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アンダートゥ  作者: ただの
第五話 闇夜境界
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5-4.天国への階段

前回までのあらすじ:

 死霊団への協力を申し出るクロエド。彼を交えて計画を話し合う中、渡し屋の協力をとりつけられなかったことが発覚。

 それをニケラスに意図的に伏せられていたことを知ったネイメアは、作戦室を飛び出してしまう。アルバは彼を追い、渡し屋と接触するが……


登場人物

アルバ:

救世主…?


クロエド:

竜族の青年。死霊団の目的を知り、協力することに。


ネイメア:

裏会の代表者。が、実際は仮会員にすぎず、正体は貧民街のコソ泥らしい。


ニケラス・ヴォルフレド:

死霊団の頭領。


ラーチス:

山門城城主。見た目は優男、本性は冷酷無比と評される。予見という未来予知の力があるようだ。


「――死人が生者と同じ門を潜るのは不吉……だから、死人の通り道がいるんだ。それが死者送りの湖。

 舟に棺を積んで、向こう岸へと渡す……山を降りた先、ずっとゆけば、大聖堂がある。そこで祈りを捧げられ、埋葬されるんだ」

「埋葬……?火葬じゃないの?」

「葬送儀礼は風土による。帝都は土葬が慣例なんだ。それもあって、火葬を重んじる太陽神教とは合わなかったもんだから、大聖堂ができた……って。そういう話もあるくらいなんだぜ」

「君は……なんでも知ってるね」


 その日は引き上げることになった。 

 夜道を歩きながら、ネイメアはアルバが記憶喪失だと知ったからか、色々教えてくれた。


「ボクは……何も知らない。誰も教えてくれなかった」 


 アルバの言葉に、ネイメアはしばらく黙ったまま歩いていたが、ふと口を開いた。


「……でもお前、選定会の存在自体は知ってたんだよな」

「え?……うん、親切な人が賢者に会いたいなら選定会に出るしかないって」

()()だぞ?ふつう疑問に思うだろ。なんでその時聞かなかった?」

「だって……」 


 アルバは言葉に詰まった。


「信じてる……から?」

「……お前、やっぱり……」


 ネイメアは呆れたように首を振った。


「クロ兄は女帝様を倒すって言ってる。ボクは……帝国と仲良くするのが、使命なんだ。でも……だけど、だから……っ」 


 アルバの声が震える。


「どうすればいい?女帝様は悪い人なの?倒すべきなの?」

「オレがそうすべきだと言ったら、お前はそうするのか?自分の頭で考えろ」


「……わからない」


 曖昧な返答に、ネイメアが拳を握った。勢いよく振り返る。


「何がしたいのか。やりたいこともやりたくないこともわからない。なぜか……ここにいる実感がないんだ……」


 アルバの顔を見て、一瞬固まった。それからため息混じりに、掲げた拳を下ろした。

 

「……」


 アルバは……何か、やっと心の底からの本音を吐き出せた気がしていた。


「――自分のことが分からないなら」


 ネイメアが口を開いた。

 何を言ってくれるのか、アルバは心の底から期待した。数秒の間が、長く長く感じられた。


「何か大きなものに従うんだな。……でも忘れるな。それは、お前が選んだことだということを」


 彼の姿は夜闇(よやみ)に溶け込むように消えていった。残された言葉が、何度も何度も頭を巡った。



 *



(初めて……会った)



 自然と口元が緩んだ。


 硬いベッドが自重できしむ。



 一夜にして、水底に沈んだ国。比喩表現でも何でもない。

 たった一人の魔法使いが、なんの罪もない国民を一度に大虐殺した。

 それが女帝――現皇帝カーレンディス。

 死霊が這ってでも追いかける、魔女の正体……


「くく……」


 このためだったのかもしれない。

 今までの旅の苦労は、このため。彼らと出会うためだったのだ。



 あの子どもに分からせてやろうと思っていた。

 北西部の悲惨さをもって、帝国の非道を知らしめるつもりだった。

 伏せられた歴史を、本当の敵を教えれば、いやがおうにも理解するはずだった――誰が、滅ぶべきなのか。


 そうして、奴らの懐に入り込めれば……



 ……それも終わりだ。もうあの得体の知れない子どものそばにいる必要はない。


『――大変でしたわね、クロくん』


 声の方に目を向けると、隣に腰掛けた少女の幻影が見えた。


「……あ……?」

『あの子どもと離れるのは正解ですわ。大丈夫、ぜんぶうまくいきます。今までもこれからも、何もかも……』

「……」

『貴方を信じて――』

「ひどい幻覚だ……」


 両手で目を覆った。


「あいつはそんなこと言わない……」


 白色の灯りが点滅した。薄暗かった部屋の明度がさらに下がった。


「……死者と会えるなんて、嘘だって分かってた……」


 彼は煙草(えんそう)を握りしめた。捨ててやると何度も思ったのに、まだ手の中から離れそうにない。


『――立ち止まっちゃだめ、もう始めたんだから』

「……!」


 また幻聴だ。囁きが耳の奥にこびりつく。


『三人の魔女を殺す旅路。ひとりめはくびり殺した。ふたりめは心臓をひとつき、さんにんめは噛み殺してやれ』


 聞くな、と自分に言い聞かせても、やまない音の羅列を言葉として追ってしまう。


『――まだ始まったばかりでしょう?』



「はあ……はあ……はあ……」


 彼はテーブルの上のものを薙ぎ落とし、あたりのものにぶつかりながら、ベッドを離れた。


 そばの鏡台に自分が映りこんだ。

 無数の目がびっしりと映っていて、彼を咎めた。


「っ……!ああ……」

「――クロエドくん?どうした?」


 ノックの音が響いた。部屋の外に誰かいる。


『追ってきた!追ってきた!あはは……』

「うるさい……」

『逃げなきゃいけないね!ほら早く』


 吐気がこみあげ、彼はそばにあった桶を覗きこんた。溜まっていた水に顔が映った。


「かあさ――」

『なぜ私を殺した!!!』




 ――ふたたび目が覚めた時、冷たい板床に手の甲が触れていた。


 目の前の煙には、ありし日の思い出が映し出されていた。


 苦しくなった。いつも不幸だったと思えた。

 幸せだと感じた瞬間でさえ、今につながっているなら、やはりそれも不幸ではないか。


 煙の中で少女が笑っていた。彼女が手を差し出してくる。 


「――……」


 その手を取って、消えてしまえたらどんなにいいだろう。




「――ふざけるな」



 手首を強く掴まれた。食い込むほどに、強く。



「今すぐやめろ。寄越せ……それが何か分からないのか」


 顔を上げた。暗すぎて誰だか分からない。


「初めこそ万能感と多幸感に酔えるが、それは()()()()()()ように頭を鈍くしてるだけだ」


 ギリ、と歯軋りとともに、いっそう掴む手に力が入った。


「薬が切れると極端な思考と過去の強烈な記憶、悪夢に振り回され身も心も疲弊する。

 自己をも蝕む不信感は他人を遠ざけ、孤独の痛みはいっそう増すだろう。それを打ち消すためにまた手を出す」


 低い声が震えている。


「悪循環だ。やがて感情の起伏は平坦になる。心が均されるんだ。そうなった時、人間性は破壊に至る」


「わかるか?」との呼びかけ。悲痛と怒りが込められていた。


「悪魔のやり口と同じだ。

 魔薬の名は幸福薬(アンジェラス)。その昔、万能の鎮痛薬として太陽神教が作った……善意で上塗りされた毒薬だ」



 言葉は静かに消え、部屋には息苦しいほどの沈黙が残った。



 *



 あくる日も、アルバはネイメアの後ろについていた。

 ネイメアは初めうざがっていたが、どうせ言っても聞かないだろうと諦めたようだ。


 目的は城周りの調査だ。

 アルバは峠を登り、山門城の麓へとやってきた。


「うわぁ……」


 目の前にそびえるのは、圧倒的な威容の城だった。


 城の敷地の入る手前の門の前、人だかりができていた。その奥、さらに城門がそびえている。


 城門に向かう列は長く伸び、通行人たちは関所の取り調べを待っているようだ。


「この人数を全員改めるの?」

「ああ。一組ずつ改める。少しでも怪しければ特別な取り調べだ。城主は割と勤勉でな。こっちの西門から帝都側の東門へ抜けるには必ず城の中庭を通るが、奴はそこにいることも多いとか」

「……拷問好きだって話だけど、ほんと?」


 ネイメアが指差した先を見て、アルバは反射的に口を押さえた。


「処刑は斬首!それが死にゆくものに対する敬意と慈悲だ。だけどここの城主は……拷問と処刑の違いも知らない」


 それは死体だ。見せ物にされた死体。


「――磔刑(たっけい)だよ」


 開脚した脚。横にうなだれた首。鳥が、ついばんで……腹の中身が飛び出ていた。何とは知れない汁が滴る。無惨だった。


「処刑法を堂々と無視している……領内のことだと大聖堂の再三の忠告を跳ね除けた。こんな話がある――『入る数と出る数が合わない』」

「……出る数が少ない?」

「消えた奴らは……一体どこに行ったんだと思う?」


 アルバは自然と城の方に目が向いた。石積みの城がやけに近く感じられた。



 二人は人だかりから外れ、城の右手側に回った。兵士の目を掻い潜って柵を越える。


 城の右手側はすぐ崖になっていた。城が崖の上ギリギリに建っているのだ。

 崖の底は暗い。太陽の光が城に遮られて届かないため、薄暗くなっている。


「あれが巨城壁(きょじょうへき)だ……」


 ネイメアは崖の向こうを見ていた。うっすらと雲がかかっている。


 そこには、城を起点に円を描いて覆い囲むような、壁に似た構造物があった。


「巨城壁?」

「雲を貫く謎の建造物……巨大城壁だよ。見てみろ」


 遠目に見る。石の煉瓦が積み上げられた城壁だ。

 上の方は、煉瓦一つ分だけの幅しかない。

 下の方には岩と複合した部分や、同じような煉瓦の壁が歪に重なって層ができている部分がある。


「巨人が作った――なんて言われてるらしいぜ。存在が不自然すぎる。何のために、いつ、誰が、どうやって作ったのかはいまだに何も分かってない」


 アルバは異様な光景に背筋を震わせた。


「ちなみにあれも密行ルートの候補だった」

「ぎえ……」

「さすがに……無理あるけどな」


 ネイメアの頬に冷や汗が伝っていた。想像するだけでアルバは身がすくんだ。


「他にはどんなルートが?」

「一般的には……兵士に賄賂、コネだな。特権階級の貴族なら顔パス。ここじゃ無理だけど。

 偽造の通行証や他人の身分証(カレンダエ)で正面突破。変装は王道。わざと捕まって城内部から脱出とか、湖を泳いでくとか……『天国への階段』も帝都側へ抜けることが可能ではあるらしい」


 アルバはふうん、と聞きながら、どれも厳しそうだなと思った。


「てか、ネイメアってなんでここにいるの?どうやって出て来れたの?」

「貧民が帝都外に出るのはわりかし簡単なんだよ。帝都の蛆虫は減った方がいいだろ」


 山門城は例外だけどなーとネイメアは手を振った。


「なんか……普通に疑問なんだけど、他の関所はそこまで厳しくないんでしょ?わざわざここ通るのめんどくない?」

「…………他より圧倒的に人少ないし。

 地理的に、もし別を行くなら帝都最南の海町を目指すことになる。ここからなら、船で南西をぐるっと回るしかない。すげー時間のロスだよ。

 それに、他は賄賂横行しすぎてな〜……普通に通るのにも難癖つけられて金とられたりするっていう」

「うわ……」

「そんなんだから、ここの査証(さしょう)の信頼度は格が違うんだよ。身分証で通ろうとする時って色々取り調べされて、通行証使うより足止めはされんだけど……追加で査証が発行される。これがな〜かなり使い勝手いいの……」


 ネイメアは何気なく小石を蹴飛ばした。


「帝都って窮屈なんだよ。ちゃんと区画整理されてる。だから……生まれた場所で人生決まるんだ。這いあがるのは、ほんと……きついってわけ」


 自分には想像もつかない暮らしなのだろう、とアルバは思った。彼の歳の頃は、おそらく十六前後……それくらいの子どもが、ここまで逞しくならなくては生きていけなかった。そういうことなのかもしれない。


「さて、本命へ行くか」

「どこ?」

「――湖」


 ニッと彼は笑ってみせた。

 


 *



 湖は城の左手側にあった。監視の目を避け、ぐるりと迂回して忍び込む。


 湖付近には濃い霧が立ち込めている。向こう岸は見えない。水上はさらに霧が濃くなっていた。


 湖の際にはいくつもの棺が打ち捨てられていた。デザインはバラバラだ。

 新品もいくつか近くに積まれていた。峠の家具職人がこしらえたのだろう、同じ印が刻まれている。


 ここで死体が移し替えられるとは……とてもじゃないが、考えたくない。


「おとなしくしてろよ」


 ネイメアに釘を刺されるものの、そう言われると逆に色々気になってくる。彼が湖の水を採取するのを確かめ、こっそりと離れた。


 アルバは棺をよく調べてみようと思った。

 もしかしたら、例えば棺の底が二重になっているとか、そういう仕掛けがあるのかもしれない。


 棺の蓋をずらす――


(……女の子)


 鮮烈な赤色が目に飛び込んできた。

 青白い死人の肌に生える赤い髪。死者のドレスは暗い緑色。力無く僅かに開いた瞼と口が、すでに魂が体内から逃げ出したことを知らしめる。


 予想外だった。まさか人がいるとは……後ろめたくなって、アルバはすぐに蓋を閉めようとするが、


(――誰かに似ている?……)


 なぜか惹き寄せられる。棺からは冷気が漏れていた。硬くなった死人の肌を想起する。


「触るな」


 ネイメアの制止で、自分が彼女に触れようとしていたことに気づいた。行き場のなくなった片手がぴくとはねる。


「あ……ちがう」


 悪いことをしたと思った。咎められると思って、ついそう口にした。

 言い訳じみて聞こえる。またそれを言い訳したくなった。


 けれど、彼はそれ以上何も言わなかった。

 死人を冷めた目で見下ろしながら、棺の蓋を閉めた。



 ネイメアは手袋を脱いで湖水の上に手を伸ばした。


 中指に指輪をはめている。指輪から繋がった黒布の衣服が、手の甲から腕を覆っていた。


 ピンと伸ばした彼の白い指が、掴むように空を切る。


「……そういうこと……」


 一言呟くと、彼はよこせと言わんばかりに手のひらをこちらに向けてきた。


「アルバ、火の魔石持ってたりしないか?」

「……あっ持ってる」

「ちょっと火の魔法使ってみろ」

「え……!?」


 早く、と急かされ、アルバは鞄から取り出した火の魔石にとりあえず念じてみた。


(火の魔法!火の魔法!)

「早くしろって」

「火の魔法っ!……」


 ちらと見たネイメアの顔は、完全に呆れていた。


「……無理だよ!ボク魔法使ったことないもん……!」

「バカ言うな、どんなに才能なくったって使える()低位の魔法だ!普通に暮らしてれば嫌でも使うだろ」

「ないんだってえ……」

「もういいかせ」


「ったく……」と唇を尖らせて、ネイメアは火の魔石を握った。

 パチンと指を鳴らすと、指先に火が灯った。


「そのパチンってのがいるの?」

「いや、単純にイメージ動作だ。しなくってもできるけど、庶民はこれで覚えるからな」


 ネイメアはまたも手を伸ばした。

 水の上を通過するやいなや、指先の火は瞬く間に消えてしまった。


「……」

「どうしたの……?」


 次に、彼は火の魔法で火の玉を作って放った。

 火は放物線を描き、湖水めがけて落ちていく――途中で音を立てて消えた。


「ど、どういうこと……?」

「……最悪だ。霧じゃない。水でもない……」

「……?」

「これを隠してたんだ……」


 頭を抱えたかと思うと彼は立ち上がり、棺を睨みつけた。



 *



 納屋の中、渡し屋は棺をやすりで磨いていた。

 端に小さく印が刻まれている。自身が手をかけた、という印だ。印周りは特に丁寧に磨いた。


「――その印、お前が考えたのか?」


 背後から聞こえた声。その主が昨日訪れた少年だということに気づき、ゆっくりと振り向く。


「違うよな。だって見たことある。北で」


 渡し屋の目元が一瞬痙攣した。

 北という単語に勝手に、無意識に体が反応したのだ。


「昨日の妙な物言いといい、その反応といい。お前、北にいたんだろ?しかも、そこでも渡守をしていた……北の大河――死者の川で」


 ネイメアの低い問いかけに、渡し屋は「そうだ」と答えた。


「おっと、素直だな」


 渡し屋の目が遠くを見つめる。

 かつて漂った大河の光景が見えた気がした。


 ――死者の川。北の大地へ生者を送り、北の大地から死者を返す……


「……元軍人か?」


 ネイメアの問いかけに、渡し屋はわずかに頷いた。


 それを見ていたアルバは慎重に疑問を口にする。


「北って……?」

「ま――」

「魔の蔓延る焦土。魔物と人類との命運を賭けた戦争の地だ。南下する戦線をとどめるべく、日夜戦っている。この世で最も命の価値が軽いところだ」


 答える渡し屋の表情は何一つ変わらない。だが、醸し出す雰囲気が激変した。急に熱を帯びた。


「お前のような何も知らないガキを見ると、安堵する。……ときどきは苦しくなる」

「……」

「俺が北へ渡した子らはみな、それぞれ違う表情をしていた。ある子は立身出世を夢見た貴族の次男坊で。ある子は金のため、故郷に親を残して泣く泣く。ある子は歴史に名を残す英雄になるのだと息巻いて――みな、渡って数日で犬死にした」


 渡し屋は手を止めずに話を続けた。昨日の態度とは打って変わって饒舌になった。


「今は……昔よりはいい。昔は剥き出しだった。船の上に死体を積み上げた。言い訳程度に()()を被せて。

 それでもまだましなのだろう。あの苛烈な戦地で肉の形をとどめるのは幸運だし、大金をはたいて遺体の帰りを待つ家族などそうはいない」


 喋る途中、同じ調子で手作業を続けた。


 キイキイときしむ船をゆっくり漕ぎながら、雲間から注ぐ光の隙間をぬうように、向こう岸を遠目に眺める――そんな過去の自分を想起しながら。


「この世に地獄があるならば、それはこの先だ。そう思っていた」


 その時、渡し屋の手が止まった。一瞬手先だけ震えた。


「――内界(内地)も変わらない」



 ネイメアは渡し屋をまっすぐ見据えた。


「湖には瘴気(しょうき)が漂っていた。あの濃度、吸えば間違いなく死ぬ。

 どういうことか、説明してみろよ。棺はそういう特殊な魔具とかいう寝言はなしだ」


(瘴気……?)


 瘴気――『太陽神の加護たる火を打ち消す、魔の産物!』……アルバの頭の中で、誰かがそう言った。


 それが誰かは、思い出せない。


「単純な話だ。''仮死薬(かしやく)''を飲ませた」

「……面白い冗談。お前みたいな、たかが舟守が霊薬(れいやく)を持ってるわけない。誰が信じる、そんな戯言を」

「みな信じたよ」


 渡し屋が初めて手を止めた。



「ただの眠り薬なのに」


「貴様……!!」

 

 ネイメアの声が鋭くなる。


「……どういうこと……?」

「なんてことはない……タネも仕掛けもあったもんじゃなかった。死んでた。こいつは、密行者を騙して、死なせて湖を渡した……!」

「言ったはずだ。俺が渡すのは、後にも先にも死人だけだと」


 ネイメアは足音荒く、渡し屋へ詰め寄った。


「分からない……一体なぜ!?兵役が辛かったのは同情する。でも、だからこそ……!なぜ生かして送り届けようと思えない!?」

「それも単純な話だ。俺は城主の手先。罠だ。あらかじめ奴が用意した、密行ルートだというだけだ」

「……!ラーチスが……」  


 渡し屋は淡々と続けた。


「どいつもこいつも、この城の密行を目論むやつは切羽詰まってた。死ぬ気で城周りを嗅ぎ回る。城主のこともな。魔石眼(ませきがん)の秘密を知られたくない城主には面白くないことだった。

 だから、奴は噂を流した。実験をかねて。ある組織には岩尾根を、また別の組織には巨城壁を、またとある人には別のルートを。

 そうして、やってきた密行者を捕らえ、誰と誰が裏で繋がっているかを体に聞いた。奴にとっちゃ暇つぶしみたいなものだ。みな丹念な拷問の末に死んでいったよ」


 アルバは血の気が引いた。


「俺のやったことはな。いわば救いだ。どうせ苦しんで死ぬなら、眠るように死なせてやってなぜ悪い?」

「……本気で言ってんなら同情の余地はねぇぞ……!?とても、楽には死ねない」

「俺を……殺すか?」

「……このクズが!」


 ネイメアは渡し屋の首元を掴み上げた。

 彼が持っていた彫刻道具がバラバラと床に散らばった。


「――言え!本当の天国への階段は、どこだ!?」


「巨城壁…………」


 ネイメアの唇の端から血が一筋垂れた。今、噛み切ったのだ。


「残念だが、()()()天国への階段など存在しない。どちらも城主の罠だ」

「……」

「巨城壁に至る岩が階段状に積み上がっていることにかこつけてそう呼んだ……崩れかけの謎の巨大城壁。人間の足一つ分しか乗らない狭さの城壁の上。両脇は……何もない。人工の断崖絶壁だ、ある意味天然よりタチが悪い」


 掴み上げられた体勢のまま、話を続ける。


「確かに魔法使いの類なら、渡るのは可能かもしれない。だがその先、待ち受けてるのは矢の洗礼だ。

 巨城壁は……こちら側からは分からないが、途中城の地下の窓から丸見えだからな。灯りをつければ、まず間違いなく気づかれる。かといって、暗闇で渡るなど不可能だ。

 城の兵士に(いしゆみ)でなぶられ、真っ逆さま。そうやって死んだやつを何人も知ってる」


 ネイメアの手が緩む。

 渡し屋は首元の服の縮みを伸ばした。


「天国への階段は……どちらも、確かに、密行者には他のルートより可能性はあると思えるだろう。過酷すぎて……ふつう選ぼうなどと思わない。

 だが、その対策をラーチスが怠ると思うか?断言する。作戦は失敗する。俺が、介在しようがしまいが」


「くっ……!」


 バン!と勢いよく扉を叩き開き、ネイメアは小屋を飛び出していった。


 頭を掻きむしりながら急ぐ彼に、アルバは後ろから呼びかける。


「ねえ、待ってどうするの!?これじゃみんな……!」

「作戦は失敗しない」

「……どうするの……?」


 ネイメアは立ち止まった。振り返る、その瞳に、


「――巨城壁を行く」


 一片の迷いもなかった。自暴自棄かと思えた。


 アルバは声を荒げる。


「は……話聞いてた!?そんな危険なとこ、難民が……ふつうの人が通れるわけない!数十人いるんだよ!?ぞろぞろ渡って、バカみたいでしょ!」

「あたりまえだろ、そんなバカな光景、兵士も装填ためらうわ!!――行くのはオレ一人!」


 アルバはあまりの衝撃に目を丸くしたのち、叫んだ。


「はっ……あああ!?」

「――囮だよ!多少だが兵士の目を惹きつける。それに、オレには他の役目もある。最初から巨城壁には目をつけていた」

「ど、どういうこと……!?難民は?あの人たちはどうするの?」

「難民には計画通り湖を渡らせる。ただし……()()()()()()()()()


 すう、とアルバは息を吸い込んだ。


「……はああああ!!?」


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