1-6.死から生まで
前回までのあらすじ:
ひょんなことから扉の魔女に出会ってしまったアルバとセイカ。魔女がいざなったそれぞれの可能性の旅路は、決して良いものではなかったようだ。
また、村を脱出した唯一の未成年者・クロエドは、魔女と関わりがあるらしい…? 流されるままに冒険しよう。
登場人物
アルバ:
主人公。人間の少年。
セイカ(セオンテイカ):
アルバの幼馴染で家族。竜族の少女。
クロエド:
セイカの従兄弟。数年前に村を出て行ったが、偉い人の葬儀をきっかけに戻ってきた。セイカにとっては、詳しく話を聞きたいところ。
おじいちゃん:
セイカとクロエドの祖父。竜族の族長。
その日はあいにくの雨だった。
13月の夜、大通りをおおばあ様の入った木の棺が大人の手でかわるがわる運ばれていく。村の門を出て、葬送の集団が遠ざかっていくのをアルバら三人は森の中から眺めていた。
「うー土がぬかるんでる……」
「でもこの土砂降りは好都合だ。雨音に隠れやすくて助かる」
「クロ兄、そんなに葬送儀礼に参加したかったの?」
「というより用があるのは場所の方かな。''遺跡''って呼ばれてる。13月にだけ入口がひらかれる渦神の聖地……」
「ねー今更なんだけど渦神様って何なの?」
「詳しくは成人後神学で習うらしいからね、つまり……」
「クロ兄も知らないのね?」
「まあね、村の守り神ってことしか。でもこれは確かだ。渦神信仰はこの地特有のものだってこと」
「神様はひとりだけじゃないの?」
「……それを確かめるために行くんだ」
クロエドはローブのフードを伸ばし雨の雫を弾くと、二人に合図を出して集団の跡を追い始めた。
森に続く崖上から音を立てないよう飛び降り、いくつもの足跡を目印に進む。アルバは普段は大人の目があるため通ったことがない道の上で、悪いことをする高揚感に時々打ち震えた。
(魔物が出たりしないかな)
木々の向こうに獣が息を潜める妄想をして、それがまたワクワクさせて堪らなかった。
やがて霧を抜けて遺跡とやらの影が現れた。背後の道は見えないほど濃い霧に遮られていた。
古く朽ち果てた石に枯れた蔦が絡む風貌。ひび割れた石畳が入口までまっすぐ誘うように連なっている。
その先の壁の前で集団は一時止まったかと思うと、壁画が割れて入口が出現した。
「あの絵……書物と一緒だわ」
遠目の壁画はアルバが流し見した地下の書物のそれと同じ絵柄をしていた。
白い巨大な獣が街をその翼で覆っている。上空の満月の下、獣の周りを蛇がとぐろが巻くように何百もの竜が飛び回っている。
(気色悪いなぁ……セイカはなんだってこんなものが好きなんだろ)
セイカは壁画を隅々まで覚えようと熱心に見回していた。
「セイカ、行くぞ見失う」
「あっ待ってもう少し」
アルバはセイカの腕を引っ張る。入り口の奥闇の中から、呻き声のような泣き声のような……不気味な風の吹く音が聞こえた。
呻き声に混じって水音が聞こえる。湿った空気、濡れた岩肌の洞窟。寒気がして背中が自然と丸くなる。
靴が岩をカツンと鳴らし、音の響きでずっと奥まで道が続いていることが分かった。迷路の如く入り組んでいる……ふと遠くに白く揺れるモヤのようなものを捉えた。
アルバは(あれがまたきた……!)と生唾を飲んで兄の後ろに隠れた。
「あの白いのって何?」
「あれは……こっちへ来るから見てごらん」
アルバは道の真ん中を入り口に向かって駆けていく白い何かをしっかり目に焼き付けた。
「人……なの?」
白い少女ではないようだ。
「13月の魔物……境界霊というものだよ。死んだ人間の思念の塊だとか。魔物に分類されてるけど悪いものではないから大丈夫」
アルバはクロエドの顔を見上げて、
「怖い」
セイカはアルバの怯えように釣られ、ゾクと身を震わせた。母が夜な夜な読み聞かせたおとぎ話の、獰猛なそれとは違う神秘的な存在……哀れさすら感じられる……
「幽霊みたい……」
「彼らは魔力が満ちる日だけに起こる自然現象みたいなものだ。怖がる必要はないよ」
「──渦神に見捨てられた哀れな魂は消滅する瞬間を永遠に繰り返すのだ。 恐怖を抱かずして何を思う?」
聞き覚えのある声の主にクロエドは背筋が凍る思いがした。闇の中に彼らの背丈より何倍もの大きさの獣の気配を感じた。
「爺さま……いつから気づいてた?」
「初めから。こうなると分かっていた。クロエド、お前は神について知りたいのじゃろ? 理由は聞かぬ。少し早いが……二人にも良い薬になろう。ついてくるが良い」
(なんだ、爺さまだけか……)
クロエドは無防備でむしろどこか歓迎しているような祖父の背中をしかと見据えた。
いざとなれば……と。
通路の壁には壁画がいくつも並んでいた。そのどれにも意識を割かない族長に対して、セイカは口をあけてそれらを見回していた。
アルバは壁画について族長に尋ねる。
「おじいちゃん、この画は何?」
「古代の遺物じゃ」
「俺が学都で学んだ歴史と似た内容だ」
「……それは?」
「竜は世界を滅ぼそうとした邪神に与した悪辣の徒だと……その咎で魔物より上級の駆除対象になってる」
「殺されるって…… そういうこと?」
「竜の歴史は陰惨そのものだ。俺たちがこんな奥地で隠れ住むしかない理由も想像がつく。先祖は幾たびも狩られ追い立てられて、ここまでやってきたんだ……」
「その通りだ。狩られ尽くし絶滅しかけた我々を神は誘われた。この唯一の安息の地へ。辿り着けたのは元の数の2割以下だという……」
クロエドはふはっと漏れ出る笑いを抑えられなかった。早口に捲し立てる。
「なんだってこんな迫害されてるんだ? 竜はいつだって子どもに語る御伽話の悪者。昔は竜退治が騎士の洗礼式だったぐらいだもんな。倒した竜が家名の元になったお貴族様が偉そうに竜殺しを語ってた」
「獰猛で卑劣で醜悪な化け物……それが世界の共通認識だと知った時は耳を疑った。少なくとも今の俺たちは何もしてないはずなのに……!」
黙る祖父の背中を責めるように言い立てた。
「渦神なんて神は外界では聞かない。本当はそいつこそ邪神なんじゃないか? そもそも神なんて存在するのか……? 全部、都合のいい作り話で……」
「それら知る権利をお前は手放したのだ!! 本来なら処分され神の元に召されるはずもない、お前の罰を被ったのは……!」
アルバは初めて見た祖父の怒りの形相に思わず後退りした。ちょうど後ろに立っていたセイカに踵がぶつかる。彼女もまた呼吸を忘れて場の緊張に呑まれていた。
大きな円状の広間に出る。中心は空洞になっており、そこから上下の階が見えた。天井は吹き抜けの構造、覗く雲間から月の光が差し込み、干からびた竜の骸が蔦でいくつも吊るされているのを照らしている。白い月の大きさからここが相当な高所であることが分かる。
広間の壁は鉄格子だった。檻に囲われているのだ。冷たい格子の前には朽ち果てた石の像がいくつも打ち捨てられている。
アルバはそのうちの一つに惹かれた。顔の部分がひび割れ、渦巻いた土くれの中身が露出している。
「禁じられた偶像崇拝……顔のない神として渦神の身姿を表したものだ。作り手や信奉者はああして吊るされることになった」
淡々とした物言いにゾクッとしてセイカと二人身を寄せ合った。
階下から、アルバたちがようやく押し込めていた恐れを撫であげる水の轟音がした。
彼らは轟音の主を見下ろした。先ほどまで閉じていた石の床がぱっくりと大口を開け、そこには外側から中央へと流れ落ちる滝が存在していた。渦の激流は招き入れたものを跡形もなく粉砕するだろう。
村人らは棺を端から水に浮かべ滝に流した。棺は濁流にのまれ底に消えていった。
「人は死ぬと渦に垂れる一滴となりて大いなる輪廻の渦に混ざり、生の穢れをそそぎ落としたのち、また新たな魂と肉を得て生まれ変わる……」
アルバは難しい内容に頭が追いつかなかったが、その言葉を決して忘れないようにと耳をすました。
「我々は前世で大きな罪を犯し、渦神によって竜に堕とされたとされる。だが慈悲深い神は我々にこの安寧の地を与えた。 この地で慎ましく神に祈りを捧げて生きる……そして死にまた渦へと還る。次は竜に産まれぬようにと願いをかけられて」
「頭が痛いな。それが勿体ぶった教えの正体か? 馬鹿馬鹿しい、爺さまだって信じているわけないよな。じゃなきゃ保守的なあんたがわざわざ人間を手元に置いて育てるものか。 知ってんだよ。この秘境の存在を隠すためにあんたたち支配層が、どれだけの数の人間を消してるかってことくらい……それなのにアルバは例外? 何か裏があるはずだ」
「もしかして……関係しているのかな、同じ頃の帝国との大戦に」
「大戦……?」
「お前たちが物心つかない頃の話だ、竜族の人権を取り戻すために戦った……」
「アルバは関係ない。何も関係ない。わしがその子を育てたのは……」
「育てた、のは……」
みるみる青白くなる顔色。胸を抑え呻き膝をついた。アルバは心配して思わず駆け寄った。
下層では棺を見送り、必要がなくなったのだろう、床壁が閉じはじめていた。眼前の祖父よりもクロエドの意識はそちらに割かれていた。
「おじいちゃん……!?」
「っいい……クロエド、分かるだろう? 我々は皆同じ幻界を抱く。原風景と呼ばれるものだ。かつての故郷のイメージ。そして、かの場所へ帰りたいという願望を抱き生まれてくる。帰属の執念だ……だがそれもやがて薄れる。お前は多少それが他より強いだけだ。 何も疑うな……あるがままを受け入れれば言わずとも理解出来よう、我々の、悲願を……」
「――ごめんだね。何も疑うなだって? 俺は神を疑うために戻ってきたんだ。神なんて空想に逆らったってばちなんか当たりはしない」
クロエドの額から割れるように鱗が広がる。丸めた背から逆立つ鱗の肌が音を立て、ついた両手は竜のものへと変貌する。
片翼が人間三人分をすっぽり覆いきるほどに広がる。元の背丈の倍以上の大きさになった一匹の竜は力強く飛翔した。
「竜化!?」
「待て、クロエド……!」
クロエドは高く竜の死骸を吊るした蔦を、口から吐いた豪炎で焼き切った。
床が閉まり切る途中、真下の滝へといくつもの骸が吸い込まれていった。
「ああ……」
その光景をアルバは美しいと思った。時が止まったと錯覚するほどに魅入った。セイカはアルバの傍で呆然と眺める祖父の、解放されたかのような一瞬の安堵の表情を見逃さなかった。
宙を横切る者がいた。
クロエドによく似た風貌の黒竜だ。くすんだ金色の角。飛びかかり、揉み合いながらアルバたちのいる階層の壁に激突する。一際大きい檻の中、闇に緑色の光が4つ残像を残して動き回る。
「エコード!! この馬鹿息子が……! アルバ、セイカ、見たこと全て忘れて今すぐ帰るのじゃ。お前たちは愚か者の独りよがりに付き合わされた人質みたいなもの……ここには来なかったことにしてやる……」
胸痛に身悶え血走った目をしていた。
(この騒動ですぐ奴らが来る……まだ接触させるには早い!)
アルバは気迫に押し切られ、セイカの手首を引いた。
何も考えられなかった。
推定12年ものの脳みそには収まりきらない衝撃が正常な思考回路の邪魔をする。しかしそれがむしろ足を前へと動かす力の源になったともいえる。
(なんでボクを育てたの? そんなこと考えたくない)
骸に閉じ込められた魂が次々に神の袂へ召される光景を、闇の中から興味なさげに眺める二人の人間がいた。
「――ふむ。ゆえに渦神の流刑地と。しかしさすがだね、我らが法皇聖下は」
静かで抑揚がない。血の通う人間の声とは思えない、まるで感情の乗っていない代物だ。
「予言通りの光景だ」
「お父様……楽しそうね」
「まぁね。竜のうそぶく顔のない神とやら……何かと思えば恐るることはない、ただの偽神さ」
小娘は釣られて微笑み、すぐにやめた。怒鳴り込む老人の気配を察知して。
「貴様らなんのつもりだ! わしの唯一の後継者を殺すつもりか! なぜエコードを差し向けた!?」
「あらバレてるわ」
「ご老公、そう興奮なさらないで下さい。持病が悪化しますよ」
「何を言うか、契約の元にわしの心臓を縛っているのはお前だろう!」
「うーん……」
シルクハットのつばの影に顔の大半が隠れていても、男の表情筋がぴくりとも動かないことがわかる。
「喋り過ぎなんですよ。お分かりの通り不言の契約を結んだでしょう。今回は警告で済んで幸運だったと胸を撫で下ろしては?」
「邪神のしもべが……!」
「それはお互い様でしょう?なんです、渦神?無神論者が、いやに饒舌に語るではないですか……」
「そもそもなぜ孫を戻らせた!? あの魔女に、貴様らに託したはずだ、一体なぜ!」
「あの方は随分前に裏切りましてね。私の手が届かない牢獄の次に堅牢な学園都市なんぞにやってしまったものですから、お孫さんの動きには何も関与してませんよ」
「なんだと……!? では今までの報告は……! 嘘をついて……!!」
「ですな。前担当は扉の魔女と通じていました。が、すでに処理しましたのでご安心を」
小娘はカラン、と口内を舌で鳴らした。老人は血走った目で睨んだ。
「あらどうも……邪魔した?」
小娘は微動だにせず一点を凝視していた。
「何を……見ている?」
「いえ驚いて。魔法を魔石という媒介なしに扱える唯一の種族……だけど源は結局同じものね。心臓に精霊を飼っているなんて。綺麗だわ……」
「……」
老人は額に血管が浮かぶほどの怒りを覚えた。
「ねぇ心配しないでおじいさん。私たちは味方よ。困った時は助け合うの」
「どちらかが死ぬまで」