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アンダートゥ  作者: ただの
第七話 なぜ夜闇は私を排するのか
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7-17.贖罪にもならない


 ハッケーは船に乗り込むアルバを見送る。名残惜しそうな彼を半ば押し込んで。


「この船は黄金島へ行きます。大教母を頼ってください。そうすれば、帝国はあなたに手出しできない」

「なんで……助けてくれるの?ボクが……っ知ってるよね?」


 震える声。アルバが船上、柵から身を乗り出す。


 ハッケーは彼の黒い瞳を強く見据えた。


「分かっていますとも」


 強く言い切る。それ以上言葉は要らなかった。


 ''女帝殺し''――世紀の大犯罪者。


 追われているのは彼だと当然分かっている。


 しかし、アルバが女帝を殺すなどあり得ないことだ。そんな大それた真似はできない。


 ハッケーにはその確信があった。


(――構図が、同じ。大教父の時と)


 ''ネイメア''を頼って、選定会に出たのち、今度は女帝暗殺の犯人として追われている。


 過去の大教父暗殺事件と今回の事件の構図は、酷似している。


 彼がネイメアに利用され、濡れ衣を着せられたことは容易に想像がつくことだ。


「なんで?ボクは君の心配を振り切ったのに。こんなことになって、ざまあみろって思ってるでしょ」

「思いません」

「まさか、友達だなんて本気で思ってる?ボクは君を利用しようと近づいたんだ。初めて会った時も、帝都で再会した時も!……打算で!そんなやつ、信じられないでしょ」


 ハッケーは彼の本音に、ふっと目元を緩ませた。



「信じます。……友達、ですから」





 アルバがハッケーの家を飛び出した後のことだ。

 ハッケーはすぐ晩鐘の隠れ家を訪れていた。


「こうして(ツラ)合わせるのは久しぶりだな」


 そこにいた構成員。

 薄く色がついた丸い眼鏡をかけた男。眼鏡の下の深い隈と、細長い指全部に指輪をはめているのが印象的な、若い男だ。

 深く椅子に腰掛け、両膝に肘をついて、煙草を吸っている。


 目の前に立つハッケーに、煙がかかる。


「まどろっこしいのはなしだ。何が聞きたい?それとも、船の仕事をしくったか?」

「……あの少年のことです」


 ネイメアという少年のこと。アルバは彼の手を借りて選定会に行くと言った。


 ネイメアの正体を暴きたい、その一存でこの場所を訪れたのだ。

 構成員に下卑た視線を向けられる、それを耐えるだけの価値があることだった。


「救世主騙りか……」

「違います。彼と一緒にいた、白い肌の痩せた少年のことです」


 丸眼鏡の男は黙り込んで答えない。

 その横、彼の側近が小さく嗤い出して言った。


「少年?ふっ、ふふ……ボスの客だよ。わかんだろ?知らない方がいいこともあるってさ」


 ボス……晩鐘――獣人で構成される、情報商業・魔薬密売を生業とした秘密犯罪組織。それを束ねる大柄な男。


 くゆる煙の向こう、足を開いてゆったり腰掛けたボスの姿。


『おうハッケー……おめぇまだ逃げられると思ってんじゃないだろうな。無駄、無駄。おめぇは一生、死ぬまで犬のまんまだよ――』


 ゲラゲラと下卑た嗤い声。咥えた葉巻の、煙を吹きかけられた。



 昔の記憶だ。



(ボスの客――それほどの人物とは思えなかったが……)


 結局、ハッケーは肝心な情報を掴むことができなかった。




 それから、帝都が崩落した後のことだ。


「女帝が、暗殺された……?ただの噂ではないのですか」


 執務机に向かう主人――バラチカルが、降臨祭の夜に女帝が暗殺されたことを話した。

 ハッケーは即座にアルバの関与を直感したが、焦りをおくびにも出さず、主君に向かって問いかけた。


「いかがなさいますか」

「貴君の匿った少年。有力な容疑者だが、便宜上実行犯として手配されることが決まった」


 主人の静かな告知に、ハッケーは心臓を掴まれる思いがした。


 匿った。なぜそのことを知っている?


 ハッケーは部屋の端、青年を見やる。


 同じくバラチカルの元で働く同僚の騎士――テュオが舌を出して肩をすくめるのが分かった。



「処理しろとおっしゃいますか」


 冷静を装って問うと、


「――何もするな」


 意外にも放置を命じられた。

 ハッケーは面食らうが、必ず他意があるはずだと食い下がる。


「理由をお聞かせください」

「ならぬ」

「もしも彼が捕まり、ラギネイアス殿下に記憶を暴かれた際には、私のことが知られてしまいます。であれば、彼を逃すのが――」

「二度言わすか」

「バラチカル様!どうか……!」


 そばでテュオが「先輩……」と青ざめた顔をしている。

 主人にしつこくたてつく犬。この場で斬り捨てられてもおかしくはない。


 帝王はじっとハッケーの顔を見つめる。

 眉ひとつ動かさず、口元だけが最小限の動きをした。


「――ならぬ。察せ」


 ハッケーは思わず、深く息を吸いこんだ。

 彼は本当に、いつだって、何も説明する気がないのだ。


「貴君の働きには特別感謝している。妻を守ってくれたことの礼と捉えよ……三度目はない」


 降臨祭の夜に、奥方を守ることを命じたのは主人バラチカルだった。

 そんな折、貴族区画の襲撃が起きた――まるで、あらかじめ分かっていたかのように。


 例年と違って本邸で過ごすことはせず、宮殿に向かった主人は、一体何をしていたのか。ハッケーには全く想像がつかないことだ。


 何年も仕えたのに、いまだに全く理解できない。この不気味な男のことを。



 執務室を後にする。テュオが話しかけてくる。


「先輩。理解してますよね?神杖の賢者の魔法対策です。失言一つと許されない、あの方のお立場を」


 知ってはいけないこと、知っては都合の悪いことを、伝えてはいけない。

 それがなんなのかはわからない。ただ、ふるいにかけた情報だけを届ける。


 主君が『何も知らない』白紙の立場でいられるように。


 『良きように』――主人の言葉の通りだ。

 いついかなる時も、限られた情報の中で最適解を叩き出す。すべての泥を被る。

 それが、帝王バラチカルが部下に求めること。


 

 ではしくじれば、どうなるというのか。



 ハッケーは、テュオの真面目な眼差しに、皮肉で答えた。


「もしも……我々の悪行が暴かれたとして。裁きがくだる場で、あのお方はなんとおっしゃるだろうか」


 主人を庇う彼の態度に、腹が立ったからなのかもしれない。


 なぜならハッケーは、


「――『私は知らない。部下が勝手にやったことだ』……違うと言えますか?私はその日が来るのが恐ろしい。尽くした主に、無情に切り捨てられるその日が」


 庇う価値があるのか、とずっと自身に問いかけている。



 テュオは神妙な顔でううん、と唸る。


「……よく分かんないですけど。だからそんな失敗したら死ぬみたいな悲壮なカオして働いてんですか?」


 軽口めいているが、本心テュオはそう思っているのだろう。そのことが余計に、ハッケーの心をかき乱した。


「別に、間違ってたっていいじゃないですか?人が何考えてるかとか、完璧にわかるわけなくないですか?しかも、意図的に隠すような誰かさんのなんて」


 ハッケーは、お前と自分は違うのだと指を突きつけて罵ってやりたい気持ちだった。


 この肩には、自分一人だけでなく家族の命も乗っている。しくじれば、まとめて殺処分にされる。

 奴隷である獣人のハッケーと、平民である人間のテュオに、どれだけの隔たりがあるか。


 何も知らないくせに。


「俺はもう一個だけしか分からなかったから、これだけは叶えてやって、恩を返そうって思ったんですよね」

「……それは?」

「叶ったでしょ。俺のおかげですよ」




 ――その時……バラチカルは一人、机仕事の合間に一息ついて、机上にある花瓶を眺めていた。


 陶器の凹みを撫でる。

 挿してある花は自身が庭で育てたものだ。手にすると、みずみずしい香りがした。


「娘は、花が好きな子になったろうか……」


 帝王は何かを想起するように空を仰いだ。背もたれに体重がかかり、きし、と軋む。


 目を瞑り、深呼吸した。



「長かった…………」



 目尻から、涙が一筋流れた。



 


 ――枯れた声で漏らした言葉。ハッケーは扉を隔てて聞いた。


 そっとその場を離れた。

 もはや進言する気は起きなかった。





 そして、今。


 アルバの姿が遠ざかる。粒になって、見えなくなるまで見送ろうと決めた。


 国外へ渡航する船。黄金島行きのそれに彼らをねじ込んだ。

 それは、ハッケーの意思だ。主人の意思に反したとて、構わなかった。


 遠くから、彼がこちらを見ているのが分かる。

 甲板の上、柵を握って、名残惜しそうに顔を歪めているのが分かった。



 ハッケーはたまらず、ぽつりと呟く。



「私の……私の願いは……誰にも搾取されないこと……」



 奴隷に生まれ、弁えて生きてきた。


 いつしか染みついた。

 まず初めに、手のひらを見せるような仕草。



「私とあなたは似ていませんよ。あなたは自分の意思でいかようにも決められる。しかし私は……」



 ――あなたを救世主だと本気で信じているわけではない。


 友情なんて薄っぺらな感傷にほだされるほど、私は純粋ではない。


 あの時も、今だってただの償いです。

 罪悪感を少しでも払拭しようとする、自己満足にすぎない。


 私は卑怯な人間です。この期に及んで……



 この期に及んで、あなたの母親を殺した時の話ができない。


 あなたの名前を呼んだその人の、最後の言葉を伝えることがどうしてもできない……





『――よくも……』


 血を吐き出し、涙を流す。重力に従って、額へと流れていく。


 滅ぼした竜の秘境。バーバリックが惨殺した女。


 苦しげに呻くのを、聞いた。



『ああ……アルバ……ごめんね……』





 ……ハッケーはただ、船を見ていた。

 小さくなって、見えなくなって。水平線の彼方へと消える。


 それを確認して、ようやく膝を折った。


 噛み殺した嗚咽が、夜明け前の波止場に消えていった。


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