7-9.言いなり
区画の通りを走り抜ける途中、一人の剣士が路地の騒ぎに足を止めた。
道の先、今まさに老婆を襲い、持ち物を奪うところを目撃する。
金目のものを隣の仲間に見せびらかしながら去ろうとする青年。
剣士は青年から金品を強引に奪い返した。
「国がなくとも俺たちは騎士だ、こんな非道を許しておけるものか……!」
うずくまる老婆の前に、投げてやった。
青年はたじろぎながらも叫ぶ。
「綺麗事言うんじゃねぇよ!こんなことしておいて、今更正義漢ぶるのかよ……!?」
剣士は正論に怒りを覚え、青年の仮面を剥がして頬を殴りつけた。
「一緒にするな!!こんなちゃちな偽モンつけやがって……!これは俺たちが頭領のために考えた、大事な……!」
言いかけて、剣士は仮面を青年の脇に投げつけた。衝撃で仮面が地面からやや浮きつつ、砕ける。
「家があって、家族がいて、上等な服着込んで、戦争も知らず、タコもない綺麗な手で!ぬくぬく生きてきやがって、何が不満だってんだ、ええ!?」
クソッと吐き捨て、剣士はその場を立ち去った。
――こんなことをしている場合ではない。余計なことは考えず、帝王を見つけなければ。
ぞくぞくと兵士が集まり始めている。
包囲陣を敷かれるのも時間の問題だ。いくつかある区画の出入り口は破壊した。
あとは、追い込んだ獲物を見つけるだけだ。
血眼になって周辺を探し回る剣士の耳に、焦りを含んだ青年の声が届く。
三人組の青年が、焦った様子で仲間と喋っている。
「そろそろヤバいよ、隠れようよ……!」
「ああ、手筈通りに……!」
「ダメだ……!俺の家の方、兵士に固められてる!」
「そ、そうだ。人質をとれば、どうにか抜けられるかも……」
パチ、と小石がはねる物音に青年たちが振り向く。
すぐ後ろの茂みの向こうに、女性の姿があった。値の張りそうな外套を羽織っていた。
青年が女性に近づこうとすると、護衛らしき黒犬の獣人が立ちはだかった。
剣士は咄嗟に、助け舟を出そうと駆け出す。
「下がれ、相手にならな――」
「――貴様らァ〜ッ!!」
鼓膜を突き破るような彷徨が響いた。
赤黒い長髪の騎士。何人かの仲間を連れている。
「ば、バーバリック……!!」
青年は男の正体に気づき、青ざめる。
逃げ出した青年をずんずんと追いかけ、バーバリックが剣を振り下ろした。
「ひっ……!」
剣士は青年らを庇って、その一撃を剣で受け止めた。ビリビリと衝撃が腕を伝って全身に走る。
「皇配の庶子か……!」
「よくも、俺様の……!!」
バーバリックの目は血走っていた。黒犬の獣人が脇から声を上げる。
「バーバリック様!」
「母上を連れて下がれ!」
一瞬バーバリックの力が緩んだ隙を見て、剣士は彼の腹を蹴り飛ばす。距離をとって、横目で女性を確認した。
「あれが皇配の……!!」
獣人に守られている女性の正体を察する。
仲間の剣士たちが集まってきた。
「女を追え!!」
急所に入ったはずが、まるで効いてないようなそぶりでバーバリックが握る剣を震わす。
炎を背負い、髪を逆立ててにじりよった。
「――生きては帰さんぞ!!」
*
アルバは用品庫にある地下扉を開いた。薄暗い地下へと誘う、隠し階段があった。
ネイメアがヒールのついた靴裏を見せて、早く行けと促してくる。
「じゃあ……またね」
アルバはそれだけ言って、階段を降りていった。
しばらくして、背後の光が消えた。扉が閉められたのだ。
「……寒いな」
長い階段を降りきる。
すぐそばから、水の流れる音がする。ひやりとした風が流れた。
あたりにはぽつぽつと照明がある。帝都の街灯と似たような作りだ。
奥から人影がやってくる。
松明の灯りを掲げた兵士だ。
(やっぱり一筋縄じゃいかないか。案内役……すぐわかるって言ってたけど)
壁の影に隠れて、兵士が通り過ぎるのを待つ。去ったのを確認して、ほうと息をついた。壁に背を擦りながら、座り込む。
「……ん?」
アルバは目の前の光景に目を丸くした。
その奇妙な先客――カエルだ。ぬめった弾力のありそうな肌、金色の瞳孔……
「どこにでもいるな……」
瞬間、飛び上がった。
悲鳴を上げる間もなく、頬に平手打ちの衝撃が走る。
「なっ何……!?」
カエルは一声鳴く。
アルバはカエルを見つめた。なんの変哲もない、どこにでもいるそれだ。
気持ち悪い、そう言いかけると、またも頬をはたかれる。
今度は二度続けて、左右をだ。
「なんなのこいつ!!絶対普通のカエルじゃないよね!?」
カエルはやれやれ、といったふうにお手上げした。
それからペタペタと足音を立てながら、暗がりの方へと向かう。
一度、アルバの方を振り返った。
その目は無機質だが、どこか「早くしろ」と急かすような、苛烈な知性を宿していた。
「……ウソでしょ。すぐわかるって」
濃い魔力の気配が漂っている。
明かりの揺らぎと、時折水面に水滴が跳ねる音。湿度が高い。何気なく頬を拭うと、肌同士が吸い付く感覚がした。
アルバはカエルのあとをついていった。
幾度かカエルに話しかけたが、反応はない。
「どういう仕組みなんだろう。おもちゃには見えないし」
わざと独り言を喋った。
薄暗がりから白くぼやけたものが這い出すのが分かった。
白い少女がそばの水路に浮かんでいる。
気を引きたげな行動に、反応しないように努めた。
『アルバ〜綺麗な水だね。きっと魔法の水なんだよ』
潜った。
また別のところから顔を出す。水路の壁上に腕を組んで顎を乗せる。上目遣いでクスクス笑う。
「ボクの言葉を理解してる。人間が化けてる?中身は人間?」
『光源を落としちゃだめだよ。水がおかしくなっちゃうから』
「予備光源はどこにあるの?カエルさん……教えてよ」
『あの嘘つきを信じちゃだめだよ。きっとまた、置いてかれちゃうよ』
途端、バチ、と一瞬脳裏に巨城壁でのことが蘇る。
「――うるさいよ」
独り言が湿った壁に吸い込まれて消える。
アルバは言ってすぐ、後悔した。してやられた、と。勝手に動いた口を、縫い合わせてやりたいと思った。
カエルがわずかに硬直した気がした。
キャハハ、と子どもみたいな甲高い笑いが響き渡る。
アルバは深呼吸した。
「……君の言うことはいつも同じだね。ひねりがなくてつまらないな」
『だって、あなたは何も変わってないもの。かわいいあなたは、一生恐れている』
ハクアは上空を、泳ぐように流れた。
くるりと背中を反るように回る。逆さの顔と目が合った。
『人を信じて、裏切られること』
すれ違いざま、言葉を耳元に置いていった。
『思い出して!いつだった?竜にいじめられたのは』
後ろ背に回る。肩を掴む細い指の感触がくっきりと分かる。
『おじいちゃんがくれた誕生日の贈り物、欲しかったものと違ったね。いじめられて泣いて帰った時、泣くなって怒鳴られたね』
ガツンと頭を殴られたような感覚がした。
そんなくだらないことに、傷つくなんて馬鹿げてる。
殴られて、湿った手のひらが一瞬頬に吸い付くあの感覚を、いまだに忘れられないなんて。
なぜだ。
『お母さん、好物覚えてくれなかったね。ふてくされても、お部屋に慰めに来てくれなかったね』
部屋にこもる。ベッドに丸まって毛布を被る。
半開きの、空いた扉の隙間から、小さく笑い声が聞こえてくる。階下で談笑する、誰かの。
『半竜の女も、あなたの気持ちなんてこれっぽっちも理解できないくせに、偉そうなこと言うわ。
なんだっけ?――''あなたが人を信じられないからよ!''あはははは……』
あの言葉で、何かが決壊した。
誰に理解されることはないのだと、そう思った。
『あなたはずっといじめられてる』
違う……
『あなたはないがしろにされて生きてきた。人を信じるくらいなら、いっそ自分を押し殺そうって、決めたんだよね?』
呼吸が荒くなる。
「ボクは一人だ……」
『わたしがそばにいてあげる。一人じゃないよ』
ピシ、と頬に石が投げつけられた。
カエルがまた石を投げようと振りかぶっていた。
止めなかった。
また当たる。
「痛くない。ごめん、足止まってたね。カエルさ……」
カエルが指を指す。
水路が連結する先、その源があった。
アルバは水路に立ち入り、真ん中に立って、源のある壁を眺めた。
天井から、木の根が伸びている。
壁の中に埋め込まれた石。脈動する魔石の周りを地下水が巡っている。
「どうすればいいの……?」
水を吸い込んでいた。帝都中から掻き集められた水がここに集まっているのだ。薄明かりが水滴に反射して、キラキラと光った。
『絶対壊しちゃだめだよ。アルバ。こんな大事なもの壊したら、大変なことになっちゃう!』
白い少女が魔石の前に立ちはだかった。わーっと泣くふりをして両手を広げた。
彼女の胸と魔石が重なって、うすらぼけて見える。
「やっていいの?」
アルバはたまらずカエルに問いかけた。
ふっと白い少女が吹き出した。
『ほら、壊れたものは戻らないね』
ガリ、と削るような音が響いた。
アルバは短剣を突き立てていた。
ハクアをつき抜けて、魔石に突き立つ。
ヒビが入る感触が手に伝わった。
パキン、と軽く鮮やかな、だが取り返しのつかない音が地下水道に反響した。
ハクアの幻影が広がる。広がった両手でアルバを抱きしめるようにして、そのまま背後へと透過していった。
胸に何か冷たいものが広がる。アルバは全身に汗をかいていた。
「――できた。ボクにもできた。やればできるんだ」
過去のしがらみを断ち切って、やるべきことをやりとげた。
(ネイメアの期待に応えた)
暗い達成感に身を震わせ、
「ねえ――」
アルバはカエルを振り返った。
「え……?」
そこには、腹を見せてひっくり返ったカエルがあるばかりだった。
無音だ。
立ち尽くす。
そして、水路の向こうから何かが迫ってくるのを感じ取った。
天井から、壁から、水面から。
遠くから順々にあかりが消えていく。あらゆる光がドミノ倒しに次々と失せる。アルバの方へ向かうように。
闇が迫ってくる。
*
「どーよネイメア!!感謝しなさいよォ!」
クオリアは憑依を解き、覚醒と同時に叫んだ。
耳元でネイメアの声がした。
『よくやった』
その一言に、クオリアは全身を震わせた。耳からぞわぞわと産毛が逆立つ感覚。勝手に口角が吊り上がる。
「クオリア様、おかえりなさいませー。大丈夫でした?」
「完璧よ!で、ここどこよ?」
横たわっていた冷たい階段から身を起こし、あたりを見回す。
「そこを上がれば宮殿です。浴室ですね」
「宮殿……」
クオリアは階段の上の暗闇を見上げながら、硬くなった体を軽く伸ばした。
遠くから順々に照明が落ちる。
主光源が落とされたのを察して、クオリアはニッと笑った。
パッとすぐそばであかりがついた。
人差し指の先、ニケラスが火を灯したのだった。
「あら、気が効くわね。褒めて遣わすわ、ニケラス」
ニケラスが困ったように小さく笑う。
その火をテュオが手にしていた松明へと移した。
「主光源、落ちたようですねー。これで宮殿も真っ暗闇ですか」
「だけじゃないわよ。帝都の魔法的動力を全部賄っているんだもの」
「ふーん……でも、言っちゃ悪いですけど結構労力払った割にそれだけですよね?こうして火の魔石を使えば、あかりなんてすぐつくわけだし……」
クオリアはハッと笑った。
「知らないの?ネイメアの魔法の条件なのよ。暗闇、ってのがね」
「どういうことですか?」
「あの子はね、闇伝いに移動できるのよ。瞬間的にね。さながら闇に溶けるように、って……フフ、詩的よね」
「そんな魔法……!」
「魔法というより体質だそうよ?曰く――呪われてるって。闇の谷に、ね」
「それって、北の大地の……?」
テュオはごくと息を呑んだ。
同刻、主光源を破壊したネイメアは血溜まりのそばで目を瞑った。
宮殿中の全照明が一斉に消失する。
照明がまばゆかった分、あたりはずっと濃い暗闇に包まれた。網膜に焼き付く残像をも塗りつぶす、絶対的な夜の到来。
ネイメアは即座にそれを受け容れた。
宮殿内部の闇に意識を浸して、すべてを掌握した。
闇をおのが血肉とし、泥のように溶け込ませる。
宮殿の廊下。ホール。玉座の間。抜けて、深奥のカラザ宮へ。張り巡らせた神経が瞬時に行き交う。
たちまち宮殿とカラザ宮を繋ぐ入り口を捕捉する。
次の瞬間には、その入り口の前に出現した。
広い闇の中に溶けた意識をひとところに集め寄せる感覚で、自分を掻き集める。
入り口の両脇を門番が固めていた。
主光源の周囲を固めていた門番と似たような配置だ。
闇に目の慣れない彼らを迅速に処理する。
彼らは、隙間風が通り抜けた程度の感触を最後に、二度と光の元へ戻ってくることはない。
倒れ込むのを背に、扉に手をかけた。
扉には魔法的施錠のあとがあった。
すでに錠前は解かれていた。光源を落としたからだろう。
錠前が音を立てて床に落ちた。
ネイメアは闇の中から輪郭を取り戻す。裸足のつま先から闇に纏いあげられ、いつもの装いに戻った。
金色の瞳の光を揺らす。
その地獄の釜の蓋を開く。




