6-5.最低限の信用
昔の面影がある。
ひびわれた煉瓦の小道。蔦が絡む橋の支柱。透き通った水の色。遠く向こうで霞む宮殿の尖塔。
(ああそうだ、そこの角を曲がれば――)
幼い頃の自分が脇を駆ける、そんな幻影が見えた。
(あの人が住んでいたあの家……)
角を曲がって思い知った。
同胞が住まった場所はすでに存在しない。
高い背の建物に挟まれて、細く薄暗い路地が奥へ奥へと伸びていた。
「クロエドくん」
ニケラスが地図を片手に呼びかける。
「こっちだ。この辺はかなり入り組んでいるね。地図があっても迷いそうだ」
地図と景色を交互に確かめ、照らし合わせながら進む。裏会の隠れ家とやらを目指して。
人気の少ない方面へと誘われ、階段を一つ、二つと降りていく。
その界隈は''半地下''と呼ばれていた。
水路の流れは滞り、よどんだ空気を充満させる。
目に入るのは、顔を隠した商人に、がたいの良い獣人、胸元を露出させた女……大都市の底にはびこる影の住人。
隠れ家はそんな風景に溶け込んだ、ありふれた外見の店だった。
中身は簡素な賭博場といった雰囲気だ。
丸卓でカードゲームに興じる青年たち。少額ではない貨幣が卓上を行き来する。奥の方の卓は新聞を広げ、あれこれ議論している様子だ。
(身なりのいいやつも混じってるな。平民だけじゃない……これが裏会……?)
奇妙なのは年齢層だ。クロエドの予想より遥かに若い。彼と同年代の若者ばかりが集まっている。
「おーい、こっちです!」
声の主は、奥の卓の席を立ってぶんぶんと手を振っていた。
山門城で見かけた男だった。ネイメアと共に馬車を引いて行った青年。
青年は仲間が惜しそうに引き止めるのをかわして、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「やあ待ってました。裏会へようこそ!死霊団の皆さん」
隠れ家に入った時、裏会とは関係のない場所に来てしまったかと心配したが杞憂だった。青年はクロエドらの素性をしっかり口にした。
「歓迎します、創設メンバーのテュオっていいます」
「創設……?」
「何を隠そう、ここは秘密倶楽部ですからね!足を踏み入れたからには、ルールは守ってもらいますよ。この会の存在は他言無用、これ厳守です」
「ああ、そういえば貴方は湖にいた……?帝国騎士なのか?」
「ネイメア、上で待ってますよ!」
雑にはぐらかされ、クロエドとニケラスは顔を見合わせた。
死霊団の団員と共に、テュオに案内されて階段を登る。数人の大の男の体重でみしみしと床が軋んだ。先頭の二人と、団員たちとの間には不自然に距離が空いていた。
二階には個室が並んでいる。一番奥の部屋に通された。
「ネイメア……」
ネイメアは浅く机に腰掛けて、壁の方を見つめていた。壁一面に図面が描かれた紙が何枚も貼り出されていた。
「遅かったな」
「少し迷ってね。帝都とひとくちにいっても広いんだな」
「ああ、横にも縦にもな」
ネイメアは手元の資料に目を落とした。
部屋の隅にあるベッドの上や、床にも覆い尽くすように紙類が散らばっていた。
「それで……ここは?」
「裏会のアジトだよ。……悪いけど、ニケラス、最初に話すのはお前だけだ」
他は後で話を聞け、と手を払って追い出すそぶり。ニケラスは仲間に目配せした。扉周りを固めていた仲間たちは不服そうに眉をひそめた。
「いいから、言う通りにしてください」
仲間たちは互いの表情を伺い合う。一人が「坊、あとで話せるな?」と言った。
ニケラスは彼らから顔を逸らし、どこか気が抜けた返事をした。
「テメェ、俺たちがどれだけ……!」
「やめろ!……いいから」
怒鳴り出した者を周りがなだめるようにして止めた。
それから、舌打ちと暗い熱のこもった視線を残して、全員が静かに部屋から出て行った。
クロエドもそれに続くが、
「やっぱりクロエドの兄さんも残ってくれる?」
「?なぜ……」
「王女様はここにもいないんだな」
ニケラスは空気を読まないいつもの調子でたずねた。その頬の筋肉の動きはいつもより硬かった。
クロエドは死んだはずの亡国の王女のことを頭に思い浮かべる。
(おそらくネイメアの前任者とやらは王女のことだ……)
クロエドはてっきり山門城の城主暗殺と密行に関する計画は死霊団、特にあの副官が言い出したものと考えていた。
しかし、ニケラスははっきりこう言っている。
『この計画の発案者は別にいる。その人に便乗させられた』――そして、その人はネイメアの前任者なのだと。
それが王女だとしたら、ニケラスの言葉の奇妙なニュアンスにも頷ける。
復讐に乗り気ではないニケラスが、主君の復讐につきあわされているという図式が浮かぶ。
「まあな……王女様は次の計画の準備中。ここには当分戻らない」
「なんとなく会えないことは分かっていたよ。あの方は待つのが苦手だし……」
「追いかけないのかよ?」
ニケラスは一拍の沈黙のち、やわらかく笑った。その表情は、どこか冷めた憂いの熱を帯びていた。
「道中考え直したんだ。王女様はこうおっしゃった。帝都の裏会と共謀して女帝を倒すのだと。その手伝いをしてほしいのだと。俺は騎士としてその願いに応えた。だったら、今すべきは安易に彼女を追うことじゃない。だろう?」
やや早口に言い終える。そして唾を飲んでから、ためらいがちに問うた。
「だけど、ネイメア……王女様は本当に、生きているんだな?抜けたんだな、峠を……」
「愚問だな。五体満足でピンピンしてるよ」
ニケラスはほっと息をついた。
ネイメアはその様子に同情の視線を向けた。一瞬苛立ち混じりに眉をひそめたように見えた。
「伝言。『今度は見捨てなかった』、だってよ。マジで意味がわからない」
「……!」
ニケラスは目を伏せ、
「わかるよ」
諦めたみたいに微笑んだ。
「ならいいけど……」
「何をすればいい?」
ぱっと顔を上げる。クロエドは二人の会話が途切れたところに割り込んだ。
「その前に答えろ。なぜ俺を残した?」
「今は出て行ったやつら……仲間だけにしてやりたい。悪く思うなよ。兄さんは所詮部外者で、まだ後戻りできるんだから……」
頭を掻きながら答えるネイメアに、クロエドは皮肉めいた。
「本気で女帝を殺すつもりか」
「ああ、最初にそう言っただろ?」
ネイメアのからかうような面持ち。
最初に、とは初めて彼と出会った時の、作戦会議で死霊団が宣言したこと――『今回の城攻めは、女帝殺しの布石にすぎない』を指すのだろう。
「城主暗殺には失敗したんだぞ」
「クロエドくん、それは……」
「ハナから計画にはないことだ。問題ない」
ネイメアは笑みを浮かべ、クロエドの目を見つめる。まるで相手がたじろぐのを確かめるかのような反応だ。
その反応に、やはり、とクロエドは心中でほくそ笑む。
「だろうな」
鼻で笑ってみせた。
それでネイメアの表情から余裕が消えた。
「……ニケラスどこまで話した?お前のことだから、どうせ仲間にはダンマリきめてると思ったけど、外れたか」
「そ、それは……確かなことは何も。みんなの前で説明したことがすべてだ」
クロエドが「いや」と口を出す。
「お前は分かりやすい。城主の話といい、もう少し事情は察しがついている」
ネイメアは前のめりになって「事情?」と答えを促す。
「計画の首謀者は王女だろ。ネイメア、お前の前任者だと聞いた」
ネイメアはわずかに目を見開いて、ニケラスをひと睨みした。ニケラスは「あ、言った」と小声で答えた。
「王女がネイメアの前任者ならば、裏会の代表者ということだ。裏会は国を滅ぼされた王女が敵国で組織した反帝国組織ということになる」
「……」
ネイメアの沈黙が、クロエドの思考を加速させる。
(だが、この隠れ家を見る限り、とてもじゃないがイメージする国家抵抗勢力とはかけ離れている……)
質の悪い若者の溜まり場といった印象だ。それを装っているのかもしれないが……クロエドの直感はそう言っていない。
「そうは見えないがな……」
「それは俺も感じたよ。でもあのテュオと名乗った男は前に見かけた。ほら、あの時の……馬車の御者だった」
「大聖堂の騎士だった」
ニケラスは格好までは覚えていなかったようで、考え込む様子だ。
クロエドは彼があの錯乱した状態で、周りをちゃんと見ていたことに多少感心した。
「ネイメア、俺の意思は変わらない。女帝殺しは望むところだ。
だが、逆にお前はどうだ?お前は嘘を言っている。おそらくいくつも。それが計画に必要なことなら許容はする――その上で、お前を信用できない。最低限もだ」
あえて試すような強気の態度。受け身なネイメアから情報を引き出そうとしてのことだった。
隠し事は暗黙の了解ではあるが、もう一つの目的である同胞の救出がかかっている以上、クロエドにとってネイメアを最低限でも信用できるかは重要な点だ。
「はあ、最低限ね……」
ネイメアはくつくつと笑い出した。背を丸めて、両膝に肘をつく。
「傲慢だな。他に頼るものなんてないくせに……竜族だから重宝されると信じてるのかよ?囮として切り捨てられるとか思わないのか?」
クロエドの真っ直ぐな眼光に、ネイメアの歪んだ口角がだんだんと下がっていった。
「……はあ……」
彼は長く息をつく。
口元のあたりで両手の指同士を合わせ、
「……わかった」
そして平然と告げた。
「――大教父を殺したのは王女だ」
ニケラスは驚愕した様子で身を乗り出した。
「な……!?」
「殺されたって話は上で聞いただろ?噂になってたもんな」
ネイメアが自慢げに腕を組む。
「初めからそういう計画だった。山門城でのこと全部が陽動。本命はそっちだったってわけ」
「王女様に殺させたのか……!?そんなの耐えられるはずが……!」
「あのなァ……まあいいや」
ニケラスが額に汗を滲ませ問い詰めようとするのを無視して、ネイメアは続ける。
「テュオはうちの密偵だ。大聖堂に潜り込んでいた。あいつはバカだけどやることはやる。王女はかすり傷ひとつ負ってねぇよ」
(密偵?手引きした……?そんなことが可能なのか?)
ネイメアは唇を親指と示指で挟みながら、視線を横に外した。何を話すか話さないかを吟味しているように見えた。
「どうやって……」
「大教父を殺せたのはデカい」
クロエドの疑問に被せ気味に話し出す。
「奴は見た目はせいぜい五、六十くらいだが、実年齢は九十越えのじじいだ。まともに相手取るのは避けたい熟練の魔法使いだった」
「なぜ……!?そんなことをすれば警戒されるだろ!?余計に女帝暗殺が困難に……!」
「はあ?女帝殺しの前座に皇子ぶっ殺そうとしてたやつが言うことかよ?」
「そんな気はなかったさ!本来なら、あくまでみんなが無事に山越えするための作戦だったんだ!」
「皮肉だバカ!」
クロエドは疑問を飲み込まされ、やや苛立っていた。が、冷静に二人の言い合いを遮る。
「いや……その割に警戒レベルは上がってない。もしそのつもりなら、俺たちのような怪しい集団はどこかではねられている」
「ま、そういうこと……時期だよ。色んな意味で今しかなかった」
「時期……?」
ニケラスが目を泳がせる。はっと思いついたように言う。
「降臨祭か?」
クロエドらが半地下に至るまでに通りかかった街は、異様な賑わいを見せていた。
人とものに溢れ返り、熱気を孕んだ潤沢な雰囲気。年に一度の大祭を前にした、この時期特有のもの。
「帝国にとって重要な意味を持つイベントだ。政治的にも宗教的にもな。
取りやめはあり得ない。かといって水を差すことも憚られる。考えることは皆同じ、国内の有力者もこの機を狙っていろんな悪巧みをするからな」
「そんなの……納得できない」
「そういう街なんだよ、ここは。なぜ半地下のような場所が現存すると思う?……必要だからだ」
その気になれば、半地下を取り潰すことなど国は簡単にできる。なのに、それをしないのは理由がある……そう言いたいのだろうか。
クロエドは納得しきれない部分はあるにせよ、妙な説得力を感じた。
「言いたいことは分かった。殺したとて捕まえられないと、そういうことだな?だが、まだ納得できない。そこまでのリスクを冒して教父を殺す必要性が」
「奴の魔法名、知ってんだろ?」
ニケラスが首を傾げながら「……回復魔法?」と答える。
「それは太陽神教の聖職者なら全員使えるだろ。奴の大衆向けのパフォーマンス、最も有名な''区切り''の儀式……兄さんなら分かるよな?」
クロエドは簡単な問いに答えさせられるのに抵抗を感じながらも答える。
「結界魔術……」
「ああ!区画ごとに魔除けの儀式をやってるって聞いたことがある。だけど言ってしまえばその程度だろう?」
「奴のは魔術じゃない。偽っていただけで、奴は魔法使いだ。そのまんま、結界魔法」
「……嘘じゃないだろうな?」
クロエドの追求にネイメアはしばし黙った。
''結界''の名を冠する魔法。それは結界魔術の完全上位互換ともいえる。
「……皇宮には奴の結界が張り巡らされている。少し考えてみれば分かるだろ、民の生活区なんかより、ずっと重要なその場所に……ないわけがない。大教父の命は計画に必須だった」
「だったら尚更じゃないのか……?まるで教えているようなものだ、これから皇宮に侵入するってことを」
「奴は降臨祭でとりわけ派手な見せ物をやるつもりだった。帝都中の結界の再展開だ。面白いことに経年劣化はあるみたいだからな」
「だから、どうしてもその前に殺るべきだったと。今しかなかったとはそういう意味か」
ネイメアは頷き、
「この機会を逃せば、こんな好機は二度と回ってこないかもしれなかった」
と清々しく笑った。
「……さて、話しすぎたな。話はこれで終わりだ。それでどうする?話せる限りは話したぜ」
ネイメアは山越えの裏で何が起こっていたか、伏せていたことを自ら明かした。
それは彼がクロエドの信用に応えようとしたが故の行為――
(あの時、ネイメアは王女を''あいつ''と呼んだ。並々ならぬ関係があるはずだ)
のように思えたのは、最初だけだ。
(裏会も……あの軽薄さ、緊張感のない寄り合い所帯にしか見えない。背後に何かが……?――こいつは核心的なことは言っていない。が、素直に聞いたところで答えるはずもないな……)
だから、それで最低限だ。
クロエドの信用は、ネイメアのあけすけな話によってやっと最低限引き出された。
(『話せる限りは話した』……これ以上は喋らないという意味だろう)
ネイメアは存外流暢に喋った。自慢じみた口調で、皮肉を織り交ぜながら。
それは核心の情報を言わないための演技だろう。
クロエドは、ネイメアのさぞ隠したいであろう事情をあえて探らない。
その上で、最大限利用してやるのだと覚悟を決めた。
だが同時に、もう一つの目的の方、同胞の救出のことは喋らないことにした。
「何か質問でも?」
沈黙にしびれを切らしたネイメアがたずねる。クロエドは一つだけ聞いてみることにした。
「一つ聞いておきたい……お前は女帝を恨んでいるのか」
その動機さえ同じなら、たとえどんなに狡猾な、得体の知れない相手とでも握手できる。
「恨んで……?」
ネイメアの顔が、
『――どうして復讐したいんだ?』
あの時のニケラスの顔と重なった。ずっと胸の内にこびりついて消えない。
「オレは恨んで――」




