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アンダートゥ  作者: ただの
第七話 なぜ夜闇は私を排するのか
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7-14.平等な愛


 宮殿に戻ったラギネイアスに、あたりの人々が縋り付くように群がる。


「賢者様!どうなっているのですか!」

「ラギネイアス殿下、私たちを守ってください」


 鬱陶しい、と力づくで振り払った。押し寄せる雑踏をなんとか抜ける。


「母上!!」


 カラザ宮へ向かう。

 地下水道の崩落。水路の異変。

 魔法の行使者たる女帝の身に何かが起こったことを示しているのは明らかだった。


 しばらくぶりに訪れるその場所は、相変わらず神秘的で、そしておぞましい。


 ばき、と殻を破って生まれ出る赤子。そんな幻影を垣間見て、頭を振った。


 生まれ育った箱庭――吐き気を催すほどに、穢れが溜まる場所。



 母親が引きこもって久しいその部屋は、皇族でも長姉以外には立ち入ることも許されない。


 その開け放たれた両扉の隙間から、ぬっと指が出てくる。


「あ、姉上……」


 たった一人、立ち入りを許された姉。部屋の闇の中から、ラディシャが半身を出す。


 その顔は半分影に隠れている。影の中で、一瞬光の粒が照る。何か、水滴が光を反射したのだ。


 それでラギネイアスは全てを察した。



 

 初めて母の部屋に足を踏み入れた。

 門の結界の効力はもうない。姉の拳の中から、割れた魔石の破片がこぼれ落ちた。


 ドレッサーの机に突っ伏す母親の小さな背中。触れると、冷たくて、ああそういえば、こんなふうに触れたのはいつ以来だったか、と思った。


 血が滴って絨毯にしみを作っている。すでに乾きかけていた。


 ラギネイアスはたまらず、母親の肩を掴みわずかに引いて、その顔を確認した。



 安らかな表情をしていた。

 生きている間、ついぞ見なかった、休まった顔をしていた。



 彼は肩から手を放した。



『――ははうえ……』


 神杖の賢者に選ばれた時のことだ。


 幼き頃の自分。小さな子どもには重すぎる神杖を胸に抱えて走る。


 嬉しくて、はやる気持ちで母親の元へ。


『どうしたの、ラギーちゃん』


 そこには、母親と一番目の姉がいた。

 小さな背丈、聖母のごとく微笑を浮かべる柔らかい母。しゃんと背を伸ばして、いつも自信ありげな雰囲気を纏う姉。


 二人の顔を順に見て、抱きつきたい衝動が湧き上がった。身震いして抑えた。


 無能な末の皇子と蔑まれ、兄姉にいじめられた毎日が、今終わるのだ。


 優しくしてくれたのは、この一番目の姉と、母だけ。

 やっと彼女らに報いることができる、そんな気持ちだった。


『ははうえ、見てください!気づいたら、神杖がぼくのところに!ぼくが、選ばれたんです――』


 神杖をぐっと掲げる。高揚のせいか、重みのせいか杖は震えていた。


 母は神杖をじっと見つめ、そっと手を触れた。



(やっと……母上に褒めてもらえる)



 ふっと母が微笑する――



「え」


 その瞬間、神杖ごと強い力で押された。


 派手に尻餅をついて、神杖が太ももにぶつかる。杖先が肉を抉った。痛みか何かもわからず、涙が浮かんだ。



「――ああああああ!!!うそ!うそ!!あぁああ……!!」


 絶叫だった。弾かれたように取り乱す。髪を振り乱して、血走る母の碧眼が、自身の姿を捉えている。


「は、母上!出ていけラギー!今は……!」


 母が姉の制止を振り切り、ラギネイアスの肩を掴み、爪を立てる。


 血涙を流しながら、呪詛を吐きかけた。



「お前……!!お前が!!お前が奪った!――こんな子、つくらなきゃよかった」



 凄まじい形相に、幼き彼は悟った。



(オレは、愛されてない)



 今までも。これからも。



 どれだけ尽くしたとて、そうだ。

 結局、救世主は見つけられない。賢者として高潔な立ち振る舞いなど、たかが子どもにできようもない。


 無能の烙印は消せない。


 群がる高官、打って変わって賢者に取り入ろうとする兄姉たち。

 この陰謀うずまく穢れた白い城に、心休まる場所など存在しない。


 誰も信じられない。


 疲れる。ただ疲れる。



「そうねぇ」


 ある日、女帝が言った。

 葡萄酒らしき赤黒い液体の入ったグラスを傾ける。胸元に黒いシミを作る。


「わたしをころすのは、わたしのこどものだれかね」


 帝都に暮らす竜族を滅ぼし、隣国を水底に沈めて滅ぼし。

 計り知れぬ恨みを買って尚嗤う、当代の女帝。

 千年続いた王国を食い潰す、千年魔女と呼ばれた女。


 狂って久しい、母親の姿。


「は……」


 ラギネイアスは問うた。


「母上は、私たちを愛しておられないのですか?」


 声は震えていた。泣きそうだった。


 この穢れた場所では、自身の子すら信用できない。そんな意味だろうか。


 いや。お前が殺すと、そう言いたいのだろうか。そんなことをぐるぐると思って。



「愛しているわ。平等に」

 


 それが最後の、まともな会話。



(聞きたいことがあった。母上……)



 母親の死に顔に、肩をわし掴んで揺さぶって、問いただしてやりたい衝動がせり上がる。



(あなたは地上を地獄だと言いますが、ではなぜオレを生んだのですか)



 そうは、しないけれど。





 *



 崩落からしばらくのち。崩落の余韻がいまだ残る頃。

 会議室に二つの影があった。ラギネイアスが、ひざまずく一人の女を見据えていた。


「なんで、守れなかった?テメェは一体、何してたんだ……?」


 対峙する女――星見の賢者は、はっとして口元をおさえ、涙ぐむのを隠すみたいにやや俯いた。


「申し訳、ありません……カラザの地下で、竜の――いいえ。申し開きはとてもできません……どうかお許しを」


 ラギネイアスはギリ、と奥歯を噛み締めた。


「言えよ。聞くから……」


 星見の瞳が潤んだ。


「実は……」




 ――星見は心の中でほくそ笑む。



(哀れな皇子、あなたの籠絡は本当に、容易かった)



 あの時。


『燃やしとけ』


 ラギネイアスが言った。山門城から神杖の賢者宛てに届いた書状を握りしめている。


『私の大鷲で返書をいたしますわ。いつものように、でよろしいですね?』

『好きにしろよ』


 ラギネイアスは手紙を星見に押し付け、廊下の角を曲がる。

 星見の賢者は、手の中のそれを軽く握りつぶした。


『おい』


 廊下の先から、彼の声が響く。


『いつもみたいに無難なのもつまらねぇ。こうつけ加えろ――調子乗んな、三つ目野郎』

『あら、いいんですか?本当に書きますよ?』


 角から彼の横顔がのぞいた。


『わかんだろーが』


 星見はクスッと笑う。ラギネイアスはそのまま去っていった。


『兄弟仲良く、でなきゃ。ねえ――』


 手紙をゆるりと暴き、爪先に灯した火であぶる。あぶられた火で、文字が浮かび上がった。


(――''星見の賢者を信じるな''?古風な暗号ね)


 クスクスと笑いながら、星見は手紙を角から燃やしていった。じりじりと焦げが広がる。


(うふふ……私が手紙を見聞することくらい分かっていたでしょう、ラーチス。わざとね?本当に、あなたたち()()には手を焼かされる……)




 ――眼前の皇子の、縋るような目つきといったら!



(あなたは、ラディシャ(お姉さん)と、ラーチス(お兄さん)を信じれば良かったのに。

 でも無理もないわね。あの二人だって、あなたを利用しているのは他の人と何ら変わらないものね?)



 ろくに弟のことなど見ていないから、彼がとっくに絆されていたことなど、彼らは気づきようもない。


 ラディシャの、星見に向ける嫌悪の目つき。ラギネイアスは気づいてない。馬鹿な姉は、もう少し弟が賢いと思っているだろう。


 山門城への返書など、しなくとも構わない。弟の性格を分かったつもりになっている兄は、返書がないことをささやかな反抗と捉えるだろう。



(あなた方の愚かな弟は、きっと私を庇ってくれることでしょう。ことさら、熱心にね)



「バカが……」


 ラギネイアスが悔しげに声を漏らす。



「……こんなことになるなら、あんなガキ、さっさと殺せばよかったのに」

「殿下……」


 星見はわざと声を震わせた。


(私が()と引き合わせたなど、夢にも思わないでしょうね)


 バルコニーで、明らかに彼に反応していた。ラギネイアスは夜闇でその正体が見えなかったろうが、星見の瞳はちゃんとそれを捉えていた。


 爬虫類の、赤色の瞳孔が縮んだ。




 その時、勢いよく扉が開いた。会議室に押し入る者がいた。


「あら、殿下――いいえ、ラディシャ陛下」


 星見はその来訪者に、努めて微笑みを浮かべた。膝を折り曲げ、やや頭を下げる。


 つかつかと歩み寄るその人。

 先帝が崩御した今、全会一致で新たな皇帝となる第一皇女。


 星見の前に立つと、


「どうした?罪人が、平伏せぬか」


 地から響くような重みがあった。圧力に思わずこうべが垂れる。


「姉上!そいつは――」

「賢者バルバラ。貴様を先帝の暗殺に関与した疑いで拘束する」


 後ろで控えていたラディシャの守護獣が、彼女の前に出た。


「直ちに武装解除し、私の命令に従え!」


 星見は冷静を保ち、こうべを下げたまま続けた。


「ひどいですわ、陛下。何を証拠に?」

「私の前で、私の許可なく喋るな。貴様のような腐った害虫に、これ以上私の家を喰わせはしない」


 星見はフッと笑った。


(ダメね、これは)


 とりつく島もない。

 星見は顔を上げた。視界の端にラギネイアスの顔が目に入る。情けない表情を浮かべていた。


(皇子、本当に役立たずな子)



 次の瞬間、星見は逃げ出した。

 拘束の手が届く前に、全力で駆け出す。


 会議室の扉に手をかける。すると、肩に鮮烈な痛みが走った。


 振り向くと、ラディシャが何かを投擲したばかりの出立ちで星見を睨んでいる。

 ラディシャのそばにある鎧の置物、たずさえていた槍がそこにはなく、自身の肩口に突き刺さっていた。


 肉を貫通した切先は、硬い木の扉をも貫いている。


「この、クソ女が」

「追え」


 ラディシャの守護獣が追ってくる。

 星見は肉を強引に裂いて、なんとか廊下へ出た。



 ラギネイアスも守護獣に続いて、それを追った。


 廊下の先、大きな窓。

 窓枠に、星見が乗り上げている。


 守護獣が飛び掛かろうとしたその時。


 強い風が吹いて、顔布が取れた。


「――竜?」


 折れた二本の角。痛みで本性あらわになったのか、爬虫類のごとく伸び縮む赤色の瞳孔。うろこが頬に浮かび上がる。


 守護獣が、自身の同族の姿を前に、一瞬硬直した。


「ラギネイアス、また会おう」


 その隙、黒い衣装の裾を引きずって、彼女は窓から飛び降りた。長い水色の髪が残像となって、空に溶けた。


「その時は、ワタシの本当の名前、教えてあげる」


 ラギネイアスは窓に向かって手を伸ばした。

 地面に叩きつけられ、ひしゃげているだろう彼女の死体を想像して。


 窓から身を乗り出し、下を覗き込もうとする――ぶわ、と黒い影が頭上を横切った。



 それが空高く舞い上がる。太陽を遮り、竜の形に影が落ちる。


「なんでだよ……」


 やけに陽の光が目に沁みた。



 ラギネイアスの背後から、ラディシャが窓枠に手をかける。


「逃したか」

「追います」


 守護獣の震える声に、ラディシャはひとつ、ふうと息をつく。廊下に立ち尽くす彼の頭をわしと掴み撫でた。


「いい。たまには子どもらしくしろ。さびしく、なったか」


 守護獣――竜族の子はふるふると首を振った。


「私を恨め」

「できません。……ラディシャ様、ぼくの帰るところはあなただけです」


 ふっと、ラディシャの目元が優しく緩んだ。


 すぐ吊り上げ、ラギネイアスに向き直る。


「さて、ラギー。分かっているな?この失態、私の信を取り戻せるか」

「……はい」

「どう動く?」

「……奴を連れ戻します。俺の守護獣を」


 それは、ラギネイアスが周囲の反対を押し切ってまで達しようとした目的を諦めることと同義だった。


「地下で会ったあのガキ、あいつの気配なら追えます。一度会って、掴んだから」


 ――必ず接点はある。


 星見が言っていた、地下牢獄に連れ込まれた竜族の男。

 半壊したカラザ宮の地下から、その死体は上がってこなかった。


(あの白いガキが、助けに来た)


 星見の証言の裏は取ってあった。

 割れた卵のかけらを拾い、ふうと息を吹きかけ、


『逃げてしまいましたよ?惜しいことをしました。でもこれで、生きたデータが手に入りますね。ふふふ……』


 カラザ宮の白衣の女がそう言った。


 竜族の男と、白い少年と、星見の賢者。

 奇妙なまでの噛み合い。出来すぎた誘導に違和感は当然ある。


(でも今は、ガキを追うしか道がない)


 彼の位置は感覚でわかる。本能が、方角を伝える。

 窓から見える帝都の端――貧民街の方。



 まだ帝都にいる。


「――舐めやがって」


「評議会には出ろ。迎えには来ぬぞ」


 ラディシャはそれだけ言って、窓枠を握りしめるラギネイアスのことを置いて去った。


 彼は呻いて、屈辱に耐える。背を丸め、呼吸が止まった。


 ゴホ、と咳き込んだ。


「ゲホッ、ゲホッ……」


 激しく咳き込むと、何か液体のようなものが喉の奥から飛び出た気がした。


 手のひらを見やる。


「……は……」



 赤い血が染めあげていた。


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