5-5.鉄を熔かす炎
前回までのあらすじ:
危険を犯し城周りを探るネイメアについていくアルバ。ネイメアは湖の秘密を暴き、渡し屋は自らの悪行を暴露する……このままでは作戦の失敗は濃厚だ。しかし、ネイメアには考えがあるようで……?
登場人物
アルバ:
救世主という唯一のアイデンティティを失った。最も普遍的な、非魔法使いですら使えるはずの四元素の魔法が使えないことが明らかに。
クロエド:
竜族の青年。魔薬による幻覚、精神異常に苦しめられるが、何者かが手を差し伸べる。
ネイメア:
貧民街の少年。裏会の構成員(仮)。その態度から、困難の多い人生だったことが伺える。
渡し屋:
峠の家具職人。正体は死者送りの湖の舟守。棺に密行者を紛れ込ませることで帝都へ渡していた。しかし、実際には…
「はああああ……」
主君の大きなため息に、ユーティティは寄り添うようにたずねる。
「ラーチスさまぁ、おっきなため息。どうされたんですかぁ?」
「我が姉上ながら、猛獣より聞き分けが悪いです」
ラーチスが手紙を投げる。ユーティティは手紙をキャッチした。
「どれどれ……『こんな面倒なことやってられるか。私は一刻も早く北に向かう』……あら、私の予見当たりましたぁ?」
ユーティティは苦笑いした。
主人の心労は想像に難くない。何と声をかけようかと首を傾けると、そこに兵士が現れる。
「城主様。エンダーソンへ向かう大聖堂の一団が城の通行許可を求めています」
「そうですか。想定より遅かったですね」
「お目通りをご希望です。どうなされますか?」
「……」
ラーチスの指先が机を叩く音だけが響いた。
――応接間、一人の若い男が拳を胸の中心にあて礼をした。帝国騎士流の挨拶だ。
「大聖堂の遣いで参りました」
大聖堂の騎士だ。彼らはみな大聖堂の象徴を背負った揃いの装いをしている。
「――お困りでしょうか?」
唐突に遣いの騎士が言った。
「何がですか?」
「着いたらまずそう言えと、我が主の仰せです」
「ふふふ……」
ラーチスは微笑んだ。
「舐めてますか?」
遣いは内心、そう言われても命令なんだから仕方ないだろうと思っていたに違いない。軽く受け流した。
「いいえ、私は。滅相もありません」
「あなただけは明日この城を発ち、大聖堂へ戻る。そうですね」
「はい」
「着いたらまず主人にこう言ってください。『あなたをお迎えに上がる』と」
遣いは発言をわざわざ紙に書き留めた。嫌味と取られかねないが、彼は大真面目だった。
「承りました。皇子殿下」
「まだ続きがありますよ?ここから先は、頭の中の紙に書いてもらえますか?あなたが大事と思う部分だけお伝えいただければ構いませんので」
ラーチスは淡々と喋り始めた。遣いを通して、彼の主人に語りかけるように。動作や喋り方が演技じみていた。
「エンダーソンの例の件、渦中の人物が一人浮かび上がりまして。あなたもよくご存知の方でしょう。ジャック・ジャック・シャウジャンニーさんについて」
「……?」
「彼ですよ。あなたのお得意様。大聖堂を仲介に孤児を売買していた、彼」
遣いは一気に不安になった。これは自分が聞いて良い話題なのだろうか、と。
「ええ驚きでしょう。結局商品のほとんどがあなたに流れていたということも、もちろん分かっていますからね」
ラーチスは手を後ろに組み、優雅に語っていた。話の内容に似つかわしくない穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「頑張って突き止めたんですよ。意外なところで証拠を掴めました。助かりますよ、大聖堂の黒い人物をやっと仕留められるのですから」
ラーチスは目を細めて、いかにもな作り笑顔を浮かべた。
「――あなたです。大教父どの」
遣いは気が気ではなかった。心音がゆっくりと、だが確実に大きくなるのを感じた。
「確かに……大聖堂は皇族の味方です。だって皇族を神の子孫として崇めているのですから。でもね、正直言いますと迷惑なんですよね。陛下は違いましょうが、我々はね」
「……」
「それにあなたみたいな人、遠からず問題を起こすに決まっているじゃないですか。いえ、もうすでに。市井に流れるあなたの噂は結構真に迫ってるんですよ?
勿論、あなたの性的嗜好にどうこう言うつもりはないですよ。ただね……一緒にされたら、嫌でしょ」
表情は変わらず微笑みを浮かべているのに、汚物を見るような目つきをしていた。
「陛下は後継には最も才ある子を選ぶと仰いましたが。あなたもお分かりでしょう?次期皇帝は我が姉、ラディシャです。その時あなたみたいな負債は持ち越したくないんですよねぇ……」
つかつかと歩み寄るラーチスに、遣いはたじろいだ。横に並ばれ、耳元に向かって囁かれる。
「それに、実は姉上の目指す帝国の在り方は、先代とは趣向が違いまして。
――神なき統治。求むるは、神のいらない世界、なのです。『人間の、人間による、人間のための世界』……太陽神も邪神も、同じく人の世には要らないのですよ」
彼の罰当たりな囁きは、本来なら即連行に値する失言だ。しかし敵地で咎めることなどできようはずもなく、遣いは彼の言葉の一言一句を頭に叩き込むことしかできなかった。
「私たちは時代を変えます。これからの時代に神は要らない。信ずるものはひとつでいい。皇帝というたった一人の人間がすべてを導く。
お疲れ様でした。どうぞ首を洗ってお待ちください。意味、ないかもしれませんが」
話の終わりに、遣いは気力を振り絞って問うた。
「宣戦布告ととるのがよろしいでしょうか」
「いいえ、死刑宣告です」
*
茶屋の地下にあたる空間は潜伏にうってつけな地下壕になっていた。アルバはひんやりと冷たい空気にあてられ、ぶると体を震わせる。
今頃、作戦室ではネイメアと副官の口論が繰り広げられているのだろう。アルバはというと、早々に追い出されたのだった。
今度はネイメアは庇ってくれなかった。
当然といえば当然だ。アルバはネイメアと行動を共にしているものの、仲間というわけではない。死霊団に協力を申し出たわけでもないし、立ち位置は所詮部外者なのだ。
「どうしようか……」
けれど、それを他でもないネイメアに明確に突きつけられた気がして、アルバは大いに惑った。
作戦室にクロエドの姿はなかった。
思えば、ろくに話をしなくなって何日経ったろう。
なんなら話どころか、彼の姿も見かけなかった。まるで避けられているかのようだ……
アルバは地下壕をうろつく。薄暗い廊下、扉の隙間から中にいる人たちの様子を伺いながら。
見張り役の剣士が数人、サボってカードゲームをしている。小声で騒ぐ様子を横目に、気配を消して扉の前を駆け抜けた。
難民が集う部屋からは、不安げな声色の話し声。なんとなく表情から、励まし合っているのが分かった。
なぜだか、すごく寂しい。
途中、あの松葉杖の男を見かけた。キッチン台の近くで、一人で黙々と芋の皮を剥いていた。親切な彼は手を止めて、クロエドにあてられた一室の場所を教えてくれた。
アルバはその閉め切られた扉の前で、拳を握っては力無く開くのを繰り返す。
(……なんて言えば?ついていってもいい?ついてきてほしい?……一緒に行こう?)
声をかける勇気は、出せそうにない。
「――どうしたんだい」
「あ……」
振り返ると、ニケラスが心配そうにこちらを見下ろしていた。
「あれ、話し合いは……?」
「はは……抜け出してきた。ああいう雰囲気は苦手なんだ」
「頭領なのにいいの?」
彼はただ頷く。
「それで、どうし……」
「っごめんなさい!」
アルバは咄嗟に逃げた。
彼の問いかけは想像がつく。その答えを考えるだけで、泣いてしまいそうだから。
……アルバが逃げた後。その部屋の中。
「――彼はいつ目覚める?」
ニケラスは暗闇に向かって話しかけた。さあ、とか細くも芯の通った女性の声が奥から聞こえた。
「決行は今夜との結論です。彼を置いていきたくない」
「知ったことではないわ。ほどこしを決めたのはあたしじゃない」
そばのベッドには、彼が横たわっていた。死んでいるのかと心配になるほど静かだ。ほどかれた黒髪と、濃い隈。一向に目が覚める気配はない。
木組の踏み台に腰掛けて、ニケラスは両手で顔を拭った。
「彼を仲間に引き入れることは有益です。話したでしょう、彼の正体を。願ってもない人材だ」
「ニケラス・ヴォルフレド、貴方はその名にかけて誓った。すべきことは明らか、計画を遂行するのみ。貴方の使命にその竜は関与しない」
女の力強い言葉に、ニケラスはぐっと口を引き結んだ。
「理解できないのなら、今後はそちらを通す」
そちら、との一言で、ニケラスは後ろに佇む人間の気配に気づいた。
「ニケラス……」
副官だった。扉の隙間から差し込む逆光を背負っていた。肩に手を置かれる。
「貴方のような甘い人間を頭に据えるなど、あたしは今でも断固として反対。貴方がその座に押し上げられたのは、ひとえに名のおかげ。価値があるのは貴方ではなく、家名の方」
「口を慎んでいただきたい、西の魔女殿。我々は……」
「いいんだ、その通りだから。実際みんなから頼られるのは……俺じゃないだろう」
ニケラスは副官を見上げた。自嘲気味に笑みを浮かべて俯いた。
「俺は所詮旗印で……いや、そんな役割も到底果たせない弱い人間です。必死に背伸びして……それがどれだけ滑稽に見えるかわかっているつもりだ。
それでも生き残ったのなら、みんなが役目を果たせと望むのなら、やらなくては」
「――貴方の言葉は軽い」
魔女の声が低くなった。
「貴方は騎士として王家に忠誠を捧げた。守らねばならないものがあるのなら、それは彼女でなくてはならない」
彼の心にどす黒い何かが広がった。
「彼女が我々の手中にあることを、忘れないこと。そして二度と、くだらないことであたしを呼ばないで」
ニケラスは部屋の暗がりへ近づいた。立ち上がった反動で踏み台が倒れこむ音が響く。
暗がりには誰もいなかった。
ただ、そばに一体の人形が置いてあった。幼い女の子が遊ぶような、古い人形だ。
ニケラスは人形を握りしめた。布の継ぎ目からわたがこぼれ出るのも厭わずに。
「王女様……」
『――ねえ、いい?あたしを助けなさい。
……助けて、くれるよね?あの夜みたいに、見捨てないで』
彼女の瞳。満月に似た。
どこか好戦的で見透かすような視線。抱いたのは、畏怖といじらしさと……ほんの少しの憐れみ。
ニケラスは今はそばにいない彼女のことを思って、目を瞑った。
恐らく泣いているだろうが、いつものことだ――副官は淡々と彼の背に話しかけた。
「ニケラス、分かっているだろう。今回の目的はあくまで帝都へ抜けることだ」
「……」
「ネイメアが辺りを嗅ぎ回っていたようだが、決行を早めることで手を打たせた。それ以外に計画の変更はない」
黙る彼に、期待と苛立ちのままに責め立てるように言った。
「駄々はしまいだ。お前もヴォルフレドなら――いや。お前が、ヴォルフレドなのだ」
*
「お前さ、いいの?」
「何が……ってああ、いいよ。もう決めたから、君についてくって」
ネイメアは果物をアルバに向かって放り投げた。探索がてら山で手に入れた赤い果実だ。
出発目前、無人の作戦室でのことだった。
「言っても聞かないだろうけど。死んでも知らないぜ」
「うーん、でも湖をいくのは嫌だ。絶対に嫌だ」
アルバはぎゅっと目を瞑って唸った。
結局ネイメアはあの発言の真意――計画を教えてくれなかった。
彼はすべてうまくやると話すが、当然その言葉だけでは湖を行こうとは思えない。
「……うまくいくといいな」
「バーカ、うまくいかすの!」
ネイメアがふっと蝋燭に息を吹きかけ、火を消した。部屋が一瞬で黒に塗りつぶされる。
「――行くぞ」
アルバは声のした方を慌てて振り向いた。部屋の中にいたはずの彼が、廊下の先にいた。
「ねえ、前から思ってたけど、それってどうやってるの?その、消えたり出てきたりするの」
「当ててみな」
「……ヒントは?」
ネイメアは少しばかり眉を顰め、笑みながら言った。
「魔法というより体質だよ。ラーチスと同じで」
アルバは訝しげに顔をしかめた。
一体どういう意味なのか、と考える間に彼は一人で先へ進んでいく。急いで追った。
向かうはもう一つ天国への階段――巨城壁だ。
アルバはカンテラを茂みに置いた。
新月の夜、星あかりが厚い雲に遮られていた。山の稜線は垂れ込む雲にのまれ、辺りを濃い霧が這う。
完全なる闇に閉ざされた夜だった。
目の前に岩が積み上がっていた。これがもう一つの天国への階段なのだろう。
登り切ると、足元に城壁がうっすらと見える。細い一本道が伸びていた。両側の崖下は覗き込んでも何も見えない。まるで黒い海のように一面の闇が広がっている。
幸いなことだ。底が見えていたら、どうしたって先に進めなかったろうから。
「よし……」
ネイメアは夜目が効くからと、この暗闇を灯りなしで渡り切ると話していた。
彼は、城壁の上に一歩足を踏み出した。アルバの方を振り向き、にやっと笑う。
二歩、三歩と軽やかに進んでいく。カンテラの灯りが届かない闇の中から、足音だけが響く。
「あ」
ずりっと足が滑る音が聞こえた。
「ネイメア!!」
アルバの鼓動が跳ね上がった。階下のカンテラを拾いに戻るべきかと思うが、足がすくんで動けない。
(お……落ちた!?)
「あぶね〜っこえ〜」
両手を広げてバランスをとりながら、ネイメアは足早に戻ってきた。
「……!怖すぎ……」
「あはは」
蔦に足を取られたらしい。ネイメアは階段に座りこんだ。
「なんとなく分かった。まだ早いから、ここで待つ」
彼の視線の先、山の向こうの空は火の粉が舞い上がり赤くなっていた。城門への攻撃が始まっているのだ。
「城門の方は大丈夫なのかな。あの少ない人数でどこまでやれるか……」
「腐っても元世界最強の剣士隊だ。引き際も心得てる。その辺は心配要らない」
「さ、最強?」
「あいつらの前身がな。めちゃくちゃ有名だった。ま、昔の話だ」
ネイメアは頭の後ろに手をやり、階段にもたれかかった。
「どんな……どんな隊だったの?」
アルバはためらいながら問いかけた。
普段の自分ならば、濁されたことはそれ以上聞かず、ふうんと聞き流していただろうに。
「……鉄をも熔かす炎」
ネイメアは一瞬目を丸くしたのち、ぼそっと呟いた。
「見てみろ」
彼は銀の短剣を取り出した。
短剣に火がついた。彼は左手に、アルバがやった火の魔石を握っていた。
「剣に火を纏わせ……固定する。揺らぎをねじ伏せ、ならす……一律一定の火を帯びた剣」
短剣が赤い火を帯びた。薄づきの赤が刃に沿って固定される。一瞬、黒くなった。
「何でも斬る」
彼はアルバとの間に剣で一線を引き、突き立てた。階段には、短剣の長さに等しい、狭く深い穴ができた。
そして剣のつかだけをアルバに見せた。刃は炭化していた。風に乗って散った。
「離れ業だよ。針の穴に火を通すものだ。火の律を少しでも外れれば、剣の方がダメになる。
ただ、威力はこの通り。灼熱の剣が何だろうと斬る。これを''黒剣''といった」
ネイメアはつかを放り捨てた。
「あいつら全員が全員、火の魔法の達人だ。加え、剣技も一流。一人一人がバカみたいに強い」
「なんだ。心配して損した」
「ま、でも砦の攻略戦は対人戦とは別物だ。それに獣士団が出てくる。奴らも獣族、優れた魔法使いだ。
魔法使い同士の戦いは相性にもよるが基本、泥試合か一方的かの二択になる。地の利をとられるというのは思ったより大きい」
アルバは頭が痛くなってきた。
「でもそれより重要な要素がある……名前だよ。有名かどうか。聞いて浮かぶイメージ。偏見、先入観……」
「そんなことが?」
「権威や家名は魔法使いの重要な資質だ。恐れられるほど強くなる……というより、敵対した時自分の内側に負ける言い訳を作りやすい。気の持ちようってのが、魔法には直接的に影響するからな」
「じゃあ……結局こっちが有利ってこと?」
「そういうこと。あいつらがあの''熔鉄隊''だってことは、戦い方を見れば一目瞭然だよ」
アルバは彼らの戦いを想像してみた。
黒剣を振るう黒衣の騎士。亡国の騎士団を彷彿とさせる。相対した兵士が、彼らの眼光に復讐の炎が激っているのを見出すのは簡単なことだ。
とても怖いはずだ。たじろぎ一つが致命的な一振りを呼ぶとわかっていても、臆さずにはいられない。
「魔法って……なんなの?」
「――想像だよ」
ネイメアは両手を頭の後ろに、階段に背をつけてもたれる。星も見えない夜空を見上げた。
空に向かってパチリと指を鳴らす。指先に灯った火が蛍のように舞い上がっていった。
「想像を現実に反映させる力。実感を実態に昇華する。自分の世界を、外側に押し付ける……」
火はやがて淡く消え失せた。落ちる火の粉に息を吹きかけると、ネイメアは低く語り始めた。
「いいこと教えてやるよ。魔法は信じる力なんだ。
たとえどれだけ強大な相手が立ちはだかろうとも、仲間や自分を信じていれば戦えるものだ。
誰も信じてないやつは、魔法使いには向かない」
アルバは以前にも似たようなことを言われたのを思い出した。
『あなたが孤独なのは――』
誰も信じていないから。魔法を使えないのは信じる力がないから。
ネイメアはそう言いたいのだろうか。改めて考えてみると、なんてさびしいことなんだろうと思う。
「……どうすればいいの?」
「楽な方と難しい方どっちが聞きたい?」
「じゃ楽なほ……難しい方」
「上等!」
彼はからかうように言った。
「信じてみるか?オレを」
アルバは複雑な気持ちになった。
誰かにそう言われたかったような気もしたが、そんなに自信満々に言うことでもないな、と思う。
「……そう言われるとなんだかな」
*
彼は目覚めた後、建物の中を歩き回った。
身体中が固まっていた。肉と関節が軋む。
薄暗い地下壕。ぼんやりとした灯り、素足に触れる土床の冷たさ……誰もいない。独房みたいだと思った。
元いた部屋に戻る。ベッド脇の棚の上、果物を積んだかごがあった。一つ手に取る。
「――最後に見に来て正解だった」
振り返った。赤い髪の男がいた。自身の仮面を外して、投げてきた。
「行こう。みんな集まってる」
気づいた時には砂利を踏み締めていた。転がった粒が軽い音を立てる。その音は崖下――闇の底へと遠ざかっていった。
視界が悪い。目深に被ったローブのフードの下、慣れない仮面を外すと、隣の男が話しかけてきた。
「気配を消すって言うだろう。息を潜めるとか、存在感を薄める。そういう魔術なんだ」
「こんなところじゃ役に立たない」
それもそうだ、と笑ってその男――ニケラスも仮面を外した。
彼の赤い髪に、遠くで上がる火の粉の点々を想起した。
「城門の襲撃が始まったようだ」
二人は岩尾根を進む一団の最後尾にいた。前の集団とは少し距離が空いている。道幅は不自然に広い。足元の岩が溶けて固まったようだった。
「体調は?」
「万全じゃないが悪くはない」
「よかった。君に治療を施した人がね、言っていたよ。あとは努力次第だって」
「治療……?」
「魔薬だって。ただの煙草じゃなかったらしい。知らなかっただろう、君は悪くない」
「知っていた」
ニケラスが一瞬息を止めるのが分かった。
「分かってて手を出した。銘柄が……返魂草といったから。そんなことで、使ってみたくなった」
「……死んでしまった人に会いたいのか?」
「そうだ。今でもだ」
「少し羨ましい」
彼は寂しそうに目を伏せた。
「俺にはそう思えなかったから」
誤解を招く言い回しだ。彼の態度からして、怒らせようとする意思なんてないのだろうが……言葉選びが下手なのだろう。
「なぜ俺に構った?置いていけばよかった」
「……前を見てくれ」
彼の目線の先には、先を歩く仲間たちがいた。控えめに談笑しながらも、あたりの警戒は怠らない。逆境に慣れた、熟練の騎士たちの背中がそこにはあった。
「なんで先頭にいるのが俺じゃないんだ?」
「……?」
「いや……違うか。あそこに俺の居場所があるのか?だ」
ニケラスは少し黙った後、わずかに俯いた。
「君は女帝を、恨んでいると言った。当然だ、同胞を殺された。きっと世間は知らないだけで、理不尽な真実が隠れてるんだろう」
「……!弑虐の話は嘘だ。俺たちを捕まえるための口実だった」
「うん。そうなんだろうね。復讐に値するよ」
「……何が言いたい?」
彼が目を泳がせる――どこかわざとらしかった。ためらうそぶりをして、口を開く。
「詰まるところ、知りたいんだ。理解はしてるけど、共感できない。どうして復讐したいんだ?拾った命を大切にしよう、とは……思えないのかな」
「……は?」
「城門を攻める彼らはね、俺と同じ考えの人たちだよ。彼らは十分強いし、頃合いを見て上手に退く能もある。何より誰も、帝都に行きたいとか皇族を殺そうだなんて思ってない。誰も死なない」
クロエドが返答に詰まっていると、彼は「はは」と乾いた笑いを漏らした。
「皇族の首をとると言ったろう?――あれ、嘘なんだ。俺たちみんなが無事に帝都まで抜けられれば、それでいいんだよ」
「……なぜそんな嘘を?」
「さあ……俺の考えじゃないから。それだけ本気だって思われやすいからじゃないか?それに、聞きにくいだろう?繊細な話題だから。事実、君たちは誰もそのことに疑問を呈さなかったじゃないか」
ニケラスはくつくつと笑う。
「ネイメアやあの子は違ったけどね」
クロエドは不穏な雰囲気を醸し出す彼を、内心不気味に思った。しかし同時に、理由は分からないが、胸がざわつくような無視できない何かを感じた。
「お前はどうして残らなかったんだ?」
「残れなかったんだ。俺はヴォルフレドだから。たったそれだけのことが、担がれる理由になる」
黒雲が空を覆う新月の夜。冷たい風が吹いている。
「実は、この計画の発案者は別にいてね。俺たちはその人に便乗した……させられたんだよ。意外だろう?」
(計画は熔鉄隊主導じゃなかったのか……)
ニケラスがさらりとした告白。本当か嘘か見当が付かない。クロエドは平静を装って応えた。
「背後にいるのは、相当な大物なんだな」
「そういうことだね。その人はネイメアにとっては前任者でね。今はそばにいないが、この計画が成功すれば戻ってくる。彼女さえ戻れば……俺はもうお役御免だ。だから、ここまで手伝ってやったんだよ」
クロエドは奇妙な感覚に陥っていた。彼の言うことは、分かるようで分からない。
「……答えになってない」
真っ直ぐ彼を見据えた。
「なぜ俺を連れてきた?」
「……友達が欲しくなったんだ。君と俺は似てると思ったから。嘘をつかなければ生きていけなかった。ただ――君は、自分の嘘に自分が騙されているようだけれど」
ふいと目を逸らされた。
クロエドは言い返そうと口を開くが、言葉が出てこなかった。
彼の様子はおかしい。言動は支離滅裂だ。
なのに、彼の最後の指摘はクロエドの心に、まるで釣り針のように引っかかった。
ふと、前方で声が上がった。異変に気づき、ニケラスの足が自然と前に出る。
その時、人が落ちた。
崖を転がり背中を強打する鈍い音が響いて、そのまま呻き声もなく闇へ消えていった。
「ありえない……」
「なぜここに」
強い風が吹き、剣士たちの呟きを運んできた。
彼らの衝撃の理由――それはたなびく騎士たちのマントの奥に見え隠れするもの。
「――パズルってわかります?」
――男だ。金髪、線の細い優男。
男の言葉を乗せて、風が吹き抜ける。やけに近くにいるように錯覚した。
「まずピースを揃えなきゃいけないじゃないですか、偽物も本物も一緒くたに。それからはめていく、あれこれ試行錯誤してものすごく時間をかけて。
私はその過程を全て吹っ飛ばして、パズルの全貌――描かれた答えだけ知ることができるんですよ」
「は……?」と誰かが声を漏らした。
「なんでしょうお告げ?啓示?というより直感ですかね?でも割と不便なんですよ、だって信じてもらえないでしょう。それにふっと降りてくるから、神々の機嫌次第で」
男の正体を察して、じっとりと背中に熱がこもるのを感じた。クロエドは小声で吐き捨てた。
「……信じてもらえない?それはあんたが嘘つきだからだろ。俺の知る''真理の瞳''はもっと不自由なものだったはずだが?……」
剣を抜いた。握る手に無駄に力が入る。
真理の瞳――それが彼の特殊能力の正体。
選ばれし者に発現する生まれつきの魔法――魔石眼の名前だ。
クロエドは同じ魔法を持つ人に覚えがあった。その人も、彼と同じく額に三つめの目を持っていた。
「それは、まあ個体差ということで」
男の三つ目が一瞬薄く開いて、篝火を反射した。すぐ閉じた瞼が額に同化して跡形も無くなった。
クロエドは身震いした。この距離と風向きでは彼の小声が聞こえようはずもないのに……
「決まりなんで名乗っておきますね。
タルタニヤ山門城の城主を務めております。帝国が第四皇子、ラーチス・オーディッドと申します」
「キャッかっこいい!ラーチスさまぁ」
そばの雌鹿が声援を飛ばした。城主の守護獣だ。城主と雌鹿、たったの二人が立ちはだかっていた。
「どうぞよろしく」
それが逆に恐ろしい。




