7-16.凶兆
「先帝暗殺の旨、あらためて通達する。じき民草にも公になろう」
評議会にて、現皇帝が言い放つ。
その頭上にはまだ何もない。戴冠を控える、若き金髪の女だ。
とはいえ、帝冠は失いが。
ざわめく円卓を見回す。諸侯たちは、一様に神妙な面持ちを装っている。
その仮面の下で、どれだけの毒が走っているかを彼女は知っていた。
『また女の皇帝か』
『暗君が続くか見ものだな』
『大教母に匹敵する象徴たりうるのか?』
『でなければ女の王など担ぐものか』
ざわざわと行き交う小声に、そんなやりとりを捉える。
(――百も承知よ。不敬者どもが)
彼女は胸を張って笑みを浮かべた。
「私は虫が嫌いでな」
皇帝が話せども、収まる声は半分ほどだ。
「ぶんぶんとうるさくてかなわんわ。時に」
――バン!!と机を拳で叩きのめす。
その大きな音に、水を打ったように静かになった。
「叩き潰したくなる。私は私語を許した覚えはないが?」
その拳の下で、小虫が潰れていた。
ラディシャは最初が肝心であることを承知していた。
最初に叩き込む必要がある。
誰が、主なのかを。
「して、初勅はいかがなさる」
静まり返る中、言ったのは皇配だった。いや、今やその称号はない。
女帝の代わりに行っていた公務も終わり、評議会の長としての役目も終えた。
しかし、こうしていまだ評議会の席にいる。
当然座る場所は違う。彼が今まで座っていた席には、ラディシャがいる。
女帝が死に、混乱の只中。暫定的な立ち位置だ――そう、言いたいが。
「控えよ、コーディン公。いや、帝王というべきか」
「……出過ぎたことを申しました」
瞼を閉じて淡々と言う。そこに動揺は微塵も感じられない、その男は。
――今度は、諸侯として評議会に名を連ねる。
帝国の属国、その一つの国王として。
元はと言えば、彼はそこの王族であった。領土を広げる女帝が、その血に目をつけて強引に婚姻に持ち込んだ。
(あそこには王がいたはずだが?――引き摺り下ろしたか、バラチカル・コーディン)
今なお、盤石の地位を築く怪物。帝国の裏の支配者。
誰もが、彼とラディシャどちらにつくべきかを図っている。
彼の目的は、未だ見えない。
「未来の話は良い。今の話をしようではないか。先帝を殺した者を引き摺り出す、その話を」
「どうなさるおつもりですか?」
今度は、黒ずくめの女が言った。
帝国五貴族に名を連ねる、上級貴族の当主――黒婦人とあだ名されるその人。ラディシャの宮廷教師だった女だ。
「なに、ちょっとした掃除だ。南西の方、もうすこし、土地が拓けるとは思わぬか?」
「はい……?」
大聖堂付近の、南西区域。そこには貧民街がある。
「あちらは特に、臭くてかなわぬ。どこからか沸いた小虫がうじゃうじゃおるわ。きっと皇帝を殺すような不届者も紛れ込んでいような」
円卓を囲む諸侯たちが、息を呑んだ。
不法滞在とはいえ、数万の命がひしめくその場所を小虫の巣と称す。
その意は――
「少し焼こうと思う。土壌ごと消毒して、新しく区画を作るのだ」
まるで、日常の、取るに足らない掃除を提案するかのような口ぶりだった。
「……何を言っているのですか?」
「私の機知が通じなかったか?やはりいかんな、いかついだけではと思ったのだが」
黒婦人は眉根をひそめて、軽蔑をはらんだ視線を向けた。それに対して、ラディシャが怒気をこめて言い放つ。
「拓けたその土地、貴様にくれてやる。貴様がやるのだ」
「暗君に票を投じたと後悔させるおつもりか!!」
立ち上がる。勢いで、椅子がギイ、と床にこすれた。
ラディシャはふう、とこれみよがしにため息をつく。「三つ」と言って、一本ずつ指を立てていく。
「一つ、帝都の秩序を維持するため」
名目だ。実際には、これまで見逃していた違法に占拠した人民を、粛清するということ。
「二つ、先帝暗殺の犯人が潜んでいる」
建前だ。そんな情報はどこにもない。
大体、出入りを厳しく制限したところで、犯人は宮殿を抜いたのだ。すでに帝都を出た可能性は高い。
「三つ、''新たな帝国''の象徴として、旧体制を一掃する意思を示す」
政治的な意図を知らしめる。その形を、
「私の理想は――」
語って、その内容に場の全員が戦慄した。
「――私は第三十四代皇帝、ラディシャ・オーディッド。私は人間の王。私は人間だ」
帝国の日暈。
誰が言ったか、その女は――太陽を食らうまでの、かげりそのもの。
のち、会議室を出て行くラディシャを、ラギネイアスは呼び止めた。
「正気かよ、姉上……」
過激な思想。どれだけの諸侯の心が離れたかは想像に難くない。
「おお正気だ」
ラディシャはラギネイアスの両肩を掴んだ。痛むまでの力強さに、ラギネイアスは顔を歪めるが、途端にはっとした表情になった。
姉の蒼い瞳。強くも、一片の不安を秘めているのが伝わった。
「言ったはずだ。千年王国を、創るのだ。
――私と、お前で。ラギネイアス」
ぐっと、ラギネイアスは唇を引き結んだ。
思いもよらない言葉だった。
この偉大な姉に、半ば縋られるように頼られるなど。
(――オレが、やらなきゃ。……このことは、まだ言わなくていい)
一つ咳をする。
肩にかかる姉の手に自身の手を添え、返答の代わりとした。
*
女帝暗殺の犯人として挙げられたのは、少年だった。
手配書の特徴書き。まさしく、アルバのことを言っている。
こうなることは予想していた。
しかし、いざ逆賊として扱われた今、あまりのことの大きさにようやく実感が湧いて、恐ろしくなった。
帝都脱出に、さほど大きな決断は要らなかった。追い立てられるようにして逃げることになったから。
貧民街の焼き討ちから。
紅蓮に染まる空、表に並ばされ番号をつけられる人の列。
命からがら逃れ、帝都最南の港町へ。
クロエドは検問を潜り抜ける際、兵士に黒塗りの木札を見せた。あとでアルバに、特別な身分証なのだと教えた。
港は逃げ惑う人々に溢れかえっていた。
国の混乱を察して、一時的に帝都外へ出てやり過ごそうとする貴族たち。これを機に帝都を離れることを決めた平民たち。
貧民の姿はない。
国に名前と、ほんの少しの硬貨を差し出さなかった者はみな、焦土の一部になったろうと思う。
ひとまず人気のない路地に身を隠す。服や髪に、灰が、焦げた臭いがまとわりついてやしないかと心配になった。
これから、どの船に乗り込むべきか、慎重に吟味せねば……
「――黒塗りの木札は要人の証」
響く冷徹な声に凍りつく。
振り返ると、突き立つ耳の印象的な、獣のシルエットがあった。
「触れてはいけない闇の象徴。とはいえ、然るべきところに報告は上がります。本当に逃げ切れると思ったのですか?――アルバ殿」
黒犬の獣人。現れたハッケーに、クロエドが警戒して身構える。
追手だ。こうも早く。
アルバの内側でハクアがざわめく。
察して、即、ならした。
呼吸一つで沈める。慣れたものだった。
ハッケーが目の前に迫る。こんなに大きかっただろうか。
クロエドの手がぴくと痙攣するのが分かって、彼の前に手を出した。
「大丈夫」
迷いのない視線で制す。
ハッケーはアルバを見下ろした。
真っ向から見据えると、目を細めるのだった。
「――お待ちしておりました」
低い声に、敵意はなかった。
彼はまるで、最初からこうなることを知っていたかのように、こうべを垂れ、一礼した。
「船の手配は済んでいます。どうか、逃げ延びてください」
*
ラーチスは宮殿の廊下を悠々と進む。
久々に踏みしめる生まれ育った場所、その気配。昔よりずっと淀んだ気がする。
彼は先ほど、姉に会ったばかりだった。やっと掴んだ情報を直接伝えた。
その時、姉は玉座にふんぞり返っていた。
「意外に似合いますね」
「であろうなァ」
満足げに、背もたれにより体重を預けた。
(全く、貧民の皆殺しを命じた暴君とは思えませんね。ギリギリ忠言を聞き入れて頂けて良かった)
予見を受け、重い腰を上げて宮殿へ戻った。その甲斐はあった。
皆殺しではなく、貧民街の人数把握と管理にレベルを下げた。
貴重な人的資源をただ土地の肥料にするなど、馬鹿げているとの進言だった。
(まあ、条件にそぐわねば殺すことは変わらないのですが)
ラーチスはさて、と話を切り出す。
「黄金島へ船を出す何者か。すんでのところでしたが、正体掴み切りましたよ」
「ほう。お前は興味がないと思っていたが?」
「かわいい弟に泣きつかれましたのでね……仕方なく、ですよ」
黄金島――太陽神教の教主、大教母がおわす総本山。
大教母が住むその場所を、『大修道院』と呼ぶ。
「知っての通り、大修道院が謳うは『回帰再生』。洗礼を受け、俗世の名前を捨て去る。そして大教母に帰依し、新しい人生を始める――これすなわち、というわけですが」
どんなに後ろ暗い過去があろうと。多額の借金があろうと、人殺しだろうと。
ここに逃げ込み、大教母の庇護を受ければ、手出しができない。
帝国ではこれを問題視し、かの島への渡航を厳しく取り締まった。
「ラギーくんの執念にも呆れたものですよ。探し人が黄金島に行ったなどと言い張って。挙句、密行船の存在を掴んでしまうのですから。賢者の仕事に身が入らないのも当然でしょう」
「それは褒めているのだな?」
まさか、まさかとラーチスは小さく笑う。
「騎士団長を私用でやるなど言語道断。彼が帝都にいれば、陛下は御さなかったのでは?……それくらいの責任を、感じて頂かねばいけませんね」
「おお怖い。手厳しい兄上だ」
「星見の件もそうです。全く、返書を人に任す馬鹿がいますか?」
「あん?お前もあの雌鹿に頼んでるだろうが」
「彼女は特別ですよ」
ラディシャはひと笑いすると、真面目な顔つきに戻った。
「それで?」
「手出しできません。全く、たぬきにも程がある」
「であろうな」
ククク……とラディシャの低い笑い声が空の玉座の間に響いた。
「千年王国を創るため。いずれあの男には退場してもらわねばなるまい」
「おまかせを。……と、姉上?その言葉。誰にでも言わないほうがいいいですよ?」
「あん?」
「千年王国を一緒に創ろうってやつ。誰にでも言ってるんでしょ?」
「いけないか?」
「いやあ……まあ、いいですけど。ラギーくんにはやめてくださいね。そういうの効きすぎるから」
「……もう言ったが?」
あーあ、とラーチスは呆れて肩をすくめた。
――そんなことを思い返しながら、ラーチスはくだんの相手の前に歩み寄る。
「お久しぶりです。父上」
その相手――バラチカルは彼の姿を認識しても、顔色一つ変わらない。
二人が向き合った瞬間、あたりを取り巻く空気の密度が一段と重くなった。
「まだ父と呼んでくださるか」
「当然ですよ。皇子はほとんど実父を知りませんからね。例によって私もそうです。私にとって、父君は貴方ただ一人。そうだ、養子縁組でも組みませんか?貴方が良ければ、ですが」
「遠慮しておきましょう。……貴君の父は私なぞより立派な人物かと。諦めず、捜しては?」
ラーチスは微笑みながら軽く目を見開いた。
「断りますか。意外ですね。喜んで飲んでくださるかと」
バラチカルは答えない。
周囲の空気がさらに一段と重みを纏う。
会議室にはまばらに人がいる。
二人のことをお構いなしに振る舞う様子だが、その意識は確かにラーチスに注がれていた。
「さて、探すといえば。神杖の賢者殿が、とある人は探していることはご存じでしょうね」
「……」
「知らぬとは言わせませんよ?ラギーくんのわがまま、公務に擬装するよう後押ししたの、貴方でしょうに。おかしな話ですよねぇ。だって」
ラーチスはパチ、と爪を弾く。
「――ラギーくんの探し人、黄金島へ逃したの貴方でしょ?」
バラチカルは答えない。
顔色一つ変えない。
「国家に対する裏切りでは?」
ラーチスに追及に、深くため息をついた。
「なんのことだか、分からんね」
バラチカルが片手を上げる。合図に、評議会の議員たちがガタガタと音を立てて席についた。
――一年前。ラーチスが前に帝都を訪れた時のこと。
帝都孤児院の奥。ラギネイアスが部屋を漁っていた。何者かが軟禁されていただろう痕跡の残る部屋だ。
それをラーチスは遠目に見守る。
『あいつは……絶対あそこへ行く。黄金島へ行きたがる。オレには分かる。絶対そそのかした奴がいる、そいつが連れてった』
『ラギーくん……』
『見つけ出して、絶対に……』
『死んでるに決まっているじゃないですか』
なぜそんなことも分からないのだ。そう言いたかった。
が、愚かな弟を気遣って、あえて優しく諭すことにした。
『もう一年も前なんですよ。誰がなんの目的で、どうやって連れ出したにせよ、死んでます。入れ込む気持ちは分かりますが』
『――うるせェな!!』
ラギネイアスは叫んで、ラーチスの胸ぐらを掴み上げた。
そんな乱暴は初めてのことだった。
『テメェにオレらの何が分かるってんだよ!!テメェはオレが神杖の賢者でもなけりゃ見向きもしないくせに!』
ラーチスは間近で見る弟の顔に、なるほどそんなふうに思っていたのか、と目から鱗が落ちた気分になった。
『一度でいいから……兄上らしいこと、してみろよ……』
なんだか、彼を思い出そうとすると泣きべそをかいた姿ばかり浮かぶ。
ラーチスは薄く微笑んだ。
密行船の捜査は、ほんの気まぐれによるものだった。兄らしいことをしてみたくなったというだけ。
(あんなふうに思われていたなんて。私も少しは悪いと思ったんですよ)
しかし、この裏の支配者を落とすのには、
(やれやれ、少し……時間がかかりそうですね)
ラーチスはサプライズの延期を、残念だと思った。




