7-15.ここじゃないどこか
崩落の混乱に乗じて脱出したアルバは、帝都の底溜まり――南西に広がる貧民街、その片隅に身を潜めていた。
次の目的地も定まらぬまま、日は過ぎる。
街にはたくさんの噂が渦巻いていた。
「女帝陛下、崩御!」
「殺されたって、本当か?」
''女帝殺し''を騒ぎ立てる噂が、ぬかるみのように広がっていく。どす黒い熱は冷めるどころか、増す一方だ。
アルバは噂を耳にするたび、彼の後ろ姿を思い浮かべた。
(――ネイメア……)
貧民街から宮殿を見上げる。泥と埃にまみれた街の底から。
地下で、賢者に襲われた。
顔を知られたのだ。あの状況下、女帝暗殺への関与を疑われることは想像に難くない。
(いま、どうしてるの?ネイメア)
レガリアを奪うための侵入。
帝冠の主人たる女帝が、死んだ。
それだけで察しはつく。
……信じたくは、ない。
彼を探し出して確かめようにも、中央区画への出入りは特に厳しく制限されており、身動きが取れない。
貧民街の一角に張った天幕。
端で座り込むクロエドは、宮殿で何があったのか、一つも語らない。
そっとしておきたいのはやまやまだが、ずっとこうしているわけにもいかない。
はやる気持ちから口を開こうとした、その時。
「――やっと見つけたよ。アルバくん」
天幕の入り口、土埃に塗れた垂れ布をかきあげ、現れたのはニケラスだった。
「ニケラスさん……!どうしてここが?」
「少しね。俺も強かになったものだな、なんて」
ニケラスが硬貨を指先ではじく。垂れ布の向こう、硬貨を受け取る獣人の姿があった。よく見れば、獣人街の酒場で見かけた人だ。
クロエドがニケラスの顔を見やる。ここに来て初めて、まともに顔を上げるのを見た。
「良かった。思ったより元気そうだ」
アルバはニケラスの言葉にそんなはずもないのに、と思ったが、意外にもクロエドははっと小さく笑った。
「帝都を出ることにした。少し話せるかな」
クロエドが立ち上がって、外へ出る。
アルバはなんとなく寂しい気持ちで見送った。このまま戻ってこないのではないか、とも思えた。
「それでも、いいかぁ……」
ぽつりと呟く。
(自分のいないところで元気にしてくれるなら……それで)
そう、言えるようにしなきゃ。自身に言い聞かせた。
彼を助けたのは自分のエゴだ。ならば、彼が自分の知らないところで何をしようと、それは彼の自由だ。
だけど……
(だけど、これだけは伝えたい。叔父さんが、クロ兄に伝えられなかったこと)
黒竜に託された言葉。
託された、などと。自分の身勝手な思い込みかもしれない。
だが、記憶を覗き見た自分しか知らない、あの最期――それを伝えることが、最初で最後の救世主の役割なのだと、そう思う。
*
曇り空の下、淀んだ河を眺める。
水嵩は日に日に減っていた。貧民街の子どもが水遊びをしている。今やそれくらいには浅い。水飛沫が飛び散った。
「王女様に会ったんだ」
「……どうだった?」
「最低」
ニケラスは清々しく笑った。
「最低だよ。本当に。人は変わらないな」
目尻に滲んだ涙を拭う。言っていることとは裏腹に、何か吹っ切れた様子だった。
「でも思ったより、綺麗な顔をしていた。ちゃんと食べているみたいで、安心したよ」
「なんだそれ……」
ニケラスが静かに目を伏せた。下向きになったまつ毛の合間に、白く濁った瞳が見える。
「……あの人に、代わってほしかったんだ。新しい頭領になってほしかった――無理だって分かったよ。あの人はずっと、自分のことしか考えていない。これからもそうだろうな」
遠くを眺めた。
「ああ、全部無くなっちゃったなぁ……」
彼の視線の先には、曇り空を飛ぶ鳥の群れがあった。
「女帝を倒せ。国を復興しろ。使命を果たせ――それって、本当にやらなきゃいけなかったのかな」
自問自答だ。クロエドは何も答えなかった。
いや、自分に言われているように思えて、何も言えなかった。
「使命か。みんなが俺に使命を言いつけたけど、俺はずっと逃げたかったよ」
それは心の底からの、彼の本音だ。
クロエドには最初からなんとなく、彼の本音が分かっていた。
ようやく言葉にした本音。それを聞いてやっと、彼の態度に一本筋が通り、かちりとはまった気がした。
「たぶん、普通はさ。生き残ったヴォルフレドなら、きっともっと激しい感情を抱くんだ。恨みと憎しみに身を焦がして、旗をあげ人をまとめ、国を取り返す。それが騎士道ってものだ」
ニケラスはふと剣に目をやった。柄を握りしめ、馴染む感触に、悲しそうに笑む。
「騎士になるしかないって思って生きてきた。あの日、何もかもが途絶えたあの時――」
目を閉じなくとも、いつでも思い出せる。
あの光景は文字通り目に焼き付いて、離れなくなったのだ。
故郷が女帝の魔法によって滅ぼされた時のこと。
足元には水底に沈む家々。荒れる海みたいなそこを、波に殴りつけられながら必死に泳ぐ。
すぐ、火事が起こった。水面に広がる油を伝って燃え上がった。
炎が水面を渡る。
人影が黒く炎に照らし出される。
バタバタともがいて、両手を広げた影がいくつも。
――国が、滅ぶ。
ニケラスはそれを見ていた。
炎が迫り、目が焼かれてなお、瞼を閉じなかった。
むしろ見開いて、そのさまをずっと見つめていた。
水面に浮かぶ木の端くれを、強く、強く抱きしめた。
後ろから、師匠が彼を抱き寄せるまで。
ふっと、ニケラスは瞼を閉じた。
「――俺は少し楽しかった」
クロエドはあの岩尾根で、彼が師匠を処した時の呟きを思い返した。
『俺は国が滅んだあの時――嬉しかったんだ』
それが、ずっと彼が押し込めてきた言葉だ。
「俺は今、ここにきて、ちょっと楽しいよ」
雲間から光の筋が落ちる。
振り返った彼の視線に当てられて。
クロエドは何か、覚めたような気がした。
それから、ニケラスは一人旅立っていった。何もかもを捨て、自由になって。
彼を見送った後も、クロエドは河を眺めた。遊び疲れた子どもたちが、引き上げる。夕陽が空を赤く染め上げていた。
「……何しにきた?」
後ろに、アルバがいた。
峠で別れて以来、やっと顔を突き合わせる。
いや、突き合わせたことなど、それまでの旅でも一度としてなかったのだろう。
彼の姿をようやく、まっすぐ見据えた。
背が伸びた。だけでなく、背筋が伸びた。
自信なさげに背を丸め、上目遣いでこちらの顔色を伺ってくるのが嫌いだった。
瞳は赤い。前の、黒塗りだったそれに自分の姿が映ると、何か見透かされたような思いがした。
口にすることといえば、人任せで、無責任で、軽薄な言葉ばかり。そのくせ純粋を装っているのが、不気味だった。
『ボクはアルバ。……知って欲しいのは、名前だけ』
――白々しい。
彼の第一印象はそれだ。
本能がそう言った。間違いではなかった。
「クロに……」
「いい加減俺をそう呼ぶのはやめろ!」
それが本音だった。
アルバにとっては理不尽なことだろうが、どうしようもない。
頼られるなんて真っ平だった。
自分のこともちゃんとできないのに、どうして人の面倒が見れる。
縋るような目を向けられるたび、思い知らされる気分だった。
自分が、何一つとして、ちゃんとできないことを。
「なんで助けに来た?死ねばよかったのに。一緒に、終わりたかった……」
なぜそんなことを言う。自分でも分からなかった。
逃げることを決めたのは自分なのに。こんなのは八つ当たりだ。
ただずっとぐちゃぐちゃだ。
「――謝らないよ」
きっぱりとした口調に、クロエドは目を見開いた。
「謝るくらいなら、最初からするなって話だろ。ボクは自分のために、そうした。後悔なんて、微塵もない」
「……」
「ただ――これだけは伝えたくて」
アルバが息を吸う。意を決したように口を開く。
「あの黒い竜、叔父さんだった」
一目姿を見た時から、分かっていたことだ。
母親を手にかけて、逃げるように故郷を去った。二度と会うまいと心に決めていた。
望まぬ再会の形に、今更文句が出ようはずもない。
自嘲じみた笑みがこぼれた。
「ごめん。記憶を見た」
「……何か……俺に恨み言でも言ってたか?」
「気づいてた、って……」
何を?……クロエドは自身に問いかけた。
「……え……?」
「一度くらい頭を撫でてやればよかった。すまない、って……」
「……気づいてたって……何が……?」
問うまでもなく、それがなんなのかは直感したが、それでも問いかけた。
「分からないけど……ヒルシュマを楽にしてくれたことを感謝している、って……」
言葉もない。
(――気づいて、いたんだ……)
なんで?気づいていたのに怒らないの?――子どもの姿の自分が、心の中で騒ぐ。
「自由に生きろ。それが最期の言葉だよ……」
『――クロエド、外はいいところだった?』
子どもの自分が、母親に抱き上げられる。そんな夢想をした。
転んで作った膝の傷を見て、悲しそうな表情を浮かべる。
『あなたに傷ついてほしくないの』
泣き腫らした目元に口付ける。
『――あまり遠くへ行かないで。母さまのそばにいてね。でなきゃ、母さま、さみしくて仕方ないわ』
そんなこと、絶対に言わないだろうな。
乾いた笑いが漏れた。
そうだったらいいな、と思った。そういうことにしよう、とも。
都合のいい白昼夢。
隣に、子どもの自分がいる。
目の前には、原風景が広がっている。本能が、どうしようもなく追い求める風景。
想像もつかない世界の色。草木の青い匂い、踏みしめた土の柔らかさ。胸いっぱいに広がる澄んだ空気。果てしなく広がる地、遠くの地平線――
記憶にない場所なのに、何故か懐かしい……
「行くのか?」
頷く代わりに、子どもの彼はクロエドの手を離した。引っかかった指の感触がいつまでも残る。
彼は原っぱに飛び込んで、遠く、遠くに。
やがて、竜になって飛んでいく。
「ああ――そうだ。それが、俺なんだ」
そんなことを思って。少しだけ泣いた。
アルバは貧民街の通りを、俯きながら歩く。
なぜだか、じわりと涙を浮かんだ。悲しいことなどないのに、なぜだろうと思った。
涙を手のひらで拭った時、
「おい」
呼び止められた。振り返ると、期待した通りの人がそこにはいた。
「なっなに……?クロさん……」
アルバは迷いながら、その人の名前を呼んだ。もう兄とは呼べない。
「その呼び方うざいな」
そう言われても、他にどうしようもない。
彼はアルバの横に立ち並んで、
「普通に呼べばいいだろ」
すれ違い様、そう言った。
「――行くんだろ。どうせ乗りかかった船だ。ついていくよ」
アルバは信じられないと言いたげな面持ちで、彼の背中を見つめた。
「……いいの?自由じゃなくなるんだよ?」
彼は、何も言わない。
それが答えだと思った。
「ありがとう。……クロエドくん」
クロエドは露骨に眉をひそめた。
「……だから普通に呼べよ……」
「何なの普通って。クロエドさん?クロくん?」
アルバを置いて颯爽と先に行ってしまう。お決まりのパターンに、アルバは叫んだ。
「いっつも置いてくな、クロエド!」
半端に振り返る彼の横顔が、肩口からのぞいた。
(ああ――その目元の笑い皺。初めて会った時と一緒だね)
クロエドは一人、空を仰いだ。
滅んだ故郷を回った時と、同じ色の空を。
どこにも、あの人の死体はなかった。
(爺さまは、生きているのかもしれない)
あとも残らぬほど消し炭になったとも考えられた。
しかし、そんな死に方をするようには思えない。なぜだか、祖父は生きているような気がした。
(――行こう。生きていれば、また会うことになる)
行こう。その言葉を自分が発したことに、クロエドはふっと笑った。
十年前、魔女の魔法に願ったことを思い出す。
御神木の根に隠れた地下貯蓄庫。
泣いて縋って、開いた扉。
『帰りたい。なんでもするから――』
かけた願いは、
『――ここじゃないどこかへ、帰りたい』
家に帰りたい、ではなかったのだな。
そんなふうに思った。
自由に翼はいらない。
(帰る場所はない。とっくに。ここじゃないどこかへ行こう)
地に足をつけて。
(どこかへ……)
歩く。




