4-11.善行には最適な日
前回までのあらすじ:
必要なのは物語であって真実ではない。
とはいえジャックが用意した半端な物語に、町民は疑惑の目を向ける。そんな折、颯爽と現れたのはなんと山門城の援兵を自称する第一皇女だった……!?彼女の出現はとりあえずの事態の収束を予感させるが……
さて、皇女に付き従うは白い竜。二人の旅路はどうなってしまうのだろう……
登場人物
アルバ:
救世主の少年。伏せられた竜の歴史を知った。
クロエド:
竜族の青年。試練の多い人生だった模様。もうそろそろ限界だ。
ジャック:
エンダーソンの商人。悪事のツケを支払うことになりそうだが、悪運も強そうだ…
ラディシャ・オーディッド:
帝国の第一皇女。山門城の援兵としてエンダーソンにやってきた。彼女の目的がそれだけとは思えないが…竜族の守護獣がいる。
泉のそば、クロエドは適当な樹に背を預けて座り込んでいた。立てた両膝の間に顔を埋め、疲れ果てた様子だった。
――魔具が使い物にならなくなった。
はっきりとした理由は分からないが、黒魔術のせいだということは間違いない。
ゆるく持続していたその効果がついに消え失せ、二度と発動しなくなった。
(……帝都に辿り着く前に、真実に迫れそうだったのに)
ぐっと目を瞑ると、
「これは、種……?」
パンの声が耳に入る。アルバと何やら話をしているようだ。パンは一晩でぐっと老け込んだ様子だった。
「見つけたんだ。埋めてもいい?」
「……ああ……いいよ」
「きっと立派な竜樹に育つよ!」
アルバのその言葉を聞いた瞬間、クロエドは衝動的に彼の手首を掴んだ。
「いた、いたたたクロ兄!」
「……!!竜樹の……種子……?」
「え……?」
パンが目を見開く。
アルバの手に握られていたのは、見たこともない種だった。しかし、竜の本能がどうしようもなく本物だと言っている。かすかに、
「魔女の魔力残滓……?」
「たぶん魔女は竜樹を集めてたんだ。隠し持ってたんだよ!」
「どうして……どこで見つけ……」
「ありがとう!ありがとうアルバ……!」
パンは大騒ぎして泣いて喜んだ。
アルバがパンと一緒に種を埋めると、わずかに泉の水が湧き上がる。泉の復活を予見して、パンは飛び上がった。
荒らされた泉周りの片付けるのに手を貸すアルバを、クロエドは力無く眺めた。
「――さあ、さあ食べて」
パンは食糧庫の食べ物を豪勢に使って、二人にエンダーソンでの最後の晩餐を振る舞った。
クロエドはスープの水面に映る自身の緑瞳と目が合って、ほんのちょっとした出来心が起きるのを感じた。
ふと、魔がさした。そうとしか言いようがない。
(――あの時、教父が死んだのは……戦闘の最中、竜の血が泉に混ざったために、爆発的に若返りの効果が上がったからだ)
パンの水のコレクション。若返りの泉の水が汲んである深緑色の瓶が、視界の隅に映る。
(一滴でも意味がある。意味が……)
アルバがグラスの水を飲むのを、クロエドは息を潜めて見守った。
「なんか鉄っぽい……」
「硬水なんだよ」
(――飲んだ……)
思えばずっと、おかしい。
(なぜ……変わらない?)
竜族の里に住む唯一の人間。族長である祖父が拾ってきた、誰も素性を知らない少年。
歳の頃はハッキリとは分からない。それでも、過ごした年数からしてセイカとほぼ同じ年齢かそれ以上であって良い。
(少なくとも十四……)
十四歳の見た目じゃない。十歳のダァトは年齢の割に身長が高かった。だとしても越されるのはおかしい。
地底民かとも思った。その類のまだ見ぬ異種族の可能性もある。しかし……
(見た目が幼いとばかり思ってたけど、こいつ……成長が止まってる?なんで……変わらないんだよ……?)
子どものふりをして、子どもらしく振る舞う。
(もしかしたら、本当はずっともっと――)
「――クロ兄?食べないの?」
アルバは心ここに在らずといったクロエドの様子を心配していた。白い竜と話せなかったのがよほど堪えたのだな、と思う。
「……アルバこそ」
そんな彼が優しく微笑む。無用な心配だったかとほっとした。
「そうだぞ!成長期なんだから。やっぱり肉だよ、肉食べな」
「お肉苦手〜」
「そうだっけ?」
「うん。クロ兄にあげる」
「せっかくカエル肉じゃないのに」
パンが不満げにぼやく。アルバは、そういえば森でカエルは一匹も見かけなかったなぁ、と思いながら泉に視線を向けた。
静かな泉の水面と、風にそよぐ木々のざわめき。
最初に訪れた時の様子とは違う。どこか張り詰めた空気だったそれより、ずっといいと思った。
アルバは寝そべって頬杖をつきながら呟く。
「よかった、全部うまくいって」
それもこれも全て、彼女のおかげだ。
*
女は考え事をしていた。壁にかかった絵画の前で。
絵をさほどみていないことは分かる。一点をずっと見つめているから。
口元に手をやり、右手の親指で唇を撫でていた。左手で右肘を支え、時折とつとつ、と指を立てて鳴らした。
猫脚の赤いソファーに腰掛けた小柄な女が、彼女をいさめた。つばの広い帽子の影で表情は見えない。秋色のドレスを纏っていた。
「――落ち着いてゾフィー。人選をよしとしたのはあたしよ。責任はあたしたち二人で負う」
薄暗い談話室。静寂の一間で、暖炉の炎だけがパチパチと音を立てていた。
そこに、どこからともなく一人の魔女が現れた。ゾフィーに駆け寄り、ボソボソと耳打ちする。
「ゾフィーお姉様、大変ですあの方が――」
その時、バン!と力強く大扉が開いた。
耳打ちした魔女はゾフィーに促され、引き下がった。
「――おかえりマーシャリー。勇気ある撤退に感謝するわ」
「ゾフィーお姉様……」
大扉を乱暴に開け放ち、現れたのはマーシャリーだった。ゾフィーの命令で、救世主殺しの任務に当たった魔女。つかつかとゾフィーに歩み寄る。
「救世主殺しは果たせなかったけど、今回は特別よ。約束通り、西の序列に組み込んだ」
「よくも……白々しい。殺せるわけないって分かってたくせに。本体をここに残しておかなかったら死んでいたところです」
「だからあなたを選んだ。格上相手に生き残るにはぴったりの魔法だもの。それで……どう思った?」
マーシャリーはゾフィーの眼前で立ち止まる。わなわなと震え出した。
「どう……ですって?どうせお姉様もご覧だったんでしょうよ。彼のあの、美しい光……まばゆい魔力の螺旋――思わず近づきたくなる。本当に深き神に祝福されているみたい。だけど……そうじゃない」
マーシャリーは震える手を払って、叫んだ。
「――あの子の背負ってる、あの境界霊は何!?」
子どもの細い首に。からまって身をあずける、百目の化け物。
ゾフィーは、微笑んでいるのかいないのか、ぎりぎり分からない程度には薄い微笑を浮かべていた。
「仕切り直すわ」
「あれと目が合った!お姉様もでしょ、だから理解したはず!魔女の不死性を軽く貫通してきた!魔力残滓に触れるだけで、自我が混濁しかけたわ!!」
「難敵ね」
「どころじゃない!!あんなの相手にしてたら魔女派が壊滅しかねない!''三角卿''に……あなたのお父様に言ってよ――無理だって!!」
「……」
その時、微笑を一切崩さないゾフィーの代わりに、口を出す者がいた。
「――言える立場?ひどい失態ね、土塊女。まさかバレてないとでも思ってるの?」
黒いローブの女だ。
つい今し方現れた''招かれざる客''。その正体を認識し、ゾフィーはわずかに目を細めた。
(そう、あの方ってあなたのこと。困るわねぇ……)
ローブの女は、緑色のカエルを銀のトレイにのせていた。繊細な模様が施された古めかしいオーバルトレイだ。その真ん中に艶々とした緑色のカエルが鎮座している。
声の主はそちら――カエルの方だ。
「――私の夜宴にその下品な女を招き入れたのは誰?」
赤いソファーに腰掛けた小柄な女が、怒気をはらんだ声で言った。
カエルは肩をすくめ、片手を振る動作をした。
くたばれという意だった。それから腕を組んで黙った。
そんなカエルの態度とは打って変わって、トレイを持った女はおろおろして目を泳がせていた。
「西の魔女様……」
マーシャリーは、その毅然とした圧のある魔女の名を呼んだ。
暗がりからのぞく秋色のドレスの裾。微動だにしない。気配だけで西の、筆頭魔女の威厳を放っている。
西の魔女は語る。
「マーシャリー。あなたも魔女なら言葉に気をつけなさい。その女の指摘そのものは正しい。
貴女は『魔女は嘘を吐かない』という我々最大の魔術口上を、『吐けない』に変えてしまった。あの言葉は、真実どちらか分からない、悪魔の証明でいられるからこそ強かに働くもの。
それだけではない。この情報が神杖の賢者に渡り……これまで魔女が吐いた言霊のすべてが、真実を前提に扱われれば不都合は避けられない。
そうして法皇聖下の怒りを買った時、貴女は何を差し出せるのか」
低い問いかけ。マーシャリーは胸に手を当てて言った。
「差し出すも何も、この身は既に聖下のもの。御心のままにいたします」
嘘偽りなき言葉を。
「……よろしい。西の魔女の権限を行使し、貴女を第九位に取り立てます。私の名の下に、貴女の安全は保障されます。実力にそぐわぬ序列を与えたこと、期待されているものと捉えなさい」
「は……はい」
マーシャリーは西の魔女に頭を下げながら、与えられた序列を下すぎる、と思った。
(いいえ……願ったり叶ったりだわ!序列なんてどうでもいい、このまま静かに暮らせれば……!)
マーシャリーは妹の顔を想起した。虚しくなって黙り込んだ。
カエルがせせら笑う。
「よくやるわ。大所帯だけが取り柄の西は甘いわね。
大本命のエンダーソンの竜樹はそも役立たず。樹海の魔石郡は盗られた。救世主殺しは失敗、おまけに魔術口上も通用しなくなった。
ゾフィー?アンタ責任重いわよ。祭司の座にいつまでとどまっていられるかしら」
ゾフィーは依然何も言わない。代わりに西の魔女が答えた。
「黙りなさい。魔女派を追放された貴女には関係ありません」
「あはは!ゾフィーべったりで成り上がったアンタにだって同じことが言えるのよ?救世主が西にいるうちに何とか殺さないと、共倒れしちゃうわね」
「無論西で対処します」
「だってー!不可能でしょ。ねぇゾフィー?」
カエルはゾフィーの反応を待たず、言い放つ。
「――西は雑魚囲いすぎなのよ。序列十位以下が束になってかかって、そこにいるあたしの使いっ走り一匹にすら負けたんだから」
その頃、夜宴会場は血の海になっていた。
使いっ走り――トレイを持った女のことを指しているようだ。
西の魔女はぎゅっと口を引き結んだ。心なしかわなわなと震えている。
怒りの空気に当てられた使いっ走りは、ガタガタと震え「ひぇ」と間抜けに鳴いて、肩をちぢこまらせた。
そんな使いっ走りとは裏腹に、彼女の主人らしきカエルは飄々と続ける。
「あいつらがルート的に山門城を越えようとしてるのは明らか。西方各地に散らした上位勢を戻す暇なんかない。残った雑魚では救世主を殺すどころか、西に足止めするのもできやしない。
山越えしたその先は、あたしと東方魔女の管轄よ。そうしたらアンタはあたしに処理を要請せざるを得ない。渋々尻拭いしてあげるわね!アンタらあたしに頭上がらないわよ」
「貴女あたしの部下に何してくれてるの……?」
西の魔女はソファーの肘掛けをきしむほど握りしめ、魔素を転換する。大量の魔力残滓が散らばった。
辺りの魔素が震えるのに合わせて、トレイを持った女も震えた。
「あーそうそう部下!どうせかしづくことになるんだから、今のうちにあたしの部下になりなさいよ。聖少女派に入るの!」
マーシャリーはカエルの言葉にぐっと拳を握った。
(こいつ……!!初めから吸収が目的か!)
「中立の魔女派なんて古い古い!西方魔女丸ごと聖少女派に鞍替えするなら、西に足止めしてあげるわ。山越えはさせない」
怒りを抑えて、冷静に思考を巡らす。
(バクスは……法皇聖下の意思に背き変革を急ぐ、いわば過激派。聖下が放置してるのをいいことにのさばり、最近は勢力拡大に大胆になってきた。
西方魔女は数だけは多い、箔をつけるにはまさにうってつけというわけ……)
マーシャリーはカエルの大胆な提案に唇を噛み締めた。
魔女派を取りまとめ、若くして''祭司''の階級に就くゾフィー。
マーシャリーの失態の責任を負う立場である彼女は、階級降格どころかそれ以上の処罰を受けることも危ぶまれる状態にあった。
その危機を利用して、反法皇勢力に取り込もうというのだ。
……それは''あのお方''を信奉するマーシャリーにとっては受け入れ難いことだった。
「――バクスはただの危険思想家の集まり。まさにクズの集合体。あたしが首を盾に振ると思う?何より貴女と同じは嫌」
西の魔女が言い放つ。カエルは『貴女と同じは嫌』との一言に若干ひるんだ。
「フン……じゃあ東方魔女に頼る?できないくせに。だってマーシャリー・イーナハウスはゾフィーの権限で東から引き抜いた特例でしょ。秘密裏に回収してる雑魚とは訳が違う、そうね?」
マーシャリーは名前を出されてどきりとした。
「東は魔女の中でも選りすぐりの強者揃い。それでもかろうじてまとまってるのは序列至上主義だからよ。そんな中、下位女がいきなり鞍替えして雑魚集団であれ上り詰め……あれあれ〜なんと序列逆転?
これは非常に面白くないわ。東の結束の根幹を揺るがす。何ならもう収拾つかなくなってるそうよ?」
マーシャリーの額に冷や汗が垂れた。苛烈で残忍な東方魔女にされた、拷問まがいのしつけを思い出す。
「ここだけの話、''東の魔女''は帝都にいるのよ。あの性格だもの、筆頭自ら出張るはず。救世主潰して、アンタらに要求することといえば、そりゃイーナハウスの返還もしくは処刑でしょうね。そしたら何が起こる……?」
マーシャリーは荒くなる息を殺した。返還だの処刑だの、そんな甘い表現では到底伝えきれない凄惨な末路が待っていることだろう。
「――今度は西の基盤が揺らぐわ。
アンタら西はよそが使い捨てた弱者や訳ありをこそこそ引っ張って、安全を担保する代わりに生物実験に駆り出してきた。
部下がつらーい責苦に耐えるのは、ひとえにアンタへの信頼あってのこと。どんなに弱くても後ろ暗い過去があっても、西の魔女は守ってくれる、ってね。
その信頼にヒビが入る。特例とはいえ一度安全を保証した子を、みすみす引き渡すんだから」
「あたしの子達はそんなことであたしを見限らない」
「……」
西の魔女の力強い反論。マーシャリーは沈黙した。
「そう?大衆は愚かで、弱者は裏切りの可能性を常に孕んでるものよ」
「――あなたの言っていることはほとんど的外れよ。可愛いおばかさん」
口元に浮かべた微笑を一切崩さず、今まで話を聞くだけだったゾフィーがついに口を開く。
カエルは苛立ちながら言う。
「ゾフィー祭司どの……アンタお得意の泣きつきはまだ?今回はお父上でなくて、あたしに泣きついて?あたしの手の甲に頬を擦り付ければ、問題をもみ消してさしあげる」
カエルは言葉とは裏腹に、じわりと体表に滲む粘液を拭った。
「――その必要はない」
「……!!なぜ……ッ!?」
カエルはその来訪者に大層驚いて、自分の粘液で滑ってひっくり返った。
「――枢機卿……猊下」
西の魔女が呟く。魔法の発動をやめ、魔力を空気中に霧散させた。
マーシャリーは伏せていた顔を上げた。来訪者の正体に気づき、奥歯を噛み締める。
(――ゾフィー!!!よりにもよってこの方に泣きつくとは……!ま、魔女の恥晒しがぁ……!!)
ゾフィーを、目を血走らせて睨みつけた。
「救世主には関わるな。あとはオレが引き受ける」
「――いけません!!あ、あなた様にそこまでされては……!わ、私が死ねばよいのです、私が東に戻れば……!」
「マーシャリー」
ゾフィーは、取り乱すマーシャリーを一言名を呼んで黙らせた。
「魔女には別の命令を下す。三角卿も頷いた」
「それは……中立の魔女派が、あなたにつくと。そうお父様が明言したということ?」
「実娘だろ。直接聞いてみろ」
カエルは真っ赤になって叫んだ。
「ゾフィー!!アンタ……!!」
「残念……カエルのお姫様。バクスのお偉方に伝えてちょうだい。牽制の意を」
カエルはトレイを持った女に金切り声を上げた。
「〜〜ッいくわよ、カエル女!」
「はっはひぃ!すみません魔女様方、失礼しますぅ」
ものすごい勢いで彼らは広間から出ていった。柔らかい絨毯に、くっきりと踏み切った跡が沈み残っていた。
「……」
マーシャリーは少しばかり放心したのち、
「――お待ち下さい!お願いします、あのお方を止めてください。あれに相対するなんて危険すぎます!」
慌ててカエルを追いかけ、引き止める。
「フン、建前は結構よ。何としても自分が救世主を始末したいってだけでしょ」
「違います!確かに恥をかかされ憎く思います。でも私は戦わなくてよくなるなら、何でもよかった!西に来たのも、わがままで血気盛んな東のお姉様方にはついていけなかったから……」
「そもそも序列に興味なかったってこと?呆れた……」
「お、お姉様……お姉様のこと、マーシャリーは慕っております。だってお姉様は私が双子だということ、知っていて隠してくださった人だから」
マーシャリーはおべっかを使った。
期待していた反応と違って、カエルはふう、とため息をつく。
「――おめでたい子。ゾフィーたちもあたしも知ってるのに、なぜ知らないの?」
「な……なにをですか?」
「アンタの妹は救世主に殺された。この世界のどこにもいなくなったでしょ」
「え?」
マーシャリーはカエルが決して嘘を言わない人物であると分かっていた。しかし、あまりのことだったのか笑い出した。
「え……えっ?あははっ……えっえっえっ……?ああ〜っあはは……はは……な、なぁ……」
トレイを持った女は、不憫な魔女の姿にさっと顔を逸らした。
「なんで……ぇ?」
「さあね、本当あいつ悪魔にでも憑かれてんじゃないの?」
「つちくれさま……おきのどくに」
「勝手に喋んじゃないわよ!」
カエルは女を引っぱたき、女が「ひぇ……うえん」と鳴き声を上げる。そんなカエルたちのやりとりも、マーシャリーの耳には届かなかった。
呆然とするマーシャリーに、カエルが言う。
「マーシャリー、もしアンタが奴を殺したいと思うならいつでも歓迎するわ。聖少女はカゲキ、なんだからね」
そう言い残して、去った。
彼女は一人、立ち尽くした。
「……アルバ……!!?」
*
時は遡る。魔女を倒した直ぐ後のことだ。
アルバは塩灰を掻き分けていた。
(ない、ない、ない……)
頭痛がしていた。
記憶が朧げだ。土の中で気を失って、気づいた時にはハクアが魔女を倒していた。けらけらと無邪気に笑って、お礼を求めてきた。
「――ない」
魔女のことはいい。ハクアが言っていた、町を救うあれ。
魔女が隠し持つという''竜樹の種子''がどこを探しても見つからない。
呆然と塩灰を前にしていると、
「――もういいでしょう。十分報いは受けたわ」
マーシャリーが言った。身内と決別した彼女。憔悴した様子だった。
アルバは思わず、彼女から目を逸らす。
悪い魔女とはいえ、仕方がなかったとはいえ、彼女の家族を手にかけたことは事実だから。
「休んでて、ボクが何とかするから」
しかし、アルバの言葉を聞き入れず、マーシャリーは立ち上がる。
アルバが気遣って止めるのを聞かず、彼女は壊れた教会をあっという間に土魔法で直した。
アルバは、その現象を土魔法の領分を遥かに超えていると思った。それから、やはり彼女も魔女なのだ、と勝手に納得した。
綺麗で荘厳な教会が蘇った。
マーシャリーは長椅子にかけ、螺旋階段の上、説教壇を眺めていた。
あれは見つけられないままだった。
アルバはマーシャリーの横に座って、彼女にならって景色を眺めた。
説教壇にうっすら白い残像が見えた。
それは教父の姿をしていた。
(妖精は……楽園へ人を導く)
あの老竜の鎮座する世界。おそらくは、ここではない世界の出来事。
アルバは思い出す。町の通りをゆく人の群れ。
すでにこの世の者ではなかったろう彼らは、みな吸い寄せられるように樹海を目指していた――楽園へ行くために。
ではなぜ、あれだけ多くの人が町に留まっていたか……ハクアが悲しそうに教えてくれた。
『あの結界は、彼らを阻んでしまうの』
生者を拒絶する結界に阻まれたから、と。
なぜその結界の対象に引っかかったのか、それは教父が彼らを生者と認識していたからに他ならない。
常識的に考えればあり得ないことだ。
『――お入りなさい』
アルバには一片たりとも理解できないことだった。
淀みきったこの町。魂が滞留する――だから、13月でもないのに境界霊が見えるのだ。
(教父は、妖精がいなければずっとこのまま……助けなきゃ!竜樹があれば助けられる。なのに……)
視界の端、ハクアがうろちょろして、あちこちを探り回っている。
宝探しを楽しみながらも、宝がないのに困惑しているように見える。彼女が嘘をついたとは思えない。
「――ジャックさんは大丈夫かしら……」
「!クロ兄がいるから大丈夫だよ」
マーシャリーが二人の間の沈黙を破り、静かに喋り始めた。
「私……ジャックさんに酷いことを言ってしまった。教父様は決していいお人ではなかったけれど……あんなことをするとは、到底思いもよらなかったのよ」
「……そうだよね」
「それも妖精のせい?水が狂わせてしまったの?」
「それは……」
「分かってる。あの人が語る思い出はいつも、つぎはぎで、都合が良くて。おじいちゃんだからって思ってたけど、違ったね。記憶をいじる黒魔術かー……本当、何が教父よ……」
マーシャリーがくしゃりと顔を歪める。
――教父は都合の悪い記憶を、わざと黒魔術で消していた。
アルバが魔女の記憶を覗いた時、マーシャリーもそれに巻き込まれた。彼女はアルバと違うものまでも見ようとしていた。
『魔女から見た教父』を追いかけたのだ。
それで、教父がそんな黒魔術に手を染めたことを知った。
彼女の認識とはまるで異なる、教父の正体。
それを知ったマーシャリーは今、さぞ悲しんでいることだろう――アルバまで悲しくなった。
そして、教父のことを想い、もっと悲しくなる。きっと弱い人だった。
だけど、許されないことをした。教父が黒魔術をこの町に持ち込んだ。
それがエンダーソンの水の循環を穢す一因になったのかもしれない。
「――やっぱり私はあの人の弟子だから……」
マーシャリーが堪えきれない様子で、涙を流す。アルバもつられて涙目になってしまった。
「ボクも教父様のことは嫌いになれない。いろんなことを教えてくれた先生だもん、許したいよ」
「ふふ……」
マーシャリーは、アルバの涙を優しく指で拭った。
「――ならなんで、最初の先生は許してくれなかったの?」
アルバの首筋に、小さく鋭い痛みが走った。
マーシャリーが土魔法で作った鋭利な何かが首筋に当たっていた。
そのナイフに柄はなかった。彼女が握りしめると、赤い血が噴き出た。噴き出ては、また治るのを繰り返す。
「私の姉にべたべた触って何をお探し?」
「な、なんでこんなことするの……?魔女はもういないんだよ、マーシャリーを縛り付けてたあの人はもう……!ボクたち傷つけあう必要は……」
「――私がダリアスを殺した」
彼女の告白に、アルバは目を丸くした。
「……え……?」
彼女の流した涙がかさついた唇を伝う。
舌が回って、真実を吐く。
『――ダリアス……なんで……』
あの夜。姉が寝床で呟いた一言。
不審に思った。なんだか胸騒ぎがして。
家に引きこもってしまったあの子のそばにいようと思った。
エンダーソンの魔女は多くを聞かず私に宿番を託して、しばらくぶりに自分の家へ帰って行った。
そしてあの人が現れた。
背丈が変わらないから、顔が幼くてもすぐに分かった。
真夜中だった。
ダリアスが樹海の妖精の手に堕ち、若返ったことは明白だった。
私は、彼らの家の隣、空室から壁の隙間をこっそりと覗いた。
彼は、机の奥にしまっていたダァトの身分証を手に取り、懐に入れた。
滅多に使わないそれは、埃を被っていた。今思えば……いえ。
彼は息子の寝顔を一目見ようとしたに違いない。
あの子は毎晩、肌身離さずペンデュラムを握りしめて眠っている。
その涙のあとが残る頬に触れるのを躊躇い、出て行こうとしたその時――
「お父さん……?」
ダァトは父親が帰ってきたらことに気づき、大層喜んだ。
ダリアスが何を企んでいたかは分からなかったけれど、私はそうなって心底安心した。
「おうちで待ってたら帰ってくるって思ってた。もうどこにもいかないで」
――大丈夫、私が妖精を倒してみせるから。あなたたちを守るから。
そう言ってあげるつもりだった。なのに、
「――お前は賢い子だからいつか分かってくれる」
あの人は息子を押し除けた。
「……記憶に作用する魔法は、神杖の賢者にのみ許されたまさしく禁じられた魔法だ。だが、記憶自体は消せずとも、思い出さないよう仕向ける魔術は存外簡単なものだ」
ダリアスは、息子の頭を撫でた――いや、掴んだ。目一杯手のひらを広げ、頭をおさめる。
「私は地底王国へゆく。今夜のことを思い出さないで……どうかずっと、私がお前を愛していることだけ、信じて――」
眠り入るダァトに、
「魔法が解ける呪文は地底にて……」
言いかけて、やめた。
「【地底王国へようこそ】……これが私たちの呪文だ。すまない…………」
黒魔術はダァトに『一度は父親が家に帰ってきた』事実を忘れさせた。
記憶は消えない。沈殿するだけだ。
あの子が頑なに家から離れたがらなかったのは、そのせいだったのかもしれない。
鼻の奥を通る冷たい夜の空気。りんりんとどこかで泣く虫の声。うっすらと辺りを照らす柔らかい月の光。
目を細めて、足取りは軽く――私は、そんな彼を引き留めた。
確かめたかったから。何があったのか。なぜ親子が離れなくてはいけないのか。
そうさせたのが妖精なら、私が助けると約束するから。
「――止まって」
土魔法を使った。大地が砂になって、彼の足をのみ込んでいく。
「……マーシャリー……なぜここに?教会にいるとばかり」
「あの子が心配でそばにいただけよ。ねえ、何があったの……?地底王国ってどういうこと?あの子のところに帰れないのはどうして?もし脅されてるなら、私が……」
「――【秘密】にしてくれないか」
その時ダリアスは呪文を唱えた。彼を中心に円を描くように結界が張られた。
結界魔術の中でも有名な、音を弾く結界だ。
「……その魔術は知ってる」
呪文は【秘密】。私は皮肉げに笑んだ。
これで何があっても、住民が外の異変に気づくことはなくなった。
挑発だと思った。
この程度の結界魔術、教父に魔術を習う私が知らないはずない。それを分かっていてやった。
「その顔……若返ったのね、おめでとう……これでみんな、あなたが地底民だなんて分からないわ。小人のあなたには願ってもないことでしょうね」
地底民――元々は魔族に分類されていた異種族。その時代、彼らは小人と呼ばれていた。
成長しない体躯。けれど確実に細胞は老いる。ちぐはぐな風貌は見る者にひどい嫌悪感を与える。
「それで?あなたはこれ幸いと町を出て行くの?あるかも分からない王国を目指して?我が子にも隠して?生きてることすら知らないままで、あの子に、ずっと、ここで待てというの?――残酷だと、思わないの」
竜樹を離れられない妖精が、ダリアスを利用しようとした可能性も考えた。
でも私の直感はそう言ってない。
その人自身が認められない本心を、そこからくる葛藤を、他人が簡単に分かってしまうこともある。
彼は息子を甘やかして、優しくして、誰より可愛がった。良き親でいようと努力していた。
興味がなかったからだ。根本的にダァトに興味がないのを、無意識では理解していて、認めることはできない。そういう人だった。
「――もしそうなら、あなたはどんな姿でも人でなしだわ」
聡い子どもが、自分が好かれてないことに気づかないわけがないのに。
今思えば……彼は教会が子どもを売り払うことに怒ったのではなく焦ったのだ。
いずれ地底王国を探しに旅に出るのは、彼の中では決まっていたことで。その時預ける先だった教会が黒いのでは……
それは彼が、我が子をすすんで不幸にするのと同義だ。良き親でいたいという浅ましい願望に反する、ただそれだけの話だったのだ。
「――魔女が道徳を説くか。私が教父に拷問されるのを、黙って見ていた貴様に私をなじる資格があるのか」
……意味は全く理解できなかった。ただ言葉の温度で、恥知らずにも逆上したのだと感じて、許せないと思った。
「あの魔導書は貴様にやる。それで手打ちにしておけ。魔女という心無い化け物に、到底使いこなせるものではないがな」
ダリアスは背を向けて、砂の中を進んで逃げた。
私は思わず、
「ふふ、ふふは……」
笑ってしまった。
「あなたがなぜそこへ行きたいかとか、なんで今なのかとか、そういうのはどうでもいい」
決定的だった。彼は子どもを捨てた。
「ただ知りたくて。愛してくれる人を捨てて、出ていくのってどんな感じなのか」
「……」
今なら分かる。私怨の矛先にしたと。
私が魔女に――化け物になったのは、私を捨てた親のせいだと。
「ねえ、なんでなの?」
「……」
「なんで置いていくの?連れてってよ、いい子にするから」
「……」
「何も言わないでいなくなるなんて勝手だよ。ああそう、そんなに邪魔なんだ。だからそんなに」
「……」
「だったら最初から愛してるだなんて言わないでよ」
必死になじった。
私の魔法は私の意思に応えた。大地をぐちゃぐちゃに掻き混ぜようとして、それで――
「――事故だった。事故だったの……殺すつもりなんて……」
ダリアスは、マーシャリーの魔法が引き起こした地面の陥没に巻き込まれて転落した。
首を折って死んだ彼の、穴底から見上げてくる恨みがましい目が、頭にこびりついて忘れられなくなった。
そう言って彼女は泣いた。
当然、彼ほどの魔術師ならそんな簡単に死ぬはずもない。マーシャリーだって彼を助けることができたはずだ。
だから、これは彼女の明確な殺意に魔法が応えたと考える方が自然だ。彼女だってそんなことは分かっているだろう。
彼女はあえて触れなかったから、アルバは聞こうとしなかった。
「――私は姉と違って魔法の才能がなかった。転換もお粗末でね。地に残る魔力残滓を追って私に辿り着くのは簡単だった。そうでなくとも、死体は雄弁だから残すわけにいかなかった。
私は彼を土の中に隠した。そんな粗末な工作を、姉は何も言わずに隠してくれた……」
それが本当なら、姉妹は共犯関係でもあったということだ。
「私はあの子から父親の死を悼む機会すら奪った。罪の重さに耐えきれなくて、思い出せない魔術にまで手を出して……あの人たちと、やってることはまるで同じ。お姉ちゃんはこんな私を庇い続けた。今、それを思い出した」
アルバが魔女の記憶を覗いた時、彼女が必死の抵抗を見せたのは……このことを妹に知られないためなのだろうか。
記憶をいじる黒魔術が何かの折に解け、姉の愛情を理解したマーシャリーは、彼女に対する罪悪感を増幅させた。
マーシャリーは今、完全に混乱している。
ほんのわずか、首筋にかけられたナイフが動く。アルバは恐怖した。
「――わかる?私はどうしたって魔女なの。大して力もないくせに、性根だけは立派に魔性。死んでもなりたくなかった……のに」
ぐぐっと、彼女の手に力が入ってナイフが押し進められる。首筋の傷が深くなる。
「ごめんね、アルバくん。せめてあなたを殺さないと……お姉ちゃんがどんな目に遭うか」
顎が上がり、伸びた首筋に血が垂れる。その言葉にアルバは、
(――ああ、生きてるんだな)
そう思った。彼女の姉は、まだ生きている。
そして、悲しくなった。彼女はここまできて、まだ惑っているのだ。姉のためなのに、子ども一人殺せない。
アルバは不死鳥の像に目をやった。
灰になれば復活できると考えている、馬鹿げた信仰の象徴に。
「優しいんだね、マーシャリー。君は生粋の悪人じゃないんだ。僕とは違うよ」
「最後の言葉には生意気すぎるね。生粋の悪を知ってるの?」
「うん。それは僕だ」
ざらざらと彼女の体が崩れていった。姉妹でお揃いのリボンが灰の上に落ちた。手首から、どんどん塩灰になっていく。
「……え……」
指を差されてもいないし、触れてもいないのに――あてが外れて呆ける彼女。
アルバはそんな彼女を内心責めた。惑うからだ、と。
「君が教母様になって……たくさんの子どもたちに囲まれてるところを想像した。
毎日一人ずつ頭を撫でて抱きしめてあげるんだ。新しい家族のもとに旅立つ子は笑顔で見送って、決して涙は見せない。
寂しくて泣くのは一人になってからだ。ずっと後、思い出が褪せた頃、大きくなった子が顔を見せにきてくれて……その時は泣いちゃうかもね。君がいつまでも若いものだから、その子はびっくりしちゃってさ……」
マーシャリーには、白い少女の姿が見えていた。アルバの首に腕を回して彼を抱くのが。
アルバを殺されそうになった怒りは全くなさそうで。ただそこにあるのが当然な、風景を眺めるような目が、マーシャリーに向けられていた。
「なんて――天地がひっくり返ってもあり得ないから安心してよ」
マーシャリーはとても、とても後悔した。
もしかしたら彼を殺せる最後の機会だったかもしれない。ためらわずナイフを引いていればよかったのに。
この生き物はいずれ、姉を殺すかもしれない。
「……あなた……''何''なの?」
マーシャリーは最期を悟って、せめて彼から情報を引き出そうとした。
「そうだ、最後に呪文を教えてよ。どんな魔術もあらかじめ例外や解き方を設定しておくってあれ。何にしたの?後学のために知りたくてさ。簡単に解けちゃかなわないもん」
アルバは彼女が記憶を取り戻してしまったきっかけを無邪気にたずねた。
「……?」
たずねて、アルバは目を見張った。
マーシャリーの哀れそうな目つきに。
だめな子どもを慈しむような、聖母のごとき微笑みに。
「――愛してる」
いまわの言葉だった。
彼女はざらりと音を立てて塩灰になった。椅子の上からさらさらと床に注がれていった。
「……」
アルバは一瞬どういう意味か分からなかったが、すぐにそれが彼の疑問の答えなのだと察した。
彼女は誰かに愛をうたう時、自分の罪を思い出すように仕組んだとでもいうのか。
アルバには、彼女の意図は理解できようもなかった。
ぱちぱちと不死鳥の炎だけが音を立てて燃えていた。
――目の前の焚き火に、そんなことを思い出す。
「ごめんね……どっちでもいいって嘘ついちゃったな」
「アルバ!早朝発つんだろ。早く寝ろよ」
「はーい」
「あ、待って今言っとく」
焚き火を挟んで座るパンが笑った。
「どうもありがとう」
「……うん」
「スープはもういないけど……おれはずーっとここにいるって決めた。今度はあの子を守っていくよ。帝都からの帰り道にでも、寄ってくれよな」
「……気が向いたらね!しばらく緑はこりごり」
アルバの軽口に二人は笑った。
スープがいなくなった理由はパンから聞き出していた。クロエドが竜樹を斬り倒したかららしい。血も涙もないな、と思う。
ただクロエドは、パンが仕えていた魔女のことも見つけ出し、倒した。空の異変も彼女の仕業だったので、事態は解決したのだ――そうパンは微笑んだ。
……色々疑問しかないが。
(――聞いたところでクロ兄が答えてくれるわけもなし。僕としては樹海を抜けられればそれでいいし、何でもいいや)
アルバは自分の長所を割り切りの良さだと思っている節があった。
「ねえ、パン。スープは戻ってくると思うよ。だって、竜樹の守り人だもん」
「……そうかなぁ。戻って……こなくてもいいなぁ」
「えっ、なんで?」
「……ツィアリカもスープも随分おばあちゃんだったから。もうしばらく、休みたいと……思うんだ」
「ふーん……そっか。ふふ」
魔女の記憶からして、自身が妖精に騙されていたことを知ったはずだが。よくまだ好きでいられるな、とアルバは改めて感心した。
パンは痩けていくスープのために、町中から食べ物を集めていた。
食事の要らないスープにとって、彼の善意は無用だったわけだが……彼女がそのことをパンに言えなかったのは、
(――本当に、ただ純粋に。パンを傷つけたくなかったから……なのかも)
全くもって愚かすぎて、笑うしかない。
「そうだね」
*
「――というわけで、何も分からないのです!町を脅かした元凶と考えられる魔物はなぜか死んでいました。仲間同士で殺し合った形跡があって……」
ジャックは皇女にこれまでの経緯を捲し立てていた。対面する皇女は、椅子の背もたれに寄りかかり、彼の報告をうざったそうに聞き流していた。
やがて、彼女はふと思い出したかのように呟く。
「アルダァト、エンダーソン」
「へっ?」
「知らんのか?」
「そんな名前の者はいませんが……」
「そうか忘れろ。こちらの話だった」
皇女が片手を振ってジャックを下がらせる。
ジャックは深く頭を下げ、名残惜しそうな演技をしたのち、大人しく引き下がった。
しかし内心、
(知ってる……!!?)
冷や汗が止まらなかった。
(――もしも、俺の直感が正しいなら……!ダァトの母親を殺したのも、ダリアスを殺ったのもあの人喰い魔だ。それはこの際いい!なぜ、その名を知ってる!?)
ジャックですら身分証を見つけるまでは、予想だにしなかったこと。まさかダァトが、あの一族の血を引いて……
何をどこまで知っているかは不明だが、そんな誰も知り得ない情報の一端を掴む皇女が、どうして自分の悪行を暴けないと言えるだろうか?
(クソ、クソ、こんなところで牢屋送りはごめんだ!うまく立ち回ってやる。何が、なんでも……!――夢の!!ために!)
彼の足音が薄暗い廊下に消える。
その行く先に敷かれる道が、明るいものでないのはいうまでもない。
*
さて、戻ってこなくてはいいと言ったものの、実際に戻ってくれば喜ぶものだ。
「ス、スープ……なのか……!?」
アルバが荷物を背負い、パンに手を振った後。
泉の方から軽やかに跳ねる水音がした。
枝葉を分けた、その隙間から――たっぷりとした泉ではしゃぎ踊る、少女がいるのを見た。
「同じ顔!――わぷっ」
パンは少女があげた水飛沫を顔に被った。
少女は濡れた鼠に顔を近づけ、まじまじと見つめる。
「ち……つ……ちあ……」
「――ツィアリカ?」
アルバはそっと葉のカーテンを下ろして、泉を後にした。
小雨が降り出して、虹がかかった。吉兆に明るい気持ちになって、歩き出す。
「あ〜よかった、間に合いそうだね」
数日足止めをくらったが問題ない程度だ。おそらく帝都へゆく旅路で最大の関門が迫るが、アルバはわくわくしていた。
「そういえば姿隠しの魔法なくなっちゃったけど、どうにかなりそう?まあなるようになるよね」
「なるように?……もしかして、何でもそう思ってる?帝都に行って賢者に会えば、竜族と同盟を結んでくれるって、なるようになるって、まだ思ってる?」
アルバはクロエドの試すような、責めるような口調に戸惑った。
「アルバは何のために帝都に行くの?」
「救世主……だから?おじいちゃんに言われた通り、人間との橋渡しに」
「なんで?」
「なんでって、お願いされたから」
アハハ、との嘲り混じりの笑い声。アルバはむっとした。
「できると思う?」
「やってみなきゃ分からないよ」
「何も知らないのに。帝国と竜の間に、何があったのか。何も」
聞いたって教えてくれないくせに、とアルバに怒りが湧いた。すんでのところで呑み込んだ。
「知らないけど。知らなきゃできないことなら、おじいちゃんは教えてくれたと思うよ。知らない方がかえっていいんじゃない?」
クロエドの暗く沈んだ瞳にアルバが映る。
「そんな、都合のいい考え方……そんなわけないだろ」
空気が張り詰める。
「帝国と仲良くするんだ」
「それはもうやったんだ」
アルバはあの話だと思った。
行商人から聞いた話――誰も教えてくれなかった、竜族の歴史のこと。
「ああ、そうだったね、知らなければよかった。賢者を殺すなんてバカなことして、そのせいでボクがこれからどれだけ!苦労すると思う?」
「――あの人が!!殺すわけないだろうが、絶対に!!あり得ない、分からないか!?……はめられたんだよ!!」
その怒声にアルバの肩が跳ねた。初めて彼が感情のままに怒鳴るのを見た。
「十年前……帝国親交派の竜族の皆殺しを女帝は命じた。理不尽に痛めつけられ、惨たらしい姿でみんな引き摺られていったよ。俺はその場にいて、逃がされて生き延びた」
アルバはえ、と小さく漏らした。
「一生戻る気なんてなかった。故郷になんか。何度も忘れようとして……でもできなかった」
クロエドが片手で顔を覆う。影の中、緑色の瞳がゆらぐ。
「里に帰って知った――彼らは生きていると」
アルバは目を見開いた。生きている?
「女帝は、竜の血ほしさにありもしない罪をでっち上げて、俺の仲間を……」
絞り出すような声色。アルバは彼の剣幕に心の底から怯えた。
しかし同時に、やっと彼の本音を聞けた気がして、ほのかに安堵も感じていた。奇妙な感覚だった。
「皇女の守護獣が何よりの証拠だ。あの人たちは生きている!!生きているんだ……!!今も血を搾り取られて苦しんでいるんだ……」
「どうやって、知ったの」
「……親父が……」
クロエドとその父親は、かなり険悪な仲のはずだ。混乱するアルバに、とどめが刺される。
「――女帝は邪教と繋がってる」
「……え……」
「俺の目的は帝都の魔女を――女帝を殺すことだ」
アルバは自分の目的と真っ向から対立する彼の真意に愕然とした。
(何を……言って……)
くらくらと目眩がする。
(どういう意味……?)
けらけらと幼い嗤い声が聞こえた。
(……ハクア……?)
白い少女だけが、けらけらと嗤っていた。
風もないのに木々が揺れるのに合わせて、けらけら、けらけら…………
その時、クロエドは自分の中にくすぶる明らかな矛盾に苦しんでいた。
里に帰って、抱いたもう一つの疑い。
(邪教と繋がってるのは爺さまもだ……)
『――大祭司!』
族長がそう叫ぶ声が、頭の中でこだました。
意識が落ちる直前、夢と現実の狭間で確かに聞いた言葉だ。
(――爺さまが連れてきた救世主。人間なのに、人間じゃない……)
わからない、わからない、わからない。
誰を信じればいい。誰も信じられない。
(――このガキは、いったいなんなんだ!!?)




