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アンダートゥ  作者: ただの
第四話 善行には最適な日
20/64

4-8.生者を拒絶する者

前回までのあらすじ:

 妖精の本性を見抜き、牙を剥くクロエド。あと一歩のところで魔法で退けられてしまう。と同時に起こる空の異変。まだ見ぬ犯人を思い浮かべながら樹海に戻るのだった。

 一方ジャックは、影のない魔物の誘惑に打ち勝つが……


登場人物

アルバ:

死んだっぽい。


クロエド:

竜族の青年。心身の疲弊を無視した代償を支払う時が来た。


ジャック:

エンダーソンの商人。奴隷商人の一族の出らしい…


教父:

教会の長。九十歳越えの老人。大教母に認められ、再び故郷の地を踏み締めることを夢見ている。


ダリアス:

ダァトの父親。地底民の職人魔術師。


『――ダァト?お前のガキの名前か?たいそうな聖霊からとったなあ。名前に恥じない強い子になれよ……』

 

 ダリアスに、幼子を抱いてみるかと問われた。

 断ったこと、後悔はしていない。


『ダリ、奥さんのことは残念だった。長いこと心を病んでたし、魔に惹かれたのも無理ない。あそこは昔からそういう魔力のある場所なんだよ。お前のせいじゃないさ』


 血のつながらない幼子と二人取り残された親友。

 泣きじゃくる幼子のくしゃくしゃの顔に、母親を取り戻してやろうと心に決めた。なに、ほんのちょっとした善意だ。


『言ったろ。この事業は町おこしになるし、教父たっての希望なんだ。ネアドを味方にできれば、樹海の探索は大幅に進むはずだ。奥さんを取り戻すんだよ』


 とはいえ、結果のついてこない善意は自己陶酔と同じ。事業に化かし、最大多数の幸福を目指そう――面白くなってきやがった!


『金が要るんだ。何もやばいとこに売ろうってんじゃないんだ。いいよな?』

 

 そう自身に問いかけた。

 なあ、俺、断じて違うよな?最大多数の幸福のために、最小の犠牲を甘んじて受け入れる――なんて情けないストーリーは。

 善意を担保する犠牲なら尊い、なんて言い訳を。

 俺は断じて許さない。






 濁った水の中、一筋の光が差し込む。


「――東でよく面倒見てもらったもの。……のため」


 冷たいところから引き上げられる感覚がした。




「――ジャック!」


 名前を呼ぶ声に、目を覚ます。腹の底から何かが込み上げる。


「うぷ」


 ジャックは盛大に水を吐き出した。よだれを垂らしながら、必死に呼吸した。いつも当たり前に周囲にある、空気というもののありがたみを思い知った気がした。


 そばにクロエドの姿があった。あたりに魔導蟲が群がっていた。


「い……生きてたか。へ、へへっ……クロさんには感謝してもしきれねえな」


 そう言って、嗚咽で滲んだ生理的な涙を拭った。

 ふと視線を横になると、


「うう……ん?」


 何かの死骸が視界に入った。


「これは……クロさんがやったのか!?」


 森で遭遇した異形――人喰い魔の死骸だ。

 何かに一斉に襲われ捻られたのだろうか…いくつもの原型を留めない死骸に、あるいは飛び散った肉のかけらに魔導蟲が群がっているようだ。


「俺じゃない。あんたを助けたのもそいつだ」


 死骸は樹海の中心――泉の方へ向かって連なっている。

 みななぜか、共食いや共倒れしている異様な状態で死んでいた。



 クロエドは、ジャックに今の状況をかいつまんで説明する。


「――魔法が禁じられた……!?」


 ジャックは洞窟で火の魔石が使えなかったことを思い出す。


(あれか……!)


 点火装置(ライター)がだめになったわけじゃなかったことを察して、なぜだか安堵を抱いた。と同時に、親友の姿を思い浮かべる。


「なら、地を抉って俺を引き摺り出したのは……」


 この状況下で魔法を使える人物。それは――


「十中八九術者だ」

「それが、ダリだっていうのか」

「……見ろ。雑な転換だ。魔力残滓を隠す気はさらさらない。証拠に……」


 大量の魔導蟲が光の道を奥へ奥へと作っていた。その何者かが敷いた、光でできた死の道だ。


 怯えて引き返すことはしなかった。


 二人は泉の方へ続く道を進む。

 クロエドは喋らなかった。沈黙に耐えかねたジャックが口を開いた。


「俺を……疑ってんだろ。事情を聞かないのか」

「……話したいなら聞くよ」


 ――自分は、クロエドに罵られ、問い詰められることを望んでいたのかもしれない。簡単に言い訳できたろうから。


 そう思った。


 かなわず、観念して語り始める。


「俺の親父は最低な奴隷商だった。てめえの家族を売り物扱いしやがる」


 シャウジャンニーの姓を聞いた途端、マーシャリーの目の色があからさまに変わったのを思い出す。


 誰であれそうだ。どれだけ良好な関係を築いても、悪名高い奴隷商人の一族とわかるや否や、眼差しは軽蔑を孕む。


「くそったれな家を出て、結果、俺も奴隷商になった。だけどそれは手っ取り早く身を立てるために慣れた仕事を選んだにすぎない。割り切ったんだ。

 それに俺は親父とは違う。俺の仕事は社会奉仕。みなしご専門、実に良心的な、養子縁組斡旋事業ってやつだ。養親は基本厳選するが、大金はたく訳ありに売ることも、そりゃある。善行には金が要るからな」


 力強く言い切った。そして、ジャックはクロエドの顔色を伺った。

 そこに感情はなかった。ただじっと話を聞いている。責めるでもなく、好奇心がありそうな感じでもない。


 それなのに、なぜこうも脂汗をかくのか。ジャックにはわからなかった。


「それをとがめたやつがいた。それがダリアス……この町で商いするのに手を貸してくれた、いいやつだ。

 そいつがひどいって言うんだ。子どもを売るだけ売ってあとのことは知らない、それで金を稼ぐなんて、てめえの親父と一緒だ、だってよ。ひでーのはどっちだよ」


 腹の底から、太く通る声を発する。怒りのような気持ちだった。


「どこが悪い?透明な子どもを半人前にしてやるまでが俺の仕事だ。その後自立できる(一人になれる)かはそいつ次第だ。

 寒空の下飢え死にしないですんだ!あたたかい家と食事。勉強できる幸運が分からないのか?あげく金のある家に売られて……何が不満なんだ!?

 もってるもんを使って、どんなことをしてでも生き残って、自力で人生もぎ取るんだよ!!できなきゃ何にせよ早死にするだけだ」


 悪いだなんて今でも思わない。


「あいつは、お上に通報しようとした。バカだよな、俺のしてることは届出をしてる、法に則った真っ当なことなんだから、意味なんてない。

 俺はほっといたよ。知ってたからな、あいつ自身も孤児で苦労したって。妙な正義感で突っ走って、ホントバカなやつだなって。

 でもネアドは違った。あいつは大教母に心底焦がれてて、また黄金島へ戻るって夢だけを支えに生きてた。事業で実績を出すのは、老い先短いあいつにしてみりゃ人生最後のチャンスだった。

 痛めつけて樹海の真ん中に捨て置いたってのを知った時には、遅すぎたよ」


「……!!教父が……」


 ――顔をそぎ、腕を落として……


 ジャックは教父を問い詰めた。罵って責めたくて、そうした。


『ネアド!!お前ダリを……!』

『……彼はよりにもよって帝都の大聖堂に通報しようとしました。私の悪評が大教母様のお耳に届くやもしれぬ……決して看過できません』


 いつもと変わらない様子だった。人一人殺しておいて、後悔は微塵もない。


『それに、あなたと私何が違うというのですか?大金はたいて子どもを買っていく団体がまともだと本気でお思いですか?

 私たちは何も直接手を下したわけではありません。樹海の真ん中に送り出し、あとは知らんふり、やってることは同じでしょう?

 ――あなたと!!何が違うというのか』


 最後の叫びに、教父の人間らしさが詰まっていたのだと思う。神に人生を捧げて失ったものだ。


『全然違う……違うだろうが』


 ジャックはこう思った。


 ――俺たちはガキに土産をもたせてやった。

 だがお前は奴から奪った。拷問し魔法を奪った。


『あなたのうろんなお得意様……あなたはたずねないから知らないでしょうが、楽しそうに教えてくれましたよ。実験動物の使い道について』


 教父が低く呻く。


『救いなんて知らなかった方が、かえって苦しまずにすんだものを……』



(誰だ?こいつ……)


 

 ジャックはぼうっとその老人を俯瞰した。急速に彼との距離が遠ざかるような感覚を覚えた。



(元々こういうやつだった?とっくの昔にイカれてた?――わからない。だって興味、なかった)



 夢以外の何にも、関心などない。




 クロエドはジャックの話に、感情とかいう雑味を持たないように努めた。肝心なことだけ頭に残そう、と。


「ならダリアスは……」

「ふふは!奴は並の魔術師じゃない、そう簡単に死なねぇよ――ダリは生き残った。樹海の……妖精が奴を救ったんだ」


 クロエドはぐっと拳を握り込んだ。


(ここにきて妖精が絡むか……!)


「信じられないだろ?あの若返りの泉と妖精が実在するなんて!でもほんとなんだ。なんたって、奴はガキの姿で俺の元を訪れたんだからよ」



 ……奴は大雨の降る夜、ふいに現れて淡々と話した。


 教父に殺されかけた。この町にはいられない。いっそ良い機会だと思ってかつて夢に描いた地底王国を探しに行く、と……

 ダァトを託すと直接言うためにわざわざ姿を見せた。


「あいつは認められないだろうけど、どう考えても俺に触発されたんだろうな。地底王国……馬鹿馬鹿しい。我が子を捨てててまでやりたいことか?他人の夢をくだらないと思ったのは初めてだよ……」



 ――それから……もしも数年後、ダァトに真実を明かす時。父親が、失踪したのではなく、地底王国を探しに旅立ったということを知らせる時には。


 この呪文を伝えてほしい、と。


『これはダァトにやったのと同じものだ。いつか彼に伝えてくれ。発動の呪文……【地底にて待つ】と』


 二つで一組の魔法道具さ。

 『再会のペンデュラム』――あいつはダァトが持つものと対になった自分のペンデュラムを、泉に沈めてきていた。

 若返りの泉が俺にとってのメリットだ、と言わんばかりに。

 

 ……どういうことか分かるか?


 あいつが新しく作ったもう一組のペンデュラム。

 一つは地底王国へ。対になったもう片方を、俺によこした。


 魔力を込めれば発動するプロトタイプと違い、呪文を知らなければ発動できないもの。


 わざわざ劣化品を作ってよこした。


 二つはそっくりだった。





 すり替えろと。



 言いたかったんだ。




 *




「……すり替えたのか?」


 ふーとジャックは額に手を当てて、その後両膝を軽く叩いた。


「……どうしてもできなかった。やらなければダァトがペンデュラムに魔力を込めて、樹海に入ることは想像できた。

 でもできなかった。だったらダリの奴を追いかけて連れ戻そうと思うだろ?――見ろよ」


 彼がポケットからペンデュラムを取り出す。すでに発動していたのか、光が伸びている。


「一番最初に発動した時と、なんら変わらない」


 ぼんやりとした光は、ちょうど二人が目指す方向――この先の道の上に重なっていた。


「な?もう意味わかんないだろ」

「…………」


 ペンデュラムが指し示す方角は南。樹海の中心だ。

 彼が旅立っていった先、地底王国はその方角なのだろうか?


「何度、何度やってもな、何も変わらないんだよ」

「…………意味が分からない」


 旅の道中、一切進む方角が変わらないとは考えづらい。しかも光は、旅立った直後のそれと全く同じだという。


 つまり、それは『旅立っていったはずのダリアスが樹海にいる』ことを示唆しているのだ。


 いるはずがないのに。

 彼の旅立ちは、我が子を他人に託すほどの情熱を傾けた''夢''に裏打ちされているのだから。


 全くもって、なぜそうなるのか意味が分からない。


「なあ?こんなの確かめたくもなるだろ。しかもそれが分かった矢先魔鼠に襲われたし、もー俺は何が何だか。あいつなんかやらかしてその報復なんじゃねーかな、とか思ったり。マーシャリーみてぇにあいつがやったとまでは考えつかなかったけどよ」


 もちろん、ダリアスがダァトを裏切ってペンデュラムを樹海に捨てていったことは考えられる。


 しかし……クロエドは、もうきっとダリアスはこの世にいないのではないか、と直感的に思った。



 ジャックはその場に立ち止まった。

 習慣から自然と煙草を取り出す。ぎこちない手つきで煙草をつまんだ。


「奴は……」


 火を点けようとするが、手が震えてうまくできない。


「生きている……」



 クロエドは彼の背を押した。


「こんなところで止まるな。行けば分かる」


 魔法で殺された痕跡のある人喰い魔の死骸が、森の奥へと続いている。


「全く、おっしゃる通り」


 ジャックが顔を上げる。ニッと笑っていた。


 いつも通りを取り戻した。そんな彼の豪胆さに感心して、クロエドは思わず口元を緩めた。



 それはそうと、


(……誰かつけてきているな)


 尾行の気配はしっかり感知して。



「クロさんを見つけたのはマジで偶然だよ。私情を挟まず金で動くプロ。まさに俺が求めてた人材!」


 ビシッと両手で指さしておちゃらける。

 しかし、すぐに手を合わせて謝ってきた。


「でもごめんなぁー。ほんとは狩人じゃないんだろ?哀れな中年にのってくれたんだよな」

「……」

「てか悪い、普通に魔術はげかけてて気づいた。結構若いだろ。親父殺し()じゃぶじゃぶ飲ませちまったぜ」


 かっとクロエドの顔が赤くなった。魔具の効果が薄れていたことを思い出した。クロエドはローブのフードを引っ張った。


「騙すつもりは……あった」

「いいっていいって。結局魔女を探すとか後回しだし。俺ァ正直言うと魔女って妖精のことなんじゃねーかなっと思ってたんだ。てか、それ以外ありえないって思い込んでたね。クロさんが何も言わねえのをいいことに連れ回して意味深なこと言いまくって、内心で俺すげぇドヤ顔だったのよ。がはは」

「別に……あながち間違いじゃない。俺も妖精を殺すつもりだから」

「はっ?」


 クロエドはこれまでのことを話した。


 一番初めに樹海に来た時に、妖精に会ったこと。妖精のそばには魔鼠が侍っていたこと。


 妖精が町に潜んだ魔女を殺せ、と頼んだこと。魔鼠は魔女の元使い魔だったこと。


 頼みを断った自分を、妖精は三日三晩樹海で彷徨わせたこと……その後町に辿り着き、ジャックに出会ったこと。


 樹海を通り抜けるため、魔女の正体を探っていたという経緯は明かしたが、自分の素性については伏せた。


 話し終えた頃には、エンダーソンの魔女にもらった薬が効き始めて、倦怠感も幾分かましになっていた。


「――さっき……!会ったのか、妖精に!」

「あれは魔物の類だ。町の失踪事件もあれのせいだろう」

「健気だねぇ。しかし最近こそ失踪者数は増えたが、ちょうど……そうだな、ネアドがこの町にやってくる前は、ほんとにちらほらだったはずだが」

「いよいよ枯れるとなって焦った」

「なりふり構わずか。……デカ鼠の寝床で首の山を見つけたよ。むごいことをなさる。それも妖精の命令か?」

「そうだ。奴は魔鼠の魔族を取り込んでいた」


 妖精を守って立ちはだかるパンの血走った目を思い出す。

 その背後で怯えた表情の妖精――一瞬、真顔に戻って眼前の鼠を凝視するのを、クロエドは見逃さなかった。

 魔物は、獲物の心に深く喰い込み捕らえている。


「ほー早計じゃないか?魔女の使い魔なんだろ」

「……元だ」


 ジャックが顎を触って考え込む。クロエドは彼の様子を伺った。


 使い魔を持つというのは、邪教の女魔法使い特有の特徴だ。

 エンダーソンの魔女は所詮薬師、使い魔はいないと考えるが妥当だ。


 そこが矛盾している。


 その答えを、ジャックが知っているのではないかと思った。

 しかし、彼の反応――本当に邪教の魔女が町にいるとでも言いたげだ。

 それとも、彼の頭にも宿屋の女主人の姿が浮かんでいて、隠しているのか……


「元ねぇ……魔女と使い魔の関係は奴隷契約のそれとほぼ同じだし、明確な裏切りを魔女が感知できないはずないんだが」

「あんた……やけに魔女に詳しいな」

「出身が出身だからな」


 奴隷商人の一族の出だ。契約には詳しいということだろうか……


 クロエドは首を振った。


(――いや、今更どうでもいいことだ。妖精を殺せれば、それで構わない)


 ややこしいすべてのことを頭の中から振り払う。重要なのは魔女を殺すこと、それだけなのだ。



 休憩がてらに足を休める。ジャックは適当な切り株に座り込んだ。


「しかしわからねぇのはクロさんだ」

「俺が?」

「どうやって''禁域''を抜けたのか、だよ」

「ああ……」

「魔術には発動方法と同様、解除方法が必ずあるよな。マーシャリーの儀式から思うに……おおかた『正式名を差し出した人間に、術者が許可を与える』とかだろうな。禁域の生みの親(ネアド)らしい、知られたところでできやしない意地の悪い方法だ」

「は……あまり魔術には詳しくないんだな」 


 クロエドは腕を組んで木にもたれた。


「危険に備え、あらかじめ例外や解き方を定めておく。解除法は普通、行動なら()()、言葉なら()()というんだ。発動も同じ、儀式と呪文。その儀式で俺は偽名を使った」

「……!やるねぇ!正式名はブラフってことか」

「それだけじゃない。儀式そのもの……全部ハッタリだ」 


 ジャックがほうけた表情を浮かべる。クロエドは内心いい気になって、少し饒舌に続けた。


「結界魔術には、共通して()()()と呼ばれる儀式が要る。柵でも何でもいい、対象空間を確定する何かだ。マーシャリーの儀式の場に、そんなものは見当たらなかった。だが道中ひとつだけそれらしいものがあったよな」


 マーシャリーが彼らに名前を聞いたのは、樹海へ立ち入ってしばらく歩いたのち――探索隊の拠点でのことだ。


 ジャックは一拍考え、ハッと気づいて身を乗り出した。


「入り口地点!樹海をすっぽり覆う魔除け縄か!」

「魔除け縄もある意味魔術……大掛かりな儀式にはそういった魔法道具の類を使うものだ。間違いない。それらしい動きや不審な言葉もなく、儀式におあつらえ向きの門を通過した時点で、禁域はすでに解かれているのではないか、との仮説が思いつく」

 

 しかし、とクロエドは伏せ目がちに笑んだ。


「それもすぐ崩れたがな」

「なんでだよ!」

「マーシャリーの体質だよ。魔素酔いは魔法使いに不向きな人間の特徴だ。術者ではありえないということだ」


 樹海に入った時マーシャリーは魔素の濃さに過敏に反応していた。


「なに、ネアドと二人で立ち上げたんじゃなかったのか」

「いや……結界の広さに消費魔力は比例する。樹海の広さから見て、尋常じゃない量が要る。協力者は一人と言わず、十人いても足りないくらいだ」

「はあ……じゃあ……?」

「魔法道具を売り捌いてるくせになんで知らないんだよ……簡単な話だ、前提が間違っているんだよ。禁域は実現不可能だってこと」 


 ジャックはその意味を咀嚼し、噛みきれず、吐き返した。


「じ、実現不可能だって???」

「いいか?あれは魔術師の中では最も有名な禁忌に思いっきり触れてる。それが生死にまつわる魔術式だよ」


 声をひそめ、忍び寄るような口調で続けた。


「魔術師ってのはな、ある意味言霊(げんれい)の魔法使いなんだ。哲学者や言語学者が派生するくらい言葉、現象、定義、解釈……形のないものを扱ってきた」

「よくわかんねえけど、すごいことじゃないか?」

「人の身でありながら世界の法則に迫るんだ。わからないか?狂うんだよ……」



 ――昔、いたんだよ。

 生死の定義を暴こうとした、偉大な魔術師。


 生の解釈。死ぬという現象。

 感覚。意識。思考……

 果てに、肉体という拠り所と、


 魂という概念……



「――革新的な発明と発想。何冊もの魔導書を創り上げ、歴史を大いに発展させた偉大な魔術師は……

 晩年、神の領域を犯し人道からはぐれた。その末路、『世界法』という名の奇書を遺してひっそりと姿を消した……

『汝、境界に触れることなかれ』。

 その言葉から始まるその奇書は、読むと狂う禁断の書として今も厳重に学都のどこかに封じられている。

 神の定める無明領域は、認識すら許されない。それが魔術師の間の常識なんだよ。狂わないための、な」


 ジャックは言葉を失った。


「さすがに理解しただろ?霊文は『生者を拒絶する』だったな。この生者という言葉がもう反してる。終式ならまだしも、まさかの起式だ。初っ端からお話にならないんだよ」

「シューシキ……キシキ……?」

「……とにかく不可能なんだよ……」

「俺ぁそういうむつかしい話は脳みそが受け付けないんだよ!だがよ、これだけは分かる。奴の結界は本物だ。樹海にも教会にも、奴の私室にだって張られてる」

「し、私室?」

「おう。無断で入って引っかかって、三日寝込んだ」

「……」


 クロエドは咳払いした。


「結界自体が存在するなら……そう、霊文からたばかってるとしか思えない。魔術を知れば、そいつの人格はあらかた分かってしまうものだ。命とも呼べる霊文で嘘をつき、生ける者すべてへの拒絶の意を吹き込む。

 ――まともじゃない。教父は気が狂って久しい。大教母から遠く、閑職に追いやられた理由も……言わずとも知れる」

「はーそんなに悪いやつじゃないぜ。ちょっと変人なだけのじいさんだよ。エンダーソンに信者が多いのもあいつがちゃんと教父やってきたからだ」

「よく言う。マーシャリーに侵攻の犯人は教父だと言ったのは誰だったか」


 ジャックは、クロエドの皮肉に思い当たったろう自身の発言――『たとえ狙ってやったにしても、犯人は町の実情を知る相当高位な魔術師に限る。つまりお前の上司しかいないだろ』……を軽く受け流し、あっけらかんとして答えた。


「あれはつい。だいたい腹心のくせに悪事に加担してないのもどうかと思うね」





 示されたのは一本道で、二人は迷いようもなく歩を進めていった。しばらくして一瞬道が途切れ……


「……ん?おい待て」


 開けた場所に出た。うねった木々の根と、苔が敷かれた土が広がる。

 道の脇を赤く彩る魔鼠の死骸に、既視感を覚えた。


「ここ最初のとこだよな……?」


 魔導蟲の光が届かぬ森の奥から、ぬかるみのような風が吹く。小さく鈴の音を運んだ気がした。


「なんか見覚えしかねぇけど……」

「やられた……()()()だ」

「惑わし?」


 クロエドの脳裏に、三日三晩樹海を彷徨った苦い記憶がよぎる。


(妖精の魔法とばかり思っていたが……)


 新たに魔法行使ができないこの状況で、''惑わし''は発動している。常時発動型の魔具が機能しているのと同じ理屈だと思われた。であれば、効果が弱まっていくはずだが……


(あの時、俺の体感時間と表の時間はズレていた……時間も空間も歪んでいるんだ。時間経過で魔法が弱まる保証はない!それどころか……)


 パンは、歪みに放られる目安時間は、竜樹の怒りを反映していると言っていた。


「よくわかんねぇが、もしかして結構やばめ?」

「……」

「どんくらい?」

「永遠にこの歪みに閉じ込められる可能性すらあると言ったら伝わるか?」


 ジャックの眉尻が下がって口が開いた。


「……手立ては?」

「あらかた試した」


 ジャックは「うおー」とか「あー」とか言いながら、うろうろし始めた。


(考えろ……何かあるはずだ、何か……抜け道、例外、行動と言葉……()()が!)


 魔術の創生者は必ず魔術のほどき方や、例外、安全網を魔術式の中に入れ込むものだ。

 それは、使い手の想像でいかようにもなる魔法にはない概念だった。

 万が一に備え救済策を用意しておく考え方は、魔術から魔法に逆輸入されたものだ。

 とりわけ常時発動型の魔法であれば、その考え方が色濃く反映されているはずである。


(何か……)


 現代の魔法使いであれば。古い魔法でなければの話である。



「――あ!あるじゃねぇか」


 ジャックが言った。


「こいつだよ!こいつを使う」


 ジャックはペンデュラムを見せた。今にも消えそうな光が朧げに指す方角は、やはり魔導蟲の道がゆく方と重なっている。

 クロエドの訝しみの表情に、ジャックは騒ぐ。


「何だよ、とにかくやってみなきゃ分かんねぇだろ。それとも他に何かいい案あんのか?」

「いや……歩きながら考える」


 疑念は大いにあるが、代替案は思い浮かばない。とりあえず足と口を動かすことにして、心許ない光を頼りに前進する。


「それは……ダリアスが作ったんだよな?」

「ああ、あいつが作った魔具だ。詳しいこた知らないけど、量産はできない貴重なもんだよ。奴が故郷からかっぱらってきた石を材料にしてる」

「故郷?」

「あー……なんだっけ、月の谷とか」

「……月の谷……?」


 クロエドはどこかで聞いた覚えがあると思った。


「あ、そういや引き合う性質が分かったのも偶然だってな。魔除け石って言われてたから、割って持ち運びやすく加工したんだと。そしたら別の用途に使えそうなのが判明して、こうなったってわけ」

「見せろ」


 垂らされた石を手にとって観察する。冷たさの奥に、わずかな熱のおこりを感じる。かすかに脈打っていた。


(ほとんど魔術を施した跡がない……?)


 『遠くから相手の居場所を当てる』魔術。

 考えられるのは、例えば空間魔術や探知魔術……何だろうが複雑な魔術式が組まれているはずだが、その形跡がない。


「他に何か言ってなかったか?何でもいいから思い出せ」

「あー……確か、闇の魔術は解明できないって……形にはできるけど読めないとか」

「闇の魔術……?――黒魔術のことだな」


 非魔術師が黒魔術と聞いた時、『邪悪な魔術』『不道徳』『非人道的』『禁忌』といった負のイメージを共通して抱くだろう。


 間違ってはいない。

 悪魔召喚の儀式だとか、呪い……例えば人を殺す魔術。

 そうした人に危害を加える魔術のことを、黒魔術と呼んで人々は恐れてきたから。


 ただ近世、学都が再定義した黒魔術とは『解明できない魔術』をいうのだ。そして解明できない魔術は、おおむね人を傷つける。


「話してて思ったけど、これも黒魔術だったり?」

「ある意味な。がぜん成功する気がしてきた」

「なんでだよ」

「つまりこれは魔具であってそうじゃないんだよ……!」


 クロエドは嬉々としてジャックの方を振り返った。


「ダリアスの発言の真意――それは卑下だ。

 ペンデュラムを黒魔術と比喩して皮肉った。

 『ペンデュラムは解明できない』と作った張本人が言ったということだ……!」


 期待を込めた瞳を向けた。


「……わかんねぇよ!!お前ら魔術師は何言ってんだかマジでわかんねぇんだわ。魔具ってバカでも魔法を使える道具のことだろ?じゃあこれも魔具じゃねぇか!」

「あんた本当に魔具商人だよな?」

「おお、売るのが仕事だ」

「商人が商品を知らないが通るか!?」

「目的と使い方と禁止事項さえ分かればいいんだよ!面倒なこたダリにやらせればいい」


 その一言でクロエドは察した。ジャックがダリアスという人材を失ったのは本当に痛手だったのではないかと。


 ジャックに理解できるとは思えないが、律儀にも一応説明を試みる。


「魔法道具にも厳密には分類があるが、非魔術師は違いが分からないので一緒くたに魔具と呼ぶ。あんたみたいにな。

 ここでいう魔具は、製作者があらかじめ魔術を刻み込んだ道具のことで、『魔力を込める』という行為を儀式に設定したものだ。()()()と呼び分けされる。

 魔導書から着想を得て創られたそれは、魔術の仕組みを理解せずとも奇跡を起こすことができる、庶民向けの革新的な発明なんだ」

「……ウン」


 もうすでに、神妙な面持ちだ。


「……対して、本来の魔法道具は『魔石を組み込んだアイテム』のことをいう。魔石は魔法の媒介だ、装飾品にして肌身離さず身につけるのが常識だ……ってことは流石に知っているな?」


 魔法道具は、魔法の源である魔石を組み込んだ道具。

 対して魔導器は、魔術を刻み込んだ道具のことだ。


 前者は魔法で、後者は魔術――便宜上、どちらも魔具と呼ぶが、二つは仕組みが全く違う。


「ああ、マーシャリーのブローチとかだよな。土の魔石のやつ」

「アンタの点火装置(ライター)も火の魔石を組み込んだ魔具だ」


 想像力に乏しいジャックが点火のイメージをしやすいよう、ダリアスが作ってくれたものだった。


「ダリが作ってくれた。これ使いやすいんだよ、もう三個目だ」

「……ダリアスは恐らく、この石自体が持つ引き合う魔法を、偶然引き出せる形に加工した。

 それが振り子(ペンデュラム)だった。理由は(わか)らないがそうなるのを発見して、今度は二つ一組の魔導器に整え、『再会』というイメージを与えた。アンタのライターとやってることは一緒だよ」

「……ウン……」


 クロエドは結論だけ話せばよかったと後悔した。


「つまり!――ペンデュラムは魔術ではなく魔法なんだ。

 この石はただの飾り石ではなく、魔石。しかも最も需要のある等級に属する、特殊効果を持っている代物」


 ダリアスは、元々魔法の力を持つ白い魔石を、もっと使いやすい形に整えた。

 『魔力を込めれば発動する』『呪文を唱えれば発動する』といった魔術式を刻み込み、魔導器に仕立て上げた。


 つまり、ペンデュラムは魔導器でありながら、純粋な魔導器――魔術ではないと言える。


 高位の魔術師であるダリアスが、それをよしとしないことは容易に想像できる。


「すっごく高く売れそうな石だってことは分かった」

「いいか!?魔法は魔術に必ず勝つ。

()()()()()()()()()()』!その時勝敗は使い手の想像力で決まる!より強い魔法のイメージを持てた方が勝つんだよ!」

「気持ちの問題ってことか!?」

「そうだ。惑わしが魔術だろうが魔法だろうが関係ない。あんたはただ信じればいい」

「ダリと会えることを?」


 クロエドは返答に詰まった。


 一点を動かないダリアスの居場所が示しているのは、彼の裏切りか死だ。

 加えて、ジャックはダリアスの死を直感しながらも生を願っている節がある。


 この葛藤は、信じる心を邪魔する。



(――関係ない!!)



 クロエドはジャックの目をまっすぐ見据えた。



「――生きてる前提でやるって自分で言っただろ。自分の言葉を信じろ」




 すると、ジャックの手の中で、ペンデュラムが強く光り輝き始めた。ジャックの魔法のイメージが反映されたのだ。


 光は液体のように溢れ出て、魔導蟲の道の脇に垂れた。

 力強くも柔らかい線が真っ直ぐ奥へ伸びる。辺りを暖かく照らした。


「行く道がいつもこうだったらいいのに」


 ジャックはやや前のめりで、クロエドの一歩先を行く。垂れる光の水滴が、彼の轍になった。


 クロエドは、自分の言葉がジャックに刺さったのを感じて不思議な感覚に陥った。

 自分の言葉が、人を動かす感覚は言い知れぬ快感がある。そうやって自分も誘導されてきたのだと思うと……


 そこまで考えて、思考を掻き消した。


(しかし、ダァトのものとすり替えなかったのは今にして思えば痛手だったな……あの子が後を追わなかったのは奇跡だ)


 ジャックがこのことに気づくと面倒だ、と思った。会話を続けて気を逸らさなければ、と。


(――尾行者の正体も見当はつく。もうひと押し……)


 クロエドはさりげなく背後に視線をやろうとした。


『振り返っちゃダメだよ』


 微かに鈴の音が聞こえた。背後からだ。

 一瞬の間を置いて、クロエドの心臓はかつてないほど激しく脈打った。


「今……何か」

「お〜()れてきた!こっちだこっち」


 ジャックは魔導蟲の道から逸れたのに興奮している。きっと何も聞こえていない。


 空耳だろうか。クロエドは恐怖を掻き消すように喋り始めた。


「……マーシャリーはこの町出身ではないそうだな」

「ああそうだよ。樹海の入り口にいき倒れてたのを町のもんが助けたんだ。

 あれも哀れな()でな。樹海の浅いところではよく自殺死体が見つかる。そういう引き寄せられた連中の一人なんだろうな……過去のことは喋りたがらないし、記憶がこんがらがってるのか話が噛み合わないこともあって、はじめは扱いに苦労したもんだよ」

「教父に引き取られたのか?」

「お手伝いさんとしてな。面倒見がよくてガキどもも喜んでたよ。そういやよく樹海に近づくなって怒ってんのを見かけたなぁ。

 樹海の人喰い魔は魔物をも食べる。()()()()()()()を引き摺り込んで喰らう……頭からぼりぼり!でも一番は子どもが大好物!小さな骨が寝床にはいっぱい散らばってるんだ、って脅してた」


 ジャックは上機嫌に続けた。


「子ども相手にグロいこと言うよなぁ。さすが兵隊上がりというべきか、結構キモすわった嬢ちゃんだよ」

「……人喰い魔のくだり……変じゃないか?」

「全部変っちゃ変だろ」

「特に死期がどうって」 


 単純に『人を喰らう魔物』と言い聞かせればいいだけだ。


「ああ〜ま、変な話だよな。死期なんてどうやったら分かるんだっつーの。失踪者の中には、別に病気も何もやってない連中だっていた。本当に死んでるとしても、普通は遺体なんか戻ってこねぇんだ、確かめることもできない。

 つまりは脅し文句、嘘っぱちってわけだ。そう諭されれば、置いてかれた奴らはまだ受け入れられるってこった」


 疑問だった。死期が近かったと諭されて、納得できようもない。火に油を注ぐような文句だ。


「誰が言い始めたんだ?」

「エンダーソンの言い伝えだよ。昔、先代が唾飛ばして言ってた。

 曰く〜『樹海に呼ばれた時点で死ぬさだめにあった。灰になるより名誉な死に方だ。お前たちの無意味な死で森を穢すな』ってな。当然総スカンだよ」


 先代の言い分。妙に断定した言い方だ。


「――あるいは……事実だから?」

「はあ?だとして、なんのために」

「分からない……が、樹海にはもっと何か秘密がある気がしてきた」

「そういうのはエンダーソン一族が知ってると思うが、奴ら全員死んだからなあ」

「は?」

「あ、町長の一族な。家名が町の名前と一緒でな。元々数少なかったんだが、魔鼠侵攻で当代含め分家もろとも」

「全滅……?」


 クロエドは身震いした。


(これが作為的でなくて何だというんだ……!?)


 鈴の音が後ろから追い上げるようにけたたましく鳴っている――幻聴だ。


 樹海に沈んだ名もなき犠牲者たちが、今にも足首を掴んできそうな妄想をした。



 *



 不意に森の空気が変わった。湿った空気が頬に触れ、遠くから水のせせらぎが聞こえてくる。


「よし……よし、抜けた!」


 ジャックが駆け出す。

 木々の隙間から、ぼんやりと輝く泉が見えた。ペンデュラムが導いた先は泉だったのだ。


 木の根のドームを潜り抜ける。魔導蟲が泉を取り囲んでいた。


 ジャックは泉のそばに駆け寄った。


 膝をついて覗いた水底。おびただしい数の骨が沈んでいる。

 中には子どものものらしき小さな人骨も混じっていた。


 ……ダリアスの死を確信するには十分だった。


「離れろ!」


 振り向く。そこには鼠がいた。

 ジャックは話に出た魔族だと直感し、湧き上がる怒りに身を任せて首元を掴み上げた。


「こ、こ、この、クソ鼠が……!!」

「待て!まだ……」

「――やめてっ!パンをいじめないで……!」


 軽い水飛沫と共に、泉から妖精が現れる。


「てめぇが妖精か!?てめぇは後回しだ!一歩でも出てみろ、すぐさまこいつで脳天かちわってやる」


 ツルハシの柄を握り込む。

 追いかけてきたクロエドが横から口を出した。


「まだ殺すな、聞きたいことがある」

「お願い、話をしましょう?パンが何をしたっていうの?」


 ジャックはクロエドの鋭い眼光に、このまま鼠を叩き殺してやりたい衝動をかろうじて押し留めた。


「……地底民がここに来たな!?泉で若返った男だよ!そいつがなんかしたから町を襲ったのか!?」

「な、何を言ってるのか分からない……ほんとだ、ダリのことを言ってんだろ?あいつは見逃したんだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなんか、ぁが」


 ぐっと鼠の喉が締まる。クロエドがジャックの腕を強く掴んだ。


「まだだ!魔鼠の群れを操って、町の人間を攫って殺したか?」

「こ、殺すって……?何のことだよ!?そりゃ警告はしたけど殺してない!」

「警告だと?」

「ちょっと襲って食べ物をもらったくらいだろ!たまにわざと姿を見せて、樹海に近づくなって……でもそれくらい!人間を攫うなんかしてない!」

「お前以外に鼠の主人がいるかよ!?」

「おれ以外ってんなら、魔女しかいなぁい!」






「――その通り。私が彼女に助言さしあげたのです。そうしてジャックより先に泉を見つけ出すように、と……」



 クロエドは振り返るまでもなく、声の主の正体を察した。


 現れたのは教父だった。鼠を模した仮面をつけた女がはべっていた。


「ネ……ネアド……!?」


 ジャックが一歩足を踏み出そうとするが、よろめく。

 彼の両足には、土がまとわりついていた。地面が盛り上がり、足を覆って固まる――土の魔法だ。

 同じようにクロエドの足も拘束されていた。


「これが若返りの泉ですか……おお、この大木……!まだ幼いですが竜樹ですね。そして、あれが……竜樹を守る妖精。いやはや、いつしか大教母様のおっしゃった楽園の光景とよく似ています」


 杖を振り乱して、教父はジャックの横に並ぶまでに泉に近づいた。


「あなたを救ってやって正解でした。見込んだ通り、あなたは私をここまで連れてきてくれた」


 どうやら死にかけていたジャックを魔法で救ったのは彼らのようだ。


(予想通りか。これは土魔法か?……あいつらが術者だ。道中のラッドラット殺しも)


 冷静に、冷静にとクロエドは自身に言い聞かせるが……


「つねづね疑問に思っていました。私財のほとんどをつぎこんでまで、あなたが探しているものは一体なんなのだろう、と……不老不死とは。あなたも存外凡俗ですね。大変結構です」


 口角が上がるのを抑えられない。口元を隠す。


(魔女――本当にいた。勘繰りすぎた。本当に、考えすぎだった。

 事態は単純。妖精と対立していた、黒魔術を扱う邪教の女魔法使い……教父と手を組み、町を襲った。おそらくダリアスも奴が……一方で、妖精もまた生き残るために人を惹き殺す魔物には違いない)


「不老不死ィ!?そんなつまらんもんいるかよ!」


(――どちらも仕留める)


 あまりの美味しい展開に、クロエドの口の端は手のひらの下で醜く歪んだ。


「おお白々しい。遠くから身内を呼び寄せておいて」

「身内?」

「狩人と言えば、あなたの故郷の殺し屋。そんなにあからさまで、気づかれないとお思いでしたか。まさかそこまで耄碌していると?まったく、歳はとるものではありませんね」

「何言ってんだお前……?」


 妖精はいつのまにか引っ込んでいた。


「この世に若返りが浸透すれば……ああなんて素晴らしき善行、聖者になるのも夢ではない」



 教父はひざまずいて泉を覗きこんだ。


 水面に皺だらけの老人の顔が映り込んだ。


「これで望みが繋がった。この年にして初めて深き神の恩恵にあずかろうとは……これまで長かった。これからも、きっとそうに違いない」


 泉の水を両手で掬い、啜った。

 老いからか感動からか振戦して……どんどん若返っていく。

 

「おお、素晴らしい!これは……!力がみなぎってくる。おお、若さの、なんと素晴らしいこと……!」


 皺が消え、肌にはりが戻る。白髪が色づく。背筋が伸びる。骨が音を立てて組み変わっていく……


「お、おい……どうなってんだ!?」


 一人の人間の人生が逆行するさま。ジャックは瞬きせず見入った。

 

「……あ、ああっ……?あれっもう」


 逆行がゆきすぎて、赤ん坊どころか胎児まで戻っていくのまで。



「きゅぅ……」



 その鳴き声を最期に、ぱちんと泡が弾けて人間だったものが消え失せた。



「ネ……ネアド…………」



 ジャックは生命の始まりに思いを馳せて、地面に尻をついたきり黙りこくった。静寂が重く森に垂れ込む。



 パシャ、と水音がした。


 妖精が泉から顔を出した。

 震えながら、竜樹の幹に縋り付くようにもたれる。



 その時、魔女が片腕を突き出した。

 動きに呼応するように、魔法――土の槍が地面から真っ直ぐ飛び出す。


 クロエドはちょうど脇を掠めるそれを、剣で弾き落とした。


「なんのつもり?」


 鼠の仮面で魔女の声はくぐもっていた。


「まだ奴らには聞きたいことがある。先にお前だ」

「……」

「空のはお前の魔法だな」

「だから何?」

「邪教の魔法使いを一度殺してみたかった」


 魔女は腕を下ろした。


「どいつもこいつも呆れるわね。私、優しいから一応教えてあげる。弱いやつから先に潰した方が効率的よ?」

「なおさら、お前だ」


 ジャックは彼らの問答を初めこそぼうっと聞いていたが、魔女の怒りの気配に当てられて意識を取り戻す。


「……いいわ。クロエド・ヒルシュマ。魔女は初めて?物知らずのあなたに特別に教えてあげる。あなたは魔女には決して勝てない」



 魔女が両手を叩く。動作に連動して、地面が手の形に盛り上がりクロエドを叩き潰した。


「うおおお瞬殺かよぉお……!!?」


 ジャックは正気を取り戻して叫んだ。



「――黙れ、下がってろ」


 クロエドの足元の拘束。力尽くで解かれていた。靴からぱらぱらと土塊が崩れ落ちる。


 ジャックは彼の無事を確認し冷や汗をかいた。


(信じらんねえ、魔法なしでフツー避けるか!?つーか……)


「魔女とやり合うなッ!!勝てるわけねぇだろ!?」


 魔女は魔法を連発する。

 薙ぎ払い、握り潰し、叩きのめす。意をのせた両手の所作に土が呼応する。


 しかし、そのどれもクロエドは軽やかに避けていく。

 地面に着地するたびに槍が突き上げるため、ほぼ滞空状態にあった。


「ひええッ!!」


 泉周りの大地は無惨にめくれあがる。砂埃が上がり岩の塊が飛んだ。

 ジャックは近くで放心していた魔鼠を引っ掴んで、樹々に身を隠して叫んだ。


「ここは手を取り合ってまず妖精を殺すとこだろーがッ!!?」


 べたっとジャックの両頬に肉球が押し当てられた。


「ふざけんなッ殺させないッ!」

「お前いい加減にしろよネアドがどうなったか見ただろ!?」


 抱えられた魔鼠が暴れ出す。ジャックはふらつきながらも彼を離さなかった。


「あっちもそっちもバケモンだよ!!」


 ふわっと何かが覆い被さってきて、その体毛が触れた。

 たくさんの人喰い魔が、木々の隙間を埋めるように待機していた。


「ついでにこっちも」


 人喰い魔たちは今にも飛び出しそうなのを抑えて、戦いの顛末を見守っている。

 魔女に使役されていても魔物の本能は消せない。たとえ負けた方が主人であったとしても、その体を即座に喰い散らすことだろう。


 ジャックは恐れ慄いて、人喰い魔の意識が自分に向かないうちにと、匍匐前進で竜樹の方へ逃げた。

 魔鼠も同じように、地面を這って避難する。


「うおぉい、お前もどっちかっていうとクロさんに生き残ってほしいよなッ!魔女の使い魔なら何か方法知ってんだろ、どうやって殺せばいい!?」

「あれが殺れると思うか!?」


 大地がひび割れていく。表面はタイル状に浮かび上がり、その下は何もかもを呑み込む砂に変わっていった。周りの木々は土台を失い次々と倒れていく。


「ただの土魔法の魔石だ!!みんな持ってるやつ!!それで地形を変えんだぞ!?手に負えるかよ!?」


 魔女の胸元のブローチに組み込まれた魔石。樹海の魔素が物凄い勢いで収束されるのが、パンには見えていた。

 しかし一方で、重力をものともせず樹々の幹を垂直に駆けるクロエドに度肝を抜かれたのも事実だった。


「この一方的な状況下で渡り合ってるあいつの方もおかしいな!?」

「だがこんなのジリ貧だろが、時期に疲れて足を取られる!あっ」


 ジャックが『あっ』と漏らすのと同時に、土の槍がクロエドの片足を骨ごと貫く。血が竜樹の幹葉に飛び散った。


 ――殺られる!!


 ジャックは両頬を包み、真っ青になった。

 しかし、かっぴらいて乾く目玉が捉えたのは予想外の光景だった。



「――あなた人間なの?」


 クロエドは、大地のタイルに何事もなく着地した。

 魔女の問いかけに、荒くした息の合間に答える。


「……どう見える?」


 魔女は少し悩んで、思いついたふうに言い放った。


「化け物。死んだ方がいい」


 時間稼ぎの問答のつもりが、冷たい怒りが彼を襲った。



 しばしの沈黙。ことを見守る全員が息を止め、緊張の隙間をぬって同時に息を吐いた。



 途端、とどめの猛攻が始まった。



「――だんなには散々忠告したし、脅したんだ……っ!」



 土の手が上へ上へと積み上がり、クロエドは唯一の道である空中へ跳び逃げる。

 魔女はすばしっこいクロエドを目で追い、首をのけぞらせる。

 鎮まり、とどまる二つの月が、彼の影を浮きたたせていた。


「まさしく竜は月の――」


 魔女は自身の五本の指先同士を合わせ、ずらす。そのまま手のひらの付け根同士を吸い付かせた。


「すばらしいわ」


 その瞬間、はるか上空で、八方から出現した土の手が影を握り潰した。


 土のないところ――空から土が生まれる。予期できない形でとどめは刺された。


「ありえねえ――」


 質量すら度外視する、魔法の領分を超えた奇跡がそこにあった。



 あってはならないことだ。

 魔法に疎いジャックでもそれが不可能だということは分かっている。


 四元素の魔法――地水火風の魔法は、魔石をもとに全人類が普遍的に扱える最底辺の魔法。それが共通認識だ。

 頬を撫でる微かなひと風を。指先に灯るひと指しの火を。喉を湿らすひとくちの水を。ひと種育てるに足る土を。


 無から有を生じるは神の御業(みわざ)たればこそ。

 ヒトに赦されるのはその程度――そうでなければいけない。


 土そのものを、あれだけ大量に『創る』など。できるわけがない。



「殺されるって言ったのに……」


 パンはクロエドをむきにさせたのは自分だと後悔した。


 深く抉られた大地が元の姿に戻っていく最中。

 ジャックはうつむくパンの背を叩いた。



 視線の先には、



「――()った」



 空から降ちる竜の一振りに両断される魔女がいた。


 真っ二つに体の正中線をわかつ。断面から真っ赤な血が噴き出た。


「な、なんでっ……?なんで()()()()んだ!?」


 クロエドが魔女の攻撃を避けること自体はできたかもしれない。


(でもそれは…!)


 パンは拳を握った。


「や、やりやがったッ……!だーはっはっはっ……!」


 ジャックが笑う傍ら、パンがぎりっと歯軋りする。


(――でもそれは!あくまで予見不可能を予見できればの話なんだッ!)


 魔法使いや魔術師。知者ほど魔女の敵たりえない。

 どれだけ魔女の魔法を警戒していたとて、自身の固定観念だけは簡単には崩せないから。

 そうして魔女の魔法は、何人もの賢者を死に床に沈めてきた。


 一分一秒が生死を分ける戦いで、彼らは常識に殺される。



「バァアッカ、疑り深い人間様を舐めんなよぉ!!」


 ジャックの勝ち誇った言葉がパンから引き出したのは、恐怖と哀れみだった。


 努めて冷静に、ねずみは言った。


「認めるよ、人間様はイカれてる。おれたちよりよっぽど……」



 クロエドは剣を振って魔女の死体に血飛沫を飛ばした。


「なんだ……魔女の血も赤いのか」


 かつてないほど体が軽かった。

 貫かれた片足の痛みは戦闘の興奮で掻き消えていた。

 殺したくて殺した敵に、急激に興味が失せていった。


(何が殺せない、だ。嘘吐きが)


 沸いた血が次を求めて、泉の方へと向き直る。



 ――殺せる!魔女を殺せる。

 だったらあの魔女も、俺は殺せる!!


 いつか必ず、あの女を……!



 竜を穢した、帝都の魔女を……!





「――私を憎んだわね」



 透き通る女の声がした。クロエドは反射的に背後を斬りつけた。



「だから魔女様も人間なんだよ」



 斬ったそばから魔女の傷が治る。断面をねばついた血液が繋ぎ止める。傷口からのぞく臓物が艶めく。



「すごくイカれてるもん」



 茂みに隠れているパンの''おそれ''を、魔女はひしひしと感じていた。顔を引き攣らせるクロエドからも、十分に。



「――私が怖い?」


 クロエドは魔女の心臓を剣で貫いて、それを返答の代わりとした。


「怖がらないでと言っても無理な話よね?だって生存本能は誰にでも備わってる」


 魔女はゆっくり後退りする。クロエドは剣先を進めて魔女を追いかけた。


「それがある限り、私には勝てないわ」


 トン、と魔女の背中が木の幹につく。剣の切先が木に突き刺さった。


 クロエドは自分の目を疑った。


「不死身……」


 真っ二つになって、心臓を突かれて、それでも生きている。

 吐き気を催した。絶対の嫌悪感が湧き上がった。異形に対する本能的な負の感情。


 魔女の魔力が、まるで獲物の恐怖を餌にしているかのごとく膨れ上がっていく。


「ッ!!!」


 クロエドは横からの衝撃にまともに反応できなかった。

 土の手の打撃に巻き込まれた左腕があらぬ方へと折れ曲がりながら吹っ飛ばされた。


「クロさん!!」


 四つ足ついて悶える。呻き声もあげられなかった。内側からきしむ、痛みに意識を手放した。


 ラッドラットが一斉に彼に群がった。


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