていたはずのその子が、いつのまにか起き上がっている。
「おい、どこ行くんだよ?寝てなきゃダメだ」
宥めるように声をかけた。
その子は虚ろな目を左右にゆっくり泳がせて、ぶつぶつと呟く。
「……?何してる……何……?」
その子は空の瓶を握りしめていた。
気づいて、焦りを気取られないよう、優しく語りかけた。
「これはもうお前には必要ないものだろ。お前は戦争から帰ってきて、まだ傷が癒えてないから休んでるんだ。そうだろ?」
取り上げる。骨に皮が被さっただけの、痩せた指が絡み合った。珍しく、抵抗はなかった。
「そうだったっけ……ね。お兄ちゃん……あ」
こちらを見つめるその子の瞳が一瞬光を持った。
濁りのないそれに自分が映り込むのが分かって、声が勝手にうわずる。
「オレのこと、わか――」
「誰……?……家の中に知らない人がいる。おにいちゃん……どこ……」
何もない宙を探るように、手を伸ばすさま。
焦点の合わない目で彷徨う姿に、ネイメアは口元を抑えた。
押し殺した声が耳にこもる。無力な自分に吐き気がする。
――あんな思いは、二度としたくない。
「助けたい人がいるんだ」
アルバは、彼の言葉にやや目を見開いた。
彼にも大事な人がいるのだ。そんなそぶりひとつ、見せなかったけれど。
「……どんな人?」
「……自分より、大事なやつだよ」
……うん。
アルバはきゅっと唇を引き結んだ。口角を上げようと力を入れるが、どうにもうまくいかない。
――ボクは……分かってる。
君がボクを騙したってこと。利用したってこと。女帝を殺したのは、君だってこと。
その、大事な誰かのために。
全部分かってて、それでも信じる。ボクが、そうしたいから。
ボクは騙されたくない。傷つきたくない。そうされないように努力する。
その上で、君を信じる。
そして、君がボクを信じられるように頑張るから。
だから、
「……いつか、話してくれる?」
どうか是と答えてくれ、そんな思いで問いかけた。これが返答の代わりだと、そう思って。
「……バーカ。ただで話すわけないだろ」
いつもと変わらないぶっきらぼうな物言いに、アルバは思わず吹き出した。
(そっか。そうだよね)
泣き笑いを浮かべた。
「君らしいね」




