7-8.女帝の箱庭
クロエドは目が覚めると同時に、頭を叩き割られるような痛みに呻いた。
(生きてたか……)
地下道を帰る途中、運悪く兵士と鉢合わせし、頭を思い切り殴りつけられたのを思い出す。
その兵士は明らかに普通の人間ではなかったように思う。最後の記憶は、歪んだ巨体と鉄仮面、唾を飛ばして棍棒を振り下ろす様。
(あいつ……逃げられたのか……)
脈打つような痛みを押しのけて、だんだんと視界が開けてきた。
「……え……?」
そこに広がっていたのは、緑だった。
植物が生い茂り、石の柱に蔦が絡む。小花を散らした草原。薄い水のカーテンが天井から泉に落ちる。
だが、室内だ。蔦に隠れて人工物の天井が見える。
クロエドは起き上がり、手をつき損ねて下に落ちた。今まで木組みのベンチの上に寝ていたようだ。
「わあ、いきなり動いちゃダメですよ」
影が差した。見上げると、白衣を纏った女が小首を傾げていた。
心配そうにしゃがみこむ女と目線が合う。
「ご気分は?」
「……スープ?」
緑がかった水色の髪に、特徴的な七色の瞳。透き通った水のような女。
樹海で出会った水の魔物――そっくりだ。
「お腹すいたんですか?無理もないですね、ずっと眠りっぱなしでしたから」
簡易的な料理を振る舞われ、クロエドは素直に口にした。
「あなたの回復には時間を要しました。ずいぶん過酷な戦争だったのでしょうね。おなぐさみ申し上げます」
「……戦争なんか行ったことないが」
「なんと。帰還兵ではないのですか。おかしいですね、戦後の兵士と心理模様が一致したのですが。興味深いデータです。研究しがいがあります」
「研究……?」
「あ、申し遅れました。わたくし、博士と言います。あなたをここへ招きました」
軽く腹を満たしたあと、博士と名乗った女に室内を案内される。
緑と水に囲まれた場所。中央に大木があった。そばの泉に花弁が浮かんでいる。あの樹海の光景といやがおうにも重なった。
博士は大木に成った赤い果実を、長い木の棒でつついて落とした。
「さあ、どうぞ」
「……いらない」
「あなたには毒にはなりませんよ?」
博士が果実にかぶりつく。赤い果汁が口の端を滴った。
ふと、大木の麓で何か巨大なものが動いた。
「おや、珍しいですね。神鳥が起きた」
大きな白い鳥だ。落ち葉や土を雪崩落としながら、体を起こす。柔らかな羽毛が舞った。
体の下にいくつもの卵がある。守るように抱え込んでいたのだろう。
神鳥の金色の瞳に、クロエドの姿が映り込んでいる。
「きっとみんな、あなたを歓迎しているんですよ」
「ここは……どこなんだ?」
「ここはね。カラザ宮の底ですよ。箱庭と、そう呼ばれています」
「カラザ宮……?」
皇族が居住する宮のことだ。
クロエドは昔見かけた女帝のことを想起した。広いバルコニーにたたずみ、優雅に手を振る女の姿を。
「女帝がいるのか……?」
「上にね。でもあなたには結界を抜けられませんよ」
「どうしたら抜けられる?」
「そうですね、谷の者ならあるいは。って、あなた竜ですものね。死ねばいいんじゃないですか?」
ケラケラ、と冗談めいて笑う。
冗談なのか本気なのか、判断できなかった。
どこからかわあ、と歓声が上がった。
『――竜がいるの?仲間がやってきた』
子供の声だ。脳に直接響くような奇妙な感覚。
クロエドはあたりを見まわした。博士以外に人はいない。
「下ですよ、下」
博士の指さす方。神鳥の下。
いくつかの……
「…………卵が、喋っているのか……?」
博士は恍惚として、自身の頬、それから唇を撫でおろした。
「素晴らしいでしょう。楽園の魔術です。魂を肉体の呪縛から解き放ち、永遠の命をも可能にする、これこそ――」
「楽園?」
「もう戻れない私の故郷のことです。私は魔術を持ち出して、追放されてしまいました。こうして魔術の恩恵を広げたかっただけなのに」
博士はしゃがみこみ、卵を撫でた。くすぐったげに卵が笑う。
「生きているのか……?」
「もちろんですとも。あたたかいですよ。さあこちらへ、大丈夫」
促されるままに、
「優しく触れてくださいね、でなければ割れてしまいますから」
卵に指の背で触れた。
……確かに温かい。神鳥があたためていたからだろうか。
「みんな、仲間が帰ってきて嬉しそうでよかった」
博士が涙ぐむ。
『おかえり』とあちこちから声が上がった。
「クロエドくん、無事だったんだね」
「……え……」
クロエドは後ずさった。一つの答えが頭に浮かぶのに、どうしても信じたくない。
「これは……ど、同胞の……」
「あれ、今頃わかりました?」
くわん、とめまいがして世界が回った。
「素晴らしいとは思いませんか?こうして、魂を肉体から分離し、卵に移す。魂をのがした肉の殻は生体反応を保ちますが、どれだけ痛めつけられようとも、苦痛を感じなくて済むのです」
「い、痛め、つけ……?」
「あら、むごいことを言わせないでください。わかっているくせに。竜の血は不老不死の霊薬、なんですものね?」
殴りつけられた時より激しい頭痛が襲う。
では、一体 彼らの肉体は、
どこでどんな扱いをされている のか …………
卵が口々に声を上げる……
『あの時は』『英雄に』『会いたかった』『扉の魔女』『里は』『竜』『ここはとっても』『いいところ』……
「これが生きてるって言えるのか……」
蘇る。
あの時、あの家で、あのベッドの上に横たわるもの。そばにあった枕を、押し当てて殺した。
『――外はいいところだった?』
その時、ふと悟った。
死んだ方がまし。そんな生があるのだと。
「あら……大丈夫ですか?」
クロエドは嘔吐した。
*
軽快に地面を蹴飛ばす。体は軽い。
鍛えた甲斐があった――クオリアは努力の結実を体で感じて、高揚する自身のことを不謹慎と切り捨てられずにいた。
襲いくる魔物をさほど苦労せず撃退する。
おそらくは、地上での縄張り争いに負けて地下道へと逃げ込んだ雑魚だろうが。
つたない火魔法でも、炙るべきところを炙ったなら、それで十分だと思えた。
『どこまできた?』
「ネイメア……!ちょうど、半分ってとこ……!」
ニケラスに案内され、地下道をゆく。
ちょうど地下水道との連結部分に差しかかったところだった。
バルブのついた石扉に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。
ちら、とすぐ後ろを見やる。
松明を手にしたテュオがわずかに息を上げ、汗を拭っていた。
「予備光源は地下水道にあるのよね……!むしろちょうどよかったんじゃない」
ピアスを通して、ネイメアに話しかけた。
『バカなこと言うな。計画変更だ。待てない。アルバに予備光源を任せる』
「……へ……は、ああッ!?正気!?」
『クオリア、お前使い魔を宮殿に置いてきたんだろ。宮殿から地下水道へおりてアルバを手伝え。そのほうが早い』
「イヤよッ!なんであたしがあんな異常者と!?あいつはマーシャリーを……!」
『イヤイヤ言うなよ、駄々っ子か。目的のためなら嫌いなやつとでも手を組む。そういう覚悟があるやつだと思っていたけどな』
「あ、あたしが……?」
『うん、そー。お前なんだかんだオレの判断仰ぐからな、賢明賢明』
「ばっ、バカにして……!」
クオリアは自身の二の腕を握りしめた。
「予定通り、あたしとテュオで予備光源は落とすわよ!それじゃいけないっていうの……!?」
『制限時間が繰り上がった。賢者が想定外の動きをしている』
「密偵は!?どうしたのよ!」
沈黙。クオリアは奥歯を噛み締めた。
彼の沈黙に込められた意を察して。質問は受け付けない、という拒絶の意だ。
「わ……わかった、わよ……!やりゃいいんでしょ……!!でも、それまでよ……!後のことは知らない!」
『それでいい』
プツと途切れる。
(クソッあたしを舐めやがって――!)
グシャ、と髪を巻き込んで頭を抱える。
ひらひらと安っぽいスカートのほつれが視界に入って、それが無性に苛立つ。
「……テュオ!あたしは別行動よ。予備光源はあたしが落としてくる」
「えっ!?」
クオリアは、掃除婦の制服を脱ぎ捨てた。白いワンピースの下、胸当てとショートパンツの軽装になる。
薄い生地の制服は、彼女の火魔法によって地面の上で炭になった。
「その間、あたしの体を頼むわよ」
「憑依ですか!?カエルじゃ無理です、人の手が要りますよ!?」
「だから……!ああもう、説明する暇ないの!いい!?アンタはあたしの体を連れていくのよ、そのあとは計画通り!ネイメアと合流する!」
「ま、待ってくださ――」
クオリアは目を瞑って、中指を額に押し当てた。手のひらの影が顔にかかる。
(目にもの見せてやるわ。あたしが無能じゃないことを証明してやる)
次の瞬間、クオリアが昏倒する。
テュオが倒れ込む体に手を伸ばすが、その前にニケラスが彼女の体を支えた。
ニケラスがクオリアの顔を見て、わずかに目を見開く。テュオは弁明するように慌てて言った。
「あーっ、大丈夫ですよ。死んでないんで……代わります?」
「……いや、構いません。この先に連れていけばいいんだろう」
ニケラスはクオリアの体を抱えた。力無く後ろに倒れる頭を支え、死人同然の生気のない彼女の顔を見つめる。
「重いな……」
「お、女の子にそーいうコト……」
「急ぐんだろう?行こう。ここから先は知らないが……」
テュオは「任せてください」と言って、準備運動のつもりで手足を伸ばした。
「宮殿の地図は頭に入っています。水場も。入り口のあたりもつきます」
深呼吸して、岩壁のバルブ――地下水道への入り口を開閉する仕掛けを握る。
「じゃ、準備はいいですね?」
振り返る。
テュオの掲げた松明の灯りが、今まで通ってきた道をわずかに照らし出していた。
殺した兵士の腕の先だけが見えた。
闇の中には、多くの死体が隠れている。
地下道で遭遇した全員を、殺めてきた。
うちに、明らかに人間ではない大柄な兵士も混じっていた。
そのどれもが即死だった。闇に息をひそめ、急所を的確についたからだ。
(さすがに、熔鉄隊の名は伊達じゃないかーー)
少女を抱える剣士。
一滴の返り血すら浴びていない。
テュオは笑みを浮かべながらも身震いした。
*
ハッケーは奥方の手を、彼女の体重を引き受けるように強く引いた。
奥方はずっと肩で息をしている。普段邸宅の中にこもりきりなせいだ。それでなくとも、元々体の弱い人だから。
走る合間に、何度も休憩を取る。それでも、膝に手をついて、苦しげな息を吐いていた。
目指す出口はまだ遠い。区画の広さをこの時ばかりは呪う。
襲撃の騒音が段々と迫ってくるのが分かった。
「ごめんね、ワンちゃん……走るの、早いのね……」
汗を頬に垂らして、奥方が微笑む。
顔色は悪かった。ひゅうひゅうと笛の鳴るような音が喉の奥からしていた。
「ハアハア、奥方様。申し訳ありません、私は……死にたくないのです――!」
使用人の老婆が痺れを切らして、奥方とハッケーを置いて駆け出す。
一目散に逃げて行った。普段の姿からは考えられない早い動きだ。
ハッケーは奥方の反応を伺う。
「いいのよ」
一筋汗を垂らす、その表情。微笑んでいる。
「彼女が作る食事は、本当にまずかったわ。胸が苦しくなるくらいにね……」
そう言って、自身の胸をわし掴んだ。
「ワンちゃん。悪い人にバチが当たると思う?」
彼女の視線の先、遠ざかる老婆の姿。
炎に照らされた老婆の影が、建物に大きく映った。
影絵の紙芝居のようだ。
腰の曲がった小さな影を、人影が挟み撃ちするところがちょうど映し出されていた。
ハッケーがたまらず一歩前に踏み出すのを、奥方が手を引いて止めた。
影に棍棒のようなものが振り下ろされる。
「バチなんて当たらないわよ」
棒は人影には当たらなかった。地面を叩きつけて、鈍い音が響く。
小さな影はさらに丸まって、持ち物を差し出すのだった。
ハッケーは遠目に、それが人形が首にかけていたネックレスだと気づいた。
奥方を見やる。
「別の道を行きましょうか」
ハッケーは不可解でたまらなかった。
前を歩く奥方に問いかける。
「どうして……狂ったふりをなさっているのですか?」
足が、止まる。
「バーバリック様が、どれだけの中傷を受けているかご存知でしょう?」
「ワンちゃん……」
「気狂いの母親に育てられたと。親子揃って父親にしがみつく恥知らずと!笑われているのですよ……!?」
ついたあだ名は『帝王の恥晒し』。
あの方がどれだけの誹謗中傷に耐えているか、知らない奥方ではない――ハッケーは拳を握り込んだ。
「言わなければ分からないあなたではないでしょう」
ハッケーにはすでに、一つの考えが浮かんでいた。
世間に見える構図。
狂った母子が、皇配となった男にしがみつく。皇配はその慈悲から、母子の衣食住を保証する。
もし、母親が真人間であったら。
女帝はたちまち、この母子を処理するだろう。一国の皇配が、唯一の妻たる女帝より昔の家族を重んじるなど、あってはならない。
「……バーバリック様のためとでも言うのですか……!あの方は何も分かっていません……!」
「そうね、ちょっとおバカに育っちゃった。甘やかしすぎたわね。でも私にとっては目に入れても痛くない、可愛い我が子なの」
ハッケーはバーバリックの欠落した人間性は、奥方に責任があるのだと指摘したくなった。
「あの方は、罪もない人を惨たらしく殺めています!不機嫌を撒き散らし、いたずらに周囲の反感を買い……!このままではいつか……!」
「そうねぇ。このままではいつか、あなたも巻き込まれてしまうわね。命より重いあなたの家族も、ただではすまないわね」
ハッケーは息を呑んだ。
『私は本当にバーバリック様の身を案じて言っている』――そう即座に否定できない。
「その時は一緒に死んであげてくれる?あの子、寂しがりだから」
ハッケーは歪む口角をひくつかせた。
「なんて。言ったでしょ。バチなんて当たらないって」
「……あなたは……何を考えているのですか……!?」
「私はあなたと同じ。家族といたいのよ。
どれだけ貶されてもいい。分かって欲しい人にだけ、分かってもらえればいい。だから、家族だけが大事」
「しかし、あなたはお嬢様を置いてきたではありませんか……!」
「あの髪の毛は娘の遺髪」
奥方は火の粉まぎれる夜風に、そよぐ自身の髪の毛をかきあげた。
ほとんど白髪になったそれは、元はきっとあの人形のように美しい黒髪だったのだろう。
「あの肌は娘の骨。あの姿は。ああいう子になるかなって未来を想像して私が作った」
「なら、なぜ……?」
「――だけどあの子じゃない」
奥方は、望んだ未来を描くみたいに瞼を閉じた。宙を探るような手つきに、幼い娘の髪をとく幻影を垣間見た。
「初めは本当にそう思ったけれどね。してあげたかったこと全部してあげようと思った。似合うドレスを選んで、瞳の色の宝石で着飾ってあげて。パイの作り方を教える。外を散歩して、色の名前を教えてあげるの……」
ぱた、と手が止まる。冷ややかに、
「ふと気づいた。私の子は、カーレンディスに殺された。あの子じゃない」
断言だった。
ハッケーは、人形を本物の娘として可愛がる彼女の姿を、嘘だと思ったことはない。
「……私は十分慰められた。あの人形の役目は終わったの。大事に、したいけれど」
奥方は寂しそうに遠くを見やった。
「バーバリックには可哀想なことをしたわ。妹にかまけて、随分さみしい思いをさせた。だからあの子には弱いのよねぇ……」
バーバリックへの負い目から、彼の非道を見逃すというのか。
ハッケーを形容し難い激情が襲った。
「他人を踏みにじってでも、家族だけを守ると言いたいのですか……!」
「そうよ。誰も彼もそうでしょう。このまぶしくて汚い、腐った白い街で生き抜くにはね……大事なものはお腹に抱えて隠すのよ!」
絞り出すようにして叫ぶ。
強い風が吹いて、彼女の顔に髪がばらばらとかかった。
「ねえ、ハッケーちゃん。私の娘を殺しておいて、葬送儀礼にのうのうと現れたカーレンディスは、なんて言ったと思う?」
「――『これで女はあなただけね』って、言ったのよ」




