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アンダートゥ  作者: ただの
第四話 善行には最適な日
22/64

4-9.たった一人の私たち

前回までのあらすじ:

 妖精と魔女の戦いは魔女の敗北に終わった。致命的なダメージを負った妖精はクロエドを襲うが、返り討ちに遭い消滅する。夢のお告げか魔の誘いか、クロエドは元凶の竜樹を斬り倒すことに成功し、ジャックの探し物も見つかったのだった。

 一方、ハクアの導きで死後の世界から舞い戻ったアルバは魔女と対峙する。どうせだから魔女の真意を暴いて殺そう。


登場人物

アルバ:

ハクアと再会を果たした。彼女と力を合わせて町のためにできることをするつもりだ。


ハクア:

アルバにしか見えない白い少女。彼女が何者かは未だ何も分かっていない…


魔女:

マーシャリーの双子の姉。竜樹奪取と救世主殺しの任務を受け、エンダーソンに潜伏していた。


マーシャリー:

魔女の双子の妹。出来損ないの魔女。

 宿屋の一室。包帯を取り外す。やけどは一進一退でやっと治りきるところだ。痛みはまだ抜けない。


「お姉ちゃん、無理しないで。まだ痛いでしょ?外のことは私が上手くやるから休んでてよ」

「あなたはもう痛くないの?」

「へっちゃらよ。才能ない私のことは、お姉様がひいきしてくれるもん」


 私だって才能ない。痛みや動揺ですぐ、魔法をうまく使えなくなっちゃうから。


「でももう樹海は私でも入れないわ。雨季に入って雨の勢いも増したし……町はまだ出歩ける程度なのが不幸中の幸いかな」

「思った以上に難敵だった。''分裂体''は念の為、二体作っておくわ。何があってもおかしくない」

「できるの?そんなに自分は増やせないんでしょ?」

「やりたくないだけ。一人ずつが独立した思考を持ってて気持ち悪いし……意識を重ねてない間の記憶は擦り合わせないといけないしで、面倒なの」

「不思議よね。頭の中で自分と話すってこと?」


 私の魔法――分裂の魔法。

 自分の分裂にだけは特別な法則がある。鼠を増やすのとは訳が違う。


 私の体の魔素含有量はただでさえ少ない方だというのに、元になった素体の半分ずつになってしまうとか。意識を分裂体に重ねれば、同時に別のことを思考できるとか。


 うまく扱えば魔女の序列の上位に食い込める自信がある。


「マーシャリー、安全な隠れ場所をいくつか確保しておいて」

「実はちょうど快適なところが。なんと今度から教会で住み込みで働くことになって、今日はお部屋を見せてもらったのよ!」

「は?」

「そこは孤児院もやっててね。教父様と子ども達のお世話を――」

「ガキもいるの!?教会だって完全に敵地じゃない。正気なの?」

「大丈夫よ。教父様はよぼよぼのおじいちゃんだし、子どもたちもいい子だわ」

「長居するつもりなんかないからね。情がうつっても知らないわよ」

「そうは言っても、今のところ何の手立てもないじゃない?教父様って素晴らしい魔術師なんだって。きっと色々知ってるわ。それにお姉ちゃん、魔法の勉強したがってたでしょ?教会の書棚を見せてあげたいなぁ。そりゃもう分厚い書物がずらり……」

「……」


 私たちはお互いのことをよく知ってる。

 だって、生まれた時からずっと一緒。両親に捨てられ、這いつくばって手を引き合って生きてきた。 


「……少しだけだからね」

「大好き!――ずっと一緒だよ」



 だから心のどこかで分かってたのに。


 魔女として不出来な私の妹が、どれだけ普通の人の暮らしを望んでいたか。待ち侘びていたものがここにあると知ってしまったら、どうなるのか。



「今日は子どもたちにクッキーを作ったの。でも数を間違えて喧嘩になっちゃった。あーあ、私も使えればいいのにな。ほら、お腹いっぱいの魔法!」


 子ども時代、飢えた時のお決まりの手品。ねえ知ってた?私の分をあなたにやっただけ。


「教父様、有名な結界魔術の功労者なんだって。とてもすばらしいお人柄で、私にも熱心に魔術を教えてくれるのよ。魔法が無理でも魔術なら、私でも……」


 あの人は、もうずっと昔から魔術のために人を……そんなの言えないわ。知らなければ、あなたはよい師を失わないですむ……


「いつも端っこに座る子いるでしょ?毎日教会に一人でやってくるの。樹海でお母さんを失ったんだって。かわいそう……」


 なぜ父親と一緒に来ないかわかる?


「ダァトだけじゃない。孤児の中にだって、帰ってこない親を待ち続ける子がいる。あの子たちがここを去る時の、あの遠くを見る目が忘れられない」


 遠くを見てるのはあなたでしょ。


 なぜ目の前の私を見てくれないの?


 あなたがいないと私は痛みと二人きり。目を瞑ると忌々しい妖精がいつでも微笑んでくる。



(私の使い魔、盗られちゃったんだ)



 すごく悲しいの。気づいて。どうしたのって言って話を聞いて。私を見て……



(言わずとも、わかってよ)




 ――日に日にのめりこんでいく。


 あなたは、私のことなんか眼中になくなって、口を開けば『妖精』『妖精』『妖精』……


「お姉ちゃん、これを読んで。ここ!妖精……この文献、妖精が出てくるの。

 ''妖精伝説は童話ではなく実際に起きたことをもとに作られた寓話である……''」


 【エンダーソンの水の循環について】というタイトルの古い書物だった。背表紙に見覚えがある。町長宅の書棚の、角で埃を被っていた一冊。


「『妖精、あるいは水の善き精霊は、魔物や死期の近い人間を引き寄せる。町全体が特殊な土地、''魔導地(まどうち)''となっている』……何これ?どういうこと?」

「だから……妖精のせいなのよ!いなくなった人たちは全員、みんなあれが引き摺り込んで殺したの」


 のめり込む様に、違和感を覚えた。


 あなたは涙ぐんで、言う。


「私……本当は少し怖かった。竜樹を手に入れるためとはいえ、妖精を傷つけることは悪いことなんじゃないかって。

 町長さんも言ってたでしょ。『人が犯してはならない領域がある』んだって……でもこれはいいことなんだよね」


 涙を指で拭って、パッと顔を上げた。明るい表情をしていた。


「私、思いついたの。樹海に禁域を張るのよ。ね、飢えさせてやるの。餌になるものぜんぶ弾いて。きっと力が出なくなって、じきに雨も晴れるわ」



 ああ……



「――いいわね。でも教父を頷かせなきゃ」


 安心した。目的を忘れたんじゃないかって不安だったから。


 でも変だな。


「なんで?お姉ちゃん、できないの?」

「あれはそう……紐解いちゃいけない魔術なの。魔導書が読めればいいんだけど。禁域の理がつぶさに書かれた魔導書。あれは、あの人が死なないと開けない仕組みになってるから」


 そんな子だったっけ?


「そっか。じゃあ説得してみる」

「大丈夫、私に任せて」


 飢えの苦しみは、私たちが一番分かってるはずなのに……




 *




 教父が樹海に禁域を張っていなかった理由は簡単で、一つは単純に魔力不足。


 もう一つは、『失踪は不可能』という事態が殺人に不都合だから。

 あの人は邪魔な人間を魔術の研究に使って、樹海に捨てていた。魔力残滓は魔導蟲が喰い尽くし、腐肉は樹海が分解する。時折見つかる帰還者(遺骨)の中には、あの人が殺したものも混じっているのだろう。


 ダリアス・ニンスヘルムもその哀れな失踪者の一人だった。何がそこまで彼を駆り立てたか皆目見当もつかないが、彼は教父の邪魔者になったので消された。


 あんな状態でほうられたのは、かわいそうに、教父が魔術師としての彼に嫉妬していたから?



 椅子に縛りつけられ、うなだれる彼に近づく。拷問の痛々しい傷跡に息を呑む。



『――そこに誰かいるのか?』


 息子のために救うべきだったろうか。


『誰でもいい。頼む、私の魔導書を燃やしてくれ。決してネアドに渡すな』


 いいえ。息子のことを思えばこそ。



『――どこにあるの?』

 




 ネアド。あんな気狂いをどうやって説得できるというの?

 魔女だと明かす?妖精の話を?

 バカげてる……こんな男は殺してしまえ。寿命が尽きる前に手を下してやれ。



 庭園の椅子に腰掛ける老人。背後から足音を立てず近づいた。


 小さな背中。背骨が浮かんで首が肩に埋まる。

 つるつるした手の甲に余る皮膚。皺だらけの……重い瞼の奥で、死んだ目をしていた。



「マーシャリー……お茶にしましょうか」



 どうしてためらうの?





(そういえば……人を殺すの、はじめてだわ……)





 ねずみが町中から物を盗んでいることは分かっていた。元々樹海に棲みついていた魔鼠を操って。子どもですら勘づく雑なやり方で。


 ねずみの目で見る妖精は憎らしいほどに綺麗だ。貢がれて、ただ微笑む。どこから持ってきた物かもたずねないで。


 懲らしめたかった。

 本当に、ほんの少し憂さ晴らししたかっただけ。

 ねずみの操る手下を分裂させただけ。数匹を増やして数十の群れにした。

 それで町の人がちょっと怯えて、ジャックが沸き立って今まで以上に樹海を荒らしてくれればいい。


 そうされると妖精は困るの。樹海を荒らす人間が、大嫌いだから。


「みんな家に入れ!!鼠の大群だ!!人を喰ってーー」


 他になんの命令も下してない。


「ママぁ!わああ……」

「うわあああ!助けっ、足がっ!たすけて……!」


 まさか人間も盗むなんて思わないでしょ。




 教会の鐘楼から私はそれを見下ろしていた。

 町が黒く塗りつぶされていくのを、ただ眺めていた。



 あとで調べて分かった。魔鼠は土の魔法使い。

 私がねずみのために、町の地下に張り巡らせたあのトンネル。いつしか盗みに都合よく使われていたそれに、奴らは人間を引き摺り込んだ。


(鼠の主人は私だけなのに、どうして制御が効かなかったの?)


((どうやって妖精のもとまで運んだ?))


(考えるのよ)



 並列思考は(いと)も簡単に崩される。



(((考えたくない……)))






 ――これは 機会



「教父様」


 どんなことでも利用して


「ジャックさんは攫われた人たちを助けに樹海に入ろうとするはず。第二、第三の犠牲者を生むだけです」



 終わらせるの 早く 早く



「樹海に禁域を張りましょう。大規模にはなりますが……私たちなら。私、魔力量には自信が」



 帰りたい お姉様







「――茶番は結構」



 胸の奥が冷える。 


 いつも通り私室で机に向かう教父。羽根ペンを滑らす動きが止まった。


 苦しい言い分だということは分かっていた。だから返答は十分想定した。だけど教父の一言はどの想定にも当てはまらなかった。


 

「マーシャリー。見事でした。エンダーソン一族をまさか一度で根絶やしにしてくれるとは。それほど力のある魔女だとは思いもよりませんでした」


(……?)


「約束通り禁域をお教えしましょう。すべて頭に叩き込みなさい。……マーシャリー?」


 呆然とした頭がはじきだす。



(勝手なことを)



 マーシャリーが喋ったのだ。私の知らないところで。何を?どこまで?……どうして勝手に?


 今までのあなたなら、そんなこと絶対にしなかった。



「また物忘れですか。兵隊上がりは難儀ですね。

 ジャックを抑える間、泉の探索はあなたの方で進めてください。山門城の方は心配せずともよい。あれの出方は分かっている。

 よいですね。ジャックより先に見つけ出すのです」



 泉を探している。

 若返りの泉のことは間違いなく喋っている。

 妖精のことも?マーシャリーが魔女だということも。私たちの過去も?



「……魔女はそんな顔もできるのですね」



 眉に力が入って、下瞼が痙攣する。唇が言葉を紡ごうとする一方で歯軋りの振動で震えた。



「老人の夢を愚かと憐れみますか」



 てんで的外れな問いかけだが、何も言うまい。

 この人は自分を憐れまれたくないのだろうか、いえむしろ……



「ふふ……夢などと。ジャックに触発されました。

 私は夢追い人ではない。黒魔術にまで手を染め、あまつさえ若返りの泉などと、あるかも分からぬおとぎ話に縋り……不老不死という手垢のついた欲望を持て余す。私は等身大の、ヒトという名の獣ですよ」


 老人は窓の外を眺めた。陽光が差し込む小庭が広がっていた。


「しかし……今になって人間の私が、顔をのぞかせる。緩慢に死にゆく今この時、良心吹き飛び、数多煩悩そぎ落とされ、あらわになった欲望の、髄の髄に気づく……」


 幾度となく見た、老人の遠い目。夢を見る顔だ。


「永遠を生きる大教母様のおそばに……いつまでも……」





 つくづく呆れた。



(何語ってんの、このボケ老人は)




 *




(違う、こんな記憶に用はない。こっちだ)



 殴りつけてくる膨大な記憶。その中から有用なものを引き摺り出すことの、なんたる難しさか。クソみたいなどうでもいい記憶に、意識を持っていかれる。


『――迷子みたいな顔』


 女が一人。魔女の顔を覗き込んで言った。


 アルバはやっと、有用な情報を掴んだ。ハクアが丁寧に掻き分けてくれたおかげだ。


『ゾ……ゾフィーお姉様!?なぜここに……』


 敵の親玉の面。そして名前。僕を追う、魔女の風貌。


(()()()()……?)


 深緑の髪が腰のあたりではねている。長い前髪が金色の目に被らないように分けられている。


『様子を見に来たの。あまり芳しくないみたい』

『そ、そんなことは……!順調です。''三角卿(さんかくきょう)''の御命令は必ず遂行してみせます』

『そう?』


 女は魔女に耳打ちする。耳朶をはむほどに近く、か細い吐息混じりの声。


(聞こえたか?)


 ハクアに問いかけた。


『そ、それは……三角卿の御命令ですか?』

『いいえ?私の個人的なお願いよ』


(ええ、聞こえたわ)


 

 その時、魔女が宙を仰いだ。



『――だぁれ?私を見ているのは』





 クソ、戻された。



 仕切り直しだ。




 *



 孤児院の夜、いつも誰かが泣いてる。


 すんすんと鼻を啜り上げる子どもをマーシャリーは丁寧に慰める。ベッドに腰掛けて、手を握って子守唄を歌ってやる。


「みんなやっと寝たわ……あーっお姉ちゃん、私のおやつ〜!お夜食に取っておいたのにー!」

「禁域の理解に糖分いるのよ」


 片膝を立てペンを咥えて頭を掻く。座卓に広げた覚え書きと睨めっこしていた。

 すべて頭に叩き込め、と教父は簡単に言ったが、突飛な魔術式の繋がりに頭が追いつかない。


(どこまで深く掘り下げるのよ……!こんなの種族体系や人体構造を丸ごと盛り込んでるようなものじゃない……途方もないわ)


 一朝一夕で理解できるものではない。

 結局私は、教父が立ち上げた結界に魔力を供給するだけの装置になり下がるしかなかった。


(悔しい……せめてお姉様のためにもこの知識は持ち帰らなきゃ)


 そう心の中で言いながらも、私は笑っていた。

 楽しかったから。お姉様のため――そんな動機を押しのけて、何より探究心が勝って求めてしまう。

 そんな私は、根っからの魔術師(勉強好き)なのだろう。そんなことを思った。


「えっ!?き、禁域を教えてもらったの?それって……」

「そう。マーシャリー、問い詰められる前に吐くのが身のためよ」

「うぐっ……ごめんなさい。バレる前に話そうとは思ってたわ。教父様を説得しようとして色々喋りました……」

「何を!?どこまで!?」

「そのぅ……悪い魔物を倒すために樹海に禁域を張りたいって。魔物は若返りの泉に棲みついてて、教父様のお目も治りますって……」

「それだけ?」


 マーシャリーはぐっと口元に皺を寄せるが、その後すぐうなだれた。


「魔力が足りなくてできないって言うから、魔女だって……」

「……それから?」

「樹海の土地主は先代さんで、許可がいるっていうの。ほらジャックさんがよく賄賂して失敗してた。

 でもあの人、みだりに樹海に立ち入るなって怒るじゃない?立ち入り禁止の結界なんて願ったり叶ったりだって言ったんだけど……()()()()()()()使()()()()()()()()()からダメなんだって。探索隊にも許されてないって……お姉ちゃん知ってた?」


 そういえば、そんな話を聞いたことがある。ジャックが酔った勢いで愚痴っていた。


「そういえば、ジャックがぼやいていた。魔法も魔法道具もなしに人の手で開拓するのに、まずは道具から量産しなきゃいけなかったって。条件を呑める傭兵を雇うのにも金が要るし、魔法を使えないせいで人が死ぬこともある……」

「嫌がらせ……よね。いなくなったから真意は分からないけど……町長さん、ダリアスのこと嫌ってたっけ。二人ともどこにいるのかしら」


 いなくなった。その言葉に、いやでもダリアスのことを想起させられる。

 マーシャリーの口からその名前を聞いて、私は動揺した。私が見捨てた哀れな地底民、今頃は……


「さっきようやく寝ついた子がね。魔鼠が人をのみ込んでいくのを目の前で見てしまって、怖くて眠れないって泣いてた。その子、昼間ダァトと喧嘩してたのよ。ダリアスが……疑われてるせいで」

「疑われてる?」

「魔鼠の侵攻……ダリアスがいなくなってすぐだったでしょ?彼が樹海の怒りを買ったんじゃないかって、町の人は言ってるの」

「……そう」


 マーシャリーは上目遣いに、確かめるような視線を向けてきた。


「――お姉ちゃんじゃないよね?」

「バカね、私のせいじゃないわ」


 私は平静を装って即答した。



 嘘じゃない。嘘じゃ……


「お姉ちゃん……!」


 マーシャリーは私に抱きつき、耳元で呟いた。



「信じてるわ」



 ……信じてる?




「わっお姉ちゃん?」


 私は思わずマーシャリーを突き放した。


「……マーシャリー、ずっとここにいたい?」


 そして、ついに口にする。



「あなたは存在しない。厳密には私も……いるのは''土塊の魔女''だけ。そして、その魔女は何人にもなれる」


 私はマーシャリーに期待していた。私の心を晴らしてくれるような言葉がほしかった。


「やりようはあるわ。エンダーソンに一人、分裂体を置くことにすれば……私は、愛するあなたが望むなら……」


 私は私に自白する。


 あなたをこの町に盗られた気分だった。

 ねずみに続いてあなたまでいなくなったらと思うと恐ろしかった。

 まるで不機嫌な子どもね。

 でも、あなたが夢見た普通の暮らしがここにあるのなら……それを守りたいと思う気持ちも本当なの。


 汚いものは私が引き受けるわ。あなたには綺麗なものだけ見て生きてほしい……



「――やめて!」



 胸がすごくどきどきした。期待からか、後悔からか判別がつかない。


 私は震えを抑えて、努めて平静にたずねる。


「どうして?遠くで戦う私の代わりに、あなたが幸せに暮らしてくれるなら……」


「ずっと一緒って約束したわ!私を置いてくの!?」


「……マーシャリー」



 それは私の本心だ



 同じ気持ちだ



 やっぱり私たちは二人で一人なんだ



 もう疑わない



(――大好き。ずっと一緒に……)



 私はマーシャリーを強く抱きしめた。肩に涙が染み込んだ。



「――お願い。せめて一人はそばにいて」


「……へ?」


 がばっとマーシャリーは私の二の腕を掴んではしゃいだ。


「そうよ!落ち着いたら双子だってみんなに説明しましょう?ね、私たち二人で幸せになるの」

「……」

「お姉ちゃんはずっと私を庇って隠してくれたよね。弱い魔女の使い道は悲惨だから……

 私がまともに使えるのは土魔法だけ。土塊なんて蔑まれても、これ幸いと二つ名にしちゃった。

 もっとずっと強いのに、魔法を隠して下の序列で我慢してた。いつか二人で幸せに暮らせるまでってたくさん耐えてきたわ」


 何も言えなかった。口を開けば叫び出しそうだった。分かってるじゃない、と言いたかった。


「この務めを終えれば、西の仲間入りだもん。きっとお優しい西の魔女様は許してくださる。

 私たち、やっと()()になれる時が来たんだわ」


 私は……その未来を思い浮かべた。

 本体をここに置くことはできないだろう。元の半分以下の力の私など、魔女としては使い物にならない。


 私は私を置いていく。

 戦って、戦って、戦って――たまのさみしい夜に、エンダーソンの私に意識を重ねるだろう。


 私の代わりに私が笑ってる。


 殺して、殺して、殺して――あなたの元に帰った時。あなたは私を迎えるのだろう。そして気づく。


 エンダーソンの私は……人殺しの私と同じではいられないということに。



『――わたしにとって一人ずつがかけがえのない姉妹。何人いたって、一人ずつだよ。マーシャリー……』




 私、私、私……私は誰?


 私の名前はなんだっけ。


 誰も私の名前を呼んでくれない。


(そうしたのはあなた()でしょ!)


 私は何人いるの?私はたった一人。たった一人の私は何人いるの?


 何あなた。あなた、あなたは……あなたは私で私じゃない。私も私で私じゃない……



「お姉ちゃん……?どうしたの?」



「絶対に嫌」



 一人になんて、なりたくない。



 私の魔法。

 汚い私の本性が、いやでも分からせられる。


 ひとりぼっちじゃ生きていけないの。



 誰か、誰かそばにいて。




 私は枕に頬を押し当てた。

 縋る思いで久しぶりに私の使い魔に意識を重ねた。



『――樹海は元々地底民の庭だった。同胞に一目会いたくて、北から降ってきたが、彼らはすでにこの地を離れたあとだった。

 どこかにある地底王国へ……いつかゆきたいと、奴隷時代はよく思っていたものだ』



「ダリアス……なんで……?」


 小さな影が二つ。樹を背に、空を見上げていた。満天の星空だった。


『樹海へ入り、諦めもついた。妻は……樹海の一部になったのだ。それでいい……時が来たのだと思う。ここを離れ、夢を追う時が……』

『それでいいのか?簡単にここを離れられるのか?しがらみが……』

『子供がいる。妻の連れ子で、血のつながりはない。だからかえって連れてゆかないほうがいいだろう。

 友人が新しい名前と居場所を用意してくれる。地底民()の子ではない、まっさらな人生を……』


 ダリアスは言い淀んで、下を向いた。


『私はあの子を育てて……幸せだった。心無いことを言われたこともあった。地底民の息子などろくな人間にならないと軽口を叩かれたことも。私をなじるために消えた妻を侮辱されたこともあった。

 それが現実だ。あの子を幸せにできるのは、ジャックのような強い人間だ』


 一拍の間。自身の言葉を思い返しているようだった。


『いや……よそう』


 うなだれる。


『本当は時折湧き上がる黒い感情に、私自身が疲れ果ててしまったのだ。

 同じ子どもだったのに……私は、世の中に虐められて育った。悪意という悪意に晒され、飢えと孤独の苦しみに世間を呪って、歯を食いしばって耐え抜いてきた。悲惨な子ども時代だった……そんな思いをさせたくなくて、正しいやり方もわからないまま、あの子を必死に育てた。

 あの子が笑うだけで私は幸せだ。それでもあの子を見ていると思う』 


 遠い目で空を見上げた。


『同じ子どもだったのに……なぜ……』



 湿った枕の生ぬるさが私に知らしめた。ほんの少しだけ胸がすく、そんな心を。


 なんの罪もないあなたを、憎むくらいなら離れたい。



 だけど……


(誰のせいで、こんなことに)


 私たちを捨て去る時、振り返りもしなかった両親がダリアス(あなた)と重なる。


 人間扱いされたかった。

 飢え這いつくばってもがいて求めて、人間をやめるしかなかった。


(だれのせいで……)



 魔女になんかなりたくなかった。 




 *




 それから 私 は あなたを …………



 殺してしま




 アルバは魔女の記憶の渦を覗く。最期は途切れ途切れだったが、魔女が人を殺すところを断片的に見た。



『――これ以上私を侵すな!!!』



 魔女の叫びが、記憶の渦から完全にアルバを追い出した。


「ッ!!」


 現実に引き戻される。


「はあーっ、はあーっ……」


 魔女は荒い呼吸でふらついて、口の端から垂れるよだれを拭った。


「よくも、よくも人を弄びやがった、このガキがぁっ……!!」


 魔女は怒りに身を任せ、アルバめがけて攻撃を浴びせた。床が盛り上がり、土の柱が飛び出る。


「なんでだろう、途中で追い出されちゃった」


 土の柱はアルバに触れたところから白い砂のようなものになって崩れ落ちる。

 魔女はその様にひるみつつも、柱を分裂させて重い土塊へと作り変え、押し潰そうとしたり、無数の槍を飛ばしてきたりとやりたい放題だ。


『魔法って奥深いの。でもね、それだけ分かっていればいいわ。あんまり考えすぎるのは、魔法には向かないから。あの子みたいにね』


 魔女は自分の魔法の仕組みのせいで、いっとき狂いかけていた。それを眺めていたから、アルバはハクアの言葉をすんなり理解することができた。


『もちろん、樹海のせいで人が魔に寄りやすいということもあるわ』

「魔に寄る?」

『狂うというと分かりやすい?もともとあった心の傷を、雨は時間をかけてひらく。そういうものなの。

 そしてそれは、過去に苦しみや悲しみを受けた子ほど脆いものよ。本来は癒す力もあったけれど失われたみたい。そのために――自らの過去に喰い殺される』

「なんか……よく喋るようになった?」

『やっとひとりじめできるから』


 アルバはハクアによって、あらゆる攻撃から守られた。



「お姉ちゃん……」


 マーシャリーもアルバの力で記憶を見ていた。その場にへたりこんでいた。


「わ、私のせい……?お姉ちゃん……ダァト……ご、ごめんなさ……」


 アルバは猛撃の中で、ふむと考え込む。


(無駄も多かったけど、色々分かった。

 魔女に目をつけられてるってことも、''ゾフィー''って名前の偉そうな魔女の顔も……()()()()()()()()も)


 その時、ガクンと体が傾く。


「――!!」


 足を取られた。足元に蟻地獄みたいに土砂が広がる。負けじと土砂が塩灰に変わるも、それに埋もれていった。


 このままでは窒息してしまう。


「マーシャリー!手伝って!」

「来ないで!!」


 アルバの叫びに魔女が張り合った。

 マーシャリーは埋もれゆくアルバに近づこうとするが、立ち止まってしまった。戸惑っている……


「呪文!黒魔術を解くのに、二人要るんだよ!」

「私のことを想うなら!私にこいつを殺させて!」

()()()!マーシャリー、()()()()……」


 アルバは沈んでいく。



 マーシャリーは取り乱した。

 姉が子どもを殺す。人殺しを誰より嫌っていたのに、ついに一線を越える。


「まだ間に合う……!お姉ちゃん、もう殺さないで。殺した分だけ傷つくの、分かってるでしょ!もう自分を傷つけないで」


 振り絞るように言った。

 そんなことを言えた立場ではないと彼女は分かっていた。姉に重みを背負わせて、自分はぬくぬくと理想の暮らしを楽しんでいたから。けれど……


 姉が微笑む。


「――マーシャリー、ほんとは私のこと嫌いだったんでしょ。疎ましかったでしょ。

 そうよね。だって私たち、別々の人間だもの。私は、あなたが、一人の人間として生きていくことを奪ったんだ」


 その目には涙が溜まっていた。


「マーシャリー、なんで……泣いてるの?私とあなたは別々の人間なのに。私が人を殺すのに。なんで泣くの?」


「……!!」


「あなたに言える?魔女は嘘を吐けないのよ。言ってみせて。あなたは……【なぜ泣く】の?」


 その瞬間、マーシャリーは呪文が()なのか理解した。


(――【私はあなただから】……)


 妖精伝説のワンシーン、その掛け合い。それがそのまま呪文になっているのだ。


 マーシャリーは魔術の創者を心底恨んだ。


(ダリアス……!)


 かつて樹海にいたという地底民の末裔。樹海を舞台にした妖精伝説をもとに、この呪文を設定した。

 それは、黒魔術の解き方にしては美し(おぞまし)すぎる。どんな歪な心を込めれば、そうなるのか。


「……」


 彼女は呪文を口にできなかった。


 嘘になるから。言わないことが、むしろ二人のためになるから。


 しかし、それは同時に『アルバ(子ども)を見捨てる』という選択を示していた。マーシャリーにとってはそれも許し難い行為だった。



 葛藤だった。



「――ごめんね」


 魔女の頬を水滴が伝った。

 マーシャリーはわずかに目を見開き、こらえるように細めた。


 残酷だと分かっていて、唱えた。


「なぜ……泣くの?」




「――私は、あなただから……」




 マーシャリーは、その清々しくも物悲しい微笑みに、ひどく傷ついた心地がした。



 黒魔術が解ける。

 夜がほどけて昼がたなびく。眩しい太陽光がステンドグラスを透過する。


 マーシャリーはすぐさま土魔法でアルバを掬い出す。


 左腕が、砂の中から出た。アルバの腕だ。


「あ……?」


 マーシャリーは腕を引こうとした。

 しかし伸ばしたその指先から、白い塩灰に分解されていく。


「――ッ下がって!!」


 魔女はマーシャリーの指を即座に切り落とした。力が抜けて立てない妹を庇って前へ出る。


 砂の中から現れたのはアルバだが、異様な紋様が額まで広がっており、瞳は赤い。


「『条件がいろいろ変わったの。試したくって』」


 地から這い出るのは女の声。ぞわぞわと恐怖が迫り上がって、魔女の呼吸は荒くなった。


「なんなの……マーシャリーが何したっていうの!?」


 首をゆっくり傾げながら、


「『()()()()()()。どちらかよ』」


 目玉をきょろと動かして、二人を交互に見つめる。


「『さて、どっちを殺そう?別にどちらだっていい。あなたでも、あなたじゃなくても』」


 アルバ(ハクア)はマーシャリーを指差した。


 その腕は変貌していた。白い羽毛と鱗。手の甲に、前腕に、覆うようにしていくつもの目が……!



 魔女はハクアが指し示す方向に割り入って、マーシャリーを守った。


 途端、魔女が白い塩灰に成り果てて散らばった。


「お姉ちゃん――」


 マーシャリーは姉だったものに触れる。落とされた指から流れる血がついた。


「――なんでよ!?」


 叫んだのは魔女だった。


「マーシャリーはあなたを守ったのよ!?抹殺を命じられたけど、跳ね除けてっ……あなたが子どもだから!」

「『そうなの?』」


 彼女は殺される直前に急遽分裂し、ハクアの無慈悲な魔法を防いだのだった。


「『でも、弱い方をやる方が楽しいわ』」


 ハクアの容赦ない魔法を喰らって、魔女の魔力は目減りしてゆく。


「『分裂して因果を押し付けているの?器用だねぇ〜そういうしぶといの、好き』」

「なんなの……!?こんなッ……聞いてな……」

「やめて……!アルバくんやめて!」


 マーシャリーは縋る思いで呼びかけた。


 落とされた指は瞬きする間に再生していた。

 それが魔女の不死性だ。それをものともせず、強制的な死を与え続ける。


「どうしてこんなことするの!?」


 不死身の魔女がなすすべなく殺される。これが太陽神の遣わした存在。邪神を討ち滅ぼす救世主。



「『――だって彼は救世主だもの。今度はこの町を救うのよ』」



 こんなに邪悪なのに。


 マーシャリーは愕然とした。



「ああ……」


 ついに魔力が枯渇した。


 魔女は妹に手を伸ばす。



(――マーシャリー、私の片割れ……


 私たちはずっと一緒


 騙されて、魔女にされて


 夢が叶わなくなっても


 私たちならきっと大丈夫……)



 二人の指先が触れ合う前に、ざらと塩灰になっていった。



「ああっ……あああ……!お姉ちゃん、ごめ……なさ……ずっと愛して……」



 魔女の目が優しく細まる。




 ――私にとってあなたの代わりはいないのに。


 あなたにとって、私は代替しうるのね。


 それってすっごく、さびしいわ…………



 ああ、ほんと。



 言った通りでしょう、ねずみ。



『代わりはいるのよ』





『――あなたにも、私にも』


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