7-6.交錯する思惑
「ワンちゃん、食べて」
ハッケーは顔の前に差し出されたパイを見つめた。
「に、任務中ですので」
「食べて」
ハッケーは仕方なくパイを手に取って、口に含んだ。味見用の小さなそれ――特になんの変哲もない味だ。
「おいしい?」
「美味しいです……奥方様、ありがとうございます」
奥方はにっこりと微笑んで、鼻歌を歌いながらミトンを脱いだ。
食卓には豪勢な料理が並べられている。
「さ〜できた〜。まだかな、冷めちゃうな〜。遅いね、リックん……」
「もうじき戻ってこられますよ……」
「パパも遅いよ?いつもこの時間には帰ってるのに。……やっぱり女のとこかな」
そばで、使用人の老婆がぷっと吹き出した。廊下の影に隠れて肩を震わせている。
ハッケーは時計を見た。
(バラチカル様は、当分戻らない……私に奥方の面倒を託して、宮殿へ行ってしまわれた)
奥方の護衛を任されたハッケーは、家に残してきた弟妹のことを案じた。主人が珍しく下した命、必ず意図があるはずだ。
「ワンちゃん。あなたの家族も連れてきたらいいのに。お祝いは大勢の方が楽しいわ。リックんがね、すごい賞をもらうのよ。悪い竜をたくさんやっつけたの」
「奥方様、ありがたいお言葉ですが……」
「そう。……残念ね。そしたらパイは持って帰って。切ってあげる」
「私どもに、勿体無いことです」
奥方は丸いパイにナイフを入れる。
パイを切り分けるのは、いつも家族が揃ってからだったが……
「遠慮しないで。今日はきっと遅くなるのよ。ねえ、赤ちゃん、二人で待っていましょうね〜」
切り分けたパイを慣れた手つきで包む。三人分だ。
その後、もう一切れを皿に取り分け、テーブルを滑らせた。
皿の前には女の子がいた。
小さな、陶器でできた人形がベビーチェアに座っているのだった。黒髪に、赤い宝石のネックレスが映えている。
「あなたはもう少し、甘いのが好みだった?」
人形に話しかける奥方の姿から、ハッケーは目を逸らした。
その時、遠くから人の足音が聞こえた。
複数人の荒い呼吸。金属が擦れる音が混じっている。
ハッケーは異様なものを感じ取った。
「……奥方様、少し……外に出ませんか。バーバリック様を迎えに行くのはいかがでしょう」
「ん〜。いやよ。……私はここで待ってる。帰って来るのをずっと待つわ」
一団が迫ってくるのを感知して、ハッケーは焦りを覚えた。
会話から断片的に単語を拾える。
『魔法』『炎』『急げ』……穏やかではない。
ふと悲鳴も混じった。斬り付けられ、うめく声も。
「奥方様!」
「……いやよ、料理が冷めちゃうわ……」
奥方は三角巾を外した。
バーバリックと同じ赤みがかった髪。根本は白髪だ。
彼女の伏せた目線の先には、人形があった。
すっと目を逸らし、ハッケーの目を真っ直ぐ見つめた。
何かを訴えかけるかのように、無表情だった。
(この人はさとい人だ……本当はすべてわかっている……!)
「――お願いします……!」
「……ワンちゃん、そこまで言うなら。仕方ないわね」
奥方は、わがままな子どもをなだめるように、ハッケーの鼻先をぴんと優しく弾いた。
ハッケーは奥方に外套を着せてやった。邸宅に残るたった一人の使用人を連れて、外へ出る。
「お嬢様も……連れて行きましょうか」
ハッケーは人形を横目で見た。奥方は首を振って囁く。
「いいのよ。わかってるでしょ。……ハッケーちゃん」
息を潜めながら、路地裏や裏道をゆく。
ハッケーは念話でバーバリックに報告した。
『バーバリック様!貴族区画が何者かに襲撃を受けて――』
直後、爆音が響き渡った。
通りを挟んだ、区画の入り口の方が燃え上がる。使用人の老婆が悲鳴をあげた。
「奥方様、お下がりを。私のそばを離れないでください」
「綺麗ねえ……」
「ヒィ、奥方様!いけません!」
老婆が止めるのを聞かず、奥方は通りの真ん中に出た。くるりと回り、炎を背に言った。
「偽物の光なんかより、ずうっと綺麗だわ」
『――ハッケー!母上は……!?』
バーバリックの念話に、ハッケーは努めて冷静に答える。
『すでに避難を始めました。しかし、これは……』
分が悪いかもしれない。
そうは伝えなかった。炎が家に燃え移る。その壁に、武装した集団の影が照らし出されていた。
*
貴族区画にみるみる間に炎が燃え広がる。
クオリアは耳元のピアスに手を触れた。小粒の石がひやりと指先に当たる。
「一体どういうことなの!?――ネイメア!」
叫ぶと、耳元に彼の声が届く。
『裏会の陽動だ』
自然と窓枠を掴む手に力が入った。
「聞いてないわよ!!」
『言ってねーし。で、なんだよ?バーバリックにでも会ったか?』
「……ご明察よ!!」
ピアス型の魔法道具を介して、ネイメアの乾いた笑いが直接的に耳を侵す。
『そんなことだろうと思った。お前、もう少し周りを見たほうがいいぜ』
「恩を……売ったつもり……!?」
『恩返しするタマかよ。貸しだぜ。クオリア』
同刻、ネイメアは高台から貴族区画の襲撃を見下ろしていた。
煌々と燃え上がる区画。異変に気づいた兵士たちだろう影が、区画へと集まりつつあった。
その動きを確認して、手袋を付け直す。
「――行くか」
ネイメアは灯りの届かない湖のそば、闇の中に足を踏み入れた。
*
裏会の青年たちが家々に押し入り、見せつけるように調度品を叩き壊す。
「国を滅ぼされた恨みだ!」
「よく覚えておけ、俺たちは――」
家に残っていたわずかな使用人の悲鳴があちこちから上がった。
そのどれをも突き抜けて、死霊団は一直線に皇配の邸宅へと向かった。
しかし、そこはすでにもぬけのからだった。
広い邸宅中をしらみつぶしに探し回るが、人一人として見当たらない。
食卓には、まだ温かい料理が残されていた。
「おおお、おのれ……!!」
剣士は食卓を蹴飛ばした。
「――避難が早すぎる!」
それは家の者が直前に避難したことを示していた。
爆発を起こしてから、数分とたたずたどり着いたのに……道中すれ違ってもいいはずだ、と激昂する。
「なぜだ――情報が漏れていたのか……!?」
「ネイメアか……!?」
年配の剣士は剣を握りしめた。
裏切り――その言葉が頭をよぎる。だが同時に、ネイメアの仕業と断じるには強い違和感があるのも確かだった。
いや、と首を振って、思考を振り払う。
「考えている暇はない!追うぞ――まだ近くにいる!」
*
バーバリックに足止めを喰らい、焦るクオリアはやっと半地下へと滑り込んだ。
ピアスからネイメアの平坦な声がする。
『入った。合流するぞ、座標は――』
「……ッ!」
『また想定外かよ?』
「〜〜うっさいわねッ!!魔法陣は物品用だったッ、これで満足!?」
『……満足も何もないだろ……』
「クソッ、クソッ……!使い魔は送り込んだ、これから地下道へ向かうわ!」
テュオと共に階段を駆け降りる。
裏会のアジトを目指した。地下道と繋がっているからだ。
『時間がかかりすぎる』
「どうしろってのよ!?あたしはアンタみたいに瞬間移動なんてできないのよ……!」
『ニケラスを頼れ。嫌とかいうなよ』
「イヤ!!」
今まで頑なに拒絶してきた相手を、窮地になったら手のひらを返して利用するなんて。
虫のいいことだ。クオリアは情けなさに視界が滲むのを、振り払った。
『……ニケラスは地下道を調べてた。お前だけじゃ無理だ』
「……ッ!」
『地下道にいる。座標を言う。――の……』
クオリアは暗く湿った地下道の中、その場所へ向かった。
自分と同じ、燃えるような赤い髪がなびく。振り返った男と目が合って、深呼吸した。
「……王女様……」
変わらない。閉じっぱなしの片目以外は。峠で怪我をしたのだろう。
「――あたしに言いたいことがたくさんある?後にして。大人しく、あたしの言うことを聞くのよ」
命じると、ニケラスが上下に視線を動かす。
「その格好はなんですか……?」
「……本当に変わらないわね、アンタは」




