6-4.友達じゃない
「ボスの判断を仰ぐ」
ネイメアの宣誓後、男はそう言い残して、忽然と姿を消した。
まさしく煙のように消え失せたのだった。床には吸いかけの煙草だけが転がっていた。
男がいなくなって興味が失せたのか、周囲から発されていた圧も消えた。あたりがざわめき出す。
ネイメアは喧騒の中、神妙な面持ちで男のいた場所を見つめたのち、アルバの方に振り向いた。
「お前――」
「返せよ!それにいちゃんのだ」
フロアの向こうで、ハッケーの弟が盗人に真正面から立ち向かうのが見えた。
盗人は幾人かの集団の中にいて、ニヤニヤ笑いながら唾を床に吐き捨てた。
アルバは慌てて駆け寄り、怒って一歩前に出る彼を止めた。
「こいつ……!」
「もういいんだって!」
ネイメアがため息混じりに「どうした?」と聞いた。
「財布を盗まれたんだけど……」
「俺がやったって証拠はァ?冤罪じゃないですかーァ?」
「うるさいな、だからくれてやるって」
アルバのさらっとした物言いに、弟とネイメアは同時に目を丸くした。
「んだと?ガキ、調子乗ってんのか?」
「あのね、あれはおとりの財布なの。クロ……人に助言されたんで持ってたんだ」
アルバは盗人を無視して、こんこんといったふうに弟に説明した。
盗人は弾かれたように懐をまさぐり、財布の中身をテーブルの上にひっくり返した。バラバラと石が跳ねた。
「でもまさか役に立つとは……ね、もういいでしょ?出ようよ」
仲間に「バカ」となじられ、盗人が怒りをあらわにして立ち上がる。
同時に、ネイメアが腹を抱えて笑い出した。
「あははは!マジか、お前!この短期間でずいぶん性格悪くなったんじゃねーの!あはは……!」
アルバが困惑していると、盗人が行き場のない拳をかざして叫ぶ。
「テメェ、虚仮にしやがって、ふざけんなよ!!」
「何言ってんだ、こんなんに引っかかるお前が間抜けなんだよ。お前、新入りか?よっぽどいい育ちしてんだな、じゃなきゃこんな初歩的なミスするかよ」
盗人がネイメアに殴りかかろうとするが、それを彼の仲間が止めた。
「よせ、そいつはボスの客だ」
「ぐう……!」
ネイメアはけらけら笑って、アルバの手を引いた。走る振り向きざま、なびく髪の毛の一本一本がよく見えた。
『ゆるせない…………』
地の底から呪詛が響いた気がしたが、アルバは聞かなかったことにした。
カウンター席の前まで連れて行かれる。
向き合った状態でネイメアはアルバの頭に手を置くと、そのまま自分の頭にずらして背を比べた。
「気持ちわる。いきなりでかくなったな、お前」
「ああ……あは、そうだね。前の方が良かった?」
「今の方がいいだろ。前はちんちくりんすぎた」
促されるがままに背の高い椅子に座る。ハッケーの弟はアルバの腰にぴったりとくっついた。
「なんで一人で発った?」
ネイメアはテーブルに片肘をついた。手で口元が隠れていた。
「わからない」
アルバの即答に、ネイメアは一瞬顔を曇らせる。
「でもそうしたかったんだ」
「……あっそ。自由人なことで……」
指の隙間から見えるネイメアの口元がかすかに笑んでいる。アルバにはそう見えた。
「じゃ、真面目な話だ。話を合わせてくれた。意図を聞きたい」
「合わせたっていうか……何も言えなかっただけだよ」
「――なんで何も言わなかった?」
ネイメアが見透かすような目つきで言った。薄紫色の瞳に、アルバの黒い瞳が映りこんでいる。
アルバは少々目を泳がせたが、すぐにへらついていた表情を引き締めた。
「……話があるんだ。それでどうするか決める」
「いいね、そういうの」
ネイメアは二人に飲み物を渡してから話し始めた。
牛乳をもらったハッケーの弟は、渋い顔をしながら脇でおとなしくちびちびと飲んでいた。
「――前言った話、覚えてるか?''王権の象徴''ってのがあるって」
「ああ……」
峠でネイメアが話していたことだ。
『いつか、オレはあの女帝から象徴を盗んでやる。それで、本当の王様を見つけるんだ、オレたちみたいなのを見捨てない本当の王様に……それが、オレのやりたいことで』……
「盗むとか、なんとか……本当の王様に渡すとか」
「それをやる」
アルバは飲み口をつけようとしたグラスを置いた。
「……今から?」
「お前やっぱ面白くなってない?ふつー聞くなら『本気?』とかだろ?」
からかい半分といった彼の様子に、アルバは大真面目に答えた。
「だって、君はやると言ったらやると思うから」
「……!」
「それで、どうなの?……かな?」
ネイメアが目を伏せるので、アルバはたずねるのをためらった。
しかし、すぐにネイメアは低い声色で話し始める。
「……王権の象徴。王位とともに継承する宝物のことをレガリアという。古代から続く慣わしだ」
淡々とした口調にアルバは息を潜める。
「帝国のレガリアは帝冠。帝国の''神器''の一つに数えられる……つまり魔法道具だ」
「神器?」
「簡単な話、帝国を代表する強力な三つの魔法道具を意味する造語だ。持っているだけで他国への牽制になる。魔法名は秘匿されている」
アルバは眉をひそめた。
「……ん?牽制になるのに、どんな魔法かはわからないの?」
「違う。魔法名が分からないだけで、どんな魔法かは知られている。お前も知っている」
「……なに?」
「亡国を沈めた水の魔法だよ……」
アルバの脳裏に、死霊団の騎士――亡国の生き残りの騎士たちが話した生々しい体験談がよぎった。
一夜にして国丸ごとを水に沈めた魔法使い。大量虐殺の張本人。それが女帝なのだと、彼らは恨めしそうに語った。
「そんな大事なのを盗むの?女帝陛下から?」
アルバはごくりと喉を鳴らした。
「本気?」
「当然。やるべきことをやるだけだ」
ネイメアは満足そうに口角を歪めた。
羊皮紙をテーブル上に取り出す。
帝冠を被った男性が描かれた、古い肖像画の模写だ。前の皇帝だろうか……
さらに、同じように新聞の切り抜きを取り出す。こちらは女帝らしき小柄な女の人の肖像画だ。
華美ではないドレスを纏い、玉座に上品に掛けて微笑む。頭には小ぶりなティアラが載っていた。
「この人が女帝様……」
「衣装係が頑張るんで分かりにくいが、女帝は実際かなり小柄だ。そいつと遜色ないぐらいだぜ」
ネイメアはハッケーの弟を指差した。
「脳みそもちっちゃい。だから帝冠をかぶれない」
「(不敬だな……)ほんとだ。ティアラだね」
「魔法を使う以上、肌身離さず身につけている可能性が高いんだけど……」
「えーと、魔法道具って、たしか魔石を使った道具のことだっけ?」
「そ。魔法の源はあくまで魔石だ」
「あ、そっか。本体の魔石を……」
「そう!おそらく帝冠の魔石を取り外して、別の形で身につけるはずだ。ただし、それが何なのかが分からない」
アルバは、はたと思い至る。
「……?それじゃ、王権がほしいというよりか、魔法がほしいってこと?」
「…………帝冠丸ごと溶かして加工した線もある。元のがないかもしれないなら、仕方ないだろ?」
「……いま何か誤魔化した?なんかそういうの分かってきたんだけど」
疑いの目を向ける。ネイメアは「あー……」と小さく漏らして、口を尖らせた。
「あーあ、やっぱ分かる?んじゃもう話すけど、これ仕事なんだよな。裏会は関係ない、個人的な。前言った相応しい王様を見つけ出すなんてのは、まあ……嘘、になんのかな?」
「なんのかな?って……」
「重要なのは『レガリア』を提出すること。提出先が納得すればそれでいいわけ。引き換えにオレはほしいものを手に入れる。そういうシンプルな取引だよ」
「誰に渡すの?」
「言えない」
「ほしいものって?」
「言わない」
「それで通るって思ってんの?」
アルバの問いかけに空気が張り詰める。ネイメアが足を組み替えた。
「……ま、女帝がひきこもってから長い。だから宮殿に盗みに入るんだけど。まさかまず最初に女帝本人をまさぐる、なんてのはヤバいよな?」
「いや侵入自体ヤバいよ何言ってんの」
「だから安置場所――宝物庫の情報が必須だった。レガリアの場所を知りたい。そこで情報屋を使った」
「あ……それが――」
言いかけた時、勢いよく酒場の扉が開く。反射的に音に釣られて視線を向ける。
「あれは……」
「兄ちゃん!」
現れたのはハッケーだった。
弟がすぐさま彼の元へ駆け寄ると、その両肩を掴んで安否を確認した。それから外へ出ていくように促した。
外には、妹の姿がちらと見える。彼女がハッケーを連れてきたのだろうか。
ハッケーは酒場を見回し、アルバの姿を見つけた。あちらこちらにいる構成員に絡まれながらアルバの元へいそぐ。
他の卓には干渉しない、といった雰囲気だったのが一変し、みながハッケーに注目していた。
「はかどってるか?」
「どいてください」
足を引っ掛けようとする男、殴るふりをして威嚇する男。どこからか「あっちこっちに尻尾を振る、ワンワン……」と軽口が聞こえ、構成員の下卑た笑いが弾ける。
「お前あの獣人と知り合いか?」
「え?うん、まあ……」
ハッケーはそんな嫌がらせを丸ごと無視し、時には伸ばされた手を払って迷いなく進んでいく。
アルバは彼らがハッケーをぞんざいに扱う様子を見て、友達なんだろうかと思った。同じ場所で暮らす獣人同士、何らかの関わりはあるはずだ。
ハッケーが目の前にやってくると、アルバはその険しい表情に思わず体を引いた。
彼はネイメアを睨みつけ、声を荒げる。
「何のつもりですか?」
「……どういう意味?」
「私への嫌がらせのために彼に手を出した、そうでしょう?」
「……何か勘違いしてんだろ。お前のことなんか知るか。オレはこいつの知り合いなんだよ」
ハッケーが無言で本当かと聞くので、アルバは何度も頷いた。
「その人から離れた方がいい。二度と口をきいてはいけません」
「えっ、でも……」
「初対面でずいぶんないい草だな」
「ここがどこだか分かっているのですか?彼らがどれだけ危険かを」
「オレは構成員じゃないんだけど?」
ハッケーはアルバの腕を掴み、ネイメアを一瞥した。
「同じことです。ここは……腐った蠅がたかりますから」
「……」
ネイメアは一見余裕しゃくしゃくといったふうに微笑みを崩さない。ただその唇の隙間からほんの少し歯がのぞくのをアルバは見逃さなかった。
一方のハッケーは、あからさまに顔を逸らす。自分の吐いた暴言にばつが悪くなったのだろう、とアルバは思った。
「アルバ殿、貴方は知らないでしょうが……」
『ねえ……』
「彼らは極悪な犯罪組織です。魔商連合の一つに数えられますが、それは表面的な顔にすぎない。正体は魔薬の密ば――……」
節々に焦りの滲むハッケーの言葉。そんな追い立てるような声の隙間に、頭痛の波が入り込む。
『また裏切られたいの?』
頭の中に反響する囁き。ぼんやりと遠ざかる喧騒。痛みと、ハクアの声だけが頭の奥で脈打った。
『また置いて行かれてしまうわ……あなたもそう思うでしょう。アルバ……』
「……ッ!」
巨城壁での光景がフラッシュバックする。
ネイメアの後ろ姿。向き合って浴びせられる言葉――『オレはお前みたいなやつが一番』……
「アルバ」
頭痛の波をすり抜けて、ネイメアの呼び声が届いた。
「大丈夫か」
「……うん……」
ハッケーはアルバの異変に気づくことはなく、ネイメアから引き離そうと強めに腕を引っ張った。膝に力が入らず、がくんと揺れる。一瞬掴まれる力が緩まった。
「アルバ殿、早く行きましょう」
ネイメアはハッケーを止めようとはしなかった。ただ静かに二人を見送る。
アルバはそんな彼の姿をずっと見ていた。扉に阻まれるまでずっと。
アルバを強引に連れ出したハッケーは、しばらくして冷静さを取り戻した。
普段通りの穏やかな口調で弟妹を諭す。弟の危険な行動を叱り、それをハッケーに伝えにいった妹のことを褒めた。
アルバの方には何も言わなかった。弟妹を家に帰して、仕事場に戻るハッケーをアルバは追いかけた。
「晩鐘のこと知ってるの?」
「申し訳ありません。忘れてください」
ハッケーは歩みを止めず、背を向けたままだ。
「晩鐘は情報を売るところなんじゃないの?」
「あの少年が言ったのですか」
アルバは違和感を覚えた。いつものハッケーなら、質問に答えないばかりか質問で返すようなことはしないはずだ。
アルバは彼の変化を確かめるように、矢継ぎ早に問いかけた。
「魔薬ってなんなの?魔商連合って?あの人たちと知り合いなの?帝王って――」
「答えられません。アルバ殿」
ハッケーは獣人街の寂れた道の真ん中で、立ち止まって言った。
「……私はあなたに何も聞かない。あなたがどうして保護者と別れたのだとか、あの少年とどうやって知り合ったのだとか……どこから来たのだとか。
そういうことを聞きません。だからあなたも、私が答えないことを聞かないでいただきたいのです。友人、ならば……」
ハッケーが目を伏せる。
アルバは彼の口にした友人との言葉に、ああそういえばそんなことを言ったなあ、と思った。
「それでもというなら、あの契約を使っても構いません」
血の契約のことだ。『一つだけ、何でも言うことを聞く』……この契約がある限り、対等にはなれない。
(試されてる……?)
アルバには分からなかった。彼の意図が。
あの時は、自分たちは友達だと言ったら、対等じゃない契約を半ば強引に結ばされた。
今は、友達なら何も聞かないでほしいし、友達じゃないなら契約を使えと迫られている。
(''私が答えないことを聞かないで''……)
アルバは自身の言葉を思い返す。
『それにこの人、すごく親切で先生みたいにものを教えてくれるの。でも、なんで知りたいの?とかなんで知らないの?とか一切聞いてこなかった』
聞かれたことだけに答える。そんな人だと思った。あんな横暴な主人なら無理もないと。まさしく犬のように侍る。
そうやって誰かの言うことに従順に、そのまま応えるだけの生活に慣れてしまったのだろう。そんなところが……
(あ……この人は……)
「……すみません、仕事がありますので。家のものは自由に使ってください、区画の出入りも困らないよう手配しました。弟妹のことを頼み――」
「ボク、ずっと思ってた。なんでハッケーさんと仲良くなりたかったんだろうって。似たもの同士だからだったんだね」
ハッケーの肩がぴくりと動く。影のかかった横顔が見えた。
「――聞かないよ」
その答えに、ハッケーが目を細めるのが分かった。優しい目元をしていた。
それにむしろ苛立ちを覚え、アルバははっきりと告げる。
「君の言うことは聞いてやらない」
ハッケーが振り返る。見開かれた目には驚きと困惑が乗っていた。アルバはようやく彼と目が合った気がした。
「そんなずるい二択は選ばない。ボクはもう、誰かの言いなりになるばかりじゃいられないんだ」




