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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
19/33

4-7.沈殿していた悪意

前回までのあらすじ:

 マーシャリーの協力を得て結界を抜け樹海に入ったクロエド。再会した妖精は彼の心に溶け込んでいく。

 一方、投げやりに存在を暴露した魔女に引き摺り込まれたアルバ。魔女とは一体何者なのか?


登場人物

アルバ:

人間の少年。魔女にわざとらしいと思われている。


クロエド:

竜族の青年。思えば彼の過去はあまりわかっていない。帝都や魔女に執着があるようだが…


ジャック:

エンダーソンの商人。人身売買と人殺しの疑いをかけられている。


マーシャリー:

エンダーソンの教導師。親切な少女。ダァトのことを気にかけている。


パン:

樹海に棲みついた魔族。元魔女の使い魔。泉の力で若返っていることが明らかになった。


ラッドラット:

探索隊を襲った人喰い魔の正体。点描が着ぐるみを纏っているような化け物。割とたくさんいる。


魔女:

鼠の仮面をつけた女。マーシャリーに化けていた?が、自らを魔女と暴露した。アルバを招き入れるが…

 闇の中だ。


「ま……!」

「私は」


 アルバの頬を何かが切り裂いて、生ぬるい液体が伝った。風の塊が背中をどんどんと押した。どこからかくぐもった魔女の声がする。


「子どものキンキンした声がどうも嫌いでね」


 裂かれ赤く引かれた頬の一線が、遅れて痛みを脳に伝える。本能が警鐘を鳴らしていた。


(ハクア どうにかならない!?)


 返事はない。あれほどわずらわしかった白い影が今は何より恋しい。


 風の流れに逆らえるわけもなく押されるままに進む。じきに一点の火が見えてきた。

 本能的に僅かにほっとしかけた瞬間、鼠の仮面が眼前に現れ、


「やはり潜り込んでいた」

「うわっ!!」


 アルバが尻餅をつくと、手がガラクタに触れる。やっと目が慣れて周りの様子が分かってきた。


 仄暗い部屋の中、隅や周りを埋めるようにして、ものが散乱している。巻物、液体の入った瓶、溶けた蝋燭の残骸……

 鼠の仮面をした魔女が指を鳴らすと、あちこちに設置された燭台に火がついた。


 絨毯の上にあぐらをかいた魔女は、赤い布を被せた蟲籠を手にしている。特徴的な取っ手が、アルバが教会の柵に引っ掛けたはずのそれと似ている……

 魔女に手招きされ、アルバは四つん這いで彼女に近づいた。彼女の赤黒いローブの裾を踏む。


「大人は嘘つきだから信じちゃダメよ。魔導蟲は風の魔法使い。見た目より傷は深いわよ。ほら」


 傷周りを引っ張られ、ぱくっと肉の断面が露出する。


「いッ、たくない!?」

「私にかかればすぐ治る。よかったねぇいい魔女がそばにいた」

「ほ、本当に魔女……?」

「そうよ。私は土塊(つちくれ)の魔女。魔女といっても古い意味あいだと思って?」


 アルバは魔女に押し付けられた蟲籠を抱いた。布の隙間から、魔導蟲がギチギチに詰まっているのが見えた。


「さて、私の魔法は気安くないの。

 どこで魔女の話を聞いた?魔女が町にいること自体知ってる人はそういないのよ?そのためにずいぶん息を潜めて暮らしてるんだから」

「……」


 治りかけの傷をメキッと開く。


「よ、妖精に!」

「……へえ〜?妖精に会ったの!」

「知ってるの?」

「もちろんよ。私はその妖精のせいでこんな陰鬱な町で窮屈を強いられたんだから」 


 アルバは魔女が床に広げた巻物を覗き込む。


「竜樹を守る妖精にいちの使い魔を懐柔されて困っているの」


 彼女は文献や巻物を、上に上に重ね広げながら話した。


「町に潜り込んで調べたが、妖精は泉に人を引き込み殺す、おとぎ話の魔物……それしか分からなかった」……

「これは使い魔は知らないことだが、私は使い魔と五感を共有することができる。それでわかったが、奴は魔素で動いてる」……

「魔物や死期の近い人間を惹きつける。

 生死の転換の際に生まれる大量の魔素に目をつけた奴はそれらを養分にしている」……

「私は妖精を餓えさせるために、禁域を樹海に張った。

 妖精は私の使い魔を意のままに操り、町を……みんな樹海に引き摺り込まれてしまった」……

「樹海に入ろうにも妖精の結界魔法は強力だから手出しができない」……


 アルバは文献の読める部位を目で追いながら、魔女の主張に耳を傾ける。

 彼女は、妖精こそ悪者で町も自分もその被害者だと言いたいのだ。


「そんな話、信じろって……?」

「魔女は嘘をつかない」

「……嘘をつかないってことが嘘なんじゃないの?」

「証明しようがないわね」


 魔女はアルバに危害を加える気はないようだ。


「妖精の目的はなんなの?」

「この町は餌場。ずっと愚かなまま、樹海をおそれて静かに暮らしてくれればそれで良かったのよ」


(……クロ兄……)


 アルバはジャックと共に樹海に行ったクロエドのことを案じた。


「ねえ、もしだよ?もし、妖精が竜の血が欲しいって言ったらどう思う?」

「竜の血……?不老不死の霊薬?」

「ふ……不老不死……?」


 魔女は真剣な声色から一転、からかうように笑った。


「……そういう迷信よ?竜族は長命な生き物だし、討伐の動機づけにそういう作り話をしたって言われてるわ」

「えっ、う、嘘なの!?」

「不老不死だの若返りだの、そんな都合のいいこと……あっていいわけないでしょう?

 まあ今じゃ確かめようがないことよね。だって、現存する竜族は帝都にいるただ一人。十年前の生き残りだけ」

「十年前って……何?」

「……まさか……知らないの?」


 魔女はアルバの反応に信じられないといったように目を丸くした。


「ふふ……ふふふっ、ふふふ……!そう、そうなのね。随分白々しいと思ってたのに、本物の物知らずなだけ?

 あなたのお供は、肝心なことは何も言ってくれないのね」

「は……?」

「でももう聞くこともできない。彼、樹海に行ったでしょう?あなたを置いて。もう帰ってこないわよ」

「……!?」

「彼はね、行きたくて行ったの。自分じゃ気付けないのよ、それがあれの手口。

 あんなに無防備に雨を浴び続けて、無事でいられるわけない」


 町に来てからずっと体調が悪そうなクロエドの姿が頭に浮かんだ。

 目周りの隈、栄養不足の爪。生気がどんどん失せていく。きっと彼自身は気づいていない。

 分かっていて、見ないようにしていた。


「彼、完全に弱っていたものね。覚えはない?妖精は人の心の弱さを抉り出し、悪夢で眠りを奪い、獲物の心を不安定にさせて惹き寄せる。その時、元々傷のある人間の方がもろいものよ」


 横並びで歩けない。早足で、追い付いては離されて、横顔を見上げるだけ。


 自分を顧みてくれないとかんしゃくをおこした。

 心配してほしい、気遣ってほしい、優しくしてほしい。

 だって、救世主なんかじゃない。期待されるままにこんなところまで来てしまった。本当はずっと故郷にいたかったし、救世主なんて特別なものになりたくなかった。ただの子どもでいたい……まだ。



「クロ兄……」


 寂しかっただけなのに。寂しさは怒りや不満に形を変えて、意固地にさせる。


「助けに行かなきゃ……」


(だってクロ兄はいつも少しだけ振り返って、待っていてくれてた……)


 それが彼の優しさの形なのだ。



「そうこなくては。私が手を貸すわ」


 アルバは魔女が差し出した手を取った。



 *



 水がクロエドの体を包む。ぬるい抱擁に、パンは瞳を輝かせていた。


(やっぱり、スープはおれの女神さまだ……)


 あんな、女とは違って。

 パンは使い魔として魔女に仕えた不遇な日々を思い返す。



 ……王様が消え、新たに得た主人。今度はこの人に尽くそうと決めた。

 お隠れになった我が君は、気の多い私を咎めるだろうか。いいえ、精一杯この人を愛せたのなら。


『魔女さま!やりました……おおせつかった通りのものを手に入れてまいりました』


 片目が潰れて、ばさばさの毛並みをしていた。我が身を犠牲に尽くしたのなら、必ず応えてくれると信じていた。


『生きてたの?そういえばそんなことを頼んだっけ』

『な……なんですか、それは?』

『お姉様にいただいた新しい使い魔……でもだめね、失敗作だわ』


 魔女さまはそれをまるでゴミのように放った。捨てられ震える哀れな鼠が自身と重なったのだ。


(使い捨て)



 妖精(彼女)は違う。


『いかないで。ひとりはさみしい……私を大事にして……』


 魔女の命令で樹海を彷徨った。

 冷たい雨に震え死ぬ寸前のところを、妖精に泉の水を分け与えられ救われた。


 だけど。そんな彼女の静止を振り切って、一度は主人の元へ戻ったのだ。



 胸は高鳴っていた。魔女さまは私をどう迎えるだろうか。今度こそかえりみてくれるだろうか。

 これは期待か、不安か……


『ま、魔女さま!』

『ああ……あんまり遅いから死んだと思ったわ』

『……あのぅ魔女さま、私を見て驚きでしょう。実は……』

『驚く?そうね、あなたの無能ぶりにはつくづく』


 魔女さまはふう、と息を吐く。


『代わりはいるのよ』


 魔女さまは物を書く手を止めて、顔を伏せました。ペンを持った手の甲で目を抑えた。ブツブツと何か呟いて、それっきり一度も私を見ることはなかった。


 いいえ……一度たりとも、あなたは私を見たことなんてなかったのでしょう。だってあなたは何も言わなかった。


 この艶のある頬。しゃんと伸びた背筋。毛先までふわふわの毛並み。私の一番よいころ。若返っていることをどう言い訳しようか散々考えたのに、あなたは何も気づかない。


『こいつは何も見てないんだ……』




(……この男は、おれと同じだ)


 プライドは高いが、自惚れを戒める自省心も実力もある。しかし弱い自分を恥じて隠し、常に気を張り詰め虚勢をはっている。


(ひとりだからだ!)


 孤独はもろい。


 追い詰められ疲れ切った彼は、救いを求めている。スープ(彼女)なら彼を救える。


(きっと喜んで血を差し出すだろう)



 パンは頷いた。さあ!と顔を上げた時、女神だった水が燃え上がるのを目の当たりにした。


「ははっ……あははは!!ああ〜なるほど……これは騙されるのもわかる」


「……へ?」


 一瞬で叫び声もなく蒸発する。また泉の中から涙ぐんで肩を振るわせる妖精が現れた。


「――見透かした気分か?やっぱりあんたは魔物だよ」

「? ? ?」

「竜樹の守り人なんて気取ってるが、あんた……寄生生物の類だろ。

 あの町の失踪もあんたの仕業だ。人の弱みにつけこんで、あくせく人を攫ってきた。数百年もご苦労なことだ。そんなにその枯れ木を蘇らせたきゃ、一度枯らして実を拾いでもするんだな」


 パンは口角をひくつかせた。


「か、枯れ木……だって……?」


「幼樹だなんだのふざけたことを抜かすから、初めからおかしいと思ってたんだ。あまり舐めるなよ。

 ツィアリカは枯れる寸前の老木だ。霧で姿を誤魔化しているだけのな。実も熟れ落ち切り、次が見込めないからそんなに執着している」


 言葉の意味をうまく咀嚼できない。


「お前はなぜその樹が竜樹と呼ばれるか知っているか?」

「そ、それは……樹液が、竜の血と同じ効果を持つから……?」

「そうだ。竜の血は不老不死の霊薬。

 若返りの泉とやらの正体も察しがつく。樹液が染み込んだ水に浸かった、あんたの醜い正体もな……」

「だ、だめだ、わからない……!もっとちゃんと説明してくれ!」

「誰が教えるか。同情した目で俺を見下しやがって」 


 クロエドは剣を抜く。


「はじめからこうすればよかったな。望み通り妖精(魔女)を殺してやるよ」



 *



 手袋越しの魔女の手に引かれ、アルバは立ち上がる。


「どうするの……?」


「雨がやんだ」

「わかるの?」

「私はこの町の全てを把握してるわ」


 外では鼠が這いずり回っていた。運悪く外に出ていた町民が叫んで家に逃げ込む。水溜まりを踏んで駆ける者がいた。

 弱まることはあれど止むことのなかった雨が、予兆もなく止んだ……


「どうやら時機がきた」

「じき?」

「水は忌々しい妖精の魔法そのもの。

 森から地下水を引くでしょう?妖精の意思が溶けたそれは内側から人を蝕む。

 そして結界魔法の正体も水……雨なの。私を拒み降り続けたそれが今」

「やんだってことは妖精の身に何かが起きたってこと?」

「それも結界に力を割けないほどの何かよ」

「(クロ兄……?)そ、それでどうするのっ?」

「とっておきの魔術……今なら使えるわ」



 アルバは魔女に連れられるままに、教会の鐘楼に行った。

 魔女は何やら古めかしく分厚い本を開いた。


「必要なのは空間を一望できる場所。魔力を張り巡らせた魔法陣。そして莫大な量の魔力に……」


 アルバは本を手渡された。


「手伝ってくれる?」


 開かれたページには絵が描かれている……紋章、魔法陣の類だ。

 魔女は右手の指で魔法陣を描く。白茶色の木板の床、木の破片が突き刺さり、赤い掠れができていた。


「わ、わかった。よくわかんないけど、わかった。何の魔術……」 


 アルバは表紙を確かめた。表紙に彫られた題名はどうも知っている文字ではない。しかし本扉の方には聞き覚えのある名前が書かれている。


「これ、書いたのって……」

「ああ、この魔導書はダリアス・ニンスヘルムの遺作よ。彼の仕事場から拝借した」

「……きっとすごい魔術師なんだね」

「惜しい魔術師が死んだものだわ。こんな田舎町に縛られていなければずっといい暮らしができたでしょうに」 

「死んだとは決まってないよ。もしかしたら生きてるかも」

「そうね。どちらにせよ子どもを置いていける人でなしね。実子じゃないから愛せなかったのかしら」

「……実子じゃないってどういうこと?」

「知らないの?ダリアスとあの子どもに血の繋がりはないでしょう」


 アルバは目を見開いた。


「な、なんでっ……わかるの?」

「ダリアスは地底民で、彼は人間でしょう。見た目ですぐに分かるわ」



「ふふ、案外あなたも地底民なのかもね」


 魔女の軽口をアルバの頭は留められなかった。

 地底民は魔族と貶められるという。きっと竜族と似たようなもので、あまり良い扱いはされていない。

 アルバはダァトのことを地底民だと思っていたが違うのだ。


 父親の巻き添えで、心無いことを言われることもあっただろう。それでもあんなに慕っている……


(いなくなって……どれほど……)



 アルバは彼の孤独が今になって初めて分かった気がした。涙目を隠すように、魔女の指定したページを彼女の前に本を掲げて見せる。



 魔法陣を描き終わった。


「外を見なさい。空が割れている」

「雲が……」


 黒雲が人間の顔のように落ち窪んでいる。腕をついて町を抱きこむような、不穏な形の雲が樹海の向こうにかかっている。


「妖精の涙……」

「汚いもの撒き散らした報いは受けてもらうわよ」


 魔女はスカートを叩いて木屑や埃をほろった。


「結界魔術……『(くら)がり』。霊文は『対象空間から魔法を拒絶する』」

「魔法を拒絶する魔術……!?そんなことできるの?だって魔法は絶対魔術に勝つんでしょ?」

「よく知ってるわね。なら分かるでしょう?ダリアス・ニンスヘルムは高次の魔術師だった。教父なんかとは比べ物にならない。あの魔法優位の原則を崩したのだから!」


 アルバはごくっと喉を鳴らした。


「といっても、理論は不完全なの。なぜ可能かは分からない。でもできる。それを解明するのが、この私……土塊の魔女なのよ!」


 魔法を拒絶……それは妖精の結界魔法を二度と発動させないことを意味する。雨の上がった今しかない。



「はじめるわ」


 魔女が印の中に座り、発動させる。魔導書を片手に、ぶつぶつと唱える。


「時間かかりそう?」


 小節を読み終わってから「乱さないで!」と怒られ、アルバはおとなしくした。


 ふと外を見やる。 


 町中の水溜まりが集まって、巨大な竜の形を成していた。


「ねえっ!?」


 それは大口を開け、二人のいる鐘楼めがけて襲いかかってくる。大窓から大量の水が流れ込んだ。


 魔女は全くひるまず、口を閉じる代わりに指で虚空に何かを描き出した。


 濡れた床板から水が金切り音をたてて蒸発する。この世のものとは思えないほどの叫び声だ。



 叫び声もやんだころ、魔女は膝をつき魔導書を床に置いて髪をくしゃっと握った。アルバは魔導書を覗き込み、一節を盗み見る。


(代償……『二度と水の魔法を使えない』……)


「……すこし足りなかったか」


「魔力?ボクのを使える?」

「……魔素を収束させて魔力に転換するの」


 アルバは唸るがどうにも変化を感じない。


「……まあいいわ、期待してないもの。普通本能で多少はできるんだけれどね」


 魔女は右手の手袋を噛んで外した。振って水気を飛ばす。服の隙間から、見覚えのあるリボンが見えた。


「あなた特別だものね。禁域が効かないし」

「え?」

「実は鐘楼にも張られてるのよ。子どもが迷い込むと危ないからね……あなたは手続きを踏まずに、樹海にも教父の私室にも、ここにも足を踏み入れた」


 アルバはさっと血の気が引くのを感じた。『禁域が効かない』?知らずして呪文を唱えたと思っていた。それに……そのことをなぜ知っている?


「あれは教父が生涯かけてただひとつ練り上げてきた傑作。綻びなんてごく僅か。そもそも……見るからに生者なのに、禁域の対象外なわけないじゃない」

「見間違いじゃない?」

「ぜひ確かめてみたいわ」


 瞬間、アルバは魔女に体を押された。大窓から外の芝生めがけて落下する。


 最後に見えたのは、突き出した右腕。リボンが、黒雲の隙間から差し込む光に照らされていた。


『必要なのは空間を一望できる場所。魔力を張り巡らせた魔法陣。そして莫大な量の魔力に……』


「――生贄」


 魔女は水の滴る仮面を外して、前髪をかきあげた。素顔があらわになる。


「あなたが救世主じゃなければ、殺さずにすんだのに。ね」 


 それは紛れもなく、()()の顔だ。


『――アルバ!!』


 頭が飛び散るかの今際に、ハクアの声が聞こえた気がした。



 *



「だめだ……同じところを回ってる気しかしねえ」


 ジャックは樹海を彷徨っていた。


 マーシャリーとはぐれ、豪雨にあい視界が悪く足跡を見失ってしまったのだ。

 彼は森を舐めていた。戦闘もあの狩人に任せる気だった。毎度の探索は、実働を他人に任せて安全な場所で指揮だけしていたのだ。

 その時と同じような格好。ろくな装備もなしに暗い森を歩き回る。

 多少分厚い上着。武器になりそうなものは小ぶりなツルハシだけ。どんどん体温が下がる。


 しかし、彼は持ち前の豪運で引き寄せた。探し物のひとつ。


「あれは……」


 斜面を登ると、人の頭らしきものが見えた。掘られた穴の壁にもたれているみたいに見える。人喰い魔の寝床だろうか。それでも……いてもいられず飛び込む。


「攫われた奴らか……!?」


 思ったより浅かった、穴の周囲のへりに乗り上げるそれ。彼が近づいた風圧で、ころころと深くなった中心へと転がって行った。獣が寝伏せった跡。そこに……



 首だ。首の山。


「町長……」



 冷える。体は震え、本能が五感を研ぎ澄ませる。

 向こうから注がれる何者かの視線を感知する。自然と呼吸が荒くなった。


「……はあ、はあ……」


 人喰い魔だ。目が合って、後退りするととびかかってきた。


 足を踏み外しながら後ろへ逃げる。


「ううっ……」


 その先にはトンネルがあった。草根が垂れ、黒い穴がぽっかりと空いている。

 追い詰められた頭に、そこが何の穴だとかそういう思考は全く浮かばない。もはや逃げ道はそこにしかないと、飛び込んだ。


 隙間から人喰い魔は爪を伸ばし、服をちぎられた。入り口は狭いが、音の反響から穴が奥へ奥へと続いてるのが分かった。振り返ると、入り口の隙間からまんまるの目がのぞいた……



 *



 剣は激しい炎を纏う。一振りすると、ぴたりと炎は薄くなり、剣の線に沿った。

 パンはぐちゃぐちゃにかき乱された心のまま、歩いて距離を詰めてくる彼の前に立ちはだかった。


「あああ!!痛い、痛い、痛いッ……」


 背後の泉からスープの悲痛な叫び声が聞こえる。泉の水に火がついている。


「な、なんで……なんで、水が燃えるんだよぉおッ!?」


 炎が空気を吸う音の狭間から「痛い、よ……たすけてぇえ……」と、彼女の焼けた痛々しい声が聞こえた。


「うわぁあああ!!!ラッドラットぉ!!」


 外側を着込んだ点描魔鼠(ラッドラット)は、白黒の眼球を回転させて、クロエドの剣を肉で受け切った。

 途端に燃え上がり、一瞬で炭になる。


「ひぁあ……!ひぃいるむなあ、いけぇええっ!!」


 パンの命令に、何体もの人喰い魔が同時に襲いかかる。爪と剣が弾き合う様に、パンの目が血走る。

 やはりクロエドといえど斬り合いに意識がゆくのだろう、泉の火は弱まっている。


 しかし、その代わりに……


 手塩にかけて育てた部下。スープと一緒にかわいがった。かつて愛した主君の名までつけた情のある彼ら。

 それが(ごみ)のように散らばっていく。


(どこでっ、間違えたっ!?なんなんだよ、こいつはぁ……!)


 竜の緑瞳は爛々としていた。一方的な虐殺を、愉しんでいる。


「なんなんだよぉおおッ!!?」



 雨と血を背負って、逆光に緑色の瞳が映えて見下ろされる。

 恐怖で足がガクガクと笑うのに、ラッドラットは命令もなしにパンを庇う。


「おうさまぁああ……!!」


 彼は消えた主君を『お隠れになった我が君』と呼んだ。

 主君の大きな背中と、似ても似つかぬラッドラットの毛が重なった。

 弱々しいパンの一族を護り、彼らが王と慕った方……小さな歩幅のパンがお供につくと、必ず彼に合わせてゆっくり進んでくれる。

 王様がパンの方を振り向く。その横顔が脳裏に横切り、


「一瞬も保たないな」


 その背中は霧散する。竜に惨殺されて。



「あああーーっ!!!」



 パンは毛を逆立たせて、クロエドの腕にかぶりついた。

 裂けた肉から血がしたたり、雨に混じって土に溜まった。

 なぜ歯牙を受けたのか。なぜ抵抗しないのか。もはや恐怖ゆえかも分からず涙した。雨に混じって唾液と共に落ちる。


 パンがおずおずと見上げると、そこには柔和な顔で悲しそうに微笑む青年がいた。


「……もう二度と騙されないと思っていたのに。結局繰り返した。お前を取るに足らない小物だと、あれに取り込まれた哀れな魔物だと、侮っていた。

 何度目だよ、一杯食わされたのは」


 はは、と笑った。十代後半の、年に見合った表情だ。過去に囚われ、疲弊していたのが嘘のようだ。何か、吹っ切れているような……


「ありがとう――騙してくれて。もう誰も侮らない。どんな奴だろうと敬心持って殺してやるよ。

 そして、弱いまま老いたあんたに敬意を。惨めに(ながら)えるくらいなら……死んだ方が、ましだと。思わせてくれた」



 あまりにもひどい。


 パンは噛むのをやめた。

 この感情は怒りじゃない。悲しみでもない。未来ある若人の、柔い心を追い詰めて決定的に変えてしまった。


 それは後悔……?



「聞かないで!!」



 上空では黒雲がとぐろを巻いていた。

 落ちる雨粒の、大地を這って泉に向かう水の流れ。彼女が力を集めていることを示している。


 クロエドはパンを無視して、泉へ歩みを進めた。


「私の尊いその人を!穢れた言葉で傷つけないで!!」



 その時、泉から水が大量に湧き上がった。


「……!!」


 大波となってクロエドをさらっていく。


(ッこれは、魔法の原則を、無視――)


 クロエドは抗わず波に呑まれた。



 波の水はパンを避けていた。仕切りのない水槽のようだ。水の奥から、妖精の手が伸びてくる。


「パン……!」


 パンはぎゅっと彼女の両手を握った。彼女の体は水の温度と同じだ。 


 彼は決意を固めた。


(おれは――信じる。スープを信じる!

 あいつの言葉を聞いてなんかやらない)


 水が()けると、パンと同じようにスープに守られたラッドラットたちが震えながら這いつくばっているのが分かる。


「立てッ!ラッドラット……!」


 ラッドラットたちはばらばらに立ち上がる。


「いいぞ!それでこそ王様!ラッドラット様……!

 失敗作も放て!いけ!竜を仕留めろ!」


 スープは口元に手を当て、心配そうにパンを見つめていた。


「スープ!怖がらなくていい。おれが守るから!だから……!」


 スープは涙が流して微笑んだ。


「何も言わないで」




 一方、クロエドは樹海の入り口まで流されていた。激しい波の中で、木や枝や人間の残した刃物が飛んでくるのを防ぐのに精一杯だった。


「クッソ……!!」


(水の魔物……!あの赤い目!一瞬だが本性をあらわした……!)


 樹海の方に水が引き寄せられているのか、うっすらと樹海の方へと水が地面を這っていた。


「奴の魔法は水……水だ!水魔法……」


 地水火風の魔法。魔石を媒介に、どんなに魔法の才能がなくとも扱える四元素の魔法は、ヒエラルキーの最底辺に位置する。本来大変ささやかなものにすぎないのだ。

 それをこれだけの規模で行使する。まさしく化け物だとクロエドは再認識した。


「くくく……」


(魔女と戦えなかったのは惜しい!惜しすぎる。

 多少時間を割いてでも、あのクソ怪しいジャック(商人)に協力してでも……!魔女殺しの経験は、面倒を上回るほどの価値があった!)



 クロエドがわざわざ町にとどまったのは、ひとえに''魔女''の存在あってのことだ。

 化け物の代名詞たる魔女は、そのほとんどは帝国東方に生息しており、西でお目にかかれることはまずない。


 彼には『帝都の魔女を倒す』との明確な目的があり、そのために魔女との戦いはいずれどこかで経験しておくべきことだと考えていた。


 (あの少年)が知る由もないことだが。



(だが、いい。妖精の魔法も、魔女の魔法と同じくイカれてる。なら、代わりたりえる。相手を務めてもらおう)


「俺の時間を食った、代償にな」



 その時だった。


 突然の暗闇。

 雨上がりの町の空が、一瞬にして夜に変貌した。


「……は……?」


 自分の吐息だけが自分の存在を確かめさせてくれる。


「なに、が起き……」


 身体中が何かの気配を察知して硬直した。背筋をぞりぞりと撫で上げる何か。


 ゆっくり後ろを見上げる。

 真っ暗闇に巨大な月が二つ……ぽかんと浮いていた。



(な この ……は)



 今度こそ彼の意識は頭の中の暗闇に塗り潰され……



 ――ハッと気づくと、覚えのある光景が目に入った。宿屋の長椅子に寝た状態で上体を起こすと、胸に鋭い痛みが走った。


「い……痛い……!?」

「クロエドさん……!?大丈夫なの?」

「マーシャリー……?」


 彼の肩に手を添え、汗ばんだ前髪を拭ったのはマーシャリーだった。


「ど、どのくらい経った……?どうなってるッ?今は、何時だ?」

「落ち着いて。あなたは樹海の入り口に倒れてた。私がここまで連れてきて、そんなに時間は経ってないわ」


 しゃがんで顔を覗き込んでくるマーシャリー。


「おばさま、痛み止めをちょうだい」


 その後ろに女主人が立っていた。彼女はクロエドの頬に手を触れる。


()が悪いね。巡りが悪い証拠だよ」

「触るな!薬だけくれれば……」

「バカ言うんじゃない、痛み止めにだって種類があるんだよ」

薬師(くすし)気取りか……」

「私は魔女だよ。ちまたで話題の魔法使いじゃなく、古い魔女だがね」

「……!!」

「ずいぶん探してくれたそうじゃないか。はじめに言ってくれれば名乗り出たんだよ、私は」


 毅然とした女主人がさらりとした告白は、クロエドを大いに混乱させた。



「急速に悪くなってるわ」


 マーシャリーが彼の顔色を心配して言う。クロエドは顔を逸らし、汗を拭った。


「心当たりは?」

「……おそらく黒魔術の類だ。黒い空に二つの月が浮かんでいた。それを見てから、魔素が指先から引いていく感覚がしはじめた」

「何かの条件を踏んだか。進行を遅らすしかないね。大元を絶たなくちゃ……」


 女主人の視線で、意図を察したマーシャリーはクロエドに薬を差し出す。

 手のひらの上、紙片にのせた何か植物をすったような粉状の薬と、禍々しい水色をした液体だ。


「……本当、起きてくれてよかった。飲める?大丈夫だからね。おばさまが調合した薬はよく効くわ」


 その毒々しさにためらっていると、マーシャリーに無理やり飲まされた。物凄い力だと思いながら咳き込む。



「……エンダーソンの魔女なんて誰からも聞かなかったぞ……」

「そりゃあ違法薬扱ってんだから、知ってる奴こそ言えないさ」

「あんた知ってたのか?教導師のくせに」

「おばさまの薬草学の知識は本物よ。私、ここに来る前は衛生兵だった。知識ある人には敬意を払うわ」


 衛生兵……どこかの国の兵士だったのだろうか?女の身で兵士になるくらいだ、それなりの事情があったに違いない。


「それより、ねえジャックさんは?あの人はどうなったのっ?」

「なに……?」

「クロエドさんを助けに戻るって言って逸れてしまったの、一緒じゃないの?」

「会ってない……」



 二階からボーンボーンボーン、と壁掛け時計が低い音を鳴らした。


「まだ昼間だってのに、なんだか寒いね」

「何回鳴った?」


 マーシャリーは腰から下げた懐中時計で時間を確かめた。


「14時すぎ……」 

「……!?太陽は真上にあるはずだぞ!?外の暗さは異常だ」

「寒いのは太陽がないからだわ。しかも」


 マーシャリーはぱちっと指を鳴らす。火魔法の動作だ。


「魔法が使えない……」

「どうやらあたしもだね」


 今度は女主人が風魔法を試す。くるっと人差し指を回して引く動作だ。


「( 天候に作用する魔法……?いや雨乞い風情とは訳が違う!魔法を使えなくする……!?)

こ、これもダリアスなら可能だというのか……!?」


 先の口論からして、ダリアスが犯人だということは依然疑わしい。


「わ……分からない。きっと何か地上にはない技術が伝わっていて、できるのかも。でもこんな非人道的なことする人じゃない……今魔物に襲われたらひとたまりもないわ!」


 外では、樹海を追い立てられるようにして人里に出てきた魔物たち……いずれも小物ではあるが、それらがすでに町のあちこちに被害をもたらしていた。


(新たな魔法行使はできないが……常時発動型の魔具はまだ機能している。だが徐々に弱くなっている)


 クロエドが忍ばせていた眼鏡の魔具の効果はまだ機能している。そのおかげで、無防備な寝顔をさらしておいて正体がバレずにすんだのだ。



「な、何をしてるの?」

「ダリアスを捜す。俺は樹海に行く。あんたは町を探せ」


 クロエドは立ち上がって装備を軽く点検し、再度森に行く支度を始めた。


「行ってはダメ!無茶よ!その体で魔物に遭ったら……!」

「魔物は魔素が源の生物だ。この状況なら弱体化していてもおかしくない」

()()()()()わ!私と一緒に教会に来て。教父様ならどうにかしてくれる」


 マーシャリーが彼の腕を引くが、優しめに振り解く。


「断る。何にせよ樹海にはすぐ戻らなくちゃならなかった」

「アルバくんが心配じゃないの!?」


 今まで忘れていた。


「アルバは子どもじゃない、うまくやるよ」

「ほんの12前後の子どもだわ!」

「やっぱそう見えるよな?」


 彼がどこか愉しげに頬をゆるますので、マーシャリーは、わけがわからないと動揺した。


「何でもない」


 去る彼に、マーシャリーは無駄と思いながらも呼びかけた。


「後悔するわ。会いに行けばよかったと思った時には遅いのよ!」



 *



 ジャックは真っ暗な洞窟を歩いていた。ピチャピチャと足元の水音だけが響いていた。反響しているせいで誰かがついてきてるような気がした。


 ちょうどいい岩の出っ張りを見つけて腰を下ろした。葉巻に火をつける……ライターに埋め込まれた火の魔石が発動しない。役に立たないので「やきがまわったな」と捨てた。たまたま忍ばせていた古いオイルライターで火をつけた。頼るには小さすぎる炎だった。



『――これはダァトにやったのと同じものだ。いつか彼に渡してくれ。そして伝えてくれ。''地底にて待つ''と……』



 ジャックはペンデュラムをかざした。かすかな光は洞窟の奥を示した。樹海の真ん中を指し示す方向だ。



「あいつはとっくに死んだんだよな」


 彼は自身の膝に顔を埋めた。


「わかってる。あんな化け物がいるんだ。もう生きちゃいない。わかってる……」


 ぼんやりとした灯り。影が揺れていた。


「でも信じたくないんだよ。実際に死に顔を見たわけでもないのに、信じられないんだ。みんなそうだろ?みんな……」


 こらえて目を瞑った。また開けると、視界の上方に、人間の足先が見えた。


「落としたよ」


 子どもの足だ。


「ぎゃあああああ!!悪霊退散!!」

「大きな声出さないでよ!ジャックさん、ボクアルバだよ」


 彼は子どもを照らしてみた。昨日孤児院で見かけた、ダァトの友人だろう少年だ。つい先ほど捨てたライターを拾い上げていた。


「……クロさんとこのガキ!なんでここに」

「さあ、覚えてなくて……なんだかその石が呼んでるような気がしたんだよね。ねっハクア」

「は、はくあ?……ってほしがったってやんねぇぞ!しっしっ!これはダリの形見なんだから」

「……」


 ジャックはへへ、と笑い声を漏らした。あれだけ恐怖と不安でいっぱいだったのが和らいだ。


「ここって何なの?」

「溶岩洞……か?黄金島で似たようなのに潜ったことがある」

「黄金島って……」

「聖地だよ。太陽神教のお偉いさん方が棲まう、黄金の聖地……聖火山っつーシンボルがあってな」



「カンタンにいうと、神の怒り……火山が噴火してできるのが溶岩洞窟だ。ちゃんと普段から教会行ってんのか、勉強しろクソガキ」

「でも、火山なんてこの辺にはないのに」

「学者先生のいう大地の不思議ってやつだな。曰く、地理がめちゃくちゃなんだと。まるで地図をシャッフルしたみたいに……って。頭のいいやつは時々何言ってんだかさっぱり分からん。

 だがロマンだ……!こいつがもしかしたら元々聖地にあったらと思うと……!く〜夢のある話だぜ」


 ジャックは立ち上がり両の拳を震わせる。


「あんなに怖がってたのに。強いんだねジャックさんは」

「怖い時こそ楽しい話をする。それが人生強く楽しくうまく生きるコツだ。

 少年、夢をもてよ。夢はいいぞ」


 すう、と深呼吸して問いかける。


「どこからきた?」

「田舎だよ。それなりにいいところだった。戻れないけど」

「俺の故郷はな。まさにどん底、数多の人生の墓場。俺は底辺に生まれついた。

 だがどんな時でも俺には夢があった。最初は自由になりたい、だったっけな。

 夢だけだった。夢想だけが、俺を守った。クソみたいな現実から。そういう夢を持ちつづけな……」



 水がなだれこんできた。奥に続く道は下りの斜面になっている。


「水だ」

「あのクソ鼠〜〜楽しんでやがる。ガキが蟻の巣を水責めするのと何ら変わりない。俺らを純粋にいたぶってやがるんだ」


 実はジャックは闇の奥に進む勇気が持てず、一度入り口へと戻っていた。その時、人喰い魔がまるで遊んでいるかのように水をすくい入れているのを見たのだった。



 彼はオイルライターをかざした。


「心許ないが、闇に目も慣れた。戻ったって仕方ない。奥に進むぞ」


 彼の長所は立ち直りが早い点だ。何度もうちのめされてきたから、立ち直り方を知っている。


「(洞窟……地下に潜る時は地底民を連れていくのが鉄則だとされてる)……ま、このガキが代わりになるとは思えないか」

「何?」

「いやいや独り言」


「火持つよ」

「おおっんじゃ前を歩いてくれ!俺は後ろを警戒する」


 二人は進む。アルバはライターを胸の前にかかげて歩く。


(しまった、やたら足元だけ明るいな。こいつの背中であかりが遮られて見づら……)


 ジャックは彼の足元の違和感に気づいた。


(……影がない?)


 魔物の類かもしれない。

 しかしジャックの直感は、アルバがすでにこの世のものではないのだと告げた。

 すると途端に哀れになって。子どもを失うとはどのような気持ちなのだろうか、と……初めて、今更になって考えた。



 その一方で、そんなことを思われてるとはつゆ知らず。アルバは、


(後ろのおじさんが静かになったな)


 なんて思っていた。

 なんだか頭にもやがかかっているようで、彼は自分がなぜここにいるかも全く分かっていない。しかし白い少女がそばで手を引く限り、何も怖くはないのだった。


「ハクア、これ腕結構疲れるよ。もうちょっと下げても……」


 ドン、とジャックの膝がアルバの背中に当たる。


「何す……」


 ジャックは口を開けて前方上を見上げていた。


「消せ、消せ消せっ」


 アルバはとりあえず言われるがままにライターを消した。


 すると……そこには夜空が広がった。紺色の天井が、キラキラと星のような白い光を上品に放っている。


「やった……やったぞ!!やはり!!()()()()を見つけたぞ!!!」


 はしゃぐ大人の横で、アルバは冷静に空を見上げていた。


(星空だ……見覚えがある。土竜が掘っていたのと同じ石……) 


 アルバはその星空を、故郷の穴掘りで見たと思ったのだった。


「俺が最初に見つけたッ!俺のものだ!そうだっ座標を覚えておかなきゃあ」


 ジャックはどこからかコンパスを取り出して、上を見ながら進む。


『落ちるよ』


 ハクアの注意で、アルバは気づいた。

 

「危ない!!止まって!」

「うおっ」


 ジャックは片足を虚空についた。前に倒れこみそうなのをアルバが引っ張った。


「ひぃ〜っ!あぶねえええ」

「穴だ……!水が溜まってる」


 彼らの前方には広く深い穴があった。上に見惚れてそのまま進んでいれば、落ちていた。そして……


 手前には、尖った大きな岩たちがそそりたっている。落ちていたら怪我どころの話ではない。


「上に気を取られて進めば落ちるって寸法か」

『火をつけて』   


 ハクアの言う通りにアルバはまた火をつけようとするが、火の勢いが弱すぎる。


「行き止まりか。なんか壁に描いてあんな……見えねーっ」

『ふふ……』


 ハクアはライターを握るアルバの手を火ごと包み込む。彼女が手を離すと火が激しく燃え盛った。不思議と持ち手は熱くない。


「うおっなんたる幸運。神に感謝」


 やはりアルバ以外にハクアを知ることはできないようだ。



 アルバは周囲を見渡して探索する。


 行き止まりだ。

 横壁に壁掛け松明がある。随分古めかしく既に木は腐っているようだが……ハクアは簡単に火を点けてしまった。

 ここには人がいたということだろうか。一体……?


 ある分だけの松明に火を点ける間、ジャックは顎に触りながら行き止まりの壁の方を見て何かを考え込んでいる。


 奥には洞穴があった。上と下の二つだ。

 下の洞穴は壁画の下、大穴の奥底にある。濁った水……沼に沈んでいで、子どもが通れるくらいの大きさしかないようだ。

 上の洞穴は大きいが、壁画の上の方……大穴を飛び越えないと辿り着けない。距離と高さがあって、足を届かせるのは至難の業だ。


「どういう意味だ……?」


 奥の壁には、何やら絵が描かれていた。不気味な壁画だ。

 上昇する螺旋と下降する渦。

 天国へ続く螺旋と、渦に導かれた地獄。アルバは独特な絵の雰囲気が、セイカと眺めた巻物に似ていると感じた。


「気色悪いな……どっちかの穴が出口ってことか?」


 アルバが沼をよく見てみようと、顔下にライターを下げる。重なる骸骨を照らした。

 驚いてひゅっと息を吸うのと同時に、炎がぶすっと消えてしまった。


 ジャックは慌ててアルバの肩を掴む。


「……魔障だ……!そのまま下がれ、しゃがむなよ」

「ななっ何?」

「瘴気だ。太陽神の導き、炎をも打ち消す魔の産物……!

 下層は瘴気に満ちている。壁画はそういう意味だったんだよ」

「……はあ……」

「なら上が正解だ!」



 ずっと、ずっと水が流れ込んでくる。沼に溜まっていく。


「これは好都合だ。瘴気は水に溶けやすいし、重いと聞いたことがある。水が溜まるのを待って、泳いで上の穴を行けばいい」


 ジャックは穴から距離を取って、その辺の高い岩に腰掛けた。


「やーっ一件落着!ゆっくり座標を書き留めるとするか」

「そんな簡単かな……」


 アルバは再度辺りを見渡して、何か腑に落ちないと考え込む。


「ハクア、どう思う?」

『今のうちに飛び込んで』

「……本気で?」

『渦闇の魔術を感じるわ。底意地が悪いって意味』


 アルバは沼の水をまじまじと遠目で観察した。骸骨が浸かっていることといい、水面に浮かぶ屑たちも不衛生に思えるし、あまり飛び込みたくない……


 しかし、ハクアが言うのなら……


「ジャックさん、ボク試しに下の道を行ってみる。ダメだったら戻ってくるから」 


 アルバはレインコート(上着)を脱ごうと手をかけるが、ハクアが止めた。ジャックは持っていたペンをぽろっと落とす。


「!?よせよ、ばっちいぞ!つか溺れ死ぬぞ!」

「だいじょーぶだって」

「それ言うやつだいたい大丈夫じゃ……」


 アルバは怖くなる前に、と思ってすぐ行動に移した。息を止めて飛び込んだ。

 手前の尖った岩岩を避け、小さい洞穴に潜り入る。穴道はかなり深く、しかも下へと伸びている。


(く、暗い……!惑うな時間が無駄になる!進まないと!)


 アルバは四肢を駆使して泳ぎ始めた。泳ぎ方なんて知らないから、本能で必死に。


(こわい、なにもみえない) 


 怖かった。狭かった。暗かった。前にもこんなことがあった気がする。


(どこへ向かっているのだろう このまま 地の底 まで ……) 


『大丈夫』


 ハクアの声は優しく溶けるようだ。


『あなたは溺れないわ』



 泳ぎ降ってきたが、おそらく底についた。折り返しだ。そこからも二つの道ににわかたれている。分かりにくいが真っ直ぐ上に伸びる道と、前方のゆるやかな登り道だ。


 決めあぐねて、何気なく上の穴道に手をかけると骸骨が落ちてきた。


「(……!!が)ふッ……」  


 驚いたあまり水を飲んでしまった。


(水っ水飲んだ!やばいやばい上だ、上行こう!)


 口を手で抑えて、上がろうとするが……


『だめ、だめ。そっちは行き止まり。もう少しこっちへおいで』


 ハクアはアルバの両手を引いていった。登り道を、静かに水を蹴って行った。


(あれ……触られてる?)


 確かに触れていた。柔らかに掴み合う感触があった。

 藻のカーテンがゆらめく先に、彼女の赤い目がにごって見えた。


『ここまできたら苦しくないわ』


 水質が明らかに変わった。あたたかい……


(苦しくない。息ができる)


『闇の中にこそ、道はあるもの』



『あの男が気になる?

 気にすることないわ、洞穴に押し込まれた時点で詰んでいた。地底民は、地上民を殺したがるもの』


(地底民……会ってみたいな)


「いずれ会えるわ、かわいいあなた」


 ハクアの手があった場所にはいつのまにか根が巻かれていた。

 淡い光にきらめく水面が見える。根に引かれ、反射する光に迎えられる。




 一方、ジャックは()を集め袋に詰めていた。魔石の存在そのものやその所有権を主張するのには、一つあれば十分だろうが強欲のままに詰め込んでいく。


(あのガキ……やっぱり悪霊の類だったのかもしれねえな。俺が焦って下の道にいくよう誘っていたのかも……)


 その間も水は流れ込み続けていた。

 何もかも順調に思えたが、ちょうど大穴が水で埋まるといった時。


「……!?」


 大きな渦が現れた。

 みるみるうちに轟々とした水流に巻かれ、とても泳げそうにない。渦に呑み込まれれば、ごつごつとした数多の岩に叩きつけられて悲惨な結末を迎えるだろう。


「こ、これじゃ泳げねえっ!渦に引き込まれて溺れる!!」



 ジャックは静止しそうな思考をぐるぐる巡らせた。

 しかし、後悔や死の恐怖が押し寄せてまともに考えられない。


 結局彼は衝動のまま、


「うおおお!!」


 いちかばちかで飛んだ。


 魔石を詰めた袋は、諦めて放りださざるを得なかった。

 ロープを結びつけたツルハシを上の洞穴に何とか突き立てる。足に水が触れてもっていかれるが、死を前にした恐怖と執念が、壁を駆け上がらせる。


 必死の思いで洞穴に辿り着く、が……


「!!行き止まり……暗くて気が付かなかった……」


 明かりが届かず、気づけなかったが洞穴は行き止まりだった。


 今度こそ絶望……


「あきらめねぇ!!」


 せず、彼はツルハシで上の穴を掘った。


「……っ!」


 洞穴が浸かる高さで渦が止まった。

 ツルハシを突き立てしがみついて渦をやり過ごした。ふう、ふうと小さな積年劣化でできた窪みを掘って広げ、そこに顔を出してやっと呼吸したのだった。


 今の自分の姿はどんなに滑稽だろう、と思うと彼は笑けてきた。



 渦が止んだ後、洞穴を泳ぎ出て戻った。少しだけ残る空気層に顔を出す。


「真昼の星がこんなに近くに……!!巨万の富が……!」


 天井の装飾のように紺色の魔石は埋まっていた。

 唇を噛んでブンブンと首を振って、彼はちょうど穴の上の天井からあかりが差し込んでいるのに気づいた。


「あかりだ!天窓!光の加減でこちらから見上げないと気づかない造りになってやがる……!ともかく出口だ、やったぞ!」


 洞穴側から見上げないと気づけない道のようだ。


「水が増えてきた……あのくそ鼠……」


 ジャックは怒りを堪えながら真上の天窓を進んだ。手足を引っ掛けて、時折滑りながら。


 しかし……その先は大人では通りきれない大きさに狭まっている。かすかに外の光が漏れているのがわかる。


「ぐぅう、光が見えてるってのに……!」


 ジャックは無理に通り抜けようとして、片腕を伸ばす。指は引っ掛からない。そればかりか、小太りの体は穴にはまってしまった。

 上に出られず、身動きする間に水は染み出してどんどん水位が上がってくる。


「あンのクソ鼠ぃイイーーっっ!!」


 ゆっくりじわじわと染み出すのに、もはや数分後に差し迫った死を想う。


「はぁーっはあーっ……(しぬ!?しぬ!?おれが!しぬっ!)」


 死を目前に彼の記憶が蘇る。走馬灯だろう。


『姉貴……』


『私、魔女になるの。あの人にとっては所詮家族も商品ってことね。分かっていたけど、酷だわ』


 その女は、彼の両頬を優しく包んだ。泣き腫らした目で、力強く訴える。


『でも、あなたは……あなただけは、自分の名前を取り戻して。

 売り物なんかじゃない、()()()になった人生を……』




 カッ!とジャックは目を見開いた。


「おおおーい!!!」


 最後の力を振り絞って叫んだ。穢れた水を飲み込みながら。


「うぶっ、ごほっごほ……うおぉおーーい……!」


 虚しく水に溶けていく。


「ふうーっふぅーっ(いやだ、いやだ!だって、まだ、まだなんだもん)」


 口を窄めて必死に呼吸をした。



「まって……まだ……」





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