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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
3/33

1-3.いまだ夢の中で

「セイカ……」


 鍵のかかっていない部屋を開けた。インシオンはそれを意思表示だと思った。


「あのね、さっきは……」


 窓から明るい月の光が差し込み、厚い羽毛布団がまるまると盛り上がったのをしっかり照らしている。


「セイカ? どこかな〜っと」


 うずくまって小刻みに震えるそれをインシオンは布団越しに抱いた。


「やめてよぅ……」

「ごめんね」

「嘘つき……」

「母さん嘘つきたくないよ。本当よ」


 セイカは布団を勢いよく剥いで言った。


「じゃあ嘘つかないで答えて!」


 頷くとまた頭から布団をかぶって俯いた。


「ワタシって本当にお母さんの子なの?」

「……?」


 あまりに突拍子もない我が子の問いに、戸惑いを隠し得ない様子だ。


「何言ってるの? まごうことなき私の子よ!……なんでそう思うの?」

「……みんな言ってるんだって」



『先生って注意ばっかでうざいよな』

『あいつの母ちゃんな。似てないよな。暗くてすぐ黙ってうざいし』

『あ、血繋がってないんだろ?』

『え? それってあの人間のことなんじゃない?』

『違うって! 母ちゃんが言ってた。外界で拾ってきた子なんだってよ』

『あーだからかあ。あいつ俺らの中で一人だけ竜になれないし』

「どういうこと?」

『うわっ、びっくりした。なんだよ』

「ワタシも貰われっこって、そんな嘘誰が言ってるの?」

『誰って、みんな言ってるよ』

『ああそれに、嘘だっていうなら証明してみろよ。ほら!』


 幼馴染二人は、そう言って形を変え、空を飛び去っていった。翼の影に覆われて幼かったセイカは泣いた。


 みんな 言ってるよ。


 それは呪いの言葉になった。

 内気で人見知り。そんな自己評価は、いつしか『他人が怖い』という感情に自然に姿を変えていた。


 どこを歩いても、この狭い世界では誰かが自分を見ている。


 吐き気がするほどの閉塞感。



「みんなって誰? そんなのは妄想よ! 顔も知らない誰かより私を……家族を信じればいいの」

「叔父さんにも言われたわ」



 数年前、家に人間を引き取ってすぐの頃。叔父は妻と息子を引き連れて出ていった。


『叔父さん、アルバは家族だよ。酷いことするのやめて!』

『愚かしい。面倒を見て救われた心地か? お前こそ不純物、妹の不義理の証。見るたび吐き気がする、人間の――』



「あの頃は意味がわからなかったけど、今なら少しは……」


 インシオンは涙ぐむ娘を見て腑が煮え繰り返る思いがした。


「母さん、何にも分かってなかった。そりゃ嫌だよねぇ。 母さんも嫌だったなぁ……ここで一生、なんて思ってさ。あなたと同じ。外へ……」


 水の膜が張った親譲りのセイカの赤い瞳。インシオンの心を打つのには十分だった。


「母さん誰よりあなたのこと分かっていたはずなのに……! いつも、ずっと、ごめんね。セオンテイカ」


 ぐっと力を入れて抱きしめた。

 セイカはあれほど強かった真実を知りたい気持ちが失せていくのを感じた。

 子どもみたいに慰められるだけで誤魔化される、と自身を簡単に思った。



 アルバは扉の外で聞き耳を立てていた。

 話す気配は伝わるが内容まで聞き取れない。それでも悪い雰囲気でないことに安堵して離れた。


(人間のボクは置いてもらってるだけで感謝しないと)



 黒い感情が心を痛ませた。

 彼はこの竜族の村においてたった一人の人間だった。


 一番角の部屋が自室だった。

 最低限の物を詰めた自分だけの城……一つだけある窓に沿わせ、配置したベッド。


 食後の重い腹を抱えるのに疲れて、絨毯の上に緩慢に倒れ込んだ。


 ゴロッと回って大の字になる。

 手が触れたのは蝋燭台だった。面倒くさがりの自分は、マッチもすぐ側に置いてあるはず……暗い月明かりの中探り当てる。


 二本も無駄に擦って、やっと点いたゆらめく小さな火はやけに綺麗に見えた。


(一人だけ異質ってのも楽なもんじゃないんだぞ)……



 ふと目の端にとらえたものを目一杯手を伸ばして角を掴みよせた。


「日記……?」


(そういえば、ここに来た頃書かされてたっけ?)


 アルバにはそれまでの記憶はない。そのため余計に鮮明に、その頃のことが思い出される。








『ここがお前の新しい家じゃ。新しい家族、新しい人生……』


 その家は灰色をしていた。


 もっと言えばその老人の顔もだ。何もかもが朽ち果てるのをギリギリで保っているかのような、そんな不穏感。


 それが()の世界だった。


『あの子不気味ではありませんか。子どもなのに……あんな嫌な目をしている』


 好奇と憎悪に塗れた視線。今も変わらない。


『俺らの仲間にして欲しければここから飛んでみろ!』 


 崖から突き落とされてできた枝の切り傷の痕。腿裏にくっきり残っている。木がクッションになって助かった……


『おにーちゃんに角つけてあげる!』


 ずっと年下の少女が善意で頭にめりこむように力強く押し付けてきたヤギの角は、実はまだ持っていたりする。


『人間を生かすなんて、正気ですか? 必ず災いを呼びますよ……父上、私は認めません』


 自分のせいで壊れる一つの家族。それでも居場所はここしかない。


 悪夢を見て毎朝身体中をかきむしった。


 なぜ生きているのか。生きているのか?

 なぜここに在るのか。在るのか?


 毛布にくるまり、手足を出すのすら怯えていた。


 けれどそんな僕を強引に毛布ごと引っ張り出す人がいた。


「や、やあ。初めまして、ワタシはセオンテイカです。おじいちゃんの孫です」


 もじもじと体がくねっていた。

 老人は「緊張しすぎじゃな」と優しい表情を浮かべていた。


「あの子はのーあんな感じじゃから、あまり周りと打ち解けられんでの。毎日森で一人遊びしとる寂しい子じゃ。面倒見てやっとくれ」

「僕よりお姉さんなのに?…」 


 老人は僕が初めて喋ったことに目を見開いた。それをすぐに隠して、


「そういえばお前いくつなんじゃ?」


 冗談ぽく笑った。


 セイカは僕を唯一の弟として、友達として、同志として可愛がった。 相変わらず僕は自ら喋り出すことはなかったのだが……それでも構わなかったようだ。

 森での一人遊びとやらに精を出すこともなく、族長の元で連日悪夢に震えて泣く僕を気にかけ、毎日ベッドの元を訪ねてきた。

 ここぞとばかりに()()()()()の話を聞かせるセイカを諌める彼女の母親ーーおばさんは温かいスープとパンで言葉の代わりに僕を慰める。


 ただ純粋に、セイカと僕は友達だった。セイカは変わっているけどそれが面白くて、僕はとても好きだ。

 空っぽの頭は徐々に染まり急速に色づいていった。



 時間が経った。

 やがてボクはおじいちゃんの服の裾を握れるようになった。

 人数は減ったが、家族と呼ぶべき人たちと食卓を囲めるようになった。


 ある日、朝日と共に目覚め、僕は誰より早く食卓の席についた。

 誰に言われる訳でもなく、それが当然かのように。差し込む光に照らされながらただじっと僕は座っていた。

 家族で一番早起きのおばさんが珍しく少し遅く起きたのか、急いで朝食の準備をしにパタパタと足音を立てる。


「ジャムはあったかしら」


 独り言を呟きながらカーテンを分けたその先に、そんな僕の姿を見つけ彼女は足を止める。

 束の間の沈黙を切り裂いて、震える声が自分の背の向こうから聞こえた。


「おはよう。 早いのね……」


 ゆっくり近づいてくる気配。


「そう、もういいのね?」


 その意味は分からなかった。振り返ろうとすると、彼女は後ろから僕を抱きしめた。


 ボクはこの時初めて……そう。 


 実感が生まれた。

 ボクが生きているという実感が。


 なぜこの時だったかは説明ができない。黒い瞳に生気が宿った瞬間、灰色の世界が終わりを告げた。


 顔を照らす太陽の光の温かさが、冷たい朝の空気が肺に満ちるのが、ボクの背丈に合わせたクッションの柔らかさが、首筋に落ちる涙と吐息の温もりが――傷が膿んだボクの心の痛みが!


 遂に気づいたと言わんばかりにいっせいに、全部の感覚がこぞるように溢れかえった。


 両目から大粒の水滴が垂れ、回された母親の腕に降り注ぐ。


 なぜだろう?

 こんなにも、痛くて、悲しくて、嬉しいのは……!

 苦手な針仕事でついたろう刺し傷と、水仕事で赤くなったその手が、なんて嬉しい。なんて綺麗なんだろう。朝の澄んだ空気を目一杯取り込んで、醒めるような気持ち。見上げた瞳に反射する眩しい光、痛いくらいだ。


 これが、生きているということなんだ。この胸を張り裂かんばかりの感動が、ボクの存在をボクに知らしめる。



 後から聞いたことだ。ボクは戦災孤児というものらしい。

 どこからか現れた体の半分が焼けた女性が、ボクをおじいちゃんに預けたという。


「戦に巻き込まれたのだろう。気の毒に……怪我で朦朧とするお前を診る一瞬の間に、女は去ったが――恐らく生きてはおらなんだ。死ぬ瞬間を我が子に見せるのが忍びなかったのやもしれぬの。ついぞ遺体は見つけられなかった」

「お父さん……」


 母さんは咎める様に心配する様に。口を出さないと決意したのに、我慢しきれなかった様子で言った。


 その話を聞いた時、朧げな記憶が浮かんできた。

 赤い空を背負った、女の人の顔。抱かれたボクが見上げたその顔は、拙い輪郭ではっきりと思い出せなかった。


 何度思い出そうとしても、その顔は……



(その顔は……)





 白い少女の顔が脳内を埋め尽くした。



「あっ!」


 ビクッと体が跳ねる。



 アルバはいつのまにか眠り落ちていた。時計の針は12時を指していて、絨毯の柄に頬が凹んでいる。


「……寝るの嫌だな」


 夢見が悪い。それまでの短い人生で十分証明済。はあーと息を吐いて今度はベッドに、布団を抱くようにして飛び込んだ。


 手にしていた日記は窓から投げておいた。

 どこにしまったかも忘れていた、とにかくもう必要のない物だったからだ。


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